イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

多様な石仏に感謝!

2008-10-31 | 第一章「意識と知覚」

 道端にある石仏。お地蔵さんを観るとなにかほっとする。

 身近にあり、また御顔も多様である。

 さて、昔から、ぞっとすることとして、クローン人間のことがある。例えば、私と同じ遺伝子の人間が1000人いたら、などと想像するだけで、とても気味が悪い。同じ価値観、同じ美意識、同じような成育史を持った人間が大量にいるのは悪夢ではないだろうか。

 学生のころ、行動科学の勉強をしたが、組織では、同じような人間がいるより、多様な人間がいた方が、うまく行くらしい。どんな文献だったか今では覚えていないが、確かに多様性というのは社会で重要な要素だと思う。

 信頼とか不信が問題となる背景には、他者が自分と同じような(思い通りになる)人間であることを期待していることがあるようだ。おっぱいが飲みたいと泣く赤ちゃんは、母親とか保護者に自分の食欲を訴え、それが伝わらなければますます不機嫌というか不信感を露わにする。

 この世に、自分と異なる人間がいて、不思議な絆が結ばれ、そしてお互いに何かを育んで行く。

 不信感とか基本的信頼とは、どうもそうした絆を深める為のサインなのかもしれないと思う。

 そういえば、私たちの多様性を充分受け入れてくれる神仏も、道端の御地蔵さんのような存在ではないだろうか。

<信頼と不信3/4>

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記憶にない幼き頃を探究する!

2008-10-30 | 第一章「意識と知覚」

 昨晩はNHKの「その時歴史が動いた」を観た。「源氏物語」誕生のその時が、1008年11月17日であり、一条天皇に源氏物語を献上した日とのことである。源氏物語が千年紀という意味もそこにあるらしい。

 源氏物語に興味をもってから、写真の植物が紫式部であることを覚えた。気を付けていると、この季節に紫式部を良く見る。

 さて、源氏物語の主人公である光源氏の幼少期について、昨日から想いを巡らせていた。光源氏が3歳の時に、桐壷の更衣が亡くなるという事件があるが、それ以前については殆ど記載がない。

 ただ、状況から考えて、帝からも桐壷の更衣(母)は寵愛されていたから、極めて大切に育てられたに違いないと思う。当時の文化が良く分からないのだが、恐らく、泣いたら誰かがオムツの世話など、きちっとやられたと思う。

 この時期0歳から2歳は、エリクソンでいうと、人が希望をもって生きる原動力となる時代だそうである。基本的信頼が芽生え、反対の感情である不信感も芽生える。

 この記憶にない0歳から2歳ごろまでの時期。私もそうであったが、心理学を勉強しない限り余り興味がわかないものである。しかし興味を持ち、自分の短所や長所(倫理道徳で自分を責めるわけではないが)を考えるときなどに役にたつようだ。例えば、この落ち着きなさは何処から来たのだろうかとか、自他混合しやすいところはどこから来たのだろうかなど、考えていくと、この0歳から2歳のころは面白いようだ。

 幸い、母が健在であり、生まれてから2歳ごろまでの、生活や状況、ストレスをうむような事件などのことを教えてもらったりすると、何か納得できるところがある。成育史の影響は大きい。

 また、最近は自分史年表に関する、本やインターネットによる情報も沢山あり、私でいうと1951年から1953年の世相が簡単に判り参考になる。

 渋谷区の病院で生まれ、まだ日本に返還されていない羽田空港の近くに父母と住む。親戚の叔母さんが数か月同居したりしたそうである。何年か前に、機会がありその周辺に行ったが、当然ながら昔の記憶もないので、こんなところに住んでいたのかと想うだけであった。ただ、母から聞かされただけより良いかもしれない。

 自分とは何か、自分の感情はどんなものか、そんなことを考える時、視点を変えて0歳から2歳の記憶にない時期を探索すると楽しい。同じ年に生まれた人との交流も、同じ年代で同じ世相を経験した人であるので、どこか似ていて有益かもしれない。自分のこころの成り立ちは、自分だけの責任でもないことを知るきっかけにもなる。

<信頼と不信2/4>

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愛を感じることから始まる!

2008-10-29 | 第一章「意識と知覚」

 先日立川の昭和公園に行ったとき、夕方近くになると晴天だった天候も曇りがちになってきた。コスモスの花畑も、風が吹き、ちょっと暗雲が立ち込めてきたようであったが、強い茎に支えられたコスモスの花々は、寄り添いながらしっかり咲いていた。

 さて、男女、親子、師弟、友人、神仏などに、「私とあなた」という関係がある。そして、その中で大切にされているという本物の実感があれば、それだけで幸福なのだと思う。コスモスの花々と同様に、シンプルで強い。

 人間の基本的な感情は、不安感など暗い感情か安心感など明るい感情かと、問われたとき、生き甲斐の心理学では、基本は不安感と教えられる。ひとそれぞれの体験もあり、断言はできないが、私も不安感だと思う。

 一日のうち、仕事をしていれば、明るい感情も時にあるものの、大半は暗い感情が多いように思う。暗雲が垂れこめ、風が吹きまわっているのが日常なのかもしれない。

 ただ、見渡せば、、「私とあなた」の関係があり、帰っていくところがあるのだ。だからこそ生き永らえているのかもしれない。

 <愛の原型>という愛の感じ方の大きな問題が、基幹にあると思うが、ここでは信頼感と不信感を考えてみたい。

<信頼と不信1/4>

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意識と知覚!

2008-10-28 | 第一章「意識と知覚」

 朝目覚めて、素晴らしい天気であったので、昨日友人と高尾山に登った。月曜日の午前中にこのようなことができるのは、サラリーマン時代では考えられないことである。自然の中で、いつの間にか癒され、不思議に元気になっていく。

 朝から晩までの一日。五感や体感で感じ、かつての学習や経験で培った知性を通して知覚していく。テレビや新聞からの情報、家族との語らい、音楽や美術などの芸術もある。

 知覚した情報のうち、意識化されるのはどの程度だろうと考えてみる。暗い感情など、日常の中で意識化されないこともあるようだ。心理学など全く疎遠なサラリーマン時代などでは、不快な感情について深く思索することなど皆無であった。

 暗い感情はエリクソンの8つの人格形成論の中では、8つの分類に対応して次の基本的な感情があるようだ。不信感、恥辱・疑惑、罪悪感、劣等感、自己混乱感、孤立感、停滞感、絶望感。

 この章では、8つの基本的な暗い感情を日常の中で意識化し、それにより、より快適な生活に変える知恵について考えていきたい。

 最近一週間を振り返ると、いろいろな感情と出会っていることが判る。

 金融危機などの不安を煽る情報に触れての、自己混乱感、疑惑感。

 普段信頼している人(自分も含め)なのにちょっとしたことで出現した、不信感。

 大切な人を粗末にしてしまったことからくる、罪悪感。

 たいしたこともないのに、ちょっと疎遠になっている人から無視されたような寂しさを味わう、孤立感。

 人前で妙に委縮してしまう原因となった、劣等感。

 身体をはって何かに打ち込むこともなく、ダラダラとした、停滞感。

 不快なこうした感情を、積極的に意識化することで、自分がいつのまにか作った壁を破り、明るい感情に移行できることを、生き甲斐の心理学で学んできた。

 この章(30回)で、暗い感情を知覚・意識化し、明るくすることをじっくり考えてみたい。

<総論1/1>

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今日で2周目を完走、次は3周目!

2008-10-25 | 第十章「今ここでの恩寵」

 「イキイキと生きる」の章だての最後、「今ここでの恩寵」(第二周)を終えようとしています。昨年の12月8日から、約10か月で300の話題を取り上げたことになります。

 その間には個人的にも結構いろいろなことがあったように思います。仕事の変更、NPOの仕事も助成金が決定したりしました。家族や愛犬の変化もありました。その中で完走できたのは、恩師、同志、友人・知人、そして1951年の会の皆様の暖かい支えがあったからだと深く感謝しています。

 当初、2周目でさらに300の話題を書きつづけられるのだろうかと不安でしたが、完走できたのは「生き甲斐の心理学」(植村高雄著)のテキスト等をベースにし、成育史を深耕したためだと思います。恩師に深く感謝しています。

 来週月曜日から、新たに第三周めに突入させていただきます。

 皆さまに感謝しつつ

<あとがき1/1>

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