他者受容をすることは、その方の置かれた立場や状況を深く理解をすることであり、決して同意や考え方そのものに賛同することではない。
利害が絡む日常生活の中では、他者受容は殆ど無いのが普通かもしれない。私の乏しい、他者受容をされた経験も、特別な状況下や稀なケースであるように思う。あの場面、この場面と数えるほどしかないようだ。
そして、自分が、意識して他者受容をしても、自分と相手の方との関係がある訳で、意見を訊かれたり、賛同を求められたりすると、その人間関係の中で他者受容を越えて、自分の発言をすることになる。
自分の狭い人生経験の中や立場で、どう応えていくかは難しい問題である。
私の場合は、やはり真善美を大切にし、またカトリックの信仰を大切に考えている。真善美で妥協してはならないと教えられたが、五感、体感は重要であり、その教えは確かだと思う。
<他者受容4/4>
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尚、このブログは「生き甲斐の心理学」を参考にしています。