イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

こころの声を聴く方法!(こころの声 1/10)

2011-08-31 | 第三章「無意識の世界」

 10年前と比べると、世の中随分カウンセリングとか傾聴に関心を持つ人が増えたように思う。

 さらに、今回の東日本大震災のあと、何かが変わってきているように感じてならない。文字どおり、真剣になった人が増えたようである。そして、こころの声を真剣に聴こうとしているようである。

 カウンセリングや傾聴には、基本があるように思う。それは、決してテクニックではない(テクニックもそれなりに有効な場面も勿論あるが)。極めて理にかなっている。それを、簡単に言おうとしても、簡単には言えない(実力不足もあり)。でも、多くの人に知って欲しいと思う。

 そして、この基本は、何もカウンセリングの理論を学んだ人だけが獲得するものでもない。教えてもらわなくても体得しているのではという人もいる。ただ、理論をきちっと理解することは極めて大切であると思う。

 この基本が判ってくると、自問自答が上手になり、こころの整理が上手になる。さらに、大切な人を上手に支援できるようにもなる。そんな、いいところがある。

 また、他者をケアする立場の方(プロであっても、そうでなくても)は、この基本を体得するだけで、随分助けられると思う。自分の場合もそうであった。人を助ける知恵とはこういうものなのかと感激したことも。

 基本とは何か。

 ロジャースの「心理療法に必要にして十分な6つの条件」の理解だろう。この話題を中心に、これから、のんびり楽しんでみたい。

 こころの声 1/10

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究極のライフデザインはどこに?(新ライフデザイン 10/10)

2011-08-30 | 第三章「無意識の世界」

 今朝、窓を開けると涼しい風が入ってきました。そろそろ夏も終わろうとしているようです(少し淋しい)。今年の夏は、新平家物語を読み、持統天皇の時代を勉強し、法事で広島や岡山方面にでかけたり、孫を連れて動物園(これは夏に限りませんが)に行くなどし、あっという間に終わろうとしています。

 そして、急にブログの話になりますが、ライフデザインについても今日で最後になりました。

 ライフデザイン(自分は何をするか)を考える上でポイントになる大切なことは、おおかた登場したと思いますが、今日は一番大切なことを述べたいと思います。

 生き甲斐の心理学では、回答は自分の中にあるということが繰り返しでてきます。

 私はどうしたら良いか?悩んで人は相談に行くのですが、回答は相談相手が示してくれるのではなく、訪ねていった本人の中にあるという考え方です。心理学的な言葉でいうと。無意識な領域も含め、本来人は回答を持っているのですが、それを見えなくする防衛機制が働き、自分だけで見出すのがなかなか難しくなっているのです。

 この考え方からすると、ライフデザイン自体も自分の中に隠れているということになります。

 もし生き甲斐の心理学を身に付けたメンターがそばにいれば、その隠れたライフデザインを見つける支援をしてくれるでしょうが、一般には、長い時間をかけながら、時折のんびりとライフデザインを見直すのが良いのでしょう。

 時間がかかるし、寄り道が多いように感じるのですが、これも考え方で、当人にとっては丁度良いのかもしれません。一挙に急な坂道を上りきるのではなく、くねくねとした道を辿り、少しずつ昇っていくのが理にかなっているのかもしれません。

 また、一つドアが締まると、必ず、新しいドアが見つかるということもあります。

新ライフデザイン 10/10

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自己実現とは何か?(新ライフデザイン 9/10)

2011-08-29 | 第三章「無意識の世界」

 日本ではアブラハム・マズローの自己実現が欲求5段階説とともに有名である。私は大学で管理工学を学んだがそこで初めて出会った。

 その後、就職してからも社員研修でよく聴いた。会社をやめてからも介護・福祉の勉強などでも出てくる。生き甲斐の心理学でも、自己実現という言葉は出てくる。

 そして、地域での生き甲斐の心理学の勉強会でも、ときどき、このマズローについての質問を受ける。

 自己実現という言葉は、それ自体で何となく判る。それ故に、私もかつてそうであったが微妙に誤解する。

 自己実現という言葉は、マズロー本人も随分誤解され苦しんだようだ。必死に自己実現の本来の意味を説明している書物もある。その中の簡潔な説明を次に引用してみよう。

 「・・・わたしが注意深く努力して、自己実現する人が愛他的で、献身的で、社会的であるなどと経験的事実を述べても、これはそううけとられるのである。」(「完全なる人間」 誠信書房 4P)

 これを読んではっとするが、自己実現は、基本的には他者との関わりが本来重視されているのだ。

 私も偉そうに言えないが、難しい人間関係から逃避し、独立自尊的な何かに投影したいという想いがどこかにあり、この言葉を誤解させるのだろう。しかし、ブーメランのようにマズロー自身によってそうではないと言われるのだ。

 ライフデザインも、基本的にこの正しい意味での自己実現(つまり他者との関わり方、役割を大切にする)に関わるので引用させていただいた。

 さて、回りくどくなってしまったが、自己実現と本来密な関係の役割遂行(生き甲斐の心理学での)についても述べてみる。

 社会的な存在として生きる中で役割が生じる。私であれば、父として、夫として、職場の〇〇として、勉強会の〇〇として、などなど。

 そして、役割は責任範囲と責任外を決めていく(日本は、意外とこの区別を曖昧にするところがあるが。)。

 役割自体は無味乾燥なものかもしれないが、それを行う人はとてもリアルである。役割の下手な人(自分もそういう経験は山ほど積んで、すこしはまともになったかもしれないが)は、へんにおせっかいであったりする。自分の仕事をしていれば、それどころでないのに、おせっかいをする(自戒を込めて)。

 逆に役割の上手な人は、あたかも役割のなかに溶け込み、他者のこころの負担も掛けず、ひょうひょうとしている。

 自分の役割を、こうした見方で今日は見直してみよう。

新ライフデザイン 9/10

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ストレスをバネに飛翔!(新ライフデザイン 8/10)

2011-08-28 | 第三章「無意識の世界」

 生き甲斐の心理学を学んできて、なるほどなと想うことは沢山あるが、私にとって一番は、自分の今ここに沸き起こるストレス曲線(不安、怒り、身体症状、ウツ、錯乱)を大事にすることにある。

 今ここで沸き起こる暗い感情を、利用する技術(神秘的なところもある)といってもよい。

 対人の現場でむっとしたとき、ふた呼吸くらい間を置いてから行動するとよいと言われたりするが、それも応用範囲の一つかもしれない。暗い感情を情動で流されてストレートに対応するのではなく、ひと呼吸おくのは理にかなっている。また、もっと余裕があるときは、そうした暗い感情をじっくり思索する。暗い感情は自分の身体に沸き起こったことで正直なものである。そして、それを、明るく解釈する修行をつむと、一味違う結果を生みやすい。

 これには修行が必要で、自分の沸き起こる感情を自分だけのノートに倫理道徳を離れ、書き連ねてみることも良いと言われている。宣伝になって恐縮だが、勉強会に参加するのも良い。

 ストレスの利用技術。これはライフデザインでも実に有効だ。

 今日は、自己事例ではなく、持統天皇の例を考えてみたい。日本の現在の骨格(律令制)ができた7〜8世紀のころに大活躍したのが、持統天皇(女帝)であるが、どのようなストレスを持って政治・人生を歩まれたのだろうか。

 持統天皇は、恐らく日本の歴史上で最大級の権力を持ち、現代の政治にまでも影響力を及ぼした実力派天皇で、夫である天武天皇と壬申の乱の勝利し、天皇家の内紛の沈静化しつつ、大宝律令(律令制の基礎)を実力派の藤原不比等を抜擢し実現する。新羅や唐との外交、記紀成立や伊勢神宮、薬師寺を初めとする保護など基礎を作った中心メンバーだと思う。

 その中で今日お話したいのは、万葉集である。万葉集は、良く調べてみると持統天皇の影響が非常に強いと思う(持統天皇、元明天皇(持統天皇の息子・草壁皇子の妻)、元正天皇(元明天皇の娘)の関与)。

 しかし、驚くのは、持統天皇が暗躍し犠牲になった、大津皇子や大伯皇女などの歌も収録していることである。

 うつそみの 人なる我や 明日よりは 二上山を 弟(いろせ)と我が見む (大伯皇女)

 実際には、どうだったかよくわからないが、ストレスの本質を単に情動で捕らえるのではなく、深く思索する、本当の意味での鎮魂の歌集なのかもしれない。そして、それは暗い感情を昇華していく過程を表しているのではないだろうか?人に殺されるのは誰が見ても同情を誘う受難であるが、人を殺す側にとっても、後日の体験の解釈と行動によっては、一つの同情を誘う受難になると思う。

 白村江の戦いから壬申の乱の戦友であり、愛する夫でもあった天武天皇を亡くした直後に、やはり白村江の戦いからの戦友であり、非常に深い姉妹関係であった太田皇女の息子、大津皇子を死に追いやる。これは、持統天皇にとって受難であったように思う。その中で、何が失われ、何が生まれたのか。この再生のストーリーは今後も勉強していく価値がありそうである。 

新ライフデザイン 8/10

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ライフデザインを考えるにせよ幸福感と幸福の条件の識別は大事!(新ライフデザイン7/10)

2011-08-27 | 第三章「無意識の世界」

 今日は、ブログを書き始めて、一番長いタイトルをつけてしまった。

 昨晩は、いつものように仕事をして家路についた。記録的な集中豪雨を記録した雨であったが、既にやんでいて、幸せな気分。スマートフォンで好きな音楽を聴きながらのんびり雨あがりの夜道を歩いて帰った。

 こうした時の幸福感はなんとも言えない。

 自分の将来を考えたり、そこまで大袈裟ではないまでも、今年の抱負を考えたりするとき、私も含め殆どの人は目標を決めることが多いようだ。仕事の目標、経済的目標。それが達成できれば、とりあえず幸福としよう。つまり幸福の条件の設定である。

 勿論、達成できなくても、不幸が襲うわけでもなく、設定によってしゃきっとする。そんな効果がある。

 しかし、日々の先程のようなスマートフォーンでの音楽ではないが、幸福感を意識化し、それを育てていく、そういうことも大切なのだと思う。これは、華々しくないので意識しない人も多いように想う。かつての私もそういうところがあった。

 日々の幸福感を意識している人は、意外と簡単に分かる。ありがとうと自然にいうのが上手だったり、笑顔が素敵な人が多い。眼を輝かせるような趣味をもっていたりする。もちろん、人生はいろいろあって、それどころでないこともあるが。

 仕事、仕事の毎日であると、時に日々の幸福感を犠牲にして、幸福の条件を全面に出す人もでてくる。仕事だけでなく、大災害にともなっての復興に対しても同じようである。ただ、時々はわたしは疑問に想う。ささやかな幸福感を犠牲にし、幸福の条件に邁進すれば、最終段階で幸福感(とても凄い)が味わえるのだろうか?

 生き甲斐の心理学を学ぶと、この幸福感のしくみが、いろいろ解説されている。幸福の条件で挫折しても、考え方一つで人は幸福感を獲得できる柔軟な存在である。これも真実だと思う。

新ライフデザイン 7/10

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