イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

歌と踊りと縄文時代!(縄文からの風 ⑤ 6/10)

2015-02-28 | 旅・雑記帳

 縄文時代の遺物の大半は、土器とか石器とかのようだ。酸性の土壌が大半で木製品等を跡形もなく消し去るのだ。

 ただ、先日も述べたが、五感・体感からくるイメージの力が縄文人を生き抜かせたと思うので、歌や踊り、芸術も当然あったと思うし、それも高度なものだとわたしは思っている。5000年まえとかは、縄文時代の中期であるが、この時期には文字を持った文化もあり、「最古の宗教」(ジャン・ボテロ著)を読んでいると、メソポタミアにはシンバルがあったり、掛け合いで歌が歌われたりしたそうだ。

 当然、縄文時代にもあっただろうと思う。有孔鍔付土器が太鼓だという説は、どうも怪しいようだが、太鼓などは既にあったと思うし、笛もきっとあっただろう。日本の祭りでもねぶた祭りはまだ一度も行ったことがないが、縄文の雰囲気があるとも言われている。確かにYouTubeで観ると関西の盆踊りとは全くちがうように感じ、縄文の躍動感はこんなだったかなと想像したりする・・・

 心の健康にも歌と踊りは良いと聴く。今日は、一日縄文の歌と踊りを妄想したい。

縄文からの風⑤ 5/10

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縄文時代の激しい恋!(縄文からの風 ⑤ 5/10)

2015-02-27 | 第九章「愛」

マッサンの、エマさんと一馬さんの恋愛話を拝見しつつ、恋の情動の強さについていろいろ考えてしまった。

ちょうど、縄文時代の遠隔地交流のことを考えていたのだが、例えば黒曜石などは、産地が限られており、当時としても僻地の神津島(その中でもさらに離れた奥馳島など)、隠岐島、和田峠、星糞峠、腰岳・・・など舟を漕いで行かねばならないところや、高山を登るところ等である。現在は化学的に発掘された黒曜石は産地を特定でき、縄文時代が昔の自給自足のイメージではなく、今と似て遠隔地交流も結構あった(日本国内だけでなくシベリヤや朝鮮半島にも)ことが判ってきている。

 そんな中、やはり人と人との交流なので、村の黒曜石の入手先を恋人のいる産地に切り替えたり・・・そんなこともあったのではと妄想している。

 縄文時代の文献はないので、日本書紀や古事記を紐解くと、この交流をどこかで暗示しているような神話に出会う。森浩一さんの『図説 日本の古代1 海を渡った人びと』(中央公論社)を読んでいたら、越のヌナカワヒメと出雲のオオクニヌシの美しい恋愛の話が載っていたが、何らかの交易を背景に秘めているのではとしている。これが糸魚川のヒスイの交易を暗示しているのか何かは不明だが、実にうきうきさせる。

 ロジャースの次の人格形成論は情動のことを言っているが、まさしく海を渡り山を越えるような情動の性格をあらわしているではないか(難しい表現なので時間のある方は味わってほしい。)。この命題は今の人にも5000年前の祖先にも適応できると思うのだ。

命題6:情動は、前述のような目標志向的な行動をともない、かつ、一般的には、このような目標指向的な行動を促進するものである。情動の種類は、行動の追求的様相が完成的様相に関係しており、情動の強さは、有機体の維持と強化に対する意味についての知覚と結びついている。

縄文からの風⑤ 5/10

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ほんとに新しいことをする!(縄文からの風 ⑤ 4/10)

2015-02-26 | 第九章「愛」

 今年に入ってから、毎日忙しい日々を送っている。そして、これは、惰性なのか新しいことなのか、そんなことを考えたりする。

 新しいことというのは結構難しいことだと最近思っている。というのは、孫悟空が猛スピードで駆けずり回ってもお釈迦様の手のひらの上だったという話があるように、新しく見えて掌の中ということが案外多いことだと最近知ったこともある。

 昨日も述べたが自分の本質というか、そういうものをしっかりとらえることの難しさを痛感するようになった。そして、心の自由というのは結構たいへんなんだなと思う。

 2月も終わりに近づき、受験のシーズンも終わろうとしている。私も、青年時代も・・・、60歳近くまで試験を受ける経験を何回かした。それは、良い思い出ちなったが、最近になって悟ったことがあった。試験の場合、重要なのは試験の範囲を深堀することである。当たり前なのだが、意外とできない。一冊の参考書を徹底的にやるほうが数冊漫然と勉強するよりよほど良い。そんなことを考えたことがあった。

 自分の本質をしるというか、個性をしるということか、あるいは傾向と渇望をしるというか。これは何か受験に似ているようだ。やはり深堀が大事なようだ。キンケイも雄もいいが、雌もあじがある。

縄文からの風⑤ 4/10

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自分の根をもつこと!(縄文からの風 ⑤ 3/10)

2015-02-25 | 第八章「魂と聖霊」

 わたしはスカイツリーより東京タワーのがはるかに好きだ。近くに増上寺もあったり、大きな古墳もあったりする。縄文時代の海進時はたぶん岬になっていた聖なる土地にあるからだ。東京タワーの展望台にも神社があって、なかなか素晴らしい。

 それはとにかく、今朝は自分は何のために生きているのか?という「生き甲斐の心理学」で大切にされてきた自問自答を考えてきた。自分の人生を考えても、純粋に自分の傾向や渇望を念頭にしていたというより、両親など周りの期待とか、周りに流されることは実に多いのである。自分の傾向や渇望は、結構深いところに隠れているものだと思う。そして、それは自分のエネルギーの元だ。

 東京タワーが近代的な建造物として存在するわけであるが、それが根を持ち聖なる場所にあるということは素晴らしいことだ。それと同じように、自分の中に傾向と渇望の根を発見することは大事だと思う。

縄文からの風⑤ 3/10

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自分の生育史は宝かゴミか?(縄文からの風 ⑤ 2/10)

2015-02-24 | 旅・雑記帳

 マッサンも、戦時下の中生きるのは大変そうだ。私たちの住んでいる日本も、これからどうなるか不安でもある。しかし、温故知新で縄文時代を考えると、海進が進んだ縄文中期から厳しい時代が、つまり右肩下がりの時代が数千年続くようだ。そのため、人口も激減する。しかし、こうした状況下で祖先はこれに耐えて、私たちに命のバトンをつないでくれたのである。

 何故、それができたのだろうか?おそらく愛の原型とか、生きる上でのイメージづくりが上手だったのではないかと思う。

 さて、昨日から論文もあるが、自分の生育史と対話をしている。生育史は過去のもので考えても変わらない。そんな風に昔は思っていたふしがあった。たしかに事実というか、変わらないものも多い。しかし、生育史はその都度、その時点で自分で解釈をして記憶されるようだ。4歳の時のあることは4歳の時の自分が解釈して記憶される。4歳の時のあることを60歳の自分が再度解釈しなおすということは、意識しないとしないだろう。

 しかし、再解釈は人生を豊かにする上でとても大事だと思う。縄文人の祖先も、ひょっとすると生育史や伝説や神話をいろいろ解釈しつづけ、それが生きるエネルギーになっていたのかもしれないと思う。

 縄文オジサンのわたしではあるが、昨日はもう十年以上前に亡くなった現代詩の作家 吉原幸子さんの詩を読み感動していた。

 ここには、生育史(幼年時代もそうだ)を宝にするポイントが魂の叫びのように伝わってくる。その一部を引用させていだく。

 幼年連禱三

 Ⅰ喪失ではなく

 大きくなって

 小さかったことのいみを知ったとき

 わたしは”えうねん”を

 ふたたび もった

 こんどこそ ほんとうに

 はじめて もった

・・・・・

 吉原幸子詩集 現代詩文庫56 思潮社 31ページより

 勿論、嫌なできごとの詰まったある時期の生育史は触れるのも嫌な時がある。それはそれで触れないのも大切。しかし、時期というものもある。ある日、そのころを思い出し、その意味を考える。意外な発見もあるようだ。当時はわからなかった世界が見えて心が豊かになることも。

縄文からの風⑤ 1/10

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