今日の「花子とアン」は関東大震災。白蓮事件の山と重なる見どころであった。関東大震災の時、私の身内は、そんなことを年表で調べると、曽祖父が5月になくなり、東京の母方祖父は42歳、祖母36歳、母は生まれていない。伝え聴くと、震災の時は庭で余震に震えつつ過ごしたという。私も3.11は経験したが、また本格的な大地震は経験していないので、身が引き締まる思いだ。
災害の中、人々の心中には暗い感情が蠢いていたのだろう。不安感、怒り、身体症状、うつ、錯乱。こうした感情のるつぼは大変だが、ストレス曲線の知恵を覚えていると、結構やくにたつ(災害以外でも)。万とある感情だが、暗い感情を「不安感、怒り、身体症状、うつ、錯乱」の5種類に分類して、自分の暗い感情がどれかを知覚する知恵だ。スポット的には、私も、日常の中で不安から錯乱まで体験する。遅刻しそうで慌てたり(時に錯乱)、昔からのある問題にまたであって鬱を感じたり、心臓がどきどきしたり、怒ったり、ちょっぴり不安になったり・・・結構、忙しいものだ。こうしたスポット的な感情把握も大事だが、さらに、一日の主だった暗い感情が、不安感だったのか、怒りだったのか・・・そういう識別も心の健康状態を観る上で役に立つ。
私は、今不安感のレベルかなと、意識化できると随分ちがう。一般に身体症状、ウツ、錯乱が続くようであれば、自力では解決ができない可能性が高いということも頭の隅にあれば、身の安全のためにすばらしい知恵となる。勿論、頼るべき他者をどうするかは重要。きょうのかよさん、他者分析は難しいがかなり大変そうとも、だんだん意識できるように。
さて、昨日の夕方、仕事を終えてから大栗川周辺を写真をとりつつ、妄想しつつ、楽しい散策をした。
美しい夏の夕暮れ時は、太陽が、秋や冬と比べると随分北側に沈む、そんなことを今さらながら感心しつつ楽しんだ。
大栗川周辺は、縄文時代の草創期から中期、後期と集落(村)の遺跡が沢山ある。もちろん、江戸時代などの別の時代の遺跡等もあるが。・・・
今回は、縄文幻想ということで、縄文時代をフォーカスして大人の夏休み(遠足?)のルートと写真を紹介したい。写真はクリックすると拡大される。
東中野あたりから、大栗川上流を、一昔前は川は蛇行し災害も多かったそうだ。
東中野地区、堀之内番場公園周辺、このあたりも縄文遺跡等がある。
番場公園 は大栗川の南岸 No.426遺跡。旧石器から近代までの複合遺跡という。
さらに京王堀之内駅周辺まで大栗川をさかのぼると、綺麗な夕日が。ちょうど有名なNo.72遺跡後の大型マンションが左のほうに。
縄文時代の人もおなじような夕日を眺めたと思うと不思議な気持ちに。
No.72周辺のマンション。縄文時代も暮らしやすかったのだと思いました。
No.72, 795, 796遺跡のあたりに八王子市の芝原公園が。
縄文時代を彷彿するデザインの素敵な公園です。風が気持ち良い。
公園の中心部のちょっとした丘から入日が観えました。太陽の位置と地形の関係が気になります。
芝原公園から、さらに東に行くとこんもりとした森がなだらかな傾斜の上の方に。愛宕神社
周辺もNo.446遺跡があるはず。縄文早期から中期の住居跡もあるとのこと。落とし穴72基も見つかっていて、イノシシなども豊富だったのではと妄想しました。
縄文時代も、関東大震災ではないが、災害があったり、様々な出来事があっただろう。その中で私たちの祖先はしっかりと生き抜き、それゆえに私たちが生まれることができた。勿論、縄文時代も今と同じように、「不安感、怒り、身体症状、うつ、錯乱」の感情生活をしていたのだろう。そして、平安感、友好的感情、健康感、幸福感、統御感も味わうこともあっただろう。そんな不思議な何百世代にわたる祖先の生活がつまった場所に居合わせる不思議と幸せを感じ入る大人の夏休みであった。
尚、今回の散策とブログでは、石井義長氏の「武蔵国多摩郡と由木の里の昔語り」{揺籃社)および、東京都埋蔵文化財調査センターのパンフレット「多摩ニュータウンNo.72遺跡 ~縄文のムラ~」を参考にしました。感謝しています。
ストレス曲線をバネに③ 4/10