イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

なぜ心を病むのだろうか?(支援すること 8/8)

2013-06-30 | 第四章「愛とゆるし」

 U先生の「生き甲斐の心理学」を学んで、なるほどと思ったことの一つに、「なぜ心を病むだろうか?」という問い掛けがある。お医者様の世界にフォーカスして病名や症状、投薬などがよくマスコミでも取り上げられるが、医師でもない私たちにとって本当に必要な病理論の知識なのだろうかと思うことも。

 自分のことを考えてみても、それなりに長い人生を精神科のお医者様に一度もかかっていなくても、やはり、あの時は少し変だったかなと思うときがある。勉強会で、変だったときを話題にしてみると、殆ど誰でも変だった時があり、何となく乗り越えている方も多いようだ。

 さて、U先生の「生き甲斐の心理学」テキストには「なぜ心を病むのだろうか?」の問に対し、とても大事な8つのポイントが書かれている。

 ①<理想>と<現実>のギャップから悩みが生まれる。

 ②<遺伝>、<老化>、<環境>

 ③内部要因としての<自律神経>、<免疫>、<内分泌>

 そして、①、②、③の組み合わせが心の病や心の健康が決まっていくとしている。

 この知識を踏まえてみると、この8つのうち自分にコントロールできそうなものは?①の<理想>、<現実>。認識の問題なので変えることができそう。②、③は食事とか適切な運動で変えられるかもしれないが、やはり<環境>が大きい。

 総合的に考えると、当たり前のことだが、生き甲斐がある環境をどう構築するか、それがとても重要なようだ。

 支援すること 8/8

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あなたの個性の美は何?(支援すること 7/8)

2013-06-29 | 第四章「愛とゆるし」

 急に「あなたの個性の美は?」と訊かれたらどうだろうか?普段、そんなことを考えたこともない方も多いと思うし(20年前の自分はそうだったかも)、考えているとしてもバクとしているイメージで、言語化するのはなかなか難しいのではと思う(今の自分)。

 ただ、支援したり支援されたりの人生では、愛がとても大事だが、個性の美をいかに認識するかも、とても重要なようだ。それを深く認識すればするほど、自己実現の道がより一歩近づく。

 さて、私は昨日から映画のことを考えていた。この一ヶ月、時間があれば映画を見に行っていた(動物園ではなく(笑))。その中で、強烈な印象があったのは「隣る人」であった。この映画は、有名な役者どころか役者すら登場しない。特に凝った音楽が流れるのでもなく、テロップや映像が凝っているわけではない。ホームビデオの延長のような作品だ。

 ただ、それは等身大の世界であり、個性の美がなにより大事にされている世界なのだろう。

 昨日は、実は某老人ホームに行った。5-6年前には老人ホームで働いたこともあったが、そのときの記憶も思い出した。ありのままに淡々と感謝しつつ生きる人、それを淡々と支援する人は美しい。

 ところで、昨日から中沢新一氏の狩猟と編み篭(対称性人類学Ⅱ)を読んでいる。これは宗教と映画を論じている本で。ビックリするようなお話である。この最初に映画「十戒」の話があり、モーゼの出エジプトの意味を論じていて感銘した。モーゼが不在の時に偶像(金の牛)を民が崇拝するようになり、モーゼの怒りが爆発する有名な話があるが、人間の認知の問題点とそれを越える聖なるものを論じていて、とても勉強になる。

 イメージも生きるには大事であるが、とはいえイメージを超える世界を意識すること。これも大変重要なのだろう。

 自分の個性の美。それは何だろうか?

 支援すること 7/8

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心をひらく条件とは?(支援すること 6/8)

2013-06-28 | 第四章「愛とゆるし」

 暗雲が垂れこめ、自分の中でもやもや感があったのに、あるとき突然のように問題が解決し、晴れ渡るような経験をされたことはありませんか?

 そういったときの条件をまとめたのがロジャースの6条件です。これは、自分の経験したことを幾つか思いだし、実際に6条件に当てはめると(理論武装とも言われる)身についてくるようです。6条件を簡単に言ってみましょう。(実際は正確な学術用語で書かれていてるので興味があるかたは是非、生き甲斐の心理学テキスト132Pを当たるなどチャレンジしてくださいませ。)

 1.二人の個人がいてラポール(心理的接触)がついている。

 2.一人は傷つけられやすく、不安定。

 3.もう一人は、安定している。

 4.安定した人は、不安定な人に対し無条件の愛を経験している。

 5.安定した人は、不安定な人に心を寄せ理解し認め(賛同することではない)、それを伝える努力をする。

 6.不安定な人にそれが伝わる。

 傾聴訓練とかエンカウンターとか、いろいろ基本的な訓練があるが、この6つの条件を実現する教育の一つと考えると腑におちます。

 この6条件で、自分の理想と現実のギャップが縮まり、自分自身によって問題が解消されるのです。

 私の場合は、7歳の時日本語だけの世界から初めて英語だけの世界に闖入(アラスカの普通の小学校に編入された)した経験があります。その時の女教師と接したときの経験が強烈なのです。英語がしゃべれなくても何とかなると自分で気づいたのは、この6条件だったと思います。今、あの時の先生はどうされているかな?

 支援について6/8

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愛の教育とは何だろう?(支援すること 5/8)

2013-06-27 | 第四章「愛とゆるし」

 「隣る人」では、児童養護施設で施設らしくない担当責任制の中で、実母以上の愛の仕事をされている保母さんに感動し、元施設長の方の熱い関わりを学んだりした。内容については、ご覧になる方の楽しみを奪うことになるので(笑)余り語れないが、数日たっても、いろいろ考えさせられている。

 この映画は、背景に親子関係の崩壊とか、虐待の問題があるようだ。そして、この映画では子どもだけでなく、児童養護施設に送り込む側の親の悲惨についても、暖かく描いている。

 何で、こんな風になってしまうのか。子どもを心の底から憎い親など私はいないと思う。強いて言えば、愛があっても愛の教育や関わりが、たまたまできなかったというべきか。

 さて、最近、ロジャースの性格形成理論を読んでいたら、ロジャースの教育論のような記載に気づいた。ロジャースは、平和構築やカウンセリングでは世界的に有名であるが、若い頃ロチェスター児童虐待防止協会で12年間の臨床経験を持っている。

 その経験から世界的な人格形成理論やカウンセリング理論が生まれるのだが、あたたかい愛の教育と言ったら良いのか、教育理論?も述べている。そして、それがこの「隣る人」でも立派に通じているのだ。

 私には幸運なことに幼い孫がいるが、孫と親、祖父母の関係を日常的に見ているといろいろなことが起こり、それが子どもの成長に深く関わっていることが見えてくる。

 例えば、XXを飲みたいと孫がせがむ。これに対して虫歯を気にする親は飲ませたくない。せがむ・泣く、拒否・・・誰も、こうした子どもの教育に係わる辛い経験があるのではと思う。

 こうした時ロジャースは、できれば次のようにすべきだと言っている。

①XXは美味しいという孫の気持ちを理解する。②せがむ孫(騒いで、にくらしかったりするが)を受け入れる(立場を理解する)。③それに対し子どもの意に逆らってまで、子どもの身体を想い飲ませないとする自分自身(親や祖父母)の気持ちを受け入れる。

 この流れの基本は自己肯定・他者肯定。

 もちろん肯定しつつも行動や思考においては孫と大人は大きく異なる。しかし人格(魂)は否定しない。この辺がポイントなのであろう。通常は、なかなかそのように行かず、子どもの人格を否定したり、怒る自分を否定したりで他者否定・自己肯定とか他者否定・自己否定などになってしまいがち。

 愛は訓練と言われるが、愛の教育の道も大変な訓練の道で、映画になるほどなのだろう。

 支援すること 4/10

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性格を知るための着眼点!(支援すること 4/8)

2013-06-26 | 第四章「愛とゆるし」

先日行った薬師池公園。今まで気がつかなかったが、望遠レンズ付きのカメラの威力で、池の真ん中付近にある筏の上の不思議な風景を知った。

 初夏の光を浴びて、鳥や亀が呉越同舟ではないが、のんびり一緒に甲羅干し、日向ぼっこをしているのだ。私も池で泳いだりしたら、一緒に甲羅干しも悪くない!?。

 さて、他者を支援する場合。まず相手を知らなければならない。特に、心の支援は相手の性格理解が必要だ。性格理解のためには、性格形成論をきっちり勉強することが、やはり大切だ。臨床心理学関係では大きく8つの学派があって、それぞれ性格形成論をもつが、生き甲斐の心理学ではロジャースやエリクソンの性格形成論をU先生から深く学んでいる。

 ただ、現場では性格の着眼点がとても大事だと思う。

 U先生の生き甲斐の心理学の着眼点は、とてもシンプルである。<喜怒哀楽の感情>=<理想>と<現実>のギャップ。かなり荒いが、こんな公式になる。そして、まず<喜怒哀楽の感情>に注目する。

 さて、自分の事例で考えてみよう。昨日仕事に行く時、駅でパスモ・カード(Suicaとか、そういった乗車用のカード)がないことに気がつき不安になった。落としたのか、どこかに忘れたのか。また、いつもの忘れ物か。しかし最悪の落として他人に使われたら・・・不安が湧き起る。

 こうしたことは、誰にでもあるかもしれない。しかし、パスモ・カード紛失の反応は人類の数70億とおりあるのだろう。こうあるべきだ・・・というような理想は生育史の影響もあり人それぞれである。そして、この理想は時には凶器となり人を苦しめることすらある。また、理想とともに現実の解釈もひとそれぞれ。そして理想と現実のギャップとしての喜怒哀楽。

 結局、カードはジャケットのポケットの中に鎮座されていた。

 私は、どこか生育史からくる固有の不安に憑かれていた部分があったかもしれない。しかし、慌ててカードを探しに戻って遅刻をしたり、他人を巻き込んで混乱させることもなかったので現実吟味力のありようは普通だったようだ。私のモノ無くしの不安の原型はなんだろう。小学校一年のころの担任の先生に怒られた経験?

 こんな風に、自分の生育史を着眼していくと、いろいろ発見があったりする。

 とはいえ、パスモのカードは、それを利用する人にしか意味はない。もちろん、鳥や亀にとっても食べられないし喜怒哀楽が湧き起ることもないであろう。

 支援すること 4/8

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