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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

縄文時代の愛の原型を想う (10/10 縄文時代をどう解釈するか)

2024-06-06 | 第八章「魂と聖霊」

2024年6月1日(土)と2日(日)の両日は、千葉県の養老渓谷駅近くの土偶作家の田野紀代子さんのアトリエ、土偶ZANMAIに滞在していた。田野さんは土偶を所蔵されている現地に出向き、実測図などを入手するだけでなく、出来るだけ五感で体得され。そっくりなものを魂を込めて造る。当然ながら、粘土や混ぜ物、焼き方も当時の縄文人を意識して作られる。造形保存の森山哲和氏がいみじくも述べられた「原位置再生」というレプリカとは全く異なる地平を切り開いていらっしゃるのだ。縄文時代の祖先の造ったモノをとおして、それを本当に再生されているのかもしれない。

私は、八王子市の宮田遺跡で発掘された「子抱き土偶」に強い関心を持っていた。縄文時代の愛の原型とは何なのだろうか。そしてレプリカであるが八王子市の郷土資料館で出会った(巻頭の写真)。小さな土偶であったが何か存在感があり忘れがたいものであった。そして今後の縄文小説の取材という意味もあるがいろいろ研究した。実測図で普通の展示では見えない土偶の底部を検討していたが、母親の産道のような表現があり、不思議に思い田野さんにお聴きした。その顛末は縄文時代の愛と魂⑤(WebマガジンAMOR)に詳しいが、田野さんでしか分からないことが確認でき、それが出産直後の母子像であることを知った。実は、その後も私が疑問に思っていた産道と大きな臍の穴は繋がっているのか?という問いにも答えていただき、表面を見るだけでは理解できない真実が明確になったようだ。

今から5000年前の縄文中期(勝坂・井戸尻期)に子抱き土偶を造った祖先は、どのような想いを持っていたのだろうか。縄文時代の作者の愛の原型はどうだったのか。あくまで推測になってしまうが、縄文時代の平均寿命は30歳台と言われる。その大きな原因は乳幼児や子供がなくなることが非常に多かった為と言われている。当然ながらお産は危険であり、出産直後の像とも考えられる子抱き土偶は生死の危機を乗り越えた母子の賛歌ともいえるのではないだろうか。当然ながら家族や村人や部族の共感も得られ、さらに、命の恵み・大地の恵みとしての食物(収穫祭などで)にも繋がり、高度な精神文化の形成ともかかわるのだろう。

さて、縄文時代の愛の原型はそれでは終わらない。現代に生きる私たちの愛の原型とのかかわりも重要なのである。読者の方も少年少女期にこれが愛だと思われる名場面に遭遇したことがあるのではと思う。しかし、感情的な問題や防衛機制もあり、その名場面は結構隠れていて、長い年月を経て気づくことさえあるようだ。私の場合も10歳ごろに東伊豆の今井浜というところで、台風の余波の波で飛び込み台の海中の土台近くにひっかかってしまったところを父親に助けられたことがあった。絵にかいたような救出劇のようなのだが、私にとっては何か抵抗があって変だったのだが、その謎も今では半分は解け恵みの時の意味の深さに気づきつつあるようだ。

養老川に削られ地層が美しいチバニアンも近い養老渓谷。自分の愛の地層を思索するにも良い場所のようだ。

10/10 縄文時代をどう解釈するか

WebマガジンAMOR「縄文時代の愛と魂」にも縄文に関する関連記事があります是非ご覧ください。こちら

この記事は「生き甲斐の心理学」ーCULLカリタスカウンセリングの理論 ユースフルライフ研究所主宰 植村高雄著 監修2008年第3版 を参考にしています。

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「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

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  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

 なお、国会図書館、八王子市図書館でも閲覧できます。

2.電子書籍版はアマゾンさんで、1000円で購入できますが、

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       森裕行

 


大栗川にも秋がそろそろ・・・(3/10 縄文世界を感じる時)

2023-09-13 | 第八章「魂と聖霊」

この夏は酷暑もあり日中に散歩することもなく今まできてしまったが、知人が最近涼しくなり散歩をしたが感動した・・というお話を聞き今日は夕方久しぶりに近くを散策した。

何と秋の気配がたっぷり。ニラの花が咲き誇り(残念ながらニラに来る蝶には会えず)、大栗川のほとりは風も心地よく心がうきうきする。鴨もいつものようにいたが、今日は光の方を見てなにやら思案中。

最近、つくづく思うことに、他者に教えようということの虚しさだ。人生のある時期にそれを学習したのに、愚かにもその教訓を忘れて繰り返す。そんなところに出会った鴨ちゃん。次の言葉は身に染みる。

「教育とは子供を教えることではない、 自分を高めることだ。そうすれば子供たちも君たちを手本に自己を高めようとするだろう。それが教育だ。」井上ひさし 「聖母の道化師」中公文庫 12P ラサール修道会の知恵らしい。

じっと光の方向を見ている姿は、内省の尊さ。鴨から学んだ。

この延長線上の教訓としては、人の理性は他者に向かうときは悪戦苦闘する。その反対に自己の内部に向かうときは知恵をうるようである。

3/10 縄文世界を感じる時
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ダイエットのために散歩する・・へん?(1/10 縄文世界を感じる時③)

2023-08-19 | 第八章「魂と聖霊」

コロナ禍の時期を経て体重が5kg増えてしまい運動をしなければと、夕方に大栗川を散歩。夏の夕日は北西側で、蛭ケ岳を意識して川の護岸工事をしたと言われる大栗川の景色はここ一つだ。しかし、鴨さんは元気に餌を探している。


縄文時代のハイヌヴェレ型の宗教を考えているせいで、生命体について関係することに注意がいく。先日も縄文友達から福岡伸一氏の動的平衡のことについて聞かされていて、8月末に閉店まじかの本屋さんで「生物と無生物のあいだ」(講談社新書)をかなり安価に購入した。16,17年前に購入して一度読んだのだが処分してしまった本だった。

「生命とは動的平衡のある流れである。」(167Pより)

私は一応管理工学という外から見ると文科系なのか理科系なのかよく分からない学問(本来理科系)を大学時代専攻したので、理科系の熱力学なども学びエントロピーの法則も学んだ。世の中はすべてエントロピー増大(崩壊)の方向に向かう。しかしこの流れに竿さしてエントロピー増大にならないような不思議な存在が生命体。この発見はDNA研究やシュレーディンガー他によって20世紀に発見された真理の一つなのだろう。

ものを食べ排泄するというのはこの生命現象の核であるようだ。通常私たちは食べるということをエネルギーももらうといった機械論で受け取り、太る太らない、散歩だ運動だと気にしているが、それは食べる・排出するの本質ではない。鴨ちゃんは川底を逆立ちして藻など植物を食べているが、食べたものが身体の中で変換されて鴨の身体の新たな細胞として置き換わる。我々もDNAやRNAの働きで身体を形成するたんぱく質等が再生されることをどこかで聞いたことがあると思うが、再生に使われるものは体の外から得たものである。エネルギももちろんいただくのだが、身体自身もいただく。不思議なことで私も自覚しにくいこととして、一年前の自分は身体的にはまったく異なるのだ。

都会育ちだった私も、幼いころは道端には犬の糞がたくさんあり、田舎に行けば田舎の香水が当たり前だった。生命が土から生まれ土にかえるということは、福岡伸一さんの本をよむまでもなく当たり前だったようだ。それ故に世界中に存在するハイヌヴェレ型の神話をベースにした宗教は、その本質をダイエットとか叫ぶ私たちより的確に生命の本質を見抜いていたのかなと思う。気持ち悪くなるような光景で食物をつくる神とその殺害、そして食べ物が死体から再生される神話。日本では古事記のオオゲツヒメは五穀と関係することを書いてあるが、日本書記のウケモチノカミは米以外に海の幸と山の幸を記述している。おそらく、この神話が生活に浸透していた縄文時代の食文化を考えるとウケモチノカミのが実態に近いかもしれない(拘る必要もないかもしれないが、ハイヌヴェレ神話の本質に近いかもしれない)と思っている。

ついでながら、宗教という言葉が出たので、有名な比較宗教学の大家ミルチャ・エリアーデの説明を一つ。「宗教的人間にとって、本質は存在に先行する。これは「未開」。東洋社会の人間と同様に、ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒についても真である。・・・」(エリアーデ著作集7 神話と現実106P)。前々回に書いた糸川英夫氏の第一の懸念である自己愛の問題。これを回避するには宗教(宗教的人間)が大事なのかもしれない。今日も縄文をがんばります。
AMORの「子抱き土偶」⑤、⑥も関係するので是非ごらんください。こちら

1/10 縄文世界を感じる時③

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夏至の休みも終わるころ・・(縄文世界を感じるとき② 6/10)

2023-06-30 | 第八章「魂と聖霊」

中学2年生のときに、知人のおばさんから新約聖書をいただいた。

さっそく開いて読み始めたが、マタイによる福音書のはじめは・・・「アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを・・・」。なんという本だとすぐに閉じてしまったものだ。

あれから60年近くたち。この6月の夏至前後は久しぶりに私の実家や妻の実家がある広島・岡山方面の旅をしたり、縄文関係も古ケルトの展示とか中南米美術館を訪れたりもした。それに合わせるように、普段は気になっていたものの読めなかった本を読んだりした。その一つが中沢新一氏の「レンマ学」。

仏教の華厳の話、南方熊楠の話、フロイトやユングの話、そしてパウリやハイゼンベルクの話、数字の話・・。ちょうどU先生の「生き甲斐の心理学」の人間論というか魂論も縄文の寄稿の関係で調べていたので、熱くなって読ませていただいた。華厳関係などわからない部分も多々あったが久しぶりに知的好奇心を掻き立てられた。特に学生の頃学んでもよくわからなかった不確定性原理とか波動方程式といった量子力学の世界がマタイの最初の記述とともに少しはわかったようであった(笑)。世の中には縁起的な知の世界がありそれがAI時代を越えていくにも大切なのだろう。

そして、この2023年の夏至ごろ、私にとっては何か夏至休み?の終盤に、20年近くお付き合いをしていたSさんが亡くなった。私が生まれが都会的で理科系に対し彼は田園的で文科系。いろいろな意味で反対のようであったが、細く長い福祉のボランティア仲間であった。その縁というか摂理というかで育まれてきた活動。これをどう考え次につなげるか。いろいろ考えてしまう。

静かな水面にポツリと水滴がおちると広がる波紋。これは今も縄文時代も同じ現象だろう。そして、その破調の不思議さと奥ゆかしさに気づくのはそれが命の原理と附合してしるからなのだろうか。

縄文世界を感じるとき② 6/10

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forget me not (縄文世界を感じるとき② 4/10)

2023-05-27 | 第八章「魂と聖霊」

記憶というのは実に不思議である。先日66年くらい忘れられず、時々思い出していた記憶の意味をやっと理解し、そしてなんと表現したらよいか、記憶の奥の奥にある何かに触れて涙を流す貴重な経験をした。

そんなことがあって、忘れなぐさを見ると。中世の騎士の亡くなる直前に恋人に残した、本人が意図しなかったかもしれない、わすれな草の意味がわかったように思った。それはブルーでどこにでもあるような花なのだろう。でも奥で意外に光り輝く。

全ての記憶はどこか罪のフレーバが漂う。しかしその奥にゆるしの空間が輝いていいる。しかしこの世ではブルーでしか表現できない。

この領域は心理学の領域ではなく、宗教の領域というか魂の領域なのではと思う。U先生から教えていただいた魂の定義は「愛そのもので死んで身体から離れる生命体」。これはキリスト教文化圏では支持が高いと思うが、WHOでもかつて健康の定義に魂を入れようとしたことがあり、その時のイメージもこれに近いのではないだろうか。使う言葉は違ってもイメージは意外に世界共通ではなかろうか。

日本では、私が若かったころはとにかく、今はどうだろうか。魂といえば考古学の世界でもこうした基本的な議論より、生まれ変わりとか、祖先に流れる。このあたりは当然ながらいくつかのパターンに代表される考え方があると思うが、それより大事なこと(例えば魂の理解)もあるのではないだろうか。

縄文世界を感じるとき② 4/10

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