イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

境めに不思議を感じる!(愛ある問いかけ ① 2/10)

2013-12-31 | 第十章「今ここでの恩寵」

 快晴の年末を迎えて、昨日今日と冨士山の写真を撮っている。そして昨日の夕暮や今日の早朝を通し、日の出時、あるいは日没時の前後数分の美しさに魅了されている。

 そして、今日は大晦日。2013年と2014年の境目である。おまけに太陽暦なのに明日の元旦は新月。これまた境目。もちろん、この季節は冬至を中心に、様々な宗教や文化で特別な意味を持っている季節である。

 境目は、いろいろなところに現れる。人の誕生と死という大変大事な境目もある。遠野のように異界との境目には不思議な石が置かれていたりする。いろいろあるが、私の好きな愛の問いかけ、「自分は自分、他人は他人と割り切れるか?」という自他の境目の問題もある。

 これは、現代心理学では現象学に立脚したカールロジャースの性格形成論から、割り切ることの健全性が言われているものの、他人への共感や受容の大切さもあり、人間観をどうもつかという大きな問題にも関わる。人に共通な何か。人間の尊厳に関わる何か。霊性に関係する問題なのだろう。

 それはともかく、他者との関係で悩む話は実に多いようだ。家庭で職場で地域で・・・・

 私も、そんな時次の言葉も思い出す。「自分以外の他人は驚きの対象」。これは、先の問いかけの別の言い方のような言葉であるが、深層心理学的に真理をついているとも言われている。

 親しい関係になると、相手も自分と同じような感想をもつだろうとか、考えをもつだろうと何となく期待してしまうこともある。ところが実際は残念ながら、随分違うものである。それは一人一人違う身体と生育史を辿るからなのだから、当たり前かもしれない。

 だから、最近は他者に対して、変に期待をしないようにしている。違って当たり前。そして、もし同じであれば、それこそ恩寵のように嬉しいものである。

 愛ある問いかけ ① 2/10    

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愛ある問いかけ!(愛ある問いかけ ① 1/10)

2013-12-30 | 第十章「今ここでの恩寵」

 YesかNoかという質問方法がある。また、オープンな質問というか、様々な回答が期待できる質問方法もある。

 この2-3ヶ月、不思議なことに「生き甲斐の心理学」の活動の中で、こうした質問に関して、いろいろ思索する機会があった。

 上記のクローズドな質問。オープンな質問もあるが、恩師U先生は心理学上に考えるだけで良い質問というものがあると教えてくれた。質問を心に留めて時折思索する質問。それが、その人の混乱を静め、何かを気づかせ自然治癒力を高めてくれる。

 その典型的な質問をU先生は教えてくれた。

 「自分は何の為に生きているのか?」。この質問は、不安の吐露ではなく、哲学的な質問と考えていただくほうが良い。今の自分を一段か二段かわからないが、もう少し高みに立って見つめる質問とも言える。

 この質問のバリエーションを考えると、若い頃、社会人になり営業に配属されたころのY先輩の言葉を思い出す。「営業のどんな問題でも、それで死ぬことはない。」。あわて癖のある私であったが、この質問を思い出すことでずいぶん助けられた。

 さらに、言語療法の範囲外であるが、シャガールの絵もそんな作用があると思う。世界中でセラピストに愛用されているシャガールの絵は、10分くらい静かに細部に渡って眺め続けていると、こころのどろどろが不思議に美しく統合されていくように感じる。また、モーツアルトのレクイエムもそんなところがあるようにも思う。芸術は、そういう意味で、不思議な問いかけとも言える。
 
 「自分は何の為に生きているのか?」
 
 この質問は、どんどん高みに自分を誘うようである。自分の現実から自分の理想や死。さらに死後の世界までも。もちろん誰も回答が判らない世界である。

 しかし、さるかに合戦の「かに」ではないが、横歩きでも猪突猛進で何かを信じる特性が人間には備わっているようだ。私の場合は、カトリック関係の書物に触れることが多いが、その解釈は無限にあるものだ。しかし、回答はないまでも、近似値的な方向くらいはあるような気がしてくる。そして、自分の回答を得るための道は残されているようだ。

 これから、生き甲斐の心理学で学んだことをベースに、こうした問いかけを考えブログで述べていきたい。目標は30の問いかけ。心の健康への問いかけである。

 愛ある問いかけ ① 1/10    

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愛の問題は奥が深い!(旅の準備 ① 10/10)

2013-12-29 | 第九章「愛」

 暮も押し迫った昨日、東府中・浅間(せんげん)山の近くの某所で「生き甲斐の心理学」の勉強会をした。

 もう十年近くお付き合いをしている仲間との勉強会で、一日があっという間に過ぎ去り、宵の明星やシルエット冨士を眺めつつ、楽しく忘年会に向かうことができた。

 浅間山は大きな古墳のようにも見えるが、調査の結果丘だそうで、南北朝時代に足利軍と新田軍が戦った古戦場としても有名である。春には黄色いムサシノキスゲの花が美しく、また尾根からは富士山が綺麗に見えるのでも有名である。

 そんな浅間山を愛でつつ、今まで何回も勉強会をしてきたが、その「生き甲斐の心理学」の学びは意外に単純な系統図で表されている。自己実現、正常と異常の分かれ道、思考・感情・行動、ストレス曲線、幸福曲線そしてプロセススケール(詳細はテキストを)。この単純な系統図で、心の問題を学問的裏付けのもとに、健やかにしていくのだ。

 今回は、一年の終わりということもあり、楽しみつつこの系統図の中の気になることを総集編的に楽しんだ。実際はこの系統図を説明するのに100時間くらいはかかるが、俯瞰すると随分と単純になる。

 さらに、この系統図も、さらに俯瞰すると愛の問題を扱っているのにすぎないようだ。単純といえば単純。そして、奥が深い。

旅の準備 ① 10/10    

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太陽と幸福感!(旅の準備 ① 9/10)

2013-12-28 | 第九章「愛」

 写真はクリスマスイブの夕方の日没である。南多摩の地でも、こうした神々しい景色が見られて幸せだった。

 現在の日本では、暮らしの中では意識していないと幸福感はなかなかつかめないように思う。多くの難題を背負う日本社会では、暗いニュースが実に多いこともある。そして、仕事で目標を追いかけたり、受験や就職で必死になったりで、自分が設定した幸福への条件獲得活動が世の中を覆っている。

 しかし、幸福感は別次元の話のようだ。いくら努力しても天気が悪ければクリスマスイブの入日は見られない。

 こちらの状態とは無関係なところに、ふと恩寵のように訪れるのだ。

    

 しかし、太陽は日本人にとって、恐らく数万年の歴史とともに幸福感を与えてくれたのだと思う。

 大湯遺跡をはじめ沢山の縄文遺跡、その中には太陽との関係も深いストーンサークルがある。もちろん東京にもストーンサークルはある。

 伊勢神宮なども、典型的な太陽との繋がりが強い。遷宮を始めた天武天皇・持統天皇陵の真東に、伊勢神宮があるのだ。また、太陽の通る東西の線上に、意外な神社がプロットされたりし、日本が古代より太陽を大切にしていたことが判る。

 さらに、5-6万年前に、遡ると現世人類がアフリカを出立したころを思い出す。最近の学説では、アフリカのバベルマンデブ海峡から紅海を渡りアラビアに向かったようだ。ちょうど東に向かって出立したのだからアラビアが東(日の出)、故郷が西(日の入)の方向になる。どんな気持ちで渡ったのだろう。

 太陽と幸福感。今度は大晦日の日没と初日の出だろうか。楽しみである。

旅の準備 ① 9/10    

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今も昔も大切な受容と愛!(旅の準備 ① 8/10)

2013-12-27 | 第九章「愛」

 私が生き甲斐の心理学を学び始めたのは、生き甲斐の心理学で心理療法やカウンセリングを学び、人助けに役立つのではということだった。しかし、学びを深めていくと、人助けもあるが自分助けの意味も実に大きいことに気がついた。

 不思議なのであるが、良いカウンセラーは自分自身にとっても他人にとっても、良きカウンセラーになれるようだ。

 そして、良きカウンセラーの条件は知識・理性だけの問題では決してない。以前、「英国王のスピーチ」という映画が話題になったが、その中に出てくるカウンセラー(療法士)は、地位も名誉もない中、著名な療法家を押しのけて指名され、そして、一国の運命を左右しかねない難問解決に貢献する。その鍵は、なんだったのだろう。

 他者を受容するということは、大切なポイントの一つだ。

 人は自分をどこかで愛してくれる人に対して、心を開いて行く。そして、自分のホンネを話しても、変なお説教や批判もせず、たんたんと聴いて理解を示してくれる人に癒される。もちろん、人は皆違うので、賛同というより自分の置かれた立場や感情・考え・行動に深く心を寄せるだけで充分なようだ。

 話は変わるが、今、縄文時代にこっている。昨日も都立埋蔵文化センターで縄文土器を眺めた。土器の文様や実に不思議で心を惹かれてしまうが、この土器(文様を含め)は時代や地域でずいぶん違うらしい。そして、ある研究者は不思議な現象に注目していた。それは、ある村というか地域の集団の中に、同時代の他の地域(例えば多摩の集団の中に東北地方の)の土器が混じっていることだ。

 これは、様々に解釈されているが、ある学者は、他の村?の娘が輿入れしてきたのではと想定している。今も昔も結婚は、不思議な出会いで遠方からの輿入れも想像以上にあったようだ。そして、文化も習慣も違う中で、今もそうであるように嫁を受け入れていく。もちろん、今もそうだが努力のいることなのだろう。

 他者を受容すること。これは、今も昔も、まったく違う人間どうしのドラマだ(深層心理学的には全ての他者は驚きの対象とも言われているからだ)。そして、上手くいかせるプロセスは、6条件とか受容とか言われているが、その元の元は暖かい愛なのだと思う。

 自分が愛されたように、他者を愛する。単純なようで真理なのだと思う。

旅の準備 ① 8/10    

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