イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

水と油の仲を考える・・・(過去の解釈が将来に影響 4/10)

2016-07-31 | 第三章「無意識の世界」

 わたしとあなたの関係はいろいろある。わたしは私だが、あなたは配偶者であったり親戚であったり、職場や学校、あるいは神仏ということもあろう。そして、その関係が水と油の関係になってしまう・・・そんなことは自分の経験でもいくつか思い出す。

 生き甲斐の心理学を学ぶ前は、それは仕方がないな・・・と半分あきらめていたが、実は、そうでもないことを学んでいく。水と油の関係が変化することも実はあるようだ。覆水盆に返らずと諦めていた関係がそうでなくなることもある。神秘的ですらある。

 あなたに対する感情が好きや怖くないというのは良いが、嫌いや怖いという場合もある。つまり、ストレスを感じる。これはその人のもつ(潜在していることも含め)理想と現実のギャップなのであるが、その理想や現実は過去の出来事とその解釈が深く関係している。初対面の人に対し例えば嫌いだな・・・と思うことは直観もあるが、過去の苦い経験が潜在していることが多い。

 仮にわたしがAさんと合わないとする。そして、運が悪いことにAさんと一緒の時間を持たざるを得ないとする。AさんのXという行動が鼻につく、そしてAさんは私のYという行動に鼻がついているようだ。お互いにX,Yを出し合い、そして水と油。不安が怒りに、怒りが身体症状に、そしてウツ、錯乱とストレス曲線の階段を上っていく。

 すると、一般に状態は悪くなり、解決への道は困難を極める。

 怒りの段階で、手をうつことが本当は健全である。まずは自分の怒りを分析してみよう。自分は何が鼻についているのか。相手は何を嫌っているのか。頭を冷やすことができるなら、愛の原型を一つ考えたらどうかと「生き甲斐の心理学」は教えてくれる。

 自分の愛の原型(一つとは限らない)は、過去の(幼いころが多い)出来事とその解釈から来ていることが殆どだ。例えば、幼いころ庭で母や祖母、妹と月を愛で語った楽しい経験があるとする。それが一つの愛の原型であるかもしれない。その時の月の解釈が一つの自分の理想となっているかもしれない。Aさんの愛の原型もそんな風に過去に根ざしていて、一つの理想が形成される。

 自分に愛の原型があるように、他者にもある。そして、それは一般に当然よくわからない。しかし、それを理解しようとすることで、意外にAさんの鼻につく行動が鼻につかなくなったりする。水と油がすこしは交じる一歩だと思う。

過去の解釈が将来に影響する 4/10

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多様性を容認できるか否か (過去の解釈が将来に影響する 3/10)

2016-07-29 | 第八章「魂と聖霊」

 米国の大統領選の報道を見ていると、米国の多様性に対する受容性、懐の深さに感心してしまう。心配もあるが、それでこそ民主主義成立の基礎だと安定感を感じてしまう。それに対し今の日本はこんな柔軟性があるのだろうか。・・・そんなことで今日は、多様性(異なるもの、時に対立するもの)を受容する思想についていろいろ考えている。先史時代に一万年以上続いた縄文文化に私は米国以上の懐の深い思想があったのではないかと想像している。縄文中期の関東や中部にあった、広場を中心に環状に並ぶ竪穴式住居の集落の思想。あるいは北海道で見つかったポリオで病んでいたが20歳代まで生き抜いたとされる女性の遺体。現代人と一ケタくらい違う食生活の多様性・・・。

 アイヌ文化でも死刑はないようだが、縄文も同じように死刑は無かったのではないか。人間に霊性・魂を想定しての尊厳の思想が脈々とあったのではないかと思う。それは、歴史的には最近の仏教や基督教にも流れていて、人の仏性とか霊魂の思想になっているようだ。

 日本には、和の思想というのがある。日本書紀に聖徳太子が作ったといわれる十七条憲法がある。その筆頭にあるのが和の話だ。井沢元彦氏の本でよんだことがあるが、和の思想はすべての当時のイデオロギー(仏教、神道)を超えている原理のようなのだ。それは聖徳太子とか7世紀の人が考案したものだろうか。私は、ひょっとすると遡って縄文時代からある常識ではないかと想像している。しかも、その和の思想は意外にホモサピエンスの古くからの思想ではなかったかと。 

過去の解釈が将来に影響する 3/10

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生き抜くための解釈とは・・・(過去の解釈が将来に影響する 2/10)

2016-07-28 | 第三章「無意識の世界」

 東京都知事の選挙も近い。候補者をさまざまに解釈して誰かに投票するわけだが、今回は身近なインターネットでもさまざまなネガティブキャンペーンと思われる情報がでたし、またトルコの政変や信じられない事件などが起こり、こうした時代の中での投票なので考えることが多い。

 その選挙の投票日31日にちょうど以前から計画していた生き甲斐の心理学の勉強会を開催するので、テーマである「月」の解釈についても選挙と一緒にいろいろ考えている。選挙と月は余り結びつかないが、解釈について考えてみると似ているところがある。

 つまり過去の解釈の傾向が、自分の今の解釈に大きな影響を与えているということだ。

 写真は三日月?である。このところ縄文時代の人々はどう月を解釈したのかとか、いろいろな見方で月を解釈してきたが、以前はこの三日月?を観たとき単に「三日月」がでている・・・としか考えなかった。小学校で習う月と太陽の光の関係からくる月と太陽の位置関係、三日月と二十六夜月の違い、月から地球を観た宇宙飛行士・・・などのことは習ったはずなのに普通は浮かばず、恐らく三日月を初めてみたころの幼児の三日月だなと単純に認識する程度の解釈だ。

 小学校、中学校・・・成人してから・・・まあ、いろいろ三日月に対する解釈は、その都度習ったり学んだはずだが、月を意識して考える前は私が幼児だったころの解釈が信じられないほど自分を支配しているようだった。

 月を意識して考えるようになった今、巻頭の写真(2-3年前に撮った写真なのだが)を読み取ると、朝撮った二十六夜月であることがわかる。そして、光の当たっている恐らく東の方向(左)に太陽が既に出ていることも。さらに、三日月に似ているものの、間もなく消えてゆき新月になる月であることも。

 では、縄文時代の人々はどのように解釈し生き抜いてきたのだろうか。現代人と同様の知能を有していたとされる彼らは、決して私の三日月の原型のような解釈(月がでてるな・・・)ではなかったと思われる。そこから、現代天文学の知識はなかったかもしれないが多くの情報を得ていたはずだ。暦的な情報(日時時間)、太陽の位置、大潮や小潮、あるいは世界の神秘といった哲学。月の見えはじめや、消えるときの日々の位置から得た月の軌跡を土器に記し次世代教育にも使ったかもしれない。半人半蛙の図像は日本列島だけでなく世界的な広がりもあるようで、当時の高い文化も垣間見るようだ。深淵な死と再生の哲学のだったかもしれない。

 そんなことを、いろいろ考えていると、縄文時代の人々の月の解釈力と生きる力に驚く。私も縄文力?を付け、これから何があるか分からない人生を生き抜かねば・・・

過去の解釈が将来に影響する 2/10

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猫を選ぶか、犬を選ぶか・・・(過去の解釈が将来に影響する 1/10)

2016-07-27 | 旅・雑記帳

幼いころから私は犬好きで、今でも犬を飼っているが、最近の猫ブームが気になっています。猫のが好きだという方が増え、ちょっとした猫ブームのようです。猫は散歩させないのだろうか?などと初歩的なことも分らない私ですが、なぜ犬が良いのかも、その解釈を含めて俯瞰してみたくなりました。

犬はあらゆる動物の中で初めて家畜化した動物ということになっています。狩猟との関係が深いようです。そして、縄文時代の貝塚にも、よく犬が丁寧に埋葬されています(人間も貝塚に埋葬されていますが)。その長い歴史の延長からか、私が幼い時には家に犬がおりました。そして、散歩をはじめ家族の一員として一緒に暮らしてきました。祖父が犬を散歩に連れていき、私もお供をする。それが日常的でした。生育史上、犬は私に沁み込んでいるのでしょう。

猫は、ほとんど知らないのでWikipediaなどで今朝勉強しました。穀物を襲うネズミ対策との関係が深いようです。ネズミは当然ながら縄文時代にも存在し、その骨は残っているようですが、その天敵?猫は日本では弥生時代までしか遡れないようです。ただ、縄文時代にも高床式倉庫があるので、その起源はもっと古いかもしれません。猫の骨が貝塚からでてきたらいいのにと思うのです。家で猫を飼いネズミをとる。猫がかってにネズミをとる。父方の家では昔猫を飼っていたそうですが、どういうわけか人気がなくやめたようです。一つには化け犬はないのに化け猫はあることと関係があるようです。

さて、私の犬や猫に対する反応。たぶん生育史上からくる解釈が大きいと思います。そして、今は犬を飼っていますが、これから先一緒にどんなペットと暮らすか、あるいは暮らさないかは、今後の私の生き方(ちょっと大げさですが)としてつながっているようです。今ままですと、散歩が好きで縄文好きの私は犬を選んだのですが、今後はどうでしょう。ふと愛犬を見ると、最近は愛犬も老犬になり足の調子も悪くなったのか散歩も好まなくなりました。犬のネコ化というのでしょうか、いつも寝ていることが多くなりました。そして、私も老化しているのでネコ化し、ひょっとすると将来は猫をかっているかもしれません。そのときは縄文時代を卒業しているのだろうか(今はありえませんが)・・・

過去の解釈が将来に影響する 1/10

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人類が月に行った意味は?(月を解釈する 10/10)

2016-07-25 | 第二章「五感と体感」

 月に人類が初めて行ったのはアポロ11号で1969年7月15日だった。そして、最後に月に行ったのはアポロ17号で1972年だそうだ。もう40年以上経ち、そして21世紀に月に人類が行くこともないかもしれない。何か寂しい気もするが、今朝は20世紀後半の在る時期に人類が月に行った意味についていろいろ考えてしまった。

 やはり、米国が冷戦下、あるいはベトナム戦争下で、多大なお金と貴重な人の命まで失いながらの成功させたことで、当時の政治的な意味というのはあったと思うが、それが人類の大きな一歩につながったのだろうか。あたかも人類が、今までと違って大きな科学技術の力で何か大きな幸せに近づいたようであったが、本当はどうだろうか。

 今朝、ドキュメント映画などを観ながらぼんやり考えたが、1960年後半から1970年初めに感じた浮ついた「やったぜ」という想いは今はない。何か身の丈に合わないことをやったような気もする。

 ただ、一つこころに響いたのは、月から観た地球の美しい映像。宇宙飛行士が皆口をそろえて、地球の奇跡的な美しさについて言及していたが、その印象的な映像は今でも私たちの中に残っているのではないか。

 当時の人口は30億人だった。それが今は70億人をはるかに越えてさらに拡大しつつある。環境問題をはじめ地球的な問題は、当時と比べて今は大きくなってきたように感じる。あの美しい地球が、ひょっとしたら危機に陥っているのかもしれない(もちろん、危機は地球ができてからの約40億年の中ではたくさんあったに違いないが)。

 月を目指して、結局は自身の美しい地球に気が付いく。不思議なことだが、こころの問題の中に自己愛の問題があるが、これにどこか似ているように。

 

月を解釈する 10/10

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