イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

緊張の中で見る甘さ・・・ (私のストレスとは?② 10/10)

2017-04-30 | 第九章「愛」

  北朝鮮のミサイルで緊張感が高まっているが、私が11歳のころのキューバ危機に似ていると思った。幼いころであったが、核戦争の恐怖を身近に感じ、両親とまじめに語り合い不安を共有したものだ。

 しかし、この感覚は縄文小説を書いている時にもあった。平均寿命30歳程度という縄文の世界を描いていたが、その感覚をつかんだのは、「十三湖のばば」という児童文学からのインスピレーションであった。津軽の寒村の話で、過酷な寒村の中で、簡単に子供が事故でなくなったりする。夫もなくなってしまう。そんな中でしたたかに生きる力は、現代では忘れさられたもののようだった。丁度、私も健康診断でガン疑惑?があり、その中で小説を書いたが、それは不思議な体験だった。

 さて、今朝はもう一つ別のことを考えている。日本人の特徴といわれた「甘えの構造」である。1970年代~1980年代という高度経済成長期と重なった時期のベストセラーであり、どこか厳しい時代とは無縁のように私自身感じていたが、何かちがうのではないかと。

 神のイメージ、人のイメージ。その中に甘い何かを含む。縄文時代は極めて宗教的な時代だと思うが、その中で、「甘えの構造」はどんなものだったのだろうか?

私のストレスとは?② 10/10

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囚われない時間をもつ・・・(私のストレスとは?② 9/10)

2017-04-28 | 第十章「今ここでの恩寵」

 私は何でこんなに囚われている時間を過ごしているのだろうと考えることがある。約束や仕事があるので、当然ながら、それに関わる時間を過ごすため、囚われることは当たり前と言えば当たり前だが、24時間ずっと何かにとらわれ、心が不自由になりはっとする。

 一日の内で、鼻歌がでるような時を意識して持つと、ずいぶん違うと思う。好きな音楽を聴く。好きな場所を散歩する。太極拳など身体を動かす。・・・いろいろあると思うが、いくつかを身に着けると違ってくる。鼻歌ひとつも出ない一日はだいたい問題が多い。そういった時が確保できないときは注意が必要だ。

 同じように囚われても、牢獄に監禁されるように深刻になりがちだ。こころの自由度が高い日は、気楽に出入りできる好きな部屋にいるようで、難問も解決まで遠くても苦にならなかったりする。

 年をとり、智慧・自我統合性・絶望感の時期を過ごす時も基本的に変わらないだろう。鼻歌を意識してみよう。

私のストレスとは?② 9/10

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大きな流れを感じてみる (私のストレスとは?② 8/10)

2017-04-27 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 花粉やっとピークが過ぎてきたこの時期、オフに、外で活動する楽しさが戻って来た。そして、今日は縄文遺跡見学会の下見を兼ねて多摩センター周辺を散策した。縄文の村のエビネも綺麗であり、栃の花まで咲いていた。

  

車で少し行ったところの小野路の小野神社や藤の花の香が新鮮だった交流館も素敵だった。

  

帰ってきてから、ブログで振り返ってみると、ゴールデンウィークの前のこの季節では、毎年藤を楽しんだり、エビネを楽しんだり同じようなことをしていることに気づく。新年度を経て花粉も終わりに近づき、ほっとした感覚・・・

まあ、毎年ひとつ年をとっていくわけで、時と共に変わる部分もある。しかし、スフィンクスの問いかけではないが、人生も四つ足の幼年期、二本足の成年期、三本足の老年期と同じような繰り返し繰り返しているとも言える。巻頭のノコちゃんの写真も、今は15歳のノコ(人間でいうと80歳くらい?)であるが、昔の写真を見ると幼犬期、成犬期、老犬期と変わってきているのが良くわかる。

話しは少し変わるが、人の信仰心も、幼年期は高く、成人は低く、老年は再び高くなるというのは、万国共通の現象だそうだ。

大きな流れの中で、自分を俯瞰してみると何か楽しくなる。

私のストレスとは?② 8/10

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智慧を意識して進む!(私のストレスとは?② 7/10)

2017-04-26 | 第八章「魂と聖霊」

 もう10年くらい経つが、福祉の仕事をしていた時期がある。一年くらいアルバイトをしつつ資格をとり、障害当事者の団体で何年か働いた。そこで、眼が丸くなるほど衝撃を受けたことがある。障がい者に関する認識も、今では随分変わったが、もちろん人によることであるが、かなり重度の障がいをもっていても、それを知恵をもって克服し素晴らしい活動(健常者以上の)をしている方々が沢山いらっしゃるということであった。

 歩けなければ車いす(電動型もある)に乗ったり、車を運転しハンディを乗り越えて活躍する。それは、半分薬漬けでテレビを見て過ごしておられる、見慣れていた老人ホームとは全く違った光景であった(もちろん、そうでない施設もある)。

 今、前期高齢者となり、記憶力なども衰えてきたかな感じるこのごろであるが、当時の経験がよみがえってきている。衰えてきている部分は増えても、何かに向かっていれば、智慧でカバーし同じように生活を楽しむことができる。記憶力のカバーも調べてみると、結構いろいろノウハウがあり、身に着けると違う。

 健康もそうだが、お金も似たところがある。ハングリー感を感じて智慧を絞ると、不思議なことに世の中の常識に反して、克服できることが多い。

 私も、早期退職をしたこともあり、今でも経済的に楽ではない。しかし、その中でも縄文小説を出版したり、旅行を楽しんだりできている。これは、20年前では想像もできない智慧のお蔭だと思う。

 さて、智慧はどこから来るのだろうか。自分の能力を信じていた若いころとは違い、今では何かやってくるもののように思う。それは、時々のストレス(理想と現実のギャップ)の意味をあれこれ考えていると、ふと気づいたり、不思議な出会いで教えてもらったりで得るもののようだ。

 言葉を変えると祈りと聖霊の働きといった世界かもしれない。

 写真は先日の娘の結婚式で送られた花束。これも、私というより誰かに送るべきもののように少し感じてしまう。

私のストレスとは?② 7/10

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本当の自分?(私のストレスとは?② 6/10)

2017-04-25 | 第七章「光と復活体」

 本当の自分とは何か?

 むかしから、時々そんなことを考えてきた。

 そして、この10年はU先生の<生き甲斐の心理学>で人格形成論を学び、昔より少し理論的にこの問題を考えることができるようになり、自分の方向性を考えるうえでも役にたつようになってきた。

 カール・ロジャースの人格形成論の中に、人は独自の<傾向と渇望>があるという命題がある。人は自分で自分を創造するわけでなく、例えば神仏が創造したかけがいのない生命体とポジティブに考えてみると、本来的な<傾向と渇望>は自己実現の道への指標であり、この世の中での役に立ち方のヒントを与えてくれるようだ。

 私の<傾向と渇望>は何だろうか?自分で考えるより、他者の意見や評価が参考になると考える人も多いかもしれないが、ここでは自分のストレスや感情を吟味する方法を考えてみたい。生まれてから、様々な社会を経験する。家族、近所の幼馴染、幼稚園、小学校、町内の祭り、信仰の集まり、中学、クラブ活動、高校、友人関係・・・際限なく、いろいろ出て来るが、その中で自分がイキイキとして輝いていた時、逆に元気がない時を吟味する。いろいろ思索していくと、自分の<傾向と渇望>がはっきりしてくるように思う。それは、残された人生の歩む方向と言ってもよいかもしれない。幼稚園のとき何が楽しかったか・・・経済的、社会的に頑張る中年期を過ぎて、高齢期になってくると幼いころの楽しみや感覚がより身近に感じたりする。

 さて、拙書の縄文小説では、主要登場人物の<傾向と渇望>を意識して書いたつもりだ。主人公マポや副主人公ケンなどの幼いころの<傾向と渇望>、これが時代の荒波の中でどう影響していくか。満足する部分もあるが、書き足りない部分も沢山ある。

 しかし、<傾向と渇望>を踏み外さなければ、大きなストレス(別離や死など)もネガティブなものというよりポジティブな糧になる可能性も増えるように思う。また、年をとっていくことによる障害も、さほど苦にならないように思う。

私のストレスとは?② 6/10

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