イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

野の花のように生きるのも良い!(感情生活 9/10)

2012-05-31 | 第一章「意識と知覚」

 誠実に努力されている政治家もたくさんいらっしゃるが、どういう訳か日本の政治には閉塞感があるようだ。こんな時には英雄が待望されるのが歴史の常のようだ。ただ、日本の歴史を辿ると悲運な英雄が余りに多い。世の中の流れはどんな英雄であっても一人では手に負えない何かがある。待望することが間違いかもしれない。

  坂本龍馬、源義経、楠正成、・・・今でも愛されている英雄もいるが、遠い古代はどうだったのだろう。

 私は、大津皇子が浮かぶ。

 次の懐風藻の大津皇子の漢詩をご覧あれ。

 

 天紙風筆 雲鶴(うんかく)を画(ゑが)き 

 山機霜杼(さんきそうちょ) 葉錦(ようきん)を織る

 

 現代語訳

 大空の紙に風の筆勢で雲翔ける鶴を描き

 山姿の機に霜の飛び杼で紅葉の錦を織る

  <懐風藻(講談社学術文庫 全訳注 江口孝夫)を参考にしました>

 

こうしたスケールと美意識を持った人が、当時は天武天皇の後を継ぐとされていたが(皇親政治の時代なので、本当に神のような存在だったのに違いない)、24歳で謀反の罪で亡くなる(持統天皇により謀殺されたとの説が有力)。

白村江の戦いの時代に生を受け、壬申の乱を生き抜き、天武天皇の後継者と目されていたのに、複雑な政治状況の中で亡くなるのだ。姉の大来皇女が残した次の萬葉集の歌は有名である。

 うつそみの人なる我(われ)や明日よりは 二上山(ふたかみやま)を弟(いろせ)と我(あ)が見む

 

 大津皇子のスケールの大きさと、そのスケールに応じた悲しみを今日は想ったが、写真の野の花にこころが動く。野の花のように等身大で肥大も萎縮もしない人生。政治に対しても一票のみを投じる人生も豊かだと思う。

 感情生活 9/10

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チータのように唯我独尊!(感情生活 8/10)

2012-05-31 | 第一章「意識と知覚」

 犬が好きな人、猫が好きな人、いろいろいらっしゃると思う。わたしは、幼いころから家族の影響で犬が好きだが、どうも最近動物園のチータの魅力に参っている。孫娘が、チータ舎の前の階段が気に入っていて、よく行くことがきっかけであった。

 チータはネコ目ネコ科で獰猛かもしれないが、ネコの特徴がとても感じられる。「自分は自分」そんなスタンスが明確で、かつ、それを誇張するのでもなく自然に身に着けて行動しているようだ。

 さて、『生き甲斐の心理学』では、「自分の感情には意味がある」とか、「回答は自分の中にある」とか、「人の身体は神の神殿」とか、日常の中では余り強調されない自分自身のありようを、しばしば意識させられる。そして、そのメッセージひとつひとつは大切でじっくり思索する必要があるものばかりだが、共通点として自分と他者との健全な区別の意識があるようだ。

 逆に、不健全な自他混合はよくあることで、自戒をこめて思うのだが、理不尽なおせっかいや押しつけ、よけいな心配・・・自他混合による混乱は結構ある。そして、それにより感情生活は決して豊かにならない。自他混合は現実吟味力を低下させる傾向もある。

 チータのように、逞しく生きたいものである。

感情生活 8/10

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舒明9年の日本のアマゾネス!(感情生活 7/10)

2012-05-30 | 第一章「意識と知覚」

 5月ももう少しで終わろうとしている。大国玉神社のくらやみ祭りで始まった五月も、波乱万丈の感情生活の中で終わろうとしている。そして、終わりは初めにもどり、くらやみ祭りの話題へ。

 思えば、くらやみ祭りの大国玉神社も名前でおわかりのとおり出雲系である。そして、くらやみ祭りで大切にされている野口家の御仮屋も、大国主命が府中にご降臨されたときに、主人の妻が出産中だったが決して忌まないということでお泊りになるという故事で大切にされている。

 出雲の神様というと、若いころは何か辺境の神様という感じであったが、昨年飛鳥を訪れ三輪山(出雲系の神様)に登ってみたが、決してそうではないと実感した。額田王が近江京に移動するときに飛鳥・奈良を象徴する三輪山を懐かしんだ歌を残しているが、伊勢神宮が表舞台に出る前(天武天皇、持統天皇の時代)は、三輪山が大和でもメジャーだったのだ。

 さて、東国の出雲系の話は『「天皇家」誕生の謎』(関裕二著 講談社)にいろいろ出てくるが、その中で日本書紀にでてくる上毛野形名(かみつけのかたな)の話がある。舒明9年蝦夷との戦いで形名が砦にたてこもり、蝦夷に囲まれた時のことだ。形名が劣勢で逃げようと考えていると。・・・

 ところが妻は「蝦夷に殺されようとは、いまいましい」と嘆いて、次のように語った。「あなたの祖先たちは、大海原を渡って海外を平定し、その武威は、後世に伝えられました。その誇りは、後世に伝えられました。その誇り高き先祖の名をあなたが傷つけば、笑いものになります」夫に酒を無理矢理飲ませた妻は、夫の武器を取って武装し、女人たちに命じて弓の弦を鳴らさせた。すると夫は気を取り直し、砦から討って出た。蝦夷たちは大群の襲来と勘違いし、退いたという。(147P)

 弓という飛び道具。考古学の研究によると、現世人類(5-6年前には現在の人類の祖先がアフリカを出発す世界に散らばることが、DNAの知見から現在定説になった)がネアンデルタール人等との生き残りの戦いで、飛び道具の発明が小動物を食するため有効で、重要だったという研究がある。そうした、人類の古い記憶がある飛び道具。弓を鳴らすことは何か太古の祖先を彷彿とさせる。思えば、くらやみ祭りにもやぶさめの儀式がある・・・。

 今日はこんな風に、生き甲斐の心理学と関係のない話になってしまったが、最後にむりやりに『生き甲斐の心理学』につなげてみたい。自分を守る。こころの世界では防衛機制というものがすぐ浮かぶ。なまみの心を守るためには、元凶の苦しい対象に対し人は逃げたり、他人のせいにしたり、意識的、無意識的に行動しがちだ(フロイトは14の防衛機制というように、これを14にまとめた。抑圧、抑制、昇華、合理化、感情転移、置き換え、知性化、退行、逃避、同一化、摂取、投影、反動形成、補償・・・である。)

 そして、防衛機制の知識を意識し、これを、うまく使うことで、豊かな感情生活を送ることもできる。逆に言えば、感情を抑圧するなどすれば、感情生活はうまくいかないことも。昨日のアイデンティティの問題と同様に防衛機制の知識とその活用の修業は感情生活の肝なのである。

 ライオンバス。恐ろしいライオンを何と楽しむ!私もますます防衛機制の修業をせねば。

 感情生活 7/10

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もうすぐ夏! (感情生活 6/10)

2012-05-29 | 第一章「意識と知覚」

 凄い豪雨があったりするが、気候は夏に向かっているようだ。写真は先日多摩動物公園で撮ったペリカン。ゆっくり、泳いでいるさまは何とも風情があった。

 さて、持統天皇関係の本を読んでいたら、有名な一句にであった。

 <春過ぎて 夏来るらし 白たへの衣干したり 天の香具山>

 この歌は、有名な歌ではあるが、さまざまに解釈されている意味深長な歌である。その解釈はさておき、私は、この歌を読むと持統天皇の中にある大きなアイデンティティの変化(確立か)を感じてしまう。

 以前にもお話したが、持統天皇は天智天皇と蘇我倉山田石川麻呂の娘である遠智娘を両親にもつ。当時は政略結婚で、母方と父方のべつべつの世界に引き裂かれそうになるなか、自分のアイデンティティを確立していくのは凄まじい政治の世界の中でとても大事だったのではないかと思う。

 アイデンティティが定まると、人は何かが変わる。そして、それは少なくとも感情生活にはプラスとなり良い歌もできる。

 蛇足ではあるが、恐らく白たへ歌は天武天皇が崩御されてから、いくつかの試練を越えて政治的にも安定期を迎えるころの歌だと思うが、天武天皇が崩御されるころは様々な意味で大混乱の時だったのだろう。天武天皇への次の挽歌も味がある。ただ。数少ない持統天皇の歌で、この挽歌にも衣がでてくることがとても気になる。白たへの衣、普通の洗濯物ではなく天女の羽衣とする意味深な説もあるが本当かもしれない。

<やすみしし 我が大君の 夕されば 見にしたまふらし 明け来れば 問ひたまふらし 神丘の 山の黄葉を 今日もかも 問ひたまはまし 明日もかも 見したまはまし その山を 振り放け見つつ 夕されば あやに哀しみ 明け来れば うらさび暮らし あらたへの 衣の袖は 乾る時もなし>

(和歌は「萬葉集(1)」(日本古典文学全集 小学館)より)

 感情生活 6/10

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原初感情のアンテナを考えてみよう!(感情生活 5/10)

2012-05-28 | 第一章「意識と知覚」

 孫娘と昨日と一昨日一緒に暮した。孫娘は昨日帰宅したが、2-3日つき合うとやはり疲れる。人には、それぞれ幼くても個性があり、固有の志向性がある。当たり前だが、それは自分と違う(人それぞれ)ので、それに付き合うと疲れるのだ。

 孫娘は、昔からお気に入りの階段と遊具を大事にし、例えば、階段を一人でこつこつ登ったり下りたりする。さらに、未知の世界を探検するのが好きなのだろうか、きっかけがあれば保護者がいなくてもどんどん一人で行ってしまうところもある。

 人間の原初感情は、好きか嫌いか、怖いか怖くないか、この二つであるという説がある。

 感情というと何か多様でとらえどころが無いと思う人も多いだろう。今、どういう感情?といわれても表現できず困ってしまうことも。ただ、この二つの好きか嫌いか、怖いか怖くないかは、のんびりと感情を見つめると意外に出てくる。ためしに、周りの物を手に取って、好きか、怖いか試してみると判る。そういう、こともあり、私はこの原初感情を大切にしている。

 さて、仮にこの二つの原初感情を組み合わせてみると、好きー怖い(好奇心)、好きー怖くない(平安)、嫌いー怖い(恐怖)、嫌いー怖くない(倦怠)、こんな風になるのだろうか?そして、孫娘の行動や志向を考えると、どうも、個性的な好きー怖い(好奇心)を中心にしているようだ。せめて好きー怖くない(平安)くらいにしてもらうと疲れないのだが・・・

 そんなことを想ったが、自分自身のことを考えると、人のことは言えないなと反省。

 感情生活 5/10

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