イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

桜島を眺めながら時を考える (1/10 今ここと縄文時代)

2024-07-15 | 第十章「今ここでの恩寵」

かつて私が某外資系企業で働いていた時(35年くらい前だったか)、久しぶりに元同僚のN氏にあった。楽しい語らいの中で、彼は最近ストレスがたまると年表を眺めると言っていた。その年表は江戸時代とかが出てる年表ではなく、カンブリア紀とか先カンブリア紀といった何億年単位の年表だそうだ。すると、今の自分の問題もあまりに小さく見えてくるとのこと。

そんなことを思い出したのは、今回「南の縄文の旅」という国際縄文学協会の催しに参加したためである。この10年くらい心理学からの興味から縄文時代に興味を持ち、あちこち旅をしたり地元の西関東や甲信の縄文を学んだりしていた。当然ながら早期や前期も気になるものの中心は中期で4500年前から5500年前が中心。それが南九州や種子島などの島しょ部になると一挙に8000年前とか11000年前が大手を振って出てくるのだ。もちろん後期の4000年前以降などもあるが・・・

さらに、種子島の遺跡などになると、飛行場についたとたんに14000年前の草創期の住居址や土器などがでてくる三角山遺跡。さらに、旧石器時代も35000年前の遺跡など。写真はシラス台地の端から錦江湾を望んだもの、桜島の左側は考古学で有名なAT層を産み出した姶良カルデラの破局的噴火の跡。右はそれ以前のカルデラ噴火のあととのこと。それらの噴火の火砕流などの地層がシラス台地だそうで、その景観をあらためて見ると何か感動してしまう。

もちろん、破局的噴火は5000年とか10000年と言った間隔で起こるようであるが、一度起これば大変なものである。今までの破局噴火で最大のものは75000年位前に起こったトバ火山(インドネシア)だそうだ。この時代はホモサピエンスが種の危機にあり数千から一万人程度に減少したとも。そしてそれを契機に衣服を着るようになったとか(シラミの遺伝子の研究による)、あるいは出アフリカの旅の契機になったとか言われている。

日本では大隅諸島の竹島あたりの喜界カルデラの破局的噴火が7300年前にあった。当然ながらそれ以前の南の縄文文化は壊滅的被害を受け、その復活にはかなりの時間を要したようである。そして、その前の破局的噴火は30,000年前の姶良カルデラである。

人の生は死を見つめることで、自分の身体や心と魂を思い出し充実するという。同じように、空気のようになっている今ある文化も、文化の有限性を見つめることで充実するのかもしれない。

N氏が亡くなってからもう30年くらい経つ。彼に先日見た桜島の光景を見せてあげたい。

1/10 今ここと縄文時代

WebマガジンAMOR「縄文時代の愛と魂」にも縄文に関する関連記事があります是非ご覧ください。こちら

この記事は「生き甲斐の心理学」ーCULLカリタスカウンセリングの理論 ユースフルライフ研究所主宰 植村高雄著 監修2008年第3版 を参考にしています。

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       森裕行

 


この暑い夏にラッキーなこと (縄文世界を感じるとき② 8/10)

2023-07-22 | 第十章「今ここでの恩寵」

この一か月はコロナの前に戻ったように、友人や知人と会食したり旅行をしたりお酒をのんだりした。そして、この世にありながら天国の気分を何度も味わったようだ。日常の中に永遠性を感じることも結構あるんだと嬉しかった。これは古今東西の哲学や宗教の中で地味に語られていることであると思うが、意外に知られていないことである。

このことに関連して・・・このところ八王子市の宮田遺跡の子抱き土偶について随分時間を使ったようだ。縄文時代の土偶であるが母子像を描いた土偶(神像というべきかもしれないが)で、無償の愛というのだろか、何かこころを動かされ気になって何年もたった。発掘された宮田遺跡にも何回か足を運んだりしたが、集中して情報収集したことはなかった。そして今回資料を集めたり専門家にお聴きしたりし、この土偶は何のために作られ、どのように使われたか・・まあ、5W1Hを考えようとしてみた。考古学者の中にはすでにそういう視点で考える方もいて、とても勉強になった。

優れた土偶は、国宝に認定されたりすることで分かるが、真善美というか芸術的にも価値がある。そして、その裏には必ず永遠性というものがある。それは宗教的という言葉に置き換えても良いように思う。どういうわけか、例えば約5000年前の社会は劣った社会という偏見が私の中にもどこかであったのかもしれない。アニミズムとかシャーマニズムとか現代人より劣った宗教。そんな感覚がどこかにあったかもしれない。そのフィールターの中で曇った目の中であれこれ考えても何か大事なことを落としていたように今は反省している。

考古学の世界は、学問の世界ではあるが、五感でモノに接することが基本のように思う。今の世の中デジタル化で視聴覚は毎日過剰な情報に出会うことができるが、五感はそんな薄っぺらなものではないし、またその五感で感じたものをうまい具合に自分の中で熟成して思索することができる世界のようである。子抱き土偶(表紙の写真 JR駅八王子の近くの「はちはく」にて筆者撮影)でいえばすでに亡くなられた浅川利一氏によって、小さな子抱き土偶はピンセットによって復元され、さらに後日見つからなかった頭部をも、釈迦堂遺跡の土偶を参考にして復元されたとのこと。時間をかけて何か永遠を見つめた成果物は実に迫力がある。

先日は上野を半日歩きまわり古代メキシコの遺品や日本の土偶、西洋美術館での絵画を見て回った。古今東西時代は変わっても、永遠性につながる何かは生みだされており、そして私たちにも人それぞれの領域でそれに触れるよう誘っているようだ。帰り道の上野公園の噴水でカラスと一緒に涼をとった。

縄文世界を感じるとき② 8/10

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こころの自由を得るーーー今も縄文時代も (縄文世界を感じるとき② 7/10)

2023-07-13 | 第十章「今ここでの恩寵」

厳しい時は、だれでも何かに囚われたりし、心が不自由になりがちである。そのときに間違った決断をしたり、大事な人間関係を損ねたりいろいろだ。しかし、人間にはそんな時を乗り越えるように、心の自由が得られる仕組みがある。それを上手につかったり、あるいは不思議なことに何となくその仕組みが発動したり。

U先生の生き甲斐の心理学を学ぶと、フロイトの14の防衛機制(抑圧、抑制、昇華、合理化、感情転移、置き換え、知性化、退行、逃避、同一化、摂取、投影、反動形成、補償)を学ぶ。この防衛機制がこころを自由にするための働きである。防衛機制というと抑圧とか補償とか反動規制・・名称の印象も一つの要因かもしれないがネガティブにとらえがち(もちろんネガティブに働くこともある)で、それを理解しうまくつかって生き甲斐を達成するなどポジティブにとらえる方は少ない。

人は意外に自分と似た人を嫌うことがあるようだ。一つの感情転移の現象かもしれない。そして、人間関係に悩んだりするのだが、ある日そのAさんがお国の方言を口走る。すると感情転移に気づきハッと我に返りその方への嫌悪感が消えたりする。あるいは、若いころ営業の仕事をしていた時、あまり行きたくないお客さんから足が遠のく。そんな時、そのお客さんの近くに安価で実においしい昼食を食べさせてくれる店があることを先輩に教えていただき、そのお客さんに行く前には必ずそこにより、営業成績を伸ばしたこともある。

人生にはいろいろなことがあり、時には人の命にかかわるような困難な時を迎えることもある。そんな時に私はカトリック信徒なので、すべてを神様にお任せするという心境を得て心が自由になり、的確な判断ができ救われたこともあった。人に宿る愛・慈愛そのものの魂、あるいは神仏の存在・・・こうした存在は今の科学では存在も証明されないし、存在しないことも証明されない。しかし、心の自由は確実に得られたのである。

これは時代が変わって縄文時代でもあったのではないか。

何でこんな不便な尾根に住居があるのか?・・・ここから神奈備型の神山が見える、1000年を軽く超える神木がそばにある。XX村小町さんが近くの尾根道を通って水汲みにいく。

縄文世界を感じるとき② 7/10

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大木に触れて・・命の連鎖をのんびり考える(縄文世界を感じるとき② 5/10)

2023-06-15 | 第十章「今ここでの恩寵」

植物の寿命は動物の20倍とかで、5000年くらい生きる木もあるようである。そんなことを「植物はなぜ5000年も生きるのか」(鈴木英治著 講談社ブルーブックス 2002年)を読みつつ考えてみた。木の種類によっても寿命は違うようであるが、この多摩でよく見る杉やヒノキも数千年の寿命があり、銀杏やブナなども500年くらい生きそうである。ただ、木の場合生きている細胞の寿命は30年くらいともいわれ、すでに死んだ細胞をうまく使いながら命をつないでいるというのが実態のようである。

しかし、大木を見たり触れたりするのは気持ちが良いものである。年をとってくると知人が亡くなったりし、人の命の儚さを感じるが、例えば身近で幼い頃から知っている大木がどうどうと今でも立っているのを眺めたりするとほっとする。

アイデンティティは生きる上で大事だが、自分自身を大木のようなイメージに重ねることは結構大事なのだと思う。そして、心理学を勉強していると両親から学んだこと、世間から学校から学んだことは大きく、あたかも自分で得たかのようにして生きているのが私たちであることを知るようになるが、オリジナリティの知恵は結構すくないこともわかる。私たちも今生きているのだが、植物のように過去の遺産に包まれていきているのが本当なのだろう。

5000年くらい生き続ける植物は、私が興味をもっている縄文時代の土器とか土偶だと縄文中期の勝坂・井戸尻式の土器や土偶の時期である。次の写真は今いろいろ思索している八王子の子抱き土偶(レプリカ)で八王子市歴史資料館でかつて撮った写真。

この像はたまたま、土偶にもいろいろあるが写実性の高い時期/地域の土偶で、このフォルムは古今東西どの時代の人も同じようなことを感じることができると思う。

ところで縄文時代の祖先のDNAは本州では10%程度だそうだが、この数字を聴くと何か弥生が近く縄文が疎遠に感じ、また異形の縄文土偶があったりすると益々縄文人との繋がりが希薄に感じたりする。

しかし、遺伝子プールでの縄文時代の列島人のDNAが10%とか・・・あるいは現世人類意外のデニソワ人のDNAが1%程度含まれるなどと聞くと、自分には関係が薄いと感じるのは一面的だと思う。確率統計的には首肯できるが、実存的な繋がりを余りに軽視しているのではないだろうか。

例えば5000年という年代を考える。一世代25年とすると。200世代となる。そして一世代ごとに祖先の数は2倍になるので(例えば祖父母の時代は4名、その前は8名といったように)、37世代前となると137億人となって今の世界総人口の80億人を超えてしまう。もちろん祖先は重なっているのだろう。こんな風に考えると200世代まえは1.61のしたに0が58個つらなるくらいの数となる。(エクセルと駆使(ふう))。そしてSF小説などによくでてくるが、ある一人の祖先がいなかったら私は生まれなかったことになるという実存的な意味を考えてみる。

この実存的な問題はアルプスのアイスマン(5000年前ころの遺体)の遺伝子がイタリアのある地方に残っていて、それを知った人がアイスマンを見る眼が変わったというお話がすでに本になっているのである。そこらに落ちている縄文土器の破片の作者が自分と実存的につながっているかもしれないと考えると、埋蔵文化財にたいする感覚が結構変わる。

さてさて、現世人類の20万年とも言われるの時間は地球生命の歴史の40億年とかに比べるとはるか短い。周りの動物や植物もある意味兄妹、無機物すらお世話になっている。自分が生まれてくる不思議はなんなんだろうか。

生きていることは神秘なんだなあ。と、今日は朝から妄想がはずむ。

縄文世界を感じるとき② 5/10

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縄文人は座禅や瞑想をしたのだろうか? (縄文世界を感じるとき 10/10)

2023-04-03 | 第十章「今ここでの恩寵」

縄文時代の住居址で敷石住居址ほど考えさせられるものはない。縄文中期の後半くらいから1000年くらいそうした住居を祖先は作るのだが、これは一体何のためであったのだろうか。いろいろな説があるが、ここひとつ説得力に欠けるように思う。ただ、何か意図があったことは心理学的に考えても確かであろう。

さて、U先生の生き甲斐の心理学の勉強をしていると、よくアイデンティティの統合という専門用語が出てくる。普通、人は生きるためにある種の鎧を身に着けるものだ。しかし、大きな変化などではその鎧が自らを変化させる点で阻害要因になってしまう。個人の場合もそうだが集団でも結構同じようなことがおこる。ある技術で独占的な立場にあった企業が、その技術を根本的に凌駕するような世の流れの中で、次の技術をうまく取り入れられず倒産してしまうことは多々ある。反対にゼロから出発したような集団は強い。

こころの鎧(防衛機制)も大事だが自分を導く柱を見失わず柔軟性をたもつのは、今も縄文時代も同じように重要なことではなかったのではないか。

私は小学生のころ二つの命に係わる体験をした。一つは通学の途中で友達を交通事故で失ったこと。もう一つは自分自身が海水浴で荒波にさらわれて溺れかかり、危うく父に救われたということだ。この二つの記憶は60年以上の出来事であっても結構なまなましく思い出される。しかし、前者は、こころの問題に結びついたが(今は問題ない)、後者は歴然とした命の危機であったにもかかわらず不思議にも何の問題もなかった。

後者のことを考えると、その危険な海中での出来事の中で、運命に身をまかし心の自由さを保ったようなことがあった。へんな話だが慌てて藻掻くのではなく意外に冷静に柳に風のように救助を待ったのが幸いした。火事場の馬鹿力という諺があるが、身体的は力は出せなくてもこころの平安が危機の中で保てたようだった。海中に投げ出される前に深く息をすい、そのままじっとしていたのだった。

最近、アイデンティティの統合を考える上で、禅のメカニズムに関し大変興味をもっているが、呼吸と今ここに対する感覚は何か関係があるようだ。人は過去と未来、そしてその境?の現在を日々経験しているように思う。しかし、生きることで大事なのは今ここであり、その世界は集中すると、深く何かに満ちていて、静かにそこに触れているとこころが自由になってくるようなのだ。旧約聖書にでてくる「ある」という神・・よく聞く「悟り」。まあ、いろいろな表現で古今東西の経験者は語っていると思うが、ホモサピエンスがホモサピエンスらしいのはその点ではないかと思う。

苦難の旅の中で偶然といってもよいような時に見出される何か。それはちょうど反対の無力で静寂にみちた禅などの修行の時に見いだせられるようなものかもしれない。まあ、無力がキーワードかもしれないが。

縄文時代のある時期の敷石住居のような不思議な文化傾向。それは禅などに通じているのではないだろうか。

話は少し変わるが、土器づくりなどの経験をさせていただき、丁寧に縄文などをつけるような単純な動き。こうした動作の中で禅に通じるようなもの、あるいは純粋な祈りの世界に通じるものがあるように思う。

今週の木曜日は満月。そして日曜日はキリスト教の復活祭。復活祭はちなみに春分 の日の後の最初の満月の次の日曜日。祈りの中で迎えたい。

縄文世界を感じるとき 10/10

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