イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

等身大の対話のある縄文旅行は良いものだ(新鮮な生育史 5/10)

2019-06-28 | 第四章「愛とゆるし」

 梅雨の時期でしたが、2泊3日の縄文信州旅行をしてきました。そして、行きたいところは殆ど訪問することが出来、さらに、様々なところでアースフィーリングを味わい(自分の感情ウオッチング)、貴重な体験ができたようです。

 大きな変化としては、さまざまな遺構、土器や土偶、石器などを見る時に、それぞれの個性を楽しむことができだしたかなと思えたことでした。そんなの当たり前、と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、例えば美術館で有名な絵画を観るとき、どういうわけか、その絵そのものを観る(感じる)のではなく、その横についている説明書きに心を奪われてしまうことがあります。絵を見に行ったのか説明書きを見にいったか分からなくなる。自戒を持って注意すべきことだと思うのです。そして絵画であれば、これはキュビズムの絵か・・・とか、あるいは土器でしたら井戸尻型だといったようなへんな知識が先行すると、固有の個性や歴史にこころを集中できなくなるものです。

  対象物と同じ高さに目線を合わせ、向き合う。この世的な浅い否定や賛同の世界を避け、内から湧いてくる温かい関心に身を寄せて向き合う。それが大事だと思います(心理療法やカウンセリングの受容・共感・純粋と一致の世界に似ている)。

 仮面のビーナスと一緒に発見された浅鉢など、その美しさは何だったのでしょう。火炎土器などに代表される美も良いのですが、同じ文化とも思えないような縄文後期の技術の凄さを発見したようです。

 浅間縄文ミュージアムで観た人骨も女性と男性が隣通しで展示されていたのですが、初めて人間の骨の美しさを見いだしたように思いました。女性の橈骨の華奢な感じは何だったのだろう。井戸尻考古館の有名な神像の肩の部分の球体をはじめ・・・。土器や土偶の図像の解釈は作り手のこころの軌跡を追う自然な所作であり、それを追うことは美しく楽しいことだとあらためて思いました。

 星糞峠の遺跡群にミュージアムから向かう時に時々感じる野生の臭い(動物)。昆虫の不思議な羽音や威嚇も、数百年数千年数万年といった人間と自然との対話なのでしょう。それから、黒曜石遺構での土との対話・格闘も今も昔も壮絶であり、火山国日本の世界に冠たる文化なのでしょう。

 300体の縄文後期の人骨が発掘された北村遺跡では、花が添えられていた立派な石碑を見て、私も含めた現代人の何ともいえない屈折したこころを感じ、長野道の車の不気味な振動とともに落ち着かなくなりました。しかし、西に見えるアルプスの頂きは、当日は残念ながら夕焼けは見えなかったのですが、あの世を想う祖先達の想いは美しいものだと思いました。

新鮮な生育史 5/10

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自分の生育史を掘下げると宝物がでるか? (新鮮な生育史 4/10)

2019-06-23 | 第三章「無意識の世界」

 私は何故、心理学に興味を持つようになったか?その一つは、中学に入ったころから、図工の時間に書く自分の絵に、どういうわけか黄色を多用することにヘンだなと気づいたことがあった。黄色を使うとそれなりに落ち着くのだが、こころが晴れるわけでもない。何となく黄色と不思議な対話をしているようなのだ。そして、その傾向はどんどん膨らみ、高校に入ったころの絵は黄色ばかり。新緑の校舎の絵なのに何故か空はまっ黄色。そんなことから、心理学になんとなく興味を持つようになった。

 今朝、NHKテレビの日曜美術館で夭折した天才画家、村山槐多が紹介されていた。彼は暗赤色ガランスに特別に関心を持ち多用したようだ。彼が何故そうだったのかはよく分からなかったが、私の場合は黄色に固執。天才画家で詩人である村山槐多と私を比べるつもりはないが、ある色への固執に関しては共感できた(笑)。

 そんな私も、大学生になり成人するころになると、心理学の本をバリバリ読んだり、不思議なカフカの小説を愛読したりし、卒論も実験心理学に。黄色問題から、いつの間にか生育史を真面目に考えるようになっていった。

 ・・・それは小学校1年の秋だった。近所に住む同学年の友達二人と、歩いて15分くらいの四ッ谷駅の近くの小学校に向かっていた。そして、時々あることだったが、3人の中で一番身体も大きくリーダー的な存在だったA君が、外堀通りを信号で車が走ってない時を見計らって走って渡る。それに呼応してB君がぴったり付いて走り、私も慌てて付いて走る。そんなことをしていたが、突然A君が通りを走って横断しだした時、近くの信号が変わり車やオーバイがスピードを加速させやってきた。B君も私も危険に気づき立ち止まり、A君が渡りきるかを見届けようとした。A君は黄色い交通安全のビニールで覆われたランドセルを揺らし走ったが、中央線付近でオートバイに接触し倒れ動かなくなった。

 小学校の1学年であっても、友達が眼の前で倒れ動かなくなったことはショックだった。その後A君は治療も虚しく、彼のお母さんが見守る中冷たくなっていったそうだ。私にとってその事件はそれで終わり、それからはB君と二人で登校するようになった。私も周りの人も、それで事件は終わったかのように思った。

 しかし、その後、引っ越しなどで環境が激変したりしたときに、今考えると不安神経症的な症状が出たりした。それから、それまでは車などメカが好きで、将来、大人のように車を運転したいと思っていたのが車嫌いに変わってしまった。大人になって仕事の関係で車の免許をとった時も、車は嫌いであった。亡くなったA君と私は別の存在なのに、自他を無意識の中で混合するところがあったようだ。それから、誰が悪いのかよく分からないが、変な罪悪感に悩まされたのだと思う。私にとって黄色はそんな悩みの象徴だったのかもしれない。

 そんな私であったが、大学2年生の夏頃から夏休みを契機に自分の進むべき道を見つけ動き始めると、病的な部分は影を潜め、公私ともに元気になっていく。生き甲斐のある道を辿ることは何よりの妙薬なのであろう。強いて、生き甲斐の心理学の理論で説明すると、目的志向性と自発性を発揮できるようになったことで罪悪感が極端に軽減したのだろう。

 しかし、長い人生いつも自分の道を突っ走ることはできない。そして、こころの傷といったら良いのだろうか、私の場合は罪悪感というのがキーワードだったが、それに重なるような嫌な出来事があると追い詰められていく。そして、限界に達したある日、偶然に偶然が重なるように、高校1年くらいまで信じていたカトリックの信仰に再会する。罪悪感の問題は心理学でも扱うことができるが、例えば永い歴史のある宗教のゆるしの思想はこころの不調にも効果があるのだろう。

 さらに、余裕ができて罪悪感をある程度、客観視できるようになったのだろう。U先生の生き甲斐の心理学を学びはじめ、その指導のもとに生育史を勉強するようになった。そして、ある秋の日、たまたま外堀通りの昔の事故現場をのんびりと歩いていたときに、ふと明るい開放感が湧いてきたのに気づいた。不安感なら分かるが想像もしなかった開放感というか安堵感。そして、50年以上前の眼の前の事故のときに味わった感情が開放感だったことに気づいた。

 A君が倒れたことで、私はA君の安否に不安感を抱くのではなく、危険なゲームから開放され開放感を感じたのだ。そして、それを自分なりの倫理道徳で抑圧してしまった。今、考えると倫理道徳はともかく、少年の私がそう感じることは無理もない真実なのだが、子供でも倫理観で抑圧することで、こころの問題を起こしたのだろう。

 こうして、自分の黄色問題は解決し、無意識の意識化で変な抑圧から開放された。しかし、心理学にのめり込みここまで解決しなくても、健康的な人生は歩めたかもしれない。ただ、黄色問題はネガティブなものかと思索してみると、それが契機で、生き甲斐の心理学の勉強を熱心にしたり、カトリックとの再会につながっていたり、ひいては縄文小説にも繋がっていたりもする(笑)。遠目でみると、黄色問題は自分の人生にとって宝物だったのかもしれない。そして、宝物を発掘できたかどうかは別にして、生育史を大事にすることは意味があったと思う。

 蛇足だが、私は宝探しをしたのだが、とんでもないことにならなかったのは、周りの人の温かさだったと思う。特にU先生、良い師匠に出会えたのは幸運だった。心理学の本や講習会などでは、平気で自己否定や他者否定の傾向を増長するようなものがあり、若い時など、精神的に参ってしまうこともあった。こころの発掘作業は正しい師匠の元で自己肯定・他者肯定のスタンスで行えば、自己実現の方向が見いだしやすいし、ヘンな葛藤もないと思うが、そうでないケースも時々見聞きする。変な勉強するより、大自然の中で散歩したり、太極拳をやったりした方が良いと思う。それから、良い友達に批判せず自分の話を傾聴してもらうのも大事なことだと思う。

新鮮な生育史 4/10

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愛の孤独からどう回復するか (新鮮な生育史 3/10)

2019-06-19 | 第九章「愛」

  あじさいの花をみると、三好達治の乳母車という詩を思い出す。母よ―/淡くかなしきもののふるなり/紫陽花いろのもののふるなり/・・・。何か言語を越えた感情と結びつくイメージが湧いてくるようだ。

 さて、愛の孤独の問題をこの2-3日考えている。U先生の生き甲斐の心理学で理想と現実のギャップがストレス曲線と学んだが、そのギャップが原因で、いつも愛の孤独感に苛まれてしまうということがあるようだ。

 生き甲斐の心理学では、①何の為に生きているか?②生き甲斐は何か?③自分(身体、こころ、魂)を大切にしているか?の三つの自問自答をとても大切にしているが、この三つが健全に意識され軌道に乗っていたとしても、深い愛の孤独があれば人生がとても色あせてしまう。

 最近、勉強会でシャガールの絵を取り上げることが多いが、このシャガールも57歳の時に最愛の妻ベラの急逝で一年近く絵がかけない時期があったそうだ。98歳でなくなるまで沢山の絵を描き続けたシャガールを襲った愛の孤独。人ごとではない大きな人生の深淵があることを忘れてはいけないようだ。

 愛とは何だろうか?様々な人がこのテーマに取り組んでいると思う。定評ある宗教や哲学に触れるのも大事だと思う。心理学でも、M.スコット・ペックの「愛と心理療法」(創元社)といった名著がある。普段からいろいろ愛について学び・思索することで自分の愛の理想とか意味づけを塗り替え、人生の基盤をより良くすることは大事だと思う(但し、自己分析は楽しむ範囲で行うことが大事。人の心は身体もそうかもしれないが脆いものである。今の年になると無理はしなくなるが、若い頃はフロイトなどを読み過ぎ情緒不安定になることもあったようで、いくら真理の探究といっても病気になるのは問題外だ)。

 もう一つ、生育史からくる愛の孤独の問題も考えた方がよいかもしれない。この世では実現不可能な愛の理想をもっていたりすると、当然ながら日常の中では見つからず愛の孤独に苦しめられる。

 ところで、生き甲斐の心理学をU先生から学ぶ中で考えさせられたことがあった。それは「幸福の条件と幸福感の違いとは?」という問題であった。急に質問されると、こうしたことを考えたこともなかった私は絶句してしまった。皆様は如何だろうか?その回答であるが、幸福の条件は比較的分かりやすい。××の大学に入って、××の資格をとって、職業は××に。とか、年収XXX万円を得るとか、××といった人と結婚するなど、人それぞれ考えていらっしゃるかもしれない。しかし、その条件が満たされることがあっても、愛されたり幸福になるかというと、そうでもなく次の幸福の条件が待っていたりする。

 もう一つの幸福感はどうだろうか?道ばたに咲いている紫陽花の花が眼にとまり、なんとも言えない幸福感を感じたり、××のラーメンを食べて至福の時をすごしたり・・・人それぞれの幸福感だと思うが、幸福感を人生の大切な要素として意識する人はどのくらいいらっしゃるのだろうか。かつての私を反省することがあるが、ある時期、幸福感を幸福の条件を得るためのニンジンくらいにしか考えていなかった。しかし、生身の人間に湧き起こる明るい感情は貴重であり、注意してみると実に奥が深い。

 以前ウィーンの世界史美術館で、新約聖書で有名なサマリアの女がヤコブの井戸でイエスに出会う名場面を様々な画家が描いていることを知った。主役はサマリアの女でイエスに出会う前と後の感情の変化などが印象的なのだ。思考だけでなく、いきいきとした感情、そして最後の統御感が情動として行動を引き起こす。この世を超越すほどの法悦感というか幸福感。それは狭い自分がつくったようなニンジンなどではない。

 あじさいを見て、私は幼い頃に家の庭に咲いていた紫陽花を思い出してしまう。眼の前の紫陽花の背後に、幼いころに経験した紫陽花と母に関わる愛の原型が重なり、強い幸福感を湧き起こさせているのかもしれない。

 愛の原型というのは、自分にとっての愛の名場面というものだ。そして、それは一つだけでなく、いろいろあるようだ。私の場合も、褒められて嬉しかったといった条件付きタイプの原型もあれば、時には叱られて当然なのが無条件に世話をしてもらったり、危険を冒してまで助けてくれたなど無条件タイプもある。こうした愛の原型の引き出しをのんびりと楽しんでいくと、今の自分に相応しい愛の原型が浮かんでくる。そして、よく使いたいものを手前において、ちょっと嫌いになったものを奥に置いたりする。

 幸福感を得るということは、幸福の条件にくらべてその道筋は漠としているようだが、この愛の原型の引き出しの整理整頓など、一つの方法だと思う。もちろん、生き甲斐の心理学の中にはいろいろな道筋が描かれている。

 新鮮な生育史 3/10

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自分の過去を肯定的に受け入れるためには?(新鮮な生育史 2/10)

2019-06-16 | 第五章「和解と平和」

 この一週間くらい、あれこれ時代の変わり目に関する歴史の勉強をしているが、人間集団のもつ文化について考えさせられた。異文化との出会いは様々な軋轢を生み、それが新たな地平線を開くこともあれば逆に悲劇を生んだりもする。そんな中、自分にまつわる事例をあらためて考えてみた。

 私は7歳の時にアラスカに1年弱暮らした経験がある。そして、当時の西欧風のキリスト教をベースとした文化に触れたが、一度取っ組み合いの喧嘩をトリンギット族の血筋をひく少年としてしまった。北米のネイティブは後期旧石器時代に日本列島を含む東アジアのホモサピエンスから例えば1.2万年前に分かれ、ベーリング海を渡りアラスカに辿り着く。そんなことで、遺伝子的にはかなり近いトリンギット族の子供と遭遇したのだった。そして、私は当時熱狂していた相撲の技で対戦したが、相手の思い掛けないボディーブロウであえなく敗退した。戦い方が違うのがとても印象的であった。それはその原因も含めちょっとした文化的悲劇であったが、それっきりで、へんな虐めを受けなかったのは幸いだった。

 もう一つ。私の祖父の兄は明治時代に教員となり、若くして下関条約で日本の領土となった台湾で教育活動を始めた。ところが、現地のネイティブの襲撃を受けてあえなく遭難死を遂げてしまった。兵児帯の一部が遺品として届いたという。台湾は南西諸島の延長線上にあり、恐らく遺伝子的には北米のネイティブ以上に近いと思われる。しかし、その倫理道徳をはじめとする文化は当時の明治政府下の日本と異なり、結局悲劇を産んだのだと思う。人の集まりである集団は、それぞれの環境や歴史の中で独自の文化を育む。当然ながらその倫理道徳・価値基準は短時間に大きく変貌することもあるのだろう。それは、人の集団でもそうだが、人そのものでも同じである。

 人の過去・生育史は、それぞれの時代・環境によって、同じ身体を持つ人であっても違うものである。そして、とかく自分の生育史については唾棄すべきものとしてしまいがちだ。時代や文化が何となく、その人の倫理道徳的なものを産み。それに照らして自分を制する。もちろんそれが良いことも沢山あるのだが、自分の生育史の評価を厳しくしすぎ、受け入れずらくしてしまう。そして、自分の生育史を受け入れることが出来ないと、同じような事例が生じるとまた繰り返して問題を起こすことがある。生育史は自分の一面であり受け入れることができないと、自己否定や他者否定につながり自暴自棄になりがちだ。自分の道を見つけイキイキと生きるためにはつまらないことである。

 では、過去・生育史を受け入れるためにはどうしたらよいか。生き甲斐の心理学を学ぶということも必要だと思うが、知らなくてもどうどうと自分の道に生きている方も沢山いらっしゃる。一つは人間を根の部分で信じる事ではないかと思う。性善説というと分かりやすいかもしれない。そして、その上で様々な文化というか倫理道徳というか、そういうものがあることを認めることが大切だと思う。さらに、何を言っても批判せずに聴いてくれる友をもつことも大事だ。倫理道徳等のコルセットで自分を締め上げるのは必要なことも多いが、コルセットをゆるめ自分のありのままを認めることは、生育史を受け入れることに通じる。特に、自分では気づきにくい無意識の世界もあるので、傾聴の友は本当に大事だと思う。

 それから、私の場合だが気になっていることを、その関係者が近くにいれば、気楽に訊いてみたり、あるいは気になることを書き出して、それをネットで調べるなりして確かめることも解決に繋がると思う。さらに、U先生に教えていただいたが、今の世の中便利になり、自分史年表などが市販されていたりネットで公開されていたりする。こういうものを読みつつ、気楽に親しいひとと語り合うのも、自分の文化を知る上で貴重だ。生育史に関心を持ち楽しむことは大事だ(触れたくないところは後回しにするのも大事)。

新鮮な生育史 2/10

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自分はダメだと思うのは?(新鮮な生育史 1/10)

2019-06-13 | 第二章「五感と体感」

 はたから見て、立派な専門性を持っていて、凄いですねと正直に言うと、「私なんか・・・」と思いがけない自信のなさを吐露されたりする経験が少なからずある。

 逆に自分の胸に手をあててみると、変に自分はダメだとして、他の方から推薦されたのに断ってしまうようなケースがある。でも、正直そう思ったのだった。眼を曇らせるものは世の中に満ちあふれている。学歴やキャリア、収入や出自など。しかし、自分の眼が曇っていて他者の眼が確かなことも多いと思う。渦中にいると分からないものである。

 こうした現象はU先生の生き甲斐の心理学からすると、すべて生育史の解釈の問題なのである。厳しすぎる親、厳しすぎる先生や先輩・・こうした周りからの不条理ともいえる言動と、それに取り込まれてしまいがちな人のさがなのである。生育史の解釈を変えると世界が変わってくる。

新鮮な生育史 1/10

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