人のこころの深層を研究するのに、ギリシャ神話などの神話や源氏物語など、長年、人々に読み継がれている名作が使われているようだ。
たまたま、手にした「アンデルセン童話の深層」(森省二著 創元社)を読んでいったら、懐かしい「はだかの王様」のあらすじがあった。
ペテン師二人が、王様をだまし、大金をせしめて、見えない糸(ありもしない糸)で機を織り王様の衣装を制作する。「素晴らしい衣装だが、うそつきには見えない」とペテン師に言われ、王様をはじめ、正直な家来たちも皆、あたかも見える振りをする。
最後には、街を行列するが、大人たちは皆、あたかも見える振りをしていたが、子供の一人が、その偽りに気づき、終いには皆気づくが、王様と侍従は今更行進を辞めるわけにもいかず、そのまま続ける。
幼いころに読んで、当時自分も子供であり、子供が気が付くところなど痛快だった記憶がある。
ただ、今思うと、王様の哀れさや、はだか一貫になってからの居直り?に何ともいえないものを感じる。また、正直な家来たちの処世術も、決して批難できない。
幼いころの解釈と、大人になってからの、今の解釈は少し変わったようだ。幼い頃は経験もなく基本的に理解できないこともあろう。
幼いころに読んだ童話、人生に深層で影響を与えると思うが、それを大人になって読み返すと、新たな発見があるようだ。体験の解釈が変わると世界が変わるという「生き甲斐の心理学」の学びもある。昔読んだ童話を再読することは、心の健康にも大切なことかもしれない。
さて、写真のベランダのビオラ。西欧の王様や貴族の衣装のように見えませんか?
<意識と無意識 3/4>
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