イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

一年が終わって想う・・・(何で良い仕事ができるのか 2/10)

2010-12-31 | 第五章「和解と平和」

 先日、今年最後で多摩動物園に行ったが、お気に入りのモウコノウマもしっかり見てきた。3頭が列をつくって歩くさまは、何か見ていて気持ちがいい。今は車が乗り物としてはポピューラーであるが、長い歴史を辿ると、馬が祖先たちにもたらした利便性は計り知れない。

 何か、自分の中の血が騒ぐのだろうか。

 さて、今日で2010年が終わる。一年の、自分のしてきた仕事のことも、ちょっと考えたりする。出来たこと、出来なかったこと。新しく見えたこと、見えなくなっていくもの。いろいろあるように想う。その中で、生き甲斐の心理学で学んだエリクソンの8つの人格形成論を反省してみる。

 まだ59歳なので、8番目の智恵はパスするとして、次の7つがある。

1. 希望 (基本的信頼、不信感)

2. 意思力(自律性、恥辱・疑惑)

3. 目的志向性(自発性、罪悪感)

4. 技能(勤勉性、劣等感)

5. 忠誠心(アイデンティティー、自己混乱感)

6. 愛(親密性、孤立感)

7. 世話(生殖性、停滞感)

 この中で、自分は何が良かったか、改善されたか。何に悩んだか。

成育史からなるこころの反省もあるが、自分の身体の反省はどうか。何が改善されたか、何が問題となっているか。

 そして、魂の問題もあろう。私は、どこまで深く考えたのだろうか。どういう恵みがあったのか。

 もう一つ大切な反省もある。やりたかった計画はどの程度できたか。そして、日々の生活の中で幸福感を味わえたか(ちょっとしたことが意外と大切)。

 こんなことをボーと考えている中で(モウコノウマの歩みのように)、今年も終わろうとしている。

 皆さまに感謝。良い年末年始を!

 何で良い仕事ができるのか 2/10

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イイ仕事してますね!(何で良い仕事ができるのか 1/10)

2010-12-30 | 第五章「和解と平和」

 2007年の夏、六本木ヒルズで「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」に行った印象は強烈であった。

 ハンディを背負う方々が、このような素晴らしい仕事をしている。

 その時の図録は大切にし、時どき生き甲斐の心理学の勉強会でも使う。図録ではあるが、感情が湧きおこりやすいのも一つかもしれない。その図録のはじめのほうに次の言葉がある。

「私ほど、この仕事に不適当なものはありません・・・・・

けれど、なんとか私がやりとおしてこれたのは愛です。

こどもたちと私の愛は真実であり、いかなるものも恐れない時、

神の力をえていることに気がつきます。

                        ペスタロッチー」  (ねむの木のこどもたちとまり子 宮城まり子編 ねむの木学園)

 イイ仕事をするとは何だろうか・・・そんなことを再度考え始めたきっかけである。

 実は、大学生のころは、創造工学に興味を持ち、天才は何故、素晴らしい仕事ができたのか等疑問を持ち、故 市川亀久弥先生の等価変換理論を勉強したりした。その延長で、専攻を管理工学科に急遽決めたこともある。管理工学を学び、企業でも品質管理やマーケティングといった勉強をしながら、イイ仕事をするとは何か、創造的な仕事をするのは何かと考えたものである。

 仕事のプロセスを研究し、工学的なアプローチも確かに役立つと思ったが、何か一番重要なポイントが抜けているようにも感じた。

 私は、天才でも秀才でもないが、60年近い自分の歴史の中で、それなりに良い仕事をしていた時期も数回あったように思う。一方、その反対に良い仕事のチャンスを逃したことも沢山ある。何でそうなるのか、そんなことを今度は生き甲斐の心理学を中心に考えてみたい。

 先に引用した、ペスタロッチ―の言葉は、工学的ではないものの、大切な世界に通用するヒントを与えてくれている。

 何で良い仕事ができるのか 1/10

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仕事って何だろう?(こころの平和と生き甲斐 10/10)

2010-12-29 | 第五章「和解と平和」

 先日、こんな若い人の会話を耳にした。

Aさん「好きなことを仕事にできたら、いいな!好きなコトをして、しかも稼げるなんて。」

Bさん「でも、好きなことを仕事にするのは良いんだけれど、仕事ではやはり辛いこともしなければならない。そんな中で、好きなことが嫌いになってしまう人もいるみたい。」

  還暦をまじかにひかえた私たちの世代にとって、仕事は、修行的なイメージが強い。実際、幼いころには、ある職業を何年もやられたプロで溢れていた。それに対し、若者は、社会のサービス化に伴って、何でも(教育や職業などでも)、選べたり買えたりするように思うのだろうか。とても、軽いノリがある(でも、大変な世の中で苦労はしている。)。でも、これだけの会話でも、いろいろなことを思い浮かべてしまう。

 では、仕事とは何であろうか?今まで学んだ心理学の知識も含め、自分なりにまとめてみようか・・・

1.生計を立てるための手段(人は生物学的な存在でもある。とても大切な側面)。

2.仕事をすることによって、体感、知覚が変わり、その仕事が好きになることもある。勿論、嫌いになることもある。好きな仕事だと思ってもそれが変わることはあるのだ。

3.社会的貢献。世のため人のためという性格がある。堅い話であるが、どうもこのポイントは、自己肯定、他者肯定が人間の基本的な幸福追求の構造であり、大切だと思えてならない。

4.人により、何らかの条件で、個性の美とか潜在能力とかが発揮できる仕事もある。時には想像を越えた成果を 出したりする。3に絡めて、不思議な領域であるが。  

5.自分のアイデンティティと仕事が一致すればするほど、仕事が楽しくなったり、苦痛でなくなったりする。 資本主義の世の中、米国のようにお金を稼ぐことを大切にする企業に勤めたり、反対にNGOやNPOで普通の企業に出来ないことをするという選択もあるのだろう。

 こころの平和と生き甲斐というタイトルで考えて来たが、やはり、多くの人にとって仕事は人生の中で重要な位置づけになる。年末年始に、いろいろ考えてみるのも良いかもしれない。新しい発見があるかもしれない。

こころの平和と生き甲斐 10/10

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どんな時も人生を楽しく!(こころの平和と生き甲斐 9/10)

2010-12-28 | 第五章「和解と平和」

 生き甲斐の心理学の中で、時どき自己否定・自己肯定そして他者肯定・他者否定の4つの組み合わせの思索をする。そして、今日は思い立って、自分の人生の節目で自分はどの領域にいたのかを振り返ってみた。

 1. 18歳: 自己否定、 他者否定

 2. 28歳: 自己肯定  他者肯定  

 3. 32歳: 自己肯定  他者否定

 4. 36歳: 自己肯定  他者肯定

 5. 47歳: 自己否定  他者否定

 6. 49歳: 自己肯定  他者肯定

 7. 52歳: 自己肯定  他者否定

 8.  59歳  ?

自己肯定、他者肯定等は、心理学でいう受容の問題や思想や行動の傾向などを総合的に考え、自分なりにエイヤで決めてしまった。

さて、その各々の時期に、自分の基本的な感情や行動の傾向はどうだったのだろうか。

 1. 18歳: 自己否定、 他者否定  自己混乱の時代、とっても辛かった。

 2. 28歳: 自己肯定  他者肯定  精力的に働き、何かのっていた時代。

 3. 32歳: 自己肯定  他者否定  仕事も家庭も何か混乱。ついていないとえばついていない。

 4. 36歳: 自己肯定  他者肯定  人生で希望が見えて来た時代。創造的であった。

 5. 47歳: 自己否定  他者否定  家庭も仕事も混乱。とても辛かった

 6. 49歳: 自己肯定  他者肯定  希望や愛が見えてきた時代。

 7. 52歳: 自己肯定  他者否定  精力的で安定しているが、他者との摩擦も。

 8.  59歳: ? 

 自他肯定・否定の傾向と辛いか否かなどの感情生活や家庭や仕事が上手く行くかなども、関係があるようだ。

 今、考えると、それぞれの時代は、様々な出来事の積み重ねと、それなりの理由があって、そうなっているのである。勿論、それぞれ大切な時代であり、否定すべきものではない。そして、それに合わせて自然に自他肯定・否定の傾向がついてくるようだ。

 ただ、自他肯定・否定の傾向は考えてみれば、意思力で変えられる部分があると思う。生き甲斐の心理学を学んでいくと、そのあたりのことが段々見えてくる。セルフ・コントロールが上手くなるのかもしれない。

 自己肯定・他者肯定を意識すると、何か良い!

 そんな経験則が明確になってきた。ただし、ビジネスでよく言われるWin/Winの関係などより、もっと無意識の領域、哲学も含めた深い意味を問う必要があるかもしれない。

 こころの平和と生き甲斐 9/10

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魂の歌を年末に聴こう!(こころの平和と生き甲斐 8/10)

2010-12-27 | 第五章「和解と平和」

 昨晩は、初めて府中でベートーベンの第九を生で感動をもって聴いた。歓喜の歌が流れてきたときは、自然に涙がでてきた。

 さて、この第9。不思議な縁が重なり、昨晩の感動に辿り着いたように思えてならない。

 7年前にコンピュータ業界をやめ、介護・福祉の勉強をし、そろそろ何かしなければと思っていた時に、生き甲斐の心理学の学友から、介護・福祉の当事者団体を紹介されて、まずはアルバイトから始めた。そこで出会ったのが、その団体の役員でもあった、Oさんである。

 いろいろ教えていただいたり、世話をしていただいた。4年前に、その団体を辞めてしまってからも、Oさんの所に伺ったこともあった。

 そのOさんが、一昨年急に亡くなった。丁度関西に出かけていて、葬儀にも出席できなかったのが残念であった。昨年Oさんの遺稿集等が本になり、そして知人の好意でその本を頂き、私もそれを読む機会があった。その中で、Oさんと奥様の出会い、そして亡くなられてからのお別れ会で、ベートーベンの第9が大切な役割をしていたことを知った。

 第9を一度生で聴きたい!耳が聴こえなくなってからの名曲とされる、ベートーベンの第9。それが、これまた不思議にも友人のSさんから、今年早速、お誘いがあって昨晩の感動と繋がるのである。

 歓喜の歌(喜びの歌)の歌詞は有名であるが、考えてみればベートーベンが選んだ詩なのである。その意味をドイツ語と英語、日本語訳を見ながら熟読した。そして、実に魂の歌なのだと確信した。日本語訳は、どうも文化的、社会的な抑圧・抑制があるのだろうか、はっきりと歌詞に魂とか霊(Seele, Spirit)という言葉が出てこないものが大半である。

 しかし、元の意味は神性のほとばしりとしての人間の魂的な発想が溢れている。身体や成育史の状態が一人一人違っていても、あたたかいSpiritで繋がれる。

 訳は何か違和感があるが、音楽そのものは人の魂に直接訴えかけるのであろうか、10000人の第9など、日本人は世界にも類のない第9愛好国民のようだ。

 そんな日本人の一人として、第9を味わえ嬉しい限りである♪

 こころの平和と生き甲斐 8/10

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