イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

大人の夏休み・・・ストレス曲線を思索する大栗川散策?!(ストレス曲線をバネに ③ 4/10)

2014-07-31 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 今日の「花子とアン」は関東大震災。白蓮事件の山と重なる見どころであった。関東大震災の時、私の身内は、そんなことを年表で調べると、曽祖父が5月になくなり、東京の母方祖父は42歳、祖母36歳、母は生まれていない。伝え聴くと、震災の時は庭で余震に震えつつ過ごしたという。私も3.11は経験したが、また本格的な大地震は経験していないので、身が引き締まる思いだ。

 災害の中、人々の心中には暗い感情が蠢いていたのだろう。不安感、怒り、身体症状、うつ、錯乱。こうした感情のるつぼは大変だが、ストレス曲線の知恵を覚えていると、結構やくにたつ(災害以外でも)。万とある感情だが、暗い感情を「不安感、怒り、身体症状、うつ、錯乱」の5種類に分類して、自分の暗い感情がどれかを知覚する知恵だ。スポット的には、私も、日常の中で不安から錯乱まで体験する。遅刻しそうで慌てたり(時に錯乱)、昔からのある問題にまたであって鬱を感じたり、心臓がどきどきしたり、怒ったり、ちょっぴり不安になったり・・・結構、忙しいものだ。こうしたスポット的な感情把握も大事だが、さらに、一日の主だった暗い感情が、不安感だったのか、怒りだったのか・・・そういう識別も心の健康状態を観る上で役に立つ。

 私は、今不安感のレベルかなと、意識化できると随分ちがう。一般に身体症状、ウツ、錯乱が続くようであれば、自力では解決ができない可能性が高いということも頭の隅にあれば、身の安全のためにすばらしい知恵となる。勿論、頼るべき他者をどうするかは重要。きょうのかよさん、他者分析は難しいがかなり大変そうとも、だんだん意識できるように。

 さて、昨日の夕方、仕事を終えてから大栗川周辺を写真をとりつつ、妄想しつつ、楽しい散策をした。

 美しい夏の夕暮れ時は、太陽が、秋や冬と比べると随分北側に沈む、そんなことを今さらながら感心しつつ楽しんだ。

 大栗川周辺は、縄文時代の草創期から中期、後期と集落(村)の遺跡が沢山ある。もちろん、江戸時代などの別の時代の遺跡等もあるが。・・・

 今回は、縄文幻想ということで、縄文時代をフォーカスして大人の夏休み(遠足?)のルートと写真を紹介したい。写真はクリックすると拡大される。

 東中野あたりから、大栗川上流を、一昔前は川は蛇行し災害も多かったそうだ。

 鴨さんも元気そう!

 沈む太陽は、かなり北側

 

 東中野地区、堀之内番場公園周辺、このあたりも縄文遺跡等がある。

番場公園 は大栗川の南岸 No.426遺跡。旧石器から近代までの複合遺跡という。

 

番馬公園

さらに京王堀之内駅周辺まで大栗川をさかのぼると、綺麗な夕日が。ちょうど有名なNo.72遺跡後の大型マンションが左のほうに。

大栗川を渡り交差点を渡りNo.72に近づく。

 縄文時代の人もおなじような夕日を眺めたと思うと不思議な気持ちに。

 No.72周辺のマンション。縄文時代も暮らしやすかったのだと思いました。

No.72, 795, 796遺跡のあたりに八王子市の芝原公園が。

  縄文時代を彷彿するデザインの素敵な公園です。風が気持ち良い。

 公園の中心部のちょっとした丘から入日が観えました。太陽の位置と地形の関係が気になります。

芝原公園から、さらに東に行くとこんもりとした森がなだらかな傾斜の上の方に。愛宕神社

周辺もNo.446遺跡があるはず。縄文早期から中期の住居跡もあるとのこと。落とし穴72基も見つかっていて、イノシシなども豊富だったのではと妄想しました。

愛宕神社

 

    愛宕神社の近くの山頂から・・

 縄文時代も、関東大震災ではないが、災害があったり、様々な出来事があっただろう。その中で私たちの祖先はしっかりと生き抜き、それゆえに私たちが生まれることができた。勿論、縄文時代も今と同じように、「不安感、怒り、身体症状、うつ、錯乱」の感情生活をしていたのだろう。そして、平安感、友好的感情、健康感、幸福感、統御感も味わうこともあっただろう。そんな不思議な何百世代にわたる祖先の生活がつまった場所に居合わせる不思議と幸せを感じ入る大人の夏休みであった。

尚、今回の散策とブログでは、石井義長氏の「武蔵国多摩郡と由木の里の昔語り」{揺籃社)および、東京都埋蔵文化財調査センターのパンフレット「多摩ニュータウンNo.72遺跡 ~縄文のムラ~」を参考にしました。感謝しています。

ストレス曲線をバネに③ 4/10

人気ブログランキングへ <・・クリック応援いつも感謝しています o(^▽^)o


好き、嫌い、から観える大人の夏休み!(ストレス曲線をバネに! ③ 3/10)

2014-07-30 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 小学生のころの楽しい夏休みまでは行かないが、大人になってからの夏休みも結構楽しいものだ。私は毎年亡父の実家に旧盆ごろに行き楽しく過ごすことが多かった。しかし、今年は残念ながら、諸般の事情から行けなくなり地元で過ごすことに。

 ただ、最近地元の歴史に興味を持ち始めたのか、毎日が楽しくてならない。先日も、空いた時間に多摩センターを訪れて、埋蔵文化財調査センターの展示をじっくり見た。No.72、No.107、など特に堀之内周辺の遺跡で現地に行ったりしたので、実際の土器や土偶、生活用具などに接するとじわーと感動する。なんでもそうであるが、人間は時間と空間の交差する世界に生きているので、両者がピタッと一致するところで何かを理解し経験するのだと思う。

(埋蔵文化財調査センターには豊富な遺跡の展示だけでなく、調査研究書などもそろっている)

 さらに、その日は近くの多摩美術大学美術館にもよってみた。「東北のオカザリ -神宿りの紙飾りー」を展示していた。東北出羽三山の修験道ともつながるといわれる紙かざりで、日本の縄文時代の何かを伝えているようで感動。紙かざりはシンメトリーな要素が結構あるが、例えば縄文土器にも蛇体文や人体文などシンメトリーの要素も多く、共通の何かがあるようにも。4-5千年の前の世界は今と随分違うとむかしは思っていたが、中国の揚子江周辺の文化などで1万年前の養蚕やコメ作りなども発見されたりし、以外に当時の生活と現代の生活も似ているかもしれない。このあたりを実感できる小説はまだ見たことがないので、どなたか縄文時代の歴史小説を書かないだろうか?(私が書こうか・・・など妄想がはじまる)

 まあ、こんな風に、今年の夏休みは(もう夏休みかもしれないが)小学生のころのように好きなことをしつつ、縄文時代や古代、戦国時代、江戸時代、明治と想像の世界に羽ばたこう。

 さて、生き甲斐の心理学では、原初感情としての好きー嫌いを大事にしている。私も真夏の暑さのなか、ちょっと不気味な山里に入ったり・・・ストレス曲線をものともせず、好きなことをしている。好きのパワー全開である。

 しかし、ものには時期というのもあるようだ。私が縄文時代にうつつを抜かし、歩いて見つけた土器の破片らしきものを自慢げに孫娘に見せたり、いっしょに縄文土器を見に行こうとさそったりするが、いっこうに興味が湧かないというか、祖父の縄文熱に嫌気がさしているようでもある。まあ、私も幼かったころは歴史など殆ど興味がないというか嫌いであった。

 写真は堀之内駅前に咲いていたひまわりの花であるが、太陽の光を真正面に受ける感じが好きだ。しかし、生命は何か朝顔の弦のように、光に向かって直線的に進むのではなく、好きと嫌いのバランスというか、その中である一定の進入角度を見付けつつ螺旋状に向かうようなのだ。

 嫌いは、とても大事な感情であり、これを意識することは新たな発見に繋がると思う(勿論、無理のない範囲であるが)。そして、嫌いは永遠なものでなく、環境や身体などが変化する中で、好きに変わることも気づく。例えば、幼いころ嫌いであった、セロリやチーズは今では好きに変わっている。自分の好き嫌いの感情の歴史から、嫌いという感情の深い意味が少し観えてくる。

ストレス曲線をバネに③ 3/10

人気ブログランキングへ <・・クリック応援いつも感謝しています o(^▽^)o

 

 

 


夏は怪談・・・はじめての八王子スポット!(ストレス曲線をバネに ③ 2/10)

2014-07-29 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 最近は地元の歴史を、実際に現地に行って確かめながら体感しているが、大半は近くをよく通りがかったり、一度以上訪問した所が殆ど。ところが、今回は初めての場所で、初めての道を通って初めての山(標高170m)に登る不思議な体験だった。

 そこは八王子由木地区ではあるが、上柚木から北方面にちょっと行った中山地区である。そして、そこの山というか白山神社に登った。

  

 

参道の途中には、早くも山王二十一社の文字があるという宝篋印塔があった。天台宗の八王子で一番古く、かつ廃寺となった長隆寺時代のものと思われる。じめじめとした場所で、蛇がいるかと思ったり。そして、息を切らして山頂に辿りつくと白山神社と長隆寺の礎石が待っていた。

   

 

この白山神社が有名なのは、江戸時代に経塚が確認され、出土したお経の中に船木田庄の記述があり、長隆寺が船木田庄にあったことなど貴重な資料となった。

船木田庄は八王子、日野などが含まれた荘園で、当初は藤原氏のものであったが、私が好きな東福寺の荘園に、南北朝の時代になったとのこと。そして東福寺の古文書の中には、懐かしい八王子・日野の地名が載っている。

さて、今回の白山神社見学では、真夏に薄暗い参道をひたすら一人登る中で、こころのざわめきを感じた。生き甲斐の心理学を学ぶと、原初感情ということも学ぶ。好きか嫌いか、怖いか怖くないかの二つは、原初感情で、どんな感情も大なり小なり、この二つの感情が含まれているとも。

白山神社や長隆寺は、1590年の北条氏滅亡の時にやはり兵火で焼け落ちたという。そんな歴史を知ると、何となく一人登る参道で、恐ろしさというか、怖いものを感じてしまう。そうすると不思議に、気味の悪いキノコが目に入る。春に、滝山城址に行ったときにおばあさんが、滝山周辺で幻花を見たことがあるという話を思い出したり。

 

怖いという感情は、様々な感情の中に混入されているようだ。不信感、疑惑感、罪悪感、劣等感、自己混乱感、孤立感、・・・そして、長い階段と薄気味の悪い参道が終わると頂上の白山神社が。その時の安堵というか明るい感情は気持ちが良いもんだ。

怪談や怖い映画、怖い小説を読んだあとの、ちょっとした清涼感。夏は怪談!これも先人の知恵なのだろう。

ストレス曲線をバネに③ 2/10

人気ブログランキングへ <・・クリック応援いつも感謝しています o(^▽^)o


日々の不安感は宝の山、まずは分類を!(ストレス曲線をバネに ③ 1/10)

2014-07-28 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 昨日は、都内の老人ホームで夏のイベントがあり、踊りや食事を楽しんだ。ポピュラーな日本の踊りには、東京音頭(発祥は丸の内)もあるが、今回は炭坑節に聴き入ってしまった。ちょうど「花子とアン」で嘉納伝介のかっこいい場面だったこともある。確かに、炭坑節も当時の石炭王というか、超金持ちが御座敷遊びをはでに行い、その結果炭坑節もポピュラーになったとの背景もあるらしい。

 そういえば、今日の「花子とアン」も、嘉納伝介の「一度ほれた女だから・・・」には陶然とする何かがあった。しかし、その反対に葉山伯爵の何ともアリジゴクにおちるような不安感と行動は対照的だと思った。不安感への対処。現実吟味力というか・・・その差に思わず見入ってしまった。

 U先生の「生き甲斐の心理学」を学んでしばらくすると、自分の不安感をいろいろ分類したりするようになった。テキストにも、自分の不安感を分類することの大切さが書かれているが、実にそうだとおもう。感情を表す言葉はいろいろあるが、例えば本日味わった不安感を書きだしてみよ!といわれても、20も30もいっぺんに出てくる人はまれだ。私も、その中の一人であるが。

 「生き甲斐の心理学」のテキストには、その不安感を様々な切り口から分析するノウハウに溢れている。しかし、自分の感情でもって分析する労を取る人は意外に少ないと思う。

 さて、昨日は老人ホーム訪問の後で、新宿に寄った。そして、以前に内藤新宿探索した際、寄らなかった角筈、十二社(じゅうにそう)方面を散策した。以前は仕事のオフィスが西新宿にあったため、この都庁周辺は毎日のように行ったものの、私も一般のサラリーパーソンに漏れず、地域の歴史なども殆ど知らず、まあ熊野神社とか十二社の池(昭和30年台後半まであった)くらいは知っていたものの、それを真面目に考えたことはなかった。

 しかし、夕方の十二社方面を歩き回ると、縄文海進で沼地であった、このあたりのなんとも言えない体感を思いだした。写真は、十二社方面(昔の池のあった周辺)から都庁をとったものであるが、地中から空を見上げるような解放感が味わえるのもこの地ならではである。

  

 不安感の分類方法の一つに、湧きあがる不安感は身体からくるか、生育史からくるか、魂からくるかという3分法をならったことがある。これは、私にとって実に役立つ分類だが、昨日の不安感は、湿気というか身体からくる不安感、そして、以前このあたりで仕事・生活をした生育史からくる不安感、それから宗教的な領域の魂からくる不安感、どれから来るのかいろいろ考えた。

 十二社の熊野神社は、新宿の原点とも言われるところで、十二社の池なども含め中野長者伝説として鈴木九郎の伝説として有名。詳細はWikipediaにもあるし、「アースダイバー」(中沢新一著)にも詳しい。

  

因みに、不安感は理想と現実のギャップから起こるという理論を知っていると、不安感解消や回避方法への道筋がすっきりすることが多い。様々な不安感にまみれる私たちであるが、混然として不安感の塊になるよりは、不安を理想と現実の把握から解体したり、分類することで優先順位をつけたりすれば、どれだけ楽になるか!あるいは、これからの人生への道しるべとして、不安感を利用すればどれだけ価値があることか!

ストレス曲線をバネに③ 1/10

人気ブログランキングへ <・・クリック応援いつも感謝しています o(^▽^)o

 


1590年の日本のトップ・ニュース!(ストレス曲線をバネに② 10/10)

2014-07-27 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 昨日は、高温注意報の中、近辺のNo.107遺跡周辺を散策した。写真は大石信濃守屋敷跡と言われる松木台とされていた台地東端から大栗川方面を眺めた写真である。今はここから南東方向で大栗川が二又に別れるが、16世紀は、このあたりで太田川と大栗川に別れる川に守られた要害の地であったようだ。昨日お話した通り、ここは縄文時代からの複合遺跡で何度も遺跡調査が行われたとのこと。すでに、民家が立ち畑になっていたが、北端に大石信濃守墓があるという(今回も確認できなかったが)。

    

 さて、1590年。この年は豊臣秀吉が北条氏(鎌倉時代の北条氏とは異なり後北条と言われることも多い)を滅ぼしたのがトップニュースだ。これにより豊臣秀吉は日本を統一したといってもよいのだろう。黒田官兵衛の直談判で小田原城無血開城となり、北条氏照等は切腹するが、その前の八王子城(北条氏照城主)の決戦が事実上の勝敗を決定したようだ。

 北条氏は由木の大石氏と実に深い関係があり、北条氏照は一時大石家の養子になった時期もあった。そして、1590年のちょうど今頃の7月に、八王子城は落城するが、その時を同じくして、この大石信濃守も討死し、その後はこの館や大石氏や北条氏に縁の深かった永林寺のある殿ヶ谷戸(現在は由木中央小学校のそ)も没落したようだ。

 因みに、永林寺は先日訪れたが、実に立派な七伽藍の曹洞宗の名刹だった。大石定久のお墓や銅像も必見である。

 

    

 永林寺といい、大石信濃守館跡といい、恐らく何百回も近くを通っているにもかかわらず、図書館でたまたま手にした本に出会わなければ、八王子城の悲劇とも結びつかず何も変わらず暮らしていただろう。本を読み、思考が変わり意識が変わると知覚が変わる。

 勿論、準備をして出かけたが、この私の真夏の行動はなんだったのだろう。こうした、私の好奇心もさるものながら(大したことないね)?北条氏や大石氏の1590年の各面々の心中は如何にと思う。切っても切れない身内や一族郎党への愛。そんな中で悩み行動していく彼らの軌跡は、きっと今でも知恵を授けてくれるだろう。

ストレス曲線をバネに② 10/10

人気ブログランキングへ <・・クリック応援いつも感謝しています o(^▽^)o