玄室奥壁を見ている 母の頭のはるか上部に大きな天井石が載せられている
我輩の足元を見ているのだが出来た当時のものかどうかは判らない。
「塚」という漢字を含む地には必ず古墳がある。あるいはあったということであろう。読者諸氏も二塚、上塚、中塚とか言う地名をどこかで聞いたことはないだろうか。地名には必ずやその由来があるのである大事にしてもらいたいものである。
甲塚の周溝の底に立っている。我輩の身長が1.8mだが、溝は意外と深いのが判る。
一部が破壊されたと説明文にあるが、心もとない人間の仕業であった。一番有名なのは下関の綾羅木郷台地の蹂躙であった。
御所山古墳も一部が破壊され、いまだにブルーシートが掛けられたままだが、古墳を見る人はそこを括れ部分だと思う人がいるので早く原状復帰してもらいたいと思う。
残された古墳はそうとう運がいいと言っても過言ではあるまい。
あの古墳石室の故郷の台地である。草の発育の違いとその範囲がお判りだろうか。小さな円が見える。恐らくここに小さな円墳があったに違いない。辺りを見渡すと写真手前のように石を巡らせて円を書いているところがある。恐らくそこも円墳であったに違いない。せめて何らかの形で世間に知らしめることだけはしてもらいたいと思う。
甲塚方墳の玄室を見ているが、これだけでは何がなんだか判らないだろう。
そこで身長1.5mの母が登場するのである。奥壁腰石の大きさがこれで判るだろうし、玄室の広さも想像に難くないのではなかろうか。
畑の冷泉には間断なく人がやって来る。母が聞いた人の中で一番遠い人は北九州市の西の端から来ていた。
お茶に、お米に、料理にと、水は限定されるが、来る人達は数え切れないくらい来ているとのことである。