イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

10年前の机の写真で自分の変わらない傾向や渇望を思索する!(小説家になってみる 10/10)

2015-08-31 | 第三章「無意識の世界」

 ブログを書き始めてもう少しで10年となる。そして、私のお世話になっているNPO法人CULLカリタスカウンセリング学会も10年になる。昨日は、新宿で勉強会を開催し刺激的で楽しい豊な時を過ごしたこともあるが、10年前の写真をボーと眺めたりして今日はは過ごしてきた。

 10年というと、やはり結構な時間だ。そして、一番身近な私の机の写真を観ていろいろ考えてしまった。

 パソコンは、デスクトップPCで今使っているPCの二世代前、マウスも無線ではない。携帯もスマホではない(写真のあらさが気になる)。そして、眼の前に置いている本も、当時に多分一番気になっている本だが、今と比べると約20冊のうち、今でもある本は1-2冊残りの半分くらいは今でも大切にしているが、その他はどこかに埋もれている。

 しかし、発見したのだが、当時から心理療法でいうと俳句・短歌療法に興味があったが、その関係の本が見えるのは、長年変わらない私の傾向かもしれない。もちろん生き甲斐の心理学という大枠も変わらない。

 写真はピエタ像であるが、このあたりも変わっていない。ピエタ像の写真はどこかに行ってしまったが、受胎告知の名画の写真が今ある。やはりマリア様が好きなのである。これも変わらない傾向だ。

 今、小説を書いているわけであるが(十年前には思いもよらなかった)、その中で、人の持つ傾向と渇望を考えることが多い。自分の場合はいろいろ見えてくるものがあるが、他者の場合は遥かに判りにくい。そして、豊かな人生を考えるにあたり、少なくとも自分の傾向と渇望をより良く把握することは大事だと思う。

小説家になってみる 10/10 

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古代日本の国際性をあれこれ考えてみる!(小説家になってみる! 9/10)

2015-08-30 | 旅・雑記帳

 万葉集を通して縄文時代を思索したり、縄文時代の文献を読み漁っていると、日本列島だけでなく、世界との関係をとても意識するようになる。しかし、一般には縄文時代を日本独自のものというイメージがつきまとっているように思えてならない。わたしも、ときどきそういう傾向に陥りがちな自分にはっとしたりする。

 たとえば、万葉集であるが、この書物は様々な経緯があるようであるが、記紀と同じように律令制と大きく関係し、準官制というようなものではと思う。そして、最終的な編者としては大伴家持の可能性が高いとされているが、家持は北陸の越中国等の官僚であり、外交・防衛にとても明るかった人物のようである。

 原万葉集ではと言われる、巻1なども大宝律令のころの成立といわれ、国際性豊かな詩集だともいわれる。まあ、シルクロードの影響はすごい。これは学校で学ぶ美術や宗教だけではないと思う。

 縄文文化を考える上でも、そもそも縄文時代の祖先たちが5-6万年前にアフリカを出立したホモサピエンスが起源であることが定説になっており、その文化の起源はもともと、変な言い方かもしれないが国際的なのである。

 縄文時代を学び始め、U先生にも教えていただいたが、古代メソポタミア文明の勉強もするようになった。古代メソポタミアは文字文化の起源であり、それはあらゆる文化の起源を語るには避けられない文化のようだ。古代メソポタミアの研究者のジャン・ボテロさんは旧約聖書の世界も日本文化も、たとえばヒューマニズムを考える上で古代メソポタミア文明を研究する必要はあるという。

小説家になってみる 9/10

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古代日本の国際性をあれこれ考えてみる!(小説家になってみる! 9/10)

2015-08-30 | 旅・雑記帳

 万葉集を通して縄文時代を思索したり、縄文時代の文献を読み漁っていると、日本列島だけでなく、世界との関係をとても意識するようになる。しかし、一般には縄文時代を日本独自のものというイメージがつきまとっているように思えてならない。わたしも、ときどきそういう傾向に陥りがちな自分にはっとしたりする。

 たとえば、万葉集であるが、この書物は様々な経緯があるようであるが、記紀と同じように律令制と大きく関係し、準官制というようなものではと思う。そして、最終的な編者としては大伴家持の可能性が高いとされているが、家持は北陸の越中国等の官僚であり、外交・防衛にとても明るかった人物のようである。

 原万葉集ではと言われる、巻1なども大宝律令のころの成立といわれ、国際性豊かな詩集だともいわれる。まあ、シルクロードの影響はすごい。これは学校で学ぶ美術や宗教だけではないと思う。

 縄文文化を考える上でも、そもそも縄文時代の祖先たちが5-6万年前にアフリカを出立したホモサピエンスが起源であることが定説になっており、その文化の起源はもともと、変な言い方かもしれないが国際的なのである。

 縄文時代を学び始め、U先生にも教えていただいたが、古代メソポタミア文明の勉強もするようになった。古代メソポタミアは文字文化の起源であり、それはあらゆる文化の起源を語るには避けられない文化のようだ。古代メソポタミアの研究者のジャン・ボテロさんは旧約聖書の世界も日本文化も、たとえばヒューマニズムを考える上で古代メソポタミア文明を研究する必要はあるという。

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無謀かもしれない夢でも現実化する!(小説家になってみる 8/10)

2015-08-29 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 先日、八王子で一か月ぶりの勉強会をした。ストレスに関する学びであったが、いろいろ学びを深めることができたようだ。その中で、私のストレスについても思索したが、理想と現実のギャップ(ストレス曲線)はすべて悪いものかというと、そうでもなく逆に人を溌剌とさせ、前向きにさせることも。

 小説家になってみる・・・そんな妄想の中で(実は、論文を書く上で必要になったのであるが)、半年以上、ちょっとした悪戦苦闘をしてきた。まだ、完成はしないまでも、芥川賞の作品くらいの量(質は別?)の小説を書きためてきた。学生のころ、大学3年のころ、一瞬であるが小説に憧れ書いたことがあった。それは未完の短編(何だかわからない?)であったが、その時に感じた感情(無意識かもしれない)を、40年くらい経ってから味わい・発展させてきたようにも思う。

 エリクソンの人格形成論にでてくる、劣等感は8-12歳を中心に面に発現される感情とされるが、技能と勤勉性が対となってくる。ちゃんとした小説が書けないという、自分の中にあったある種の劣等感が、今回の小説家になってみる・・・のプロセスの中で解消されたのは間違いない(下手な小説ではあっても、質はともかく量は!)。劣等感の解消は、まずスモール・スタートなのだろう。始めなければ絶対に解消などしない。

 何故書けるようになったかは、いくつかの要因があるが、やはり学生の時から40年たち、それなりに経験を積み技能が向上してきたことがあっただろう。多分、成年になってからの営業やマーケティングの仕事、労働組合の仕事、福祉の仕事、生き甲斐の心理学の勉強と普及活動・・・そんな中で、構想力とか、昔にはなかった技能が培われてきたのだと思う。人は思ったとおりの人になるということが言われるが、本当にそうだと思う(評価されるかは別にして)。病気になるようなストレスは問題だが、生き甲斐を加速させ、自己実現に導くストレスは大事なのだ。

 とはいえ、私は小説家になるために生まれたのだろうか?多分そうではない・・・別の道への一つの過程なのだろう。 

小説家になってみる 8/10

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花! 縄文人が愛でた花は何か?(小説家になってみる 7/10)

2015-08-28 | 第一章「意識と知覚」

 ネアンデルタール人が埋葬の時に花を手向けていたということがかつて発見されて話題になったことがあるが、縄文の祖先は当然埋葬時に花を手向けた事実はあるが、どんな花を好んでいたのだろうか?そんな、疑問をずっと持っていたのだが、萬葉集の研究者の中西進先生の「旅に棲む」(高橋虫麻呂論)を読んでいたら、奈良時代でも花と言えば、櫻だったという説を言われている。一般には平安時代からは桜だが、奈良時代は梅(萬葉集で梅を歌う歌が多いなど)と言われている。

 江戸時代に交配でつくられたソメイヨシノはなかったと思われるが、今朝調べてみると三内丸山遺跡等でも桜が見つかっているという。吉野の桜もヤマザクラだが、縄文時代の桜もヤマザクラを中心にした桜のようだ(青森県のホームページを参考)。

 縄文的感性?をもつ大作家、宮沢賢治の童話などを読んでいると、コブシとかいろいろ想像してしまうのだが、少なくても関東の縄文人はやはり桜だったのではと思う。

  春の本栖湖近辺で

 伝説を大切にした萬葉歌人、高橋虫麻呂(関東の生まれでは?)は梅の歌は詠まず、専ら桜の歌を沢山書いている。それも、何か縄文時代の文化を引き継いでいるようで・・・次は、東国ではないが、大和で歌われた歌だが、日本人の美意識の原型が結晶しているようである。

 白雲の 竜田の山の 滝の上の 小椋の嶺に 咲きををる 桜の花は 山高み 風し止まねば 春雨の 継ぎてし降れば ほつ枝は 散り過ぎにけり 下枝に 残れる花は しましくは 散りなまがひそ 草枕 旅行く君が 帰り来るまで (萬葉集 1747)

 反歌

 我が行きは 七日は過ぎじ 竜田彦 ゆめこの花を 風に散らし

 (訳)

 {白雲の) 竜田の山の 激流のほとりの 小椋の嶺に 咲き乱れている 桜の花は 山が高くて 風が止まないので まだ春雨が 続けて降るので 上の枝は 散り果ててしまった 下の枝に 残っている花は しばらくの間は 散り乱れないでくれ (草枕) 旅に行く君が 帰ってくるまでは

以上日本古典文学全集 萬葉集2 小学館を参考にしました。

小説家になってみる 7/10

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