イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

ホンワカ気分・・・明るく逞しく生きる知恵(縄文時代の楽しみ方 7/10)

2020-04-30 | 第五章「和解と平和」

 いつもであれば、花粉が飛ばなくなるこのゴールデンウィークごろから外出を楽しむのだが、今は非常事態宣言下。好きな遺跡回りも控え、事態の好転を祈りつつ日々を送っている。

 ふと3.11のころを思い出す。命の危険すらあった原発の事故で感じることがあり、ガイガーカウンターを買って気になっている場所を調べたりしたこともあった。3.11から半年以上たった冬には、所属しているNPOの関係で津波の被災地に、U先生をはじめ何人かで訪問したことも思い出深かった。
 人生ただでさえ、いろいろなことに遭遇するが、今回の新型コロナウィルス感染症(COVID19)のようなことも起きる。身近なところで感染があれば狼狽えてしまうかもしれない。そんな時にも役に立つ知恵が、次のU先生のYouTube動画にある。どうぞご覧下さい。元気で生きる(4)人生の妙薬
 さて、U先生のこの動画には睡眠、歌と踊り、自己実現といったポイントが6つあったが、今日は、その中の「ホンワカ気分」について考えている。人は日々の中でも、あるいは苦難の中でも、五感・体感を通じて自分が大切にされているという実感が大切だと思う。ちょっとした美味しい食事、のんびりと風呂に入れたり、好きな本やテレビ番組を見たり、自分だけでなく、草木に水やりをしたり、ワンコに餌をあげたり、ちょっと人に気遣ったり、あるいは仏壇で手を合わせたり、静かな祈りの時を持ったり・・・そんなちょっとしたことで、こころがホンワカとなり、何かがピシッとなる。
 働き盛りの時に、先輩から緊急時に休日を返上したりし、それこそ月月火水木金金・・と働くことは避けたほうが良いと教えていただいたことがある。一日の中でホンワカ気分を味わうこともなく突き進むと、確かに何かがおかしくなっていく。今はそのように解釈している。
 
 さて、温故知新で祖先のことに想いを寄せてみよう。縄文時代の人はどのようにホンワカ気分になったのだろうか。縄文時代の村や家族の大事な食事(お袋の味)に使われた土器や灯火の燭台に使われたと思われる香炉型土器。かわいい土偶・・そういった目で見える遺物から想像できることもあるが、神話や伝承といった無形のものもある。この数週間、遺伝子科学を意識した世界神話学に興味をもちいろいろ調べている。例えば日本の神話や伝承は、長い祖先の記憶を反映し、いろいろな時に作られた神話や伝承の要素で形成されている。イザナミとイザナキの神話も、研究者によると、似たような神話・伝承は日本だけでなく、ポリネシア、フィリピン、ボルネオ、ヒマラヤ、シベリアまで広がり、最後は二人が離婚(決別)するところも同じだそうだ。まあ、祖先の日本列島に辿り着くまでの道のりに想いを寄せることになる。
 
 さて、世界的にも貴重な記紀や万葉集は、それまでのヤマトを中心とした地域の神話・伝承を編纂して7-8世紀に作られた。その時代は、文字の導入、律令制の導入、・・・つまり日本列島の中央部が国家を形成する時代だ。そして、その時代の中心人物の一人として女帝・持統天皇がいらっしゃる。私は縄文文化にこの6-7年熱中しているが、7-8世紀については高校生のころから興味を持つようになり、それからずっと奈良や飛鳥をよく訪れ、今では第二か第三かの故郷のようにさえ感じている。
 持統天皇といえば万葉集の「春過ぎて 夏来るらし 白栲の 衣乾したり 天の香具山」が断然有名であるが、夫である天武天皇が亡くなったときの歌は私がもっとも好きなものだ。一番好きな長歌(巻2-162)は省略させて頂くが、短歌を二つを見てみたい。
 「燃ゆる火も 取りて包みて 袋には 入ると言はずや 面智男雲」(巻2-160)
 「北山に たなびく雲の 青雲の 星離り行き 月も離りて」(巻2-161)

  縄文時代の勉強をする前は、解説書の一通りの説明を見ても何だかよく分からない(特に1番目)という印象であったが、縄文時代のことを学んだせいか、こうした歌で、縄文的なイメージが喚起される。有名な「春過ぎて・・」には衣が登場するが、研究者の中には羽衣伝説(世界的に有名な神話)との関係に言及する方がいらした。そこで、同じように神話という観点で,この二つの短歌を味わってみたい。

 「燃ゆる火も・・」の歌は香炉型土器を彷彿すさせる。以前のブログでお話したが、イザナミが火の神カグツチを産み、身体を焼かれ黄泉の国に旅立つ。そうしたイザナミとカグツチの神話をランプとして使われたであろう香炉型土器を見ると感じてしまう。いろいろな香炉型土器があるが優しい女神の腹部あたりに火を点したと思われるものもある。もしもそうだとすると、持統天皇はどのようなイザナミ・イザナキの神話をイメージしたのだろう。記紀に収録された物語だったのだろうか?一般に世界のイザナミ・イザナキ型の神話は洪水で兄妹のみ生き残り、タブーの結婚をし試行錯誤しつつ子を産み、やがてイザナミ(女神)が黄泉の国に行き黄泉の国を支配するようになり、夫と離婚する。そんなパターンだ。日本の神話・伝承には洪水と兄妹の話の前段が残っているものがあるが、記紀では省かれている。長崎の隠れキリシタンが残した「天地始之事」は前段をのこした話がベースであるとしている学者もいらっしゃる。持統天皇の父・天智天皇と兄妹関係にある間人皇女の関係は小説家が特に興味を持ちそうなところで、ひょっとしたら当時の人ははっきり言わないまでも皆が知っているような事実だったのかもしれない。夫の死、厳しい政治状況、こうした中で持統天皇は何かを昇華していったのではないだろうか。
 「北山に・・」・・この何気ない歌は、月や星、そしてどこかで太陽を歌っているようであり、何万年前という人類の非常に古い神話(太陽、月、星に関する)でアボリジニやインドネシア、アフリカにまで伝わっているそうである。持統天皇は自分の深奥の魂の物語に触れて、こころをホンワカとさせたのではないだろうか。妄想は尽きない・・・縄文小説が一段落したら持統天皇について小説も書きたいところだ。

 さて、この二つの歌を歌ったころの持統天皇といえば、それは私たちが今おかれている不安以上の時代に生きていたのだと思う。5-6年前には自らが大病を患い夫により薬師寺が建立されたりした。

 2年前には南海トラフが動く大地震があり四国を中心に大きな被災があった。政治的にも大津皇子等が力を持つようになり、既に何が起こっても不思議でない疑心暗鬼の時代にと突入している、夫も恐らく結核で亡くなり、一人息子の期待の星、草壁皇子も病魔が押し寄せている。持統天皇が置かれた立場は四面楚歌で命ですら風前の灯火であった。

 この二つの短歌を作った持統天皇。緊張の中に何か熱い想いやホンワカ気分を感じていたのではないだろうか。そして、天武天皇が亡くなって電光石火のごとく息子の草壁皇子の政敵・大津皇子を排除する。そして、次々と的確な判断のもとで同志でもあった夫との意思も次ぎ律令国家成立と自らの蘇我氏の血の政権への確保を目指していく。まあ、妄想はそのくらいにして、話を戻そう。

 「ホンワカ気分」。乳幼児のころ母により産湯につかったように入浴してリラックスする。家族で食卓を囲みお互いを気遣かっての食事。庭先で夕空の月を家族で眺めたり。祖父母から昔話(神話)を聴いたり・・・そんな愛の原型に触れるような行動は人を元気にする。ホンワカ気分について意識することは、ギスギスしたときこそ必要なことではないだろうか?

 ところで持統天皇は、自らの政権を確立すると、よく吉野を訪れた(31回とも)。そこで謀議をしたとかいろいろ推測されているが、縄文的な吉野(宮滝からは神山・青か峰が見える)で祈りの日々を送っていたと個人的には想像している。そして、そこでホンワカ気分を味わっていたのかもしれない。

 

次の書籍を参考にしました。また私の前々回のブログとも関係します。そのブログはこちら
「世界神話学入門」後藤明著 講談社現代新書 2017年 
「古事記 環太平洋の日本神話」勉誠出版 2012年

縄文時代の楽しみ方 7/10 

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こんな時こそ思い出すといい幸福のこと!(縄文時代の楽しみ方 6/10) 

2020-04-24 | 第五章「和解と平和」

 社会人になって関西に単身赴任して営業の仕事に就いた。関西弁もできず、営業など初めて、しかも歴史のある商いの本場で・・・そんな私に周りの先輩や上司が心配して、時々心のこもったアドバイスをしていただいた。「嫌なことがあったときは、ビフテキとか豪華な食事するのがいい」。「定期的に遠くの顧客を訪問して旅を楽しむのがいい」。「美味しい食事を出してくれる店を自分のために探してから営業をする」。

 「生き甲斐の心理学」を学んでいる私だが、あらためてこのアドバイスは貴重だったと思う。人と接する職業では(どんな職業でもそうかもしれないが)、感情の理解がとても大事。仕事の中で問題がおこると、感情は:不安->怒り->身体症状(胃を壊す、眠れなくなる等)->ウツ->錯乱 と酷い状態に変わっていくものだ。この中で、身体症状になる前でなんとか踏みこたえる力があれば良いのだが。そして、今のCOVID19(新型コロナウィルス2019)の非常時でも大事なことだと思う。

 U先生の「生き甲斐の心理学」で学んで目からうろこの知恵の一つに、二つの幸福を意識するということがある。

 一つは幸福の条件。若い私だったら、営業の仕事で売り上げの目標などの達成、あるいは上司から与えられた課題などは、それに近いかもしれない。将来XXになるためにXX学校に入学する。XXの人と結婚する。XXの仕事に就く。年収XXを目指す。これは生臭い条件かもしれないが、もっと人生の目標といった高邁な条件を考える場合もあると思う。年をとって幸福の条件をある程度達成してきたので、もういいと思う高齢者の方も多いかもしれないが、一日一日を大切にし、世のため人のためにXXをするんだ。とお聴きしたりすると。幸福の条件は尽きることがなく、この張り合いが人生を豊かにしてくれのだと思うようになる。

 そして、もう一つの幸福は幸福感という感情の世界だ。ふつう、私もそうだったが幸福といったとき幸福の条件しか意識しない人も多い。しかし、人生を歩んで行くと、XXを達成しても何か虚しい。達成しないとさらに惨め。そんな経験を積んでいく(笑)。幸福の条件は人生を歩む上で大切とは思うが、どうもそれだけが人生ではないと思うようになる。幸福の条件と幸福感の世界は繋がっているようで繋がっていないのかもしれない。

 先の例で、先輩や上司にアドバイスしていただいた美味しい食事は、味覚を含む五感体感から繋がる幸福感の世界で、大事な知恵だと思う。しかし、いつもご馳走を食べられる訳でも無いので、ほかの知恵も必要だ。縄文時代、あるいはもっと昔の旧石器時代から私たちの祖先が行ってきたと思える、歌と踊りも馬鹿にできない活力を生む。U先生からも脳科学者の知恵ということで教えていただき私も何度も試しているが。踊りは太極拳を学ぶことで半分日課としている。歌はカラオケは暗い歌が多くて余り好きになれないが、教会で聖歌を歌ったりするのは好きだ。楽しみも真善美を意識すると何か違うようにも思う。
 ZOOM会議(ビデオ電話会議)では、ZOOM飲み会なども最近話題になっているが、それより歌をうたったり踊りを楽しむのはどうだろうか?私も先日仲間とZOOMで歌って元気を頂いた。こんなYouTubeは何とも元気になる。(こちら)。祖先達も草葉の陰で微笑むかもしれない。

 感情の知識としてもう一つ大事なのは、暗い感情と明るい感情は背中合わせということがある。怒りの裏には友好的感情、ウツ感情の反対に幸福感。錯乱の反対に統御感。こうした感情の不思議さに気づいたりすると、世の中が違って見えてくるものだ。そして、暗い感情をどのように明るい感情にするのかを意識していると、人生いろいろな発見がある。人生の中での様々な記憶。それは心が躍る成功体験もあるかもしれないが、残念な記憶とか感情も湧かないような記憶、さらに嫌で思い出したくもない記憶がある。ただ、そういう記憶も、例えば30才の時の嫌な思い出を50才になって人生経験が豊かになった時点で振り返ると、豪華な人生という料理をつくるための重要なスパイスだったかな思えるようになったりする。記憶を癒やすというのは重要なことだと思う。そして、記憶を癒やすために「生き甲斐の心理学」は役に立つと思う。

 こうして、幸福の条件、幸福感という二つの幸福を意識すると、漠然と幸福を考えるよりは、具体的に幸福に近づいて行けるように思う。

 さて、この2-3日、テレビを見ていると自粛ブームの中で、どのように過ごすかが大きな問題になっているように感じる。外出も極力控えるということではあるが、気分転換の外出はゆるされるとされている。しかし最近の報道ではグレーエリアのようで、危険を冒して遠くのパチンコ屋さんに行くのは論外としても、ジョギングや家族ずれでごった返す公園での過ごし方も、いろいろ言われている。そこで、私の過ごし方を一つの参考として、このブログに書かせていただく。

 この時期私は、自分の意識を解放するために歴史(私の場合は縄文だが)を学びつつ、早朝の公園に一人で出かけ楽しんでいる。どのようにするかというと、まずは東京都教育委員会のホームページ(こちら)を出す。そして右下の「内容で探す」の中の「生涯学習・文化財」をクリック。次に三番目の大項目「文化財」の中の「都内の文化財情報」をクリック。次に「遺跡地図情報」をクリックすると都内の遺跡地図情報にアクセスできる。自分の馴染みの地域(公園など)をこの地図で確認すると、近くの遺跡の概要が分かる。

 この遺跡地図を知ってからは、有名ではないかもしれないが身近な遺跡を見つけ訪れる喜びに目覚めた。そして、昨日は多摩地区ではどこにでも在りそうな公園を早朝散策した。

   

 周辺には、昭和の後半に遺跡が発見された。大栗川沿いにあるちょっとした尾根道だったと思われるこの場所には、分かっているだけでも8000年前の縄文早期の住居跡が3件、次に4000年~3500年くらい前の縄文後期の土器や柱跡。さらに平安時代にお寺の尼さんと思われるお墓まで。

 COVID19でちょっと憂鬱な私が散歩する小道を、8000年前の住人、3500年前の人々、平安時代の僧侶が歩いたのかなと想像。もちろん、何か生活を背負い。そして、今私が味わっているようなCOVID19で空気が澄んだ自然の中の平安感を、当時の人達も同じように味わっているかもしれない。そんな風に想像するとなんとも言えない幸福感がやってくる。孤独は辛いけど静けさは遙かな祖先達さえ誘うようだ。

U先生の次の二つのYouTubeを参考にしました。ありがとうございます。二つの幸福 人生の妙薬

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身を切るような孤独ではなく静まり! (縄文時代の楽しみ方 5/10)

2020-04-17 | 第四章「愛とゆるし」

 Stay Home ! を実行できる私は恵まれているな・・と思います。仕事の関係や身内の世話などで3密の中にも行かざるを得ない方々を思ったり、医療関係者や介護現場の皆様のご苦労を思うと身が引き締まります。私も短期間でしたが、福祉の世界に身を置いたことがあり、リスクの中での激務をされる方々に頭が下がります。

 さて、Stay Home !の私ですが、退屈かというと、時には不思議な出会いに喜び興奮していることすらありました。「世界神話学入門」(後藤明著 講談社現代新書 2017年)という本との出会いがその一つです。出会いは人とだけではないとつくずく思います。そういえばニュートンがリンゴを落ちるのを見て万有引力の法則に気づくのもペスト蔓延下でStay Homeをしていたときのようです(ニュートンと比較するのもおこがましいですが)。

 こうしたネガティブな非常時でさえも、後から考えると大きな恵みが潜んでいたなあと思えることがあるのではないでしょうか。もちろん、渦中にいるときは気づきにくいのですが。今の政権もどうしたわけか経済に固執しすぎて混乱しているように思うのですが、今ここ、に焦点を当てると経済という意味でも意外なチャンスがあるようではないでしょうか。昨日は午前中に老人ホームにいる母とZoom(テレビ会議)を通して会うことができました。私もかつてIT業界で30年近く働かせていただきましたが、その恩恵にこのような形で出会うとは想像もしていませんでした。
 おそらく、Remote Workはいろいろな形でPOST-COVID19(Corona Virus Desease 2019)を牽引していくのではないでしょうか。食料の自給率の低さに危機感を感じたり、自然災害の背後にある森の疲弊(間伐の問題など)に想いを寄せたり、そういった過度な消費社会の中で殆ど顧みなかった世界への扉を開くチャンスがあるのかもしれません。医療や介護、教育、宗教といった人との関わりが大切な活動も、インターネット等の技術革新で大きく変わる可能性を秘めているのではないでしょうか。
 Stay Homeの現実を無為なコストと考えるか希望と考えるか・・・解釈のしかたで世界が変わるかもしれません。

 少し脱線してしまいましたが、「世界神話学入門」に戻りましょう。実はこの本は米国のMichael Witzel という比較神話学者の学説の紹介という側面があるのですが、これこそ私が最近求めていたもののようでした。私は縄文小説を2017年に書くにあたり、縄文時代の精神文化をいろいろ思索しました。故梅原猛先生や中沢新一先生、故ネリー・ナウマンさん、ジャン・ボテロさんなど貴重なアイデアを与えてくれました。しかし、日本神話や伝承などの日本の古層の精神文化の理解は断片的で縄文中期はともかく、縄文後期など難しい時代になると筆が止まってしまいました。

 そんな中、ギリシャ神話やフィンランド神話などの一部に・・・細かいところは文化の差か違うのですが、意味するところが、日本の神話の一部にそっくりであることに気づいたのです。比較言語学などが祖語をもとめていろいろ研究成果を上げてしているように、神話に関しても、時系列的な視点や地理的な視点をもった研究があればなと思っていたところでした。

 それが、私が知らないところであったのです(不勉強でした)。日本を含めた世界の神話研究に遺伝子研究の成果を取り入れ、世界の神話を縄文時代、古代といった限られた時代や場所だけでなく、ホモサピエンスの20万年の歴史と地域を視野にいれた、人類のアフリカからの拡散経路を視野にいれた研究が既にに行われ、日本にも紹介されていたのでした。日本神話は他の地域の神話と比べると一級資料のようで(かつてはいろいろ揶揄された時代がありました)、いろいろ世界的に取り上げられているようです。7-8世紀ごろの政治状況の中で記紀が編纂されてきたという偏りや失われた記憶もあり、例えば月の神の話が余り収録されてなかったり、世界では常識の洪水伝説が乏しかったり(海幸山幸の話に少しあります)、原罪的な話が欠落しているようだったり(イザナミ、イザナギの話の前段)で物足りなく感じていました。しかし、こうした研究により一挙に解決というわけではありませんが、世界の神話で補完することで、縄文時代の精神文化がよりあぶり出される希望をもつことができました。

 さて、この数日。私は日本神話でも世界の神話にも必ず出てくる、太陽と月、そして背後にある地球のことを考え続けていました。U先生の「生き甲斐の心理学」では時々、太陽、月、地球の関係について思索することがあります。これは天文学というより関係性の問題としてです。人間関係でも良いし、組織や社会との関係、あるいは今問題になっているCOVID19といった問題との関係でもよいかもしれません。どのように関係を考えるか。太陽も月もホモサピエンスにとっては狩猟・漁労・栽培・農業・と言った生業上でも重要な対象(暦など)であり、当時の人々もそれを充分知り尽くしていたのだと思います。そして、この3者の関係の上に、生きる上での大事なことを託して神話として伝えてきたのではないでしょうか。

 例えば、私ーCOVID19ー自然 という関係を取り上げてみましょう。それは、地球ー太陽ー月 のような関係があり、この数ヶ月の中では私がCOVID19の情報という太陽に飲まれるような時がありました。太陽に近づきすぎて高温で羽が溶けたギリシャ神話のイカロスやパエトンの墜落になるところでした。

 40億年とかの期間、太陽、月、地球の関係は隕石がぶつかったりで不安定な時期があったかもしれませんが、概ね一定の関係を保ちつつ静かに関係性を保ってきたのではないでしょうか。月が地球を廻る時にごろごろと音をたてるわけでもなく、正確な時を刻み、静かに時を人類に告げる。あるいは大潮の時に海亀が浜に上がってきたりで、幸を与えてくれる。月は身を切るような孤独ではなく優しい静寂の象徴のように思えます。

 私が太陽に飲み込まれそうになった時。そうした時はいつだったか。COVID19は別として思い当たることが2-3ありました。特に青春時代はどうだったでしょう。過去に囚われ、未来に囚われ、今となっては無意味と感じる他者との比較やメンツ・・・、そして、心配してくれる人の大事な忠告に耳を傾けず、バランスを崩していく。今ここの自分の中の静寂に戻ればよかったのに・・。

 人は人生の中であることに不安を感じ、さらに怒りとして高まり、体調もおかしくなり、やがてウツ、錯乱に陥っていきます。そんな世界に入り込んでいきます。しかし、こうしたことは現代の私たちの専売特許ではなく、10.000年以上つづいた縄文時代を考えても在ったように思います。そんなとき、私たちの祖先はどのように乗り越えていったのでしょうか。多分、それは個人だけではなく社会のノウハウとして伝承されてきなのではないでしょうか。

 日本の精神文化を表す言葉の一つに「汚れと禊ぎ」というものがあります。私たちの青春時代を思うと、特に高校から大学にかけて高校・大学紛争の時代でしたが、自殺した人のことを思い出します。その心情を思うとき、U先生からお聴きしたことでもありますが、この汚れという概念に思い当たります。中原中也の「汚れちまった悲しみ」という詩がありますが、死を夢想するに至る汚れという概念がいろいろ人を苦しめ、時に鬱状態を引き起こし死をもたらしたのではないかと思うのです。しかしながら、記紀には、汚れを禊ぎして落とし、再生の人生を歩むという有名な話があります。おそらく、私たちの文化的DNAの中には縄文時代にもあったかもしれない死と再生(汚れと禊ぎ)の物語が着実に受け継がれてきたのではないかと思うのです。既にご存じのかたが多いと思いますが、古事記の有名な物語を思い出してみましょう。

 イザナミ(女神)とイザナキ(男神)が出会い柱の周りを回って結婚し、イザナミは日本の国土を産んだり、様々な神々を産みますが、最後に火の神(カグツチ)を産んだために命を落としてしまい黄泉の国に旅立ちます。夫のイザナキはイザナミを愛する余り、黄泉の国まででかけてイザナミを連れて戻ろうとするのですが(このところはギリシャ神話のオルフェウスの話に酷似してます)、イザナミとの約束を破ったこともあり怒りにあい一人地上に戻ることになります。その後、黄泉の国の汚れを落とすためにイザナキは川で禊ぎをします。男神一人で様々で衣服を脱ぐなどで神々を生み、丸裸となっての禊ぎで左目からアマテラス(太陽)と右目からツキヨミ(月)、そして鼻からスサノオ(海の神)を産みます。その後、左目のアマテラスに自分の座を引き継ぎイザナキはさります。
 イザナキ(男神)が太陽と月を産むわけですが、この話が縄文時代に何らかの形で残っているのではないかと探してみました。縄文土偶や土器の中にそれらしいものがあるかどうか?

 太陽と月がこの世に生まれる物語は実は日本のイザナキの神話だけでなく世界各地にあります。似た話としても、中南米ではコヨーテと鷲の話の中で太陽と月を入れた箱を開けるといった楽しい神話もあるようです。なんとアフリカにもあるそうです。日本では記紀に現れている物語があるのですが、土偶や土器について思い出してみたところ、長野県富士見町の井戸尻考古館の神像筒型土器が浮かびました。昨年に訪れ親切に解説していただいたものでした。この土器は2018年の東京国立博物館の縄文展にも出品され、その美しさで多くの人を魅了しました。動画がYouTubeにあるのでどうぞこちらをごらんください。土器や土偶の図像を解釈する研究の存在は30歳台から知っていて、私が縄文時代に興味をもつきっかけだったかもしれません。とても魅力的で、井戸尻考古館の「井戸尻」という小冊子からいろいろ学ばさせて頂いたことに感謝しています。この神像の土器の上から覗くと、確かに肩のあたりが球状に二つほどへこんでおり、これが神像が肩のあたりに月と太陽?のふたつの天体を隠し持っているのだという説とつながります。この神像は私の妄想にすぎないのかも知れませんが、日本神話でいうとイザナキに対応しているのではないでしょうか。

 縄文時代も今と同じように、人間の社会ですから様々な悩みがあったと思います。不信感・疑惑感に苛まれること、罪悪感や愛の孤独でウツになること、劣等感で惨めになること・・・そんなときの禊ぎと再生。それはどのようだったのでしょうか?中央高地の神像を見ながら、その静寂に浸ります。

 「孤独は苦しいものですが、静まりは平安に満ちています。孤独ゆへに私たちは他の人にしがみついてしまいますが、静まりは他の人々をそれぞれかけがえのないものとして尊重し、共同体を生み出します。」ヘンリ・ナウエン著 「今日のパン、明日の糧」(日本キリスト教団出版局 43P)

文中掲示以外の参考資料:
「井戸尻 第9集」 井戸尻考古館 2019年
植村高雄先生のYouTube.

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悲しみと喜びが出会う聖地、東京のストーンサークル (縄文時代の楽しみ方 4/10)

2020-04-10 | 第五章「和解と平和」

 「今泣いたカラスがもう笑った」。子供の感情の変化を表す言葉であるが、どうも子供だけでなく万人に当てはまるところがあるようだ。U先生の「生き甲斐の心理学」を学んで驚いたことの一つに、明るい感情と暗い感情の表裏の関係がある。親しい関係など、憎しみあっていたと思うと友好的感情になったりする。夫婦喧嘩は犬も食わないといわれるのがその一例かもしれない。

 さて、政府による緊急事態宣言が出され、慣れ親しんだ普通の生活が大きく変わってきているようだ。私を含めた国民の殆どがこの事態に巻き込まれ、濃淡はあるものの不安と隣り合わせでいる。しかし、未知の感染症ということではないが、私たちはそれに類した感情生活を個人的にはすでに体験している方も少なくないようで、意外に落ち着いている人も多い。

 大切にしていた人の突然の死。想像もしていなかったことにいつのまにか巻き込まれてしまう。まさか・・・。そして、当初は感情がついてこないが、そのうちに深い悲しみや激しい怒りが湧き起こってくる。やがて、そうした深い悲しみを乗り越える時がやってくる。年をとるに従って、そうした経験は少なくない人が経験するようで、以前、還暦を祝うクラス会で語り合ったときに、互いの年輪に頷くところが大きかった。悲しみを乗り越える。そこには、深い感情と人間の変化の神秘が隠されているようだった。
 
 自戒をもって言えば、大変なことが起これば、本来は激しい感情の渦に巻き込まれる。ただ、私たちを守ろうとするこころの仕組み(防衛機制)もあり、それにより私たちは、どこかに歪みを持ちつつも、何もなかったかのように抑圧したり、逃避したり、合理化したりして生活を送ることができる。しかし、問題を受容し、それを生命体として解決していかなければ、本当の喜びとは無縁でありつづける。冬の無い春は年輪とはならない。

 湧き起こる感情に向き合い、感情と対話する。それはAさんのことであったとしても、感情は自分の感情であり、それと向き合うことは当たり前だが自分と向き合うことになる。そして、大きな悲しみや怒りの蔭に。生まれたての雛のような温かいものがあることに気づいたとき。激しい怒りのうちに、Aさんへ柔らかい想いがあったり、自分の感情の息づかいがあったりする。自分の中の神秘?といったら良いのか、そういうなかで新しい何かが始まる。

 ところで、冒頭の写真であるが、東京の小さなストーンサークルである田端遺跡から冬至の入り日を撮ったものである(2018年に冬至の日ではなかったが、ほぼ同じ位置に入り日が落ちる2-3日前)。太陽が最も南に寄り、一日が一番短くなる冬至。その日を境に太陽動きは反転し少しずつ北に寄り出し、日が長くなっていく。そのまさに冬至に見晴らしの良い田端遺跡から、江ノ島に下る境川を越えた丹沢山系の最高峰である蛭ケ岳に日が落ちる。蛭ケ岳は神奈備型で縄文人が愛する山容である。
  

 このストーンサークル(環状積石遺構)は楕円形で長径9m、短径7mと小さく、大湯遺跡などをはじめとする縄文後期の巨大なストーンサークルと比べると見劣りがする。しかし、調べてみると縄文中期の環状集落と同じような構造を持っていて、北側のグループ(小グループの積石が3つ)と南側のグループ(小グループが3つ)のといった構造をもち、さらに、この環状積石遺構ができる前にはいくつかのお墓(土壙墓、周石墓)がつくられており、さらにその前は整地造成されたために消えてしまった縄文中期の集落があった。
 父系制でも母系制でもなく双系制。環状が大きな意味を持つ精神生活。もちろん、土偶や石棒など祭儀に使ったと思われる遺物も沢山出ていて聖地であることは間違いがない。

 
 この写真は、日本で最大のストーンサークルといわれる東北の大湯遺跡の日時計(レプリカ)である。日時計といわれるだけあって、中心の立石を中心に東西南北の方向に正確に目印の石があったり、また巨大な二つのストーンサークルの中心を結ぶ線上にこの日時計が位置されており、夏至の日没地点が重なる。
 世の中には原始時代には暦などあるはずがないとする思う方も多いと思うが(かつての私もそうだった)。多様な食物に依存していた縄文時代の人にとって、正確な暦は今以上に生きるために必要だったと思うし、旧石器時代においても、狩猟をするためにも動物の動きを知るための暦は大事だった思う。最近は考古天文学という分野があり、日本の岐阜県の金山巨石群などが研究され、嘘か本当か閏年まできちっと観測できるようになっているようだった。


 
 こうしたストーンサークルは3500年前とか4000年前といった時期に東日本で作られることが多く、私も機会があれば出向いて見学させていただいた。宗教的な意味があったと思うほか、暦に関係しているなと思うことも多かった。ただ、こうした遺構ができた背景や目的は、よく分からないとする科学的知見に基づいた考古学者のご意見も良く耳にするが、私は今の自分たちの行動や心のありようを鑑みればかなり正確に当時の人の思いが分かるように感じている。
 膨大な河原から大量の石を持ってきたりする作業を村全体で行ったり、土地の造成作業も当然あったりする。これは、明らかに強い意志が働き、目的志向が強くなければなせない。人間の欲望といえば食欲とか性欲は有名だが、もう一つ神仏を求める欲望というのがある。
 人が死者を埋葬したりすることは何万年か前から行われている。魂とか神を信じるからこそ遺体を大事にする行為である。有史以来、私たちの祖先も国民総動員的に巨大な大仏をつくったり、世界に冠たる前方後円墳をつくったりしている。これは気まぐれかというと、そうでは無いと思う。さらに、海外と比べて宗教心に乏しいといわれる私たちであるが、盆(夏至)や正月(冬至)に帰省し一族で集まり参拝したり、春分や秋分には墓参りに行く。遺伝子科学の進歩のお蔭で、現世人類はアフリカに20万年位前に生まれ、5万年~10万年前にアフリカを旅立ち世界に散らばったというのが定説になった。そんなことから諸外国の実情も意識すると、例えば、クリスマスは冬至と強い関係があり、キリスト教の復活祭やユダヤ教の過越は春分と強い関係があるなど、二至二分と宗教の強い関係は決して日本だけでないことがわかる。

 閑話休題。
 なぜ縄文後期にこのようなストーンサークルが多く作られたか。識者は寒冷化等により食糧難があったのではないかとよく言われる。確かにそうだが、その後の大きな社会の変化を考えると。大きな自然災害があったり、今回のような伝染病の蔓延するというような事件をきっかけ、何かが怒濤のごとく変わっていったのかもしれない。そして、元に戻れないような時代のうねりと共に、縄文中期に精神的に回帰するようなストーンサークル作りが始まる。川から膨大な量の石を運ぶ大事業で、時に何世代にもわたっての建設され、祭りを行う聖地として500年とか700年という期間、その聖地は維持されていく。
 
 時代の流れは不可逆的であると今回のCOVID-19(新型コロナウィルス感染症)の出来事の中で思う。私が学生の時に話題になったカタストロフィーの理論のように、地球の反対側の蝶の羽ばたきによる微風により巨大台風が起こったように思う。現在のCOVID-19が中国のある地方から何かのきっかけ始まり、それが世界を揺るがす大事件になる。古代の縄文中期末から後期に日本列島を襲った大変化(例えば、中部高原や関東の主要村落の解体とも思えるような離散の状況)もそれに似ているのかもしれない。
 
 COVID-19が大きな問題となったのも、それを用意する様々な積み重ねがあったからだと思う。温暖化、環境問題、格差社会、科学技術の一般化・・・そんな中、様々な問題が発生しても、自戒をこめて思うが、問題に寄り添い何かを聴こうとしていたのだろうかと。もっと早く手を打てば良かったと私たちはよく言う。あるいは、反対にこの期に及んで無関心を押し通すこともあった。それは個人が本来の悲しみや怒りから眼を反らし、偽の喜びというかニンジンに現を抜かしている姿に酷似しているのではないだろうか。

 縄文中期末から後期の社会。やはり大きな変化があったに違いない。今と同じように社会の構造が固く制度疲労が進んでいたのかもしれない。矛盾を矛盾と感じる柔らかな生命が傷つけられる時代だったのかもしれない。それが、何かの事件をきっかけに崩壊する。

 春分、夏至、秋分、冬至。この二至二分は最も安定した地球と太陽を巡るダイアモンドのように硬質な法則の中で、もっとも柔らかで傷つき易い、人間臭い時かもしれない。冬から春へ、夏から秋へ、多くの生き物が生まれる季節、収穫の季節・・それは感情の変曲点といっても良いかもしれない。私たちの祖先は蛭ケ岳に落ちる入り日をみながら、何かのピークアウトを感じたのだろう。そして、自然と共に何かの気配を感じたのだろう。ピーアウトの瞬間は悲しみと喜びが一致する瞬間。悲しみの意味が腑に落ち、新たな希望の喜びに身を震わせる瞬間かもしれない。

今回は次を参照しました。

安孫子昭二著 「東京の縄文学」之潮 2015年 
植村高雄先生のYouTube. 
ヘンリ・ナウエン著 「今日のパン、明日の糧」2019年 日本キリスト教出版局 27P

縄文時代の楽しみ方 4/10 

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今の騒動と4400年前の騒動(縄文時代の楽しみ方 3/10 )

2020-04-03 | 第五章「和解と平和」

  先日、京王相模原線の多摩境駅周辺を散策した。いつもは近くのストーンサークル・田端遺跡が多いのだが、その近くの粘土採掘場の多摩ニュータウンNo.248遺跡と多摩境駅東側のNo.939遺跡である。

  写真は、土器につかう粘土の採掘地として縄文中期に栄えた場所で、斜面の上方尾根緑道(戦車道路)から撮ったものだ。写真の奥の建物の向こうには、田端遺跡や土器づくりの村・No.245があり、江ノ島に向かう境川が見えた筈だ。私は土を掘る真似をしているが、当時の道具は石器装着の道具ではなく、固い木の棒だと推定されている。ここでは良質の粘土が採れ、南の境川周辺の村々などに1000年くらいにわたって提供していたのだろう。因みに拙書「縄文小説 森と海と月 5000年前の愛と魂」ではNo.245が登場しサトやウタリなどが活躍する。

 こうした活況を呈していた関東から中部高原の縄文中期の世界(富士眉月弧文化圏)は、4300年くらい前に大きく変貌を遂げ、この地域に住む人は激減する。この変貌の原因は、気候の冷涼化とかいろいろ言われているが、ある研究者は、この時期あたりから住人の使用していた言語も変わってしまったのではないかと問いかけている。従来は今のアイヌ語に近い言語だったが、弥生時代のだいぶ前に日本語に近い言語を話すようになったのではないかとしている。言語が変わるというと、戦争などでの支配を想像する人が多いが、新しい言語を話す人がいっしょに伝染病を持ち込んで、先住民が壊滅的打撃を受け、言語も変るというシナリオなども考えられるのだ。弥生時代には結核が持ち込まれたというのは遺骨の研究から分かっているが、それ以前の中期末から後期にも何かがあっても不思議ではない。日本語はご存じの通り、沖縄・南西諸島から日本列島の北を除く大和の地で話されていた。一方最近の遺伝子研究からは列島の北と南により縄文人の遺伝子が保存されていることから、弥生時代に大陸から移民が来たことによる二重構造モデルがほぼ証明されている。

  
 多摩境の駅は谷の中にあるが、東側の谷の下に札次神社がある。なかなか趣のある神社であり、ひっそりとして桜が綺麗であった。私は縄文遺跡の側にある祠や神社に良く立ち寄る。相模の岡田遺跡の近くの寒川神社。この地域には大きな神社は無いが、蛭ケ岳(丹沢最高峰)に冬至の入り日が落ちるのを眺められる位置を考えると、府中の大国魂神社も関係があるかもしれない。

   

 札次神社から長い階段を登り、駅の東側の台地に上がると公園になっている。そこがNo. 939遺跡の場所でやや狭い中央広場を持った環状集落が縄文中期後半にあったようだ。その時代は多摩丘陵を中心として、連弧文土器や背面人体土偶といった独自の文化が見え隠れした時期だった。中央高地方面の曾利式土器、東関東から始まった加曽利E型土器、そして多摩独自の連弧文土器とその影響下の背面人体紋土偶もこの939遺跡からでてくる。

 今でも、八王子や町田は東京の郊外と簡単に言えない複雑な顔を見せている。横浜線が典型的だが神奈川県との密接な歴史的関係があるのだ。そして、山梨県・中央高地にも近く、人の行き来も馬鹿にできない。それは、縄文時代でも似ていて、この小宇宙のような村は、山梨の出先機関があったのではないかと思えるような土器や土偶が発見されている。もちろん千葉の加曽利貝塚の影響で命名された東関東を代表する加曽利E型の土器も沢山でてきていて、当時の複雑なアイデンティティのありようを物語っている。特に4400年前ころは多摩丘陵などを含む地域で連弧文土器といった独自のブランドもでてくるが、時代の流れの中で加曽利E型に収束していく。もちろん縄文時代は土器だけの文化ではなく木工文化や食文化などの隠れた部分も実は大きいと思うが、今と同じような時代のうねりの中でアイデンティティを模索し変化していく様子が垣間見られる。恐らく、変化の中で祖先達は主張しあったり、喧嘩をしたり、妥協をしたりして、生き抜いてきたのだろう。

 ところで、昨今の新型コロナウィルス問題。朝から晩までマスコミやSNSを通じてさまざまな情報が駆け巡っている。特に今回は世界中が同じ問題に向き合うということで、壮大な比較文化、比較宗教の研究対象のような側面もあるようだ。あることが起こっても、人により解釈が全く違う。深層心理学では「自分以外の他人は驚きの対象」というが、本当にそうなのだろう。生まれ育った文化の違いで人は全く違う解釈をするものだ。それが本当の姿だと思う。
 しかし、心優しい私を含めた多くの人は、自分の解釈が結構普遍的なものと思い込むことが多い。そして、相手に同意を求める。しかし、生育史によってさまざまなので微妙に違ったりするものである。それがストレスとなり、やがて自己肯定・他者否定のスタンスが拡大し刺々しさが増す。人と人との間を2m開けよ。マスクをせよ。布製マスクは粗いのでキッチンタオルを挟め.飛沫感染を防ぐという意味では同じかもしれないが文化により随分解釈が違うものである。海外の報道を見ていると多様な解釈の意味がよく分かる。生育史が異なるので当然なのだが。そして、いつの間にか感謝をする余裕を失い、非難しあったりする。あるいは、マスクをして2m開けよといった新しい解釈が何となく生まれて来たりする。
 U先生の生き甲斐の心理学で学んできて役立っていることの一つは、自己肯定・他者肯定の自然体のスタンスを思い出しなさいということがある。それは、自分のこころの歪みを是正し自由にしてくれる。自己肯定・他者肯定の自然体のスタンスを思い出す簡単な自問自答の一つは感謝を思い出すことかもしれない。マスク2枚でも何だこれだけかと解釈するか、2枚も頂いて有難いと解釈するか。感謝の方向にベクトルを持つと今まで見えなかったものが見えてくる。もちろん、現政権を擁護したり非難したりすることと別の次元としての話である。4400年前の939の村人はどうだったのだろうか。

縄文時代の楽しみ方 3/10 

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