イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

「はだかの王様」をつらつら想う!

2009-01-31 | 第三章「無意識の世界」

 人のこころの深層を研究するのに、ギリシャ神話などの神話や源氏物語など、長年、人々に読み継がれている名作が使われているようだ。

 たまたま、手にした「アンデルセン童話の深層」(森省二著 創元社)を読んでいったら、懐かしい「はだかの王様」のあらすじがあった。

 ペテン師二人が、王様をだまし、大金をせしめて、見えない糸(ありもしない糸)で機を織り王様の衣装を制作する。「素晴らしい衣装だが、うそつきには見えない」とペテン師に言われ、王様をはじめ、正直な家来たちも皆、あたかも見える振りをする。

 最後には、街を行列するが、大人たちは皆、あたかも見える振りをしていたが、子供の一人が、その偽りに気づき、終いには皆気づくが、王様と侍従は今更行進を辞めるわけにもいかず、そのまま続ける。

 幼いころに読んで、当時自分も子供であり、子供が気が付くところなど痛快だった記憶がある。

 ただ、今思うと、王様の哀れさや、はだか一貫になってからの居直り?に何ともいえないものを感じる。また、正直な家来たちの処世術も、決して批難できない。

 幼いころの解釈と、大人になってからの、今の解釈は少し変わったようだ。幼い頃は経験もなく基本的に理解できないこともあろう。

 幼いころに読んだ童話、人生に深層で影響を与えると思うが、それを大人になって読み返すと、新たな発見があるようだ。体験の解釈が変わると世界が変わるという「生き甲斐の心理学」の学びもある。昔読んだ童話を再読することは、心の健康にも大切なことかもしれない。

 さて、写真のベランダのビオラ。西欧の王様や貴族の衣装のように見えませんか?

<意識と無意識 3/4>

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魂はあるか、ないか?

2009-01-30 | 第三章「無意識の世界」

 オバマ大統領の就任演説の中で、米国は、キリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンズー教徒、そして神を信じない人達の国という一節がある。日本も同じように、仏教、神道・・・神を信じない人達の国なのであろう。私はキリスト教徒なので、キリスト教も入れて欲しいが。

 宗教を信じる人々の多くは、死んで身体は朽ちても魂が残ると信じていると思うが、神を信じない人(就任演説ではnon-believers)は基本的には唯物論者か不可知論者であり、魂なるものを信じない人が殆どであろう。

 最近、脳科学の本を読み続けているが、脳科学の専門家には、脳の病気を解決したいとする立場の人がいるほかに、魂の存在に興味を持つ人もいるという。私も、「生き甲斐の心理学」を深めたいと考える一方、魂にも大変興味を持っている。

 DNAのらせん構造を発見した著名なノーベル賞受賞者のF.クリックは、DNAの研究をやめて、脳科学の研究を始めたのでも有名である。その著書「DNAに魂はあるか」を読むと、タイトルが刺激的であるわりには、常識的な結論に至っているようである。

 まだ、脳科学ははじまったばかりで、本質的なことは解明されていないのだ。

 さて、本の中で魂を信じる脳神経学者のジョン・エックルクス卿なる人物が登場するが、「魂の存在を証明できるわけでもないけど、さりとて証明の必要は今のところ感じない、」(DNAに魂はあるか 講談社18P)というのが現状だそうだ。

 魂の存在が証明されたら良いと思うが、どうなんだろうか?

 私は、科学による真実の探究はとても大切だと思う。また、宗教を信じることと矛盾はないように思う。自分という不思議な存在がある限り、宗教は科学ですら否定されないのではないか?と思っている。そして、人生を豊かにするには、科学も宗教も両方とも大切だと思う。

<意識と無意識 2/4>

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意識と無意識!

2009-01-29 | 第三章「無意識の世界」

 通勤というのは、不思議である。同じように改札を通り、階段を使ってプラットフォームに行き・・・。

 何回も繰り返していくと、その行動を意識しなくても同じようにできるようになってしまう。

 仕事のこととか、読んでいる本のことを考えながら、ほとんど意識することもなく、通勤できるようになる。同じように改札を通り・・・

 そして、昨日と一昨日、通勤途中で用事があり、いつもと異なることをしなければならなかったのに、自動運転モードですっかり忘れてしまった。気がついたときは後の祭り。

 人間のこころの仕組みは、何と不思議なものかとあらためて思う。無意識はフロイトにより脚光を浴び、ユングなどの心理学者により深められたが、脳科学者もいろいろ研究しているようだ。

 今、アントニオ・R・ダマシオの本を読み続けているが、人間を含め動物は、意識を持たなくても、生命(有機体)を維持する基本的活動や学習ができるとのことである。

 それなのに、何故意識が生まれ、人間はさらに高度な機能(ダマシオは良心と言っている)まで持ったのか。何とも不思議である。より良く生きるためであろうか?

 次の通勤のときは、忘れないぞ!

<意識と無意識 1/4>

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ルーツさがし!

2009-01-28 | 第三章「無意識の世界」

 20歳後半のころ、会社の先輩から、「四十にして立つ、と言われているが四十歳台は意外と惑う時期であった」。そんな話を聞かされ、不思議に印象深く覚えていた。

 そして、私が四十歳台になったとき、父が亡くなった出来事を境に、確かに惑い始めたようであった。仕事でも家庭でも健康でも。

 「生き甲斐の心理学」で学ぶ、暗い感情の錯乱感がざわめき立つようであった。

 その為か、父の実家の宗教(浄土真宗)を真面目に勉強したり、東洋思想を勉強したりし、こころに落ち着きを取り戻そうとした。

 父の実家での法事で一族郎党が集まったりすると、祖先達からの長い叡智に触れたように感じられた。

 自分とは何か、祖先達はどのように生き抜いてきたか。そんな思いは、様々なルーツ探しに繋がる。家の家紋やルーツに興味がでてきたり、伝統宗教に対する興味。歴史などへの興味。遺伝子DNAなどへの興味。

 勿論、自分の生き甲斐が重要であるけれど、こうした心の中のルーツさがしも、自分の中に明るい統御感を得るために必要なのだろう。

 因みに、昨年行った西伊豆で見つけた、私の家の家紋。丸に橘である。

<暗い感情 4/4>

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暗い感情の階段を知ってますか?

2009-01-27 | 第三章「無意識の世界」

 暗い感情の種類は沢山あるという。ただ、例えば色彩のように綺麗に分類したり、科学的に考察する知恵は、まだ人にはないようだ。個人史(生育史)や文化によっても異なり、客観的な基準樹立も難しいのだろう。

 その中で、様々な暗い感情を「生き甲斐の心理学」で学んだ5つの感情に分類できることを知り、眼を開かれた想いがした。

 暗い感情を、「不安感」、「怒り」、「身体症状」、「うつ」、「錯乱」の5つに分類するのが「生き甲斐の心理学」の常道である。荒っぽい話のようであるが、実際自分の感情生活の中で、暗い感情のスペクトラムはどれなのかと考えるだけで、ハッとすることがある。

 また、ある問題が解決しないことで、人は、「不安感」から「怒り」、「怒り」から「身体症状」等と5つの階段を昇っていくようだ。この分類は暗い感情の階段にもなっている。

 自分のことを振り返って、悩んだ時のことを考えると思い当たることがいくつかある。また、暗い感情は表に出るうちは良いが、心の仕組みで防衛機制等もあり、内に籠ってしまい、こころの健康が悪化することもある。

 「不安感」や「怒り」のうちに、何でも相談できる親しい人や、きちっと傾聴ができる生き甲斐支援のカウンセラー等に相談できればと、自戒をこめて思う。自分の中に答えがあっても、それが見えなくなっているからだ。

 本来、暗い感情は理想に近づける重要なエネルギーと学んだ。そして、このセオリーを知り、適切な人に相談をしたお陰で、オセロゲームで、突然黒優勢が白逆転するように、意外な明るい感情に向かう。

<暗い感情3/4>

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