イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

暗い時代でも明るくなれる時・・・

2009-09-30 | 第十章「今ここでの恩寵」

 自分の生育史でも激動であった、1969年から1970年を経て、大学に通うようになる。

 理工系であったので、実験や試験が結構大変で、大学紛争も盛んであったが、意外と勉強はした(惰性かもしれないが)。何もしないより、何かをしているほうがこころの健康には良いこともある。

 夏休みは、広島の父の実家に行った。

 私は母も、父も大家族で、従兄が30人以上いる。ただ、父方の田舎は夏休みになると、祖父母の葡萄園が出荷時期になるため、その手伝いをする。そんなこともあり、従兄との連帯感は強かった。

 その従兄達の中で、一足先に社会人になったBさんから、いろいろ世話になった。その一つが、市川亀久弥先生の創造性の研究を紹介してくれたことであった。確か「生きがいの創造」という本を頂き、熱い思いで読んだ記憶がある。

 その影響で、管理工学科に進み、熱い思いを学科の先生に語り、少し似た学習理論を卒論研究とした。その後、企業に勤めたが、従兄を通して、楽しい勉強仲間をご紹介していただくなど、今に至るまでお付き合いがある。

 自分の生育史を振り返ってみると、当時暗かった自分を立て直す大きな出会いの一つだったようだ。こころの健康のためにも、如何に生き甲斐をもつことが重要かを、身をもって体験した。本当に有難いことである。

 こころの防衛機制と言う点で考えてみれば、置き換え、同一化、知性化、昇華、補償などが浮かんでくる。防衛機制をポジティブに働いた好例かもしれない。いろいろ思い巡らすと新たな発見があるかもしれない。

<異物 5/8>

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・・・愛の孤独・・・

2009-09-28 | 第十章「今ここでの恩寵」

 村上春樹の「ノルウェイの森」をやっと読み終わった。1980年代後半に一度購入して、数ページ読んで積読となっていた。気になっていても、いざ読む時になると、無意識の抵抗があるのか、読めない本というものがあるようである。

 先日1Q84を読了し、勢いづいて、再度「ノルウェイの森」読んだ。来年映画化されるという情報を得て、次はこの本だと決めたこともある。

 生き甲斐の心理学をU先生から学び初めて9年経つが、この勉強のお陰で、小説の心理描写などが良く判るようになってきている(良い小説は、生き甲斐の心理学の理論に沿った書かれたかのようで、不思議である)。あるいは、この年になって、小説の本当の面白さに目覚めたのかもしれない。

 舞台は1969年、1970年。東大入試が中止になり、安田講堂など学生紛争が盛んな時代である。それまでの権威は否定され。三島由紀夫が家の近くの自衛隊駐屯地で割腹自殺をした時代。一方、月面着陸が成功し、大阪万博で日本中が沸いた、変に明るい時代でもある。

 伝統、権威や昔からの神仏が困難な時代を迎え、物質的な繁栄が、それと反対に力を増していく時代である。そんな時代の中で、自分も含め、何かが見え始め、何かが見えにくくなってきたと思う。

 「ノルウェイの森」のヒロイン直子は、幼馴染との事件などから、精神を病み、そして最後には自殺をしてしまう。そんな悲しい小説である。自分の1970年当時の身の回りでも、同様の悲劇(自殺)が起こっていた(勿論事情は異なるが)。決して、特殊な世界の話ではない。

 そして、この傾向は、自殺者統計からもわかるとおり、一向に減少しない。

 生き甲斐の心理学の中で、「愛の孤独感は人を死に追いやる」(凶器のようなもの)と学ぶ。そして、優れた小説のように、出口のない状況に置かれる人は、現実の世界に確実にいるようだ。

 生き甲斐の心理学普及でもっと役に立てるのではないかと思う。難しい治療も大切だろうが、予防医学的な知識の普及はそれ以上に大切だと思う。

<異物 4/8>

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屋根裏に逃げよう!

2009-09-27 | 第十章「今ここでの恩寵」

 小学校5,6年のころ、親戚のBさんに妹と勉強を教えてもらったことがあったが(家庭教師というものだろうか)、ある日、勉強するのが嫌で屋根裏に逃げて、隠れたことがあった。

 家の屋根裏には、2階の押入れの天井板をはずして入るのだが、埃と蜘蛛の巣の魑魅魍魎の世界である。ただ、一か所通風口というのだろうか、外部から光が差し込む場所があった。そんな秘密の場所は、当時ウキウキする場所であった。

 丁度妹の部屋の上あたりの梁の上で、Bさんと妹が勉強している声が聞こえる。私が居るはずの部屋に私が居ないので、Bさんと妹は何処に行ったのか不思議がっていた。ところが、ちょっと身体を移動した際に物音がしてしまった。その音で、妹とBさんは、さては屋根裏と気づいたようである。

 やがて、Bさんが、天井裏に顔を出し、「誰にも言わないから出てきなさい。」と言ってくれたこともあり、屋根裏への逃避行はそこで終了した。

 さて、こんなことをするのは私ぐらいかと思っていたが、高校生になってから、数学のO先生の雑談の中で、屋根裏に隠れた話を聞かされた。人は、違うようで似ていることもあるのかと、不思議な感じがし、O先生へ親近感から、数学も好きになって行ったようである。

 こころの防衛機制でいうと、屋根裏へ隠れることは、逃避に近い。逃避の原型かもしれない。そして、数学もこころの深層で屋根裏に通じて、私の密やかな逃避場所になっていったのかもしれなかった。

 自分の人生を振り返ってみると、このちょっとした愉悦をもたらすような、隠れ家への逃避は、時々登場し、自分を救ってくれたように思う。一方、いざという重要な時に、居なかったと近しい人から苦言を呈されたことも。

<異物 3/8>

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トンネルを抜けると・・・

2009-09-26 | 第十章「今ここでの恩寵」

 今住んでいる近くにもトンネルがある。

 幼い頃住んでいた東京の四谷駅周辺もトンネルがあった。両親に連れられて、良く行った広島県の田舎の駅周辺にもトンネルがあった。「トンネルを抜けると、家がまじか。」 トンネルを抜けると、何かほっとする原型が、いつの間にかできているようである。

 そんなことがあるのか、人がお化けが出てきそうだというトンネルでも、意外と私は平気である。トンネルは抜け出せる・・・

 トンネルの中にいると、どちらかというと無感動。防衛機制でいうと、抑圧というものに近いかもしれない。

 私の父は理工科系で建築屋(建築会社)であり、隣に住んでいた祖父も建築設計事務所に勤めていた。そんなこともあり、小学校高学年になると、何となく理数科の成績が気になっていた。ただ、好きな科目は体育、音楽、図工で、算数や国語は得意ではなかった。

 両親や祖父母の期待は、私が長男ということもあり、はっきり口には出さないまでも、息子が建築方面に進めたらということが、あったようだ。少年には大きすぎるプレッシャーだった。

 父から、高校生位で微分・積分を学び・・・という話を聴いた。父の書棚には難しい記号に溢れている数学の本もあり、憧れと劣等感の中で、算数の成績を気にするようになっていく。

 中学生になったとき、毎週読んでいた週刊サンデーを絶った!(伊賀の影丸を読めなくなった当時の残念さを思い出す)。ビートルズが流行ってきたが、気になっても、余り聞かなかった。考えてみれば、中学生時代は抑圧の日々だったようだ(楽しい思い出は極端に少ない)。トンネルのまっただ中。3年生のときには、建築科への進学を心に決めた(無理をしていたと思う)。

 ただ、少年向けの建築に関する啓もう書を読んだとき、妙に退屈であったことを思い出す。その想いもまた、当時は何処かで抑圧していたに違いない。

 そんな中の算数・数学であったが、大学生(建築科は諦め、理工科系ではあるが文科系に近い管理工学科へ)くらいから徐々に好き(本当に)になってくる。専攻もその影響もあり、卒論も数理統計のモデルの研究もずいぶんした。卒論は自分でも満足いくもので、ちょっと褒められたりもし、自分にとってちょっとした成功体験になった。この体験から、何か重要なセルフイメージができてきたように思う。

 トンネルを抜けたのかもしれなかった。ただ、抜けても、同じ線路を長々と走り続けていたように思う。少年時代の抑圧の経験は結構深い。

 ただ、そんな自己構造も、変化する。同じ線路ではなく、自動車のように勝手な道に。こころは意外と自由でもある。そして、不思議なものである。

<異物 2/8>

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毎日が事件!

2009-09-25 | 第十章「今ここでの恩寵」

 昨日の八王子カウンセリング勉強会で、話題になったことで、自己構造の領域(理想)の問題があった。

 例えば、暗い感情は理想と現実のギャップから起こると仮定すると、暗い感情を引き起こす原因の一つは、個人の理想の持ち方(自己構造)なのだということに気が付く。

 自分の理想の領域はどんなふうになっているのか?そんなころを、いろいろ考えた。

 生き甲斐とか理念とか、一段上の理想の世界もあれば、ちょっとした日常生活での感情を引き起こす理想もある。そして、不思議なことに自分では当たり前の理想は、他人から見ると異常なものだったりする(身体や生育史が違うので当たり前なのだが、よく心理学の勉強会で言われる「自分以外の他人は驚きの対象」と言われるが)。

 昨日は、午前中が勉強会。午後は仕事のない日であったので、本を読んだり、たまたま家に来ていた娘と孫の世話をしたり外出したりした。極めて平凡ではあるが幸せな(幸福感を伴う)一日であった。

 しかし、考えてみれば、いくつかの事件・異物がこころをよぎった。自分のどこかにある理想の領域(自己構造の領域)に何かが触れる。大げさに事件・異物と言ったらよいのか・・・。

 朝、勉強会の会場の準備をしていたが、その時緑が美しいので、外の回廊に続く扉を開けた。すると、きらきら光る羽のようなものが飛んできた。蜻蛉(トンボ)かなと瞬間思ったが、良く見ると蝶(アゲハ蝶の仲間)であった。

 蝶は、そそくさと、一直線に左から右に飛び去っていった。

 一昨日、いろいろお世話になったBさん亡くなったという連絡を受けた。家族で悲しんだり、もう一度お見舞いに行ければと後悔したりした。

 その蝶の飛び方が、Bさんの気配そのもののようで、Bさんの魂が来てくれたのかと思い、ハッとしたのだ。こころの奥底のBさんに関わる自己構造が、蝶に触れ、不思議な気分にしていただいたのかもしれない(心理学の理論は、ちょっと即物的で寂しいものだが)。

 昨日は、それ以外にも外出先や村上春樹の著作を読みながら、恐怖を味わったり、身に降りかかる事件を紋切形(マスコミ的メッセージ?)ではない形でいろいろ味わったりした。豊な味わいのある一日に感謝である。

 自分の理想、自己構造は、何か事件・異物が到来しないと、中々気がつかない。それに気が付き、自分の変化があったりする。そのまま過ぎ去ることも沢山あるが。

 事件・異物はサムシング・グレートからの貴重なプレゼントかもしれない。

<異物 1/8>

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