イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

怖かったり優しかったりする富士山を思索する!(富士山! 2/10)

2014-12-31 | 第一章「意識と知覚」

 正月に初詣をする日本の習慣。実に良くできていると思う。初詣をする場所は、だいたい歴史のある場所(縄文時代からとか)であり、そこで静かに祈ることで何かを感じる。そして、時期はだいたい冬至なので、新しく生まれ変わる神秘的な時だ。

 人生は、いろいろなことが起こる。良いこともあれば悪いこともある。ただ、それは、その時々の自分の狭い料簡・考えからくるものであり、長い眼でみると当時悪いと考えてきたことが、大きな糧になっていたりする。

 祈りも、自分の狭い考えから幸せを願うものもあるが、もう一つ、何が起ころうが、その事態を正しく理解し何かを深めていくことを願うこともある。危機に出会って破滅するのではなく、自然体で生きれるように祈る。Let it be. というビートルズの歌があるが、これはキリスト教文化圏では、新約聖書の受胎告知のマリアの言葉に重なるらしい。「お言葉どうりこの身に成りますように」である。

 この言葉は、心の健康という側面から考えても、とても意義深い。調べてみたら次のような四文字熟語もあった。歯亡舌存(歯のように硬いものは亡びるが舌のように柔らかいものは生き残る)。表現方法はなかなか難しい。

 さて、富士山について。昨日は大掃除でファイルの整理もした。今年、講義に参加て愛用していた富士山に関するレジメが見つかったり、井上円了記念博物館のチラシがでてきたりした。大掃除はいつも宝さがしだ。そして、図書館から借りた富士山に関する本を眺めたり、いろいろしていると今までの富士山のイメージが随分変わってきた。

 富士山は、当然ながら動かないで約10万年の歴史の中で活動している火山である。しかし、それを観る人は、それぞれの時代にいて、それぞれの生育史や身体をもつ個性ある人である。それゆえに、実に様々な感情を吐露していて楽しくなる。旅の詩人として有名な西行、芭蕉、それから万葉集の歌を参考に見てみよう。

 我妹子(わぎもこ)に 逢ふよしをなみ 駿河なる富士の高嶺の 燃えつつかあらむ (萬葉集 読み人知らず)

 風になびく 富士のけぶりの 空に消えて ゆくへも知らぬ わが思ひかな (西行)

 思ひきや 富士の高嶺に 一夜寝て 雲の上なる月を見んとは (西行)

 霧しぐれ富士をみぬ日ぞ面白き (芭蕉)

 噴火する富士は今の世の人は誰も経験していないが、噴火し煙を出している姿を想像して読むと何かが変わってくる。また、信仰の対象としても有史以来1500年語られてきているが、先史時代はどうだったかを考えるのも面白い。竹取物語の結末が富士山頂でかぐや姫からの不老長寿の薬と手紙を帝が燃やさせたとあるのも、当時伝わっていた伝説等の影響なのだろう。なにか縄文的な女神の匂いがする。

 一般に火山は、噴火等で災害ももたらすものの、その麓は大いなる恵みの湧水をもたらすことが多い、そのため古代の人にとっては火山は恐れる対象であり、生活を守る優しい存在でもあったようだ。当然ながら富士山は、その特徴をもつ最右翼であり、井戸尻文化圏の土器などの図像をもう一度みてみると、富士山が投影されているようにも(おっと、縄文スイッチが入ってしまった。)。

 最後に、延暦大噴火(800年)、貞観大噴火(864年)、宝永大噴火(1707年)に代表されるような災害をおこした富士山であるが、その美しい姿を遠方ではあるが眺められる大都市の東京。江戸城を作った太田道灌の次の歌は何とも言えない。火山と共存するDNAなのだろうか。

 我庵は 松原遠く海近し 富士の高根を軒端にそ見る

 *東京都埋蔵文化財センター主催 文化財講演会 笹生衛氏のレジメ、「富士山の歴史」(普遊舎ムック)以上を参照しました。ありがとうございます。

  写真は中央高速から観えた富士

富士山! 2/10

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富士山を見て湧き立つ感情!(富士山 1/10)

2014-12-30 | 第一章「意識と知覚」

 縄文時代はせいぜい1万6千年前からの時代。日本にホモサピエンス(現世人類)が住み着つき始めたのも3-4万年前の話だ。ところが、日本の富士山の歴史は40万年前に遡る。箱根山、愛鷹山の火山活動の開始である。4つのプレートが衝突する複雑な地点に富士山があり、約10万年まえから活動を開始している。小御岳が形成された後に、古富士の火山活動が開始される。2万年前に山体が大崩落し、その後新富士の時代となる。

 祖先たちも富士山の活動に様々な形で影響されたようだ。縄文時代も4500年前から7500年前は火山活動が低調だったためか富士眉月弧文化圏(諏訪、甲府盆地、多摩ニュータウンなど)は活発だった、それを過ぎると祖先はいろいろ営業を受けたようである。

 美しい富士山。小学校のころは休火山だと教えられ、時々見える富士山は平安感の象徴といってもよかった。東海道線に乗ったりしたときに見る富士山は神秘的で、両親も誰もかれもが幸福を分かち合うようで不思議であった。ネガティブな感情は微塵も浮かばなかった。ただ、最近は2000年ころから低周波の振動が観測されたり、東海地震との関係も昔の宝永大爆発の関係から不安視する人もいて、前よりは不安感を募らせるようになったようだ。

 しかし、実際富士山を眺めているときは、いつ起こるか判らない不安よりは、今ここの富士山とそれにより湧き起こる感情が支配する。雲に隠れていたり靄で見えなかったときは、何となくがっかりする。逆に観えれば、その時の光や風や雲に左右され、そして自分の状況により、いろいろな感情が湧くものだ。

 感情は、自分の中の何かに対する期待と現実認識の差異から起こるのだろうから、富士山を見て湧き起こる感情には様々な意味が隠れているはずだ。しかも、富士山自体を見ることで、瞬間的に自分の中のこころの鎧兜である防衛機制はかなり外れているので、感情がストレートに湧くのがわかることが多い。

 数年前に、U先生とその仲間たちによって実現された奈良旅行。その時に、U先生にアースフィーリングの意味を何となく教えていただいた。有名な遺跡や由緒ある神社仏閣で湧く感情。天の香具山で太極拳を経験したときの感情。元薬師寺の遺跡の感情。畝傍山の登山口近くの神社での感情。思い出は尽きないが、観光の意味をその時に深く知ったようだ。

 単に、某所に行った経験があるというアリバイ作りではなく、その地の歴史や意味をある程度理解してから、現地に立つ。光を観るのだ。自分自身の中に湧き起こる様々感情を観る。

 観光により、平安感、幸福感、統御感、親密さ・・・様々なポジティブな感情が、ちらっと見えたり、大いに観えたりするが、反対に何か不安感とか、・・・ネガティブな感情も起こる。それを、のんびりと味わいつつ、その意味を考えることはとても大事だ。

 さらにつっこんで感情の仔細をノートに書き、後で振り返ってみる。その重要性も教えていただいた。感情は、どんな感情が湧いても、それを抱いた自分を決して責めることはない。その意味を考え行動に繋げたりすることが大事なのだ。泥棒が侵入したのを、センサーが感知し犯人を取り押さえる。こうした時にセンサーを悪者扱いにするのは筋違いと同じだ。感情は不思議なセンサーでそれ自体は尊いものだと思う。

 この年末年始は、ちょっと縄文スイッチをオフにして、できるだけリアルな富士山を観て、富士山のことを考えていきたい。ちょうど10日には勉強会もあるので、一年の計を富士山のように高所大所から立ててみることも。

 富士山! 1/10

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5000年前と今・・・変わらないもの、変わるもの!(縄文スイッチ ② 10/10)

2014-12-29 | 第一章「意識と知覚」

 海抜3200mのアルプスで発見された5300年前のアイスマンの動画を見たり、解説書を読んだりしている。同時代の縄文時代のことを想いうかべたり楽しんでいるが、ブログで貴重なコメントをいただいたりして、5000年前と今で変わらないもの、変わるものについてちょっと考えてみた。

 アイスマンの実に珍しい遭難者遺跡からは、当時の生活の情報がアイスマン自体以外にも沢山見つかっている。この動画は英語だが、何が発見されたかよくわかるので時間があれば是非ご覧ください。

 さて、旅先のアイスマンの所持品で考えてみよう。衣服(耐寒用の下着・上着、マント、靴)、製作途中の弓、矢、斧(銅の刃)、背負い籠、シラカバ製の器、短剣(樹皮を編んだ鞘つき)、小道具、装飾品、薬、網、発火道具・・・。私も旅行に行くときに携帯するものを考えると、とても似ている。

 今にあり、昔なかったもの。スマホやカメラ、ノート・本、お金。先史時代なので文字がなかったから当然なのだ。しかし、これもコミュニケーションの道具の進化ともいえるが。突き詰めて考えればなくてもよいものかもしれない。それから、歯ブラシとか洗面用具。これに、相当するものは所持していたかもしれないが不明。しかし、虫歯が無いこともあり今より健全だったかもしれない・・・

 昔あり、今もあるものは、当然ながら5000年の歳月の中で進化している。下着もヒートテック、上着もより保温に適したものもでている。リックや薬、ライターやLEDランプ、ナイフなど。しかし、進化しているとはいえ機能的には所詮同じ役割だ。

 一方、これだけの情報だと判らないが、「古ヨーロッパの神々と女神」(マリア・ギンブタス著)などを読むと、当時には確実に宗教があり、女神信仰の世界もあったようだ。そして、ホモサピエンスの脳が発生後から約20万年の今にまで、さほど変わっていないという説をとれば、心理学的には、現代と同様に人格形成論やプロセススケール・・・「生き甲斐の心理学」に登場する諸理論は殆ど昔も今も適応できると思う。

 そんなことを考えると、生き甲斐の心理学で大切にしている三つの自問自答。①自分は何のために生きているのか?②生き甲斐は何か?③自分の心と身体と魂を大切にしているか?は昔も今も同じように大事なのだろう。多分、これから5000年たってもだ。しかし、5000年後の考古学者は20世紀ごろの遺跡を発掘し何を考えるだろうか?お金やスマホは、そのころもっと進化しているか?あるいは消滅してしまい、用途不明と考えるか・・・

縄文スイッチ ② 10/10

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親密な関係を恐れてしまう?!(縄文スイッチ ② 9/10)

2014-12-28 | 第一章「意識と知覚」

 ヨーロッパで1991年に見つかったアイスマン(5300年前の人)の話をちょっと前から読み始めている。「5000年前の男」(文芸春秋 コンラート・シュピンドラー著)である。イチイの木を材料とした弓を未完成のままに残し、無残に殺害された男。世界的な話題をさらった遭難者の遺跡だが、それは随分解明されてきた。腰痛の持病があり、ツボ治療とか、いろいろいなことが判ってきていて、驚いてしまう。

 そんなアイスマンには、恐らく家族がいて子孫も残していたようだ。子孫の推定までされている。アイスマンが突然消息不明になり、残された家族はどうだっただろう。その気持ちを想うとなんともいたたまれない。

 親密な人との幸せな時の後、突然の不幸が襲う。こうした経験をすると、人は無意識に親密な関係を避けようとするようになることがあるようだ。幸せな親密な関係になりそうになると不思議に避けてしまう。本人にも理由がよく判らなかったりする。人は、家庭、友人、仕事の同僚、神仏・・・様々に親密な関係を造ろうとする。その時に無関係なはずの過去の出来事の影響で親密さを恐れてしまい、孤独をへんに好んだりする。

 こうしたちょっと親密性に関わる知識があるだけで随分違う。親密さを恐れる時に、自分の状態を客観的に思索できる機会ができるようだ。

 あまり関係がなさそうな話だと私も思っていたが、「生き甲斐の心理学」を学んでくると、ちょっと思い当たることがでてくるものだ。自分のヘンを意識することで、随分生き方が楽になるようだ。

縄文スイッチ ② 9/10

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ブレない人、ブレる人!(縄文スイッチ ② 8/10)

2014-12-27 | 第一章「意識と知覚」

 マッサンと鴨居社長の葛藤、ついに行くところまで行った感じだった。しかし、両者ともドラマの言い方だと信念を曲げないで突き進むので、ある意味では気持ちがよい。しかし、雇われの身の弱い立場のマッサン、生活を成り立たせながらのウィスキー造り、どう考えるか来週が楽しみだ。

 さて、昨日は久しぶりに新宿御苑に寄った。寒いので温室と日本庭園に行っただけであったが、楽しいひと時を過ごすことができた。写真は日本庭園の鴨さんであるが、つがいの二羽が池の中をあっちにいったり、こっちに来たり。こちら側に来たかなと思うと、急に方向を変えて逃げてしまう。鴨の外にも、何か遠目で眺めているカラスのつがいがいたり・・・厳しい自然の中で逃げたり、突進したりの鳥の姿が印象的だった。

   

   

 心の健康を計るプロセススケールの中に「問題に対する関係」というものがある。例えば、今回のマッサンだと、ウィスキーを売るためにスモーキーフレーバを除去しろと社長が言うのだが、これをマッサンはどう受け止めるかの問題に対する意識というか、そんな問題がある。マッサンは社長を非難しつつも社長に追従していくか(自分の今までの解釈を変えて)?あるいは、「何のために生きているか?」という自問自答で自分の原点に戻り、自分の問題として対応を思索していくか?・・・そんな問題である。

 「何のために生きているか?」という自分の問題を余り考えたことのない人、あるいは、大事な局面でこの自分の問題から逃げてしまう人。これは、やはり心の健康から考えると、やや不健全だと思う。問題から逃げることで、だんだんブレが大きくなってしまう。ただ、マッサンも生活者なので、一つの決断はさまざまな波及があり、特に経済的な問題など大変だなと思う。

 ここで、縄文スイッチを入れてみよう。私は最近縄文時代を生きた個々の人々に興味をもっている。それは、一昨年新宿(市ヶ谷加賀町二丁目)で縄文の祖先たちの人骨発見があったとことが大きい。そこは私が育った家の近くだからだ。そして、その遺跡から、いろいろなことが判ってきているようだ。4000年~5000年前の人の人骨であったが、ちょうど、昨年NHKで放映されたヨーロッパのアイスマン(5300年前のほぼ同時期の人)が重なるのである。

 人骨の中には首長クラスというか、イルカの腰バンドなど副葬品を伴った遺体もあり、YouTube等で情報が一部公開されていて驚く。ヨーロッパのアイスマンはDNAが詳しく研究され、病気の傾向なども判ったし、衣服や銅製の斧、ポシェット、食事の内容やタットゥウやツボ治療(腰痛)など詳しく判っている。恐らく縄文の祖先も似たように、斧を持ったり、ポシェットや籠をもち、動物狩猟用の弓などを持っていたのだろう(ただし、人を殺傷する道具はなかった)。頭蓋骨が陥没しそうになるほどの傷と治癒の跡も判っているので、それこそ縄文の祖先にも凄い経験があったのだろうと思う。

 私もかつては、縄文時代の祖先は原始的で狩猟生活をしているイメージしかなかったが、実際はそんなものではなく、現在の生活の中に縄文時代に培った文化を引き継いでいることは確かなようだ。

縄文スイッチ ② 8/10

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