イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

現場に立ち尽くすと何かが湧いてくる!(旅の意味① 2/10)

2013-10-31 | 第八章「魂と聖霊」

 武蔵国分寺跡の近くにある、南北に走る東山道武蔵路跡を先日歩いてみた。そして、東山道武蔵路の側溝が道路の上に表示されているのでリアルに旧道の感じがつかめ、ワクワク・ゾクゾクしてくる。路を西国分寺方面に来たに辿っていくと、東西に走る中央線のために途切れてしまう。その先には恋ヶ窪の姿見の池などがあり、どのように向こう側にいくのかわからなかった。

  

 ふと見ると、小学生の二人連れ、そのうちの一人に道を聴くと、私の気持ちが伝わったのか、とても親切に教えてくれた。そして、鎌倉時代の畠山重忠と、その恋人夙妻太夫(あさづまたゆう)の物語のある姿見の池に辿りつくことができた。

 

現場に立って、そこで五感と体感で感じる何かは本当に得難い。

出会いは人と人のことをさすが、その歴史的な場所に立ち尽くすことも、リアルな出会いのように感じてしまう。

そして、傾聴やカウンセリングではないが暖かい心で、こちらの想いを「うんうん」と批判もされず、湧き起る感情を聴いてもらう中で、ふつふつと何かを発見させていただくことも。有名な西に傾く松はもうないが、夙妻太夫の情念といったもの、もののあはれが伝わってくるようであった。

昨日の話ではないが、芭蕉の持統天皇も、旅をするときに、その地がなんであるかを良く学んでいたように思う。歴史的、哲学的に。そして、その中で何かに出会う。世界的な詩人には世界的な詩が生まれるが、私でも何かが生まれた(笑)ようだ。

太極拳の仲間や生き甲斐の心理学の仲間で行く来週の遠足。今から楽しみである。大人の修学旅行(まだ修まっていないが)なのである。

旅の意味① 2/10

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思考・感情・行動のバランスをとるための旅!(旅の意味① 1/10)

2013-10-30 | 第八章「魂と聖霊」

 考えてみると、自分の世界といっても、一つではなく二つ以上の世界の中で日々生きているように思う。

 生計をたてる仕事の世界、家庭の世界、長年大事にしている世界、・・・そんな感じである。そうしたものを仮にA, B, C, D, Eと名づけてみようか。すると、Aの中では、殆どが幸福曲線(明るい感情の領域)であるが、Bはややストレス曲線(暗い感情の領域)が強くなってきたり、Cは何かストレス曲線より幸福曲線が大きくなってきたり・・・いろいろなことが時間とともに出てくる。

 そんな中で、自分の思考・感情・行動をバランスさせて生きているわけであるが、時にある世界でバランスを崩してくるということがある。思考は一見まともなのだが、感情や行動が変になってくる。ひどくなると思考・感情・行動がバラバラで錯乱きみというか・・・そして、不思議なのであるが、別の世界では何か幸福曲線で満たされていたり。

 こうしたことは、考えてみれば、人生の中でいくつもあったように思う。そんな時に、周りの暖かい配慮でストレス曲線から脱出できたり、何となくうまくいくようになったりすることもあれば、逆にどんどん深みにハマることも。

 そんな時に、どうしたらよいのだろうか。理論的には、感情の意味を深く考えて前向きに思考を展開していくことが大事なのだが。

 さて、飛鳥時代に日本の原型作りの多大な貢献をした女帝・持統天皇。他の天皇などと大きく違うのは、非常に旅をしたことである。白村江の戦いで筑紫に行ったり、壬申の乱で天武天皇とともに活躍したが、自らが政権の中心になってからも、吉野行幸などを30回以上している。

 この持統天皇の旅は様々な学者によって多様に解釈されているが、決定的なものはまだないようだ。ただ、私は政治的な背景があるにせよ、風光明媚な吉野に行ったのは意味があるように感じてしまう。そこは、生育史上の何かであり(天武天皇や親族の思い出の地)、幸福曲線に導く、あるいは安らぎを得る神秘的な何かがあったのではないかと。

 そして、そこで自分の感情を客観視し、思考や行動のバランスをとるための大切な時を過ごしたのではないか。

 当時は謀略が横行する、極めて厳しい政治の世界。自らも大津皇子を排するなど厳しい行動もされた。しかし、それは何かバランスのとれた行動だったように感じてしまうのだ。持統天皇の藤原京建設など、政治家として一流だったと思うのだ。

 蛇足だが、旅の詩人として芭蕉、西行は非常に有名であるが、万葉詩人として有名な柿本人麻呂には持統天皇の存在が大きい。持統天皇もやはり旅の人だったのではないか。

 魂の旅路① 1/10

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自分に問い掛けて元気になる質問!(時の旅③ 10/10)

2013-10-29 | 第七章「光と復活体」

  忙しく働くのは良いが、それこそ忙しいという言葉どおり心を亡くす時というのがあるようだ。そして、時にはどうしようもない壁にぶつかったりする。多くの人が経験することかもしれないが、私も中年のころに、そんなことがあった。

 そんな時。本が好きな私は、社会人になってからは、殆ど哲学書や宗教関係の書物は読まず実用的な本ばかり読んでいたが、そのときばかりは実用的な本は軽すぎて、哲学や宗教関係の本をやたらに読んだ

 この種の本は基本的に「何のために生きているのだろうか?」の深い問いかけに、いろいろ応えてくれる。もちろんこの回答は死ぬまで得られないだろうが、何年か経つ中で、壁にぶつかっていた当時とは格段に元気になっていく。 

 この一連の経験を、あとになって生き甲斐の心理学で学問的に振り返ってみると、自分のアイデンティティが危機に瀕し、そして、自己実現のキーワード「何のために生きているのだろうか?」により、再生への路を見つはじめたようなのだ。

 蝶が青虫から蛹になったり蝶になったりするように、そのときどきに身を削ぎつつ新しく変わっていく。それは、変化に対し力強く生き抜くための問いかけかもしれない。

 さて、昨日は友人と国分寺の真姿(ますがた)の池に夕方行った。都内で御嶽とこの国分寺だけが名水100選に選定されているようで、美しい水がこんこんと湧きおこり、心が洗われたようだった。

 

 国分寺崖線(ハケ)の美しさを象徴する場所であるが、この池には平安時代の伝説が残されている。「ふるさと国分寺のあゆみ」(国分寺市教育委員会)96ページより、引用させていただく。

 848(嘉祥元)年、絶世の美人と評判だった玉造小町は、不治の病にかかってしまいました。彼女の顔は次第に醜く変わり、人々がさけていくほどになりました。小町はある日、武蔵国分寺の薬師如来が、霊験あらたんかであることを聞き、詣でて心から病気全快を祈りました。そして、21日目、突然童子が現れて、小町を池に導き、「この池の水で身体を洗いなさい」と言うなり姿を消しました。小町はお告げを信じ、身体を洗って祈りました。やがて、ふと池に目をやると、美しい元の自分の姿が戻っているではありませんか。小町は病が治ったことを喜び、薬師如来と弁財天に心から感謝しました。

 この美しい伝説も、何か「何のために生きているのだろうか?」という問いかけと深い結びつきがあるように思えるのだがいかがだろうか?

 時の旅③ 10/10

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台風一過で感情も大変化!(時の旅③ 9/10)

2013-10-28 | 第七章「光と復活体」

 台風が去り、連日の好天気で嬉しくなる。昨日は、新宿御苑に出かけ、10月の自然を楽しんだ。新宿御苑は季節季節で、素晴らしいが最近は東側のフランス式整形庭園を楽しむことが多い。プラタナスの並木も、そろそろ黄葉で大きな葉を落としはじめ。バラは、優しい匂いを放ち美しく咲いていた。

(写真はクリックで拡大します)

   

  

 こうした素晴らしさも良いが、公園に来ている人々の明るい顔を拝見するのも本当に楽しい。写真好きの人の何とも言えないウキウキ感(私もそうだが)、出会うお年寄りも、解放された清々しい笑顔。もちろん子供達も楽しげ。

(シャボン玉を作る人も)

 生き甲斐の心理学でいうと、台風下のストレス曲線が、台風一過で人々の感情も幸福曲線に変わる(特に素晴らしい新宿御苑では)例なのだろう。これは人間だけでなく、水鳥など動物や植物もそうかもしれない。

何でも辛いことばかりではなく、恵の時が来ることも。そんな感情の神秘を、台風は教えてくれるのかもしれない。

 時の旅③ 9/10

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自分の祖先の眼を感じて、歴史を楽しむ!(時の旅③ 8/10)

2013-10-27 | 第七章「光と復活体」

 太極拳の仲間を中心に11月に府中周辺の遠足をする予定だったが、ちょうど私の所属するNPOが「旅と生き甲斐の心理学」をテーマに盛り上がっていて、私も遠足の訪問先・府中周辺を随分勉強した。八王子市、国分寺市などの歴史資料まで調べ、昨晩遠足ガイドがやっと完成した。

 そんな私も、もともと理科系で若い頃は物理的に見えるものにしか興味を覚えず、遠い昔の歴史は人ごとのように感じていたものだ。

 ところが、U先生の生き甲斐の心理学を学んでいくうちに、自分の生育史を大切にする意味を再確認し、さらに自分の血の通ったルーツをにも想いを馳せるようになっていく。

 生き甲斐の心理学テキストで学んだが、自分の両親は2人、祖父は4人、曾祖父母は8人と理論上世代が一つ上がるほど、自分のルーツは二倍に増えていくことにはハッとした。実際に計算していくと、20世代前では約100万人と日本の当時の人口をかるく超えていく。33世代前では現在の地球の人口70億人に達してしまう。

 こんなことはありえないので、自分の祖先がどこかで重なるようになると思うが、大事な視点として、歴史上のどんな時代のどんな時点でも私の祖先は必ず複数は存在していたということだ。

 江戸時代に徳川家康が大國魂神社に500石の朱印状を書いたときも。新田義貞が分倍河原の戦いで武蔵国分寺に放火した時も。平将門の追討のために藤原秀郷が武蔵国府から出陣したときも。聖武天皇や光明皇后の勅命で国分寺を武蔵国全域の総力をあげて創建したときも。府中に国府を誘致するに貢献した某豪族がなくなり上円下方墳に手厚く葬られたときも。安閑天皇の時代に国造と小杵(おき)の争いがあったときも。先住と日本武尊が戦ったときも・・・祖先はどこかで、あるいは歴史上の誰かとして生きていたのだろう。

 そして、その命のバトンタッチの結果がこの私であり、周りの身近な人たちなのだ。

 時の旅③ 8/10

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