イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

満身の怒りをこめての主張!(主張 10/10)

2011-07-31 | 第二章「五感と体感」

 清盛が神輿に矢を放ったり、持統天皇の時代で小国・日本が大国・唐・新羅連合に戦を挑んだりすることに、このところ心を奪われていた。

 そんな中、FACEBOOKで知人から児玉教授のYouTubeの情報をいただいた。衆議院厚生労働委員会 「放射線の健康への影響」に参考人として説明(15分くらい)されているものだったが、実に素晴らしい演説であった。

 もし、まだご覧になっていない方がいらっしゃれば是非ともご覧あれ。

 http://youtu.be/DcDs4woeplI

 生き甲斐の心理学を学んでいる私であるが、実に考えさせられる演説であった。勿論、話されている内容に、ああ、そうだったのかという非常に重要な情報もあり考えさせられるが、本当に現場の体験を元に自己を主張している迫力、思考・感情・行動がぴたっと一致し、何か魂の声という演説に驚愕した。

 私もそうだが、組織に縛られたり、さまざまなしがらみに縛られたりで、いつの間にか心が不自由になってしまいがちである。そんな中、こころの防衛機制や現実吟味力を微妙にコントロールしつつ、自分の本音、役割に徹する。そういうことが現代にもあるという事実。

 信じられないが、50年前・1961年には30億人であった世界人口も、今年2011年には70億人を突破することが確実である。しかも、その70億人は一人ひとりが違う。身体もこころ(生育史)も違う。

 そして、お互いに違う一人ひとりが、このように自己を主張するならば、どれだけこの世が良くなるだろうか。そして、ひとり一人の人生が豊かになるだろうか?いろいろ考えさせられる。

主張 10/10

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神仏を信じて見えてくるもの!(主張 9/10)

2011-07-30 | 第二章「五感と体感」

 すくすくと育っても、人は様々な困難に直面していくものだ。新・平家物語を読み始め2巻に差し掛かっているが、恋人を間違って殺め仏門に入った僧・文覚の話。血の通った兄弟、叔父・甥がいつの間にか殺し合いをすることになる保元の乱のお話・・・

 昨日は、持統天皇の罪悪感について語らせていただいたが、持統天皇の時代から400年くらい後も、同じような辛い話があるものだとつくづく思う。

 何も900年とか1300年前の話ばかりでない。津波と大地震により、現代も同じような話が沢山あるようだ。原発問題でも、どれだけの人が罪悪感に苛まれているだろうか・・・そんなことも考えたりする。

 罪悪感に苛まれる。私も防衛機制で問題から逃げたり、八つ当たりをしたり・・・いろいろであったが、ひどいときは生き甲斐とか自分を大切にすることなど全く忘れてしまうような時だ。

 ただ、生き甲斐の心理学を勉強する中で、心理学の研究テーマのひとつとして。「信じて見えるもの、見えなくなるもの」 があることを知った。何を信じるか。その信じるものの理論は、大いに話題になるのだが、それはブラックボックスとして研究対象にせず、信じてどうなるかという心理を研究するものだ。

 神仏の存在を証明したり、不在を証明したり・・・こうした分野は現在にいたるまで、だれも理論的に解明していない、ここでいうブラックボックスの領域の一つである。

 信じて何が見えるか?これは、本当に不思議な現象で、宗教的な体験(パウロや空海、親鸞・・・偉大な宗教人を語るときに必ずでてくるものだ)もあるが、小さなみじかなこともある。私も経験したが、28年勤めた会社をやめて2-3年して見えてきたこととか。3.11を体験し(今もそうかもしれないが)見えてきたことも入るかもしれない。

 極端かもしれないが、ある時を境に、知覚が変わり、見えないものが見えてくる。別世界に身も心も放り投げられたようなもの。

 人には、それぞれ独自の傾向と渇望がある。その中には、人生を賭けるようなものもあろう。そして、それを実現しようとする中で、それこそ罪悪感に苛まれたり、いろいろなことが起こる(人は完全な存在ではないので、当たり前だ)。

 そんな中(行き詰まったときなど)、不思議なこころの働きがあり、恩寵ともいえる現象がある。それは現代の科学的な態度で真面目に研究する対象だと思うし、欧米はともかく、日本でもっと研究すべきテーマだと思う(特に今のような時代では)。

主張 9/10

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罪悪感がプラスに変わる時!(主張 8/10)

2011-07-29 | 第二章「五感と体感」

 最近は歴史の系図を毎日欠かさず見るようになった。系図には、人とひとの関わり、特定の人の人生が何か圧縮され、DNA情報のように、様々なことを語ってくれるように思う。

 白河上皇と鳥羽上皇の確執となり、保元の乱の遠因となった待賢門院(鳥羽上皇の妻であり、祖父・白河上皇の実質的な妻で崇徳天皇の実母)が、とりあえず鳥羽上皇の妻として系図に記載されていたりする。

 あるいは、昨日も述べた持統天皇の関係では、藤原不比等は系図には直接でてこないが、根強い噂では、天智天皇の子供であり、持統天皇の異母兄弟となる。そんなことを想像したり、当時の複雑な人間関係(兄弟をはじめ)に想いを寄せたりする。

 還暦を迎えた私であるが、こうした系図をみることで、仏教でいう業、キリスト教でいう罪をいろいろ考えてしまう。勿論、系図からのパワー(生きる力)も感じるが・・・

 持統天皇も、幼い頃に実父である天智天皇(当時は中大兄皇子)が祖父(蘇我倉山田石川麻呂)を謀殺し、それゆえに実母がショックのあまり亡くなるという悲劇もあった。そういう生育史がある中で、幼いころから同母兄弟で従軍まで一緒だった太田皇女の子供である大津皇子を実子・草壁皇子ゆえに謀殺する。また、壬申の乱で天智天皇の子供である大友皇子で戦う。

 また、父天智天皇をめぐる人間関係、親戚関係も本当にやっかいな関係で、その中で生き抜くのはたいへんである。

 持統天皇はどのように自らの業や罪悪感と戦い、政治家としても大成していくのだろうか(当時としては長寿の58才、そして大宝律令の完成)。

 現場を知る有能な政治家であったが、きちっとした人間観・宗教観・信仰(何かはよくわからないが)も合せ持っていたと思う。そうでなければ、精神的に動揺せず、長寿をまっとうできそうにない。

 飛鳥には、天武・持統天皇陵がある。そして、この御陵は中世に盗掘があり、そのときの記録が残っていて、天武・持統天皇の御陵であることが確かめられている数少ない御陵のひとつなのである。中世の記録によると、天武天皇が伝統的に土葬されていたのに対し、持統天皇は日本で初めて火葬にされ骨壷に入っていたそうだ。

 晩年の持統天皇が吉野に何回も行幸するのも不思議である。道教や神仙思想との関わりはあったのだろうか。

 日本の原型が出来た当時は、伊勢神宮や仏教寺院(薬師時等)との関わりもホットだった。

 政治家としての公的な行動の影で、私的な自らの罪悪感とどう対峙されたのだろうか。

  私個人の経験からしても、生きることは罪悪感を積み重ねるところがある(母がカトリックで私も幼児洗礼だったので、幼い頃から罪を意識化しやすかったかもしれないが)。その中で、イキイキと生きるのが可能なのは、心理学の世界ではなく、贖罪の宗教であるカトリックの信仰だと思う。

 これからも、しばらく系図の旅は続きそうである。

主張 8/10

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国難を体感することで違ってくる!(主張 7/10)

2011-07-28 | 第二章「五感と体感」

 地デジになって、テレビの迫力が増した。画素が細かくなり微妙な違いが判る。国会中継などを見ても、単なる言葉のやりとりではなく、言外の何かが伝わってくるように思う。

 今はずいぶん人気が無いが、大震災の直後の菅首相の演説は、地デジ放送でとても印象的であった。「国難」という言葉が出てきたが、そのときは胸をうつ何かがあった。

 あれから4箇月以上経ったが、放射能汚染の問題など国難は継続している。知人のある活動家は東京を去り福島県に敢えて本部を置くなど、本腰の対応をされている方もでてきている。

 そんな中ではあるが、「なでしこジャパン」が世界一になった。男性のサッカーはあれだけ人気があるにもかかわらず、ちょっと前は女性サッカーはその存在すらおぼつかない人もいたほどであった。それが、このタイミングで優勝した。この時期に日本の女性の活躍!

 女性の活躍は実に今に始まったわけではない。そもそも日本の原型が完成したのは大宝律令(701年)の頃ではないかと私は思っている。律令体制ができ、年号が日本の津々浦々で使い始められ、ワンマン政治ではなく、官僚体制で国が運営され始める。そして、その時代も女性が大活躍したのだ。

 そのときの天皇は文武天皇だが、上皇に実力者、持統天皇(女帝)がいたのである(藤原不比等も持統天皇に認められ、補佐役として力を伸ばしていた)。

 意外に知られていないのだが、持統天皇は、本当の国難の現場を生き抜いた政治家である。

 645年 大化の改新(乙巳の変)の年に生まれる。父は天智天皇、母は蘇我倉山田石川麻呂の娘である。祖母は     やはり当時の女帝、皇極天皇(斉明天皇)である。

 657年(12歳) 大海人皇子(後の天武天皇)と結婚

 662年(17歳) 斉明天皇の下、新羅・唐との戦い(百済支援)に従軍。翌年従軍中に草壁皇子を出産

 663年(18歳) 白村江で敗戦(唐・新羅に日本が襲われることを、この時代もっとも警戒し、戦略的な理由で大津京に遷都したり、沢山の城を日本中につくったりした。

 672年(27歳) 壬申の乱に。大海人皇子(後の天武天皇)とともに吉野を発つ。

 673年(28歳) 壬申の乱で勝利。天武天皇即位

 686年(42歳) 天武天皇崩御。大津皇子謀反あらわる

 687年(43歳) 持統元年

 689年(45歳) 藤原不比等、この年初めて史上に

 697年(53歳) 文武天皇即位 持統上皇

 701年(57歳) 大宝律令施行を布告。遣唐使任命。持統吉野に幸す

 702年(58歳) 持統天皇崩御

 これはおよそ1300年前のことであるが、危機をバネに生き抜いている実力派の女性の姿が、何となく理解できる。

 そして、なでしこジャパンではないが、自分たちも時代の体感をしっかり経験するなかで、今迄見えにくかった何かを現実化しはじめる絶好の時なのかもしれないと思ったりする。

主張 7/10

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好奇心を持つと世の中が変わり始める!(主張 6/10)

2011-07-27 | 第二章「五感と体感」

 多摩動物公園では、コアラ館の近くの売店の前によく孔雀が出没するようだ。先日も、夕方通っていたらご登場で、子供さんや親御さんがワイワイと孔雀の振る舞いを見て楽しんでいた。

 私も、孔雀がいつ羽を広げるだろうと、カメラを向けたりしたが、だいたい広げないのが普通のようだ。今回も空振りであった。

 こうした孔雀への想いや好奇心は今に始まらず、昔からのことだったようだ。ギリシャ神話のなかにも登場したりするので、孔雀に対する関心は古今東西世界的なのかもしれない。

 日本に到来したのも、何と日本書紀に詳しく記載されている。それによると、新羅より、西暦598年と647年に送られている(難しい関係であったのに何故だろう?)。個人的に持統天皇を研究しているが、丁度2歳の時に贈られているので、恐らく斉明天皇の孫でもあり、太田皇女といっしょに見る機会もあったに違いない。

 孔雀が羽をいつ開くかなど、好奇心でいっぱいになったかもしれない。

 さて、目に見える孔雀ではないが、自分の進路を決めたり、大切な出会いがあったりするのも好奇心が大きく関係しているようだ。そして真逆だが、時には希望のない局面で不思議に勇気づけをしてくれたりもする。

 大学生のときに、等価変換創造理論で有名な市川亀久彌先生の本に出会って、管理工学科を選択し、卒論まで、その好奇心を追っかけていったのも好奇心からだった。 

 心理学に対する興味も、いくつかの本との出会いもあったが、長い人生の中で、その必要性を体感したときに、手を差しのべるようなU先生との出会いだった。

 人には、その人の人生を貫くような、独自の傾向と渇望があるという。それが、ちょっとした好奇心から、真に自分を主張し始めるのだ。カールロジャースの命題4なのであるが、とても大切な真実だ。

主張 6/10

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