開口部に柵が立掛けられている。石室内部には何かが祀られている様だ。それでこの様な状況なのである。
墓道か羨道だったのであろうが削り取られてしまっているし、踏み固められている。こればかりはしょうがないな。
石室内部を見ることが出来ないので残念だ。まあ後で判ったことだが柵をのけて写してよかったとのことだった。
綾羅木駅で降りて北浦街道を五分くらい北上し、綾羅木川を渡るとすぐに右折して山陰本線を横切る。
踏み切り注意はいまだに蒸気機関車が走っている。しかも時代がかった蒸気である。早く気動車に代えてもらいたい。
母も古墳に興味をもってきだした。我輩よりも先に石室の確認に向っている。
面白い袖石だ。一つの大きな石を二つに割って表面を綺麗に整えて両脇に据えている様に見える。しかも柱状に見えず壁石に使っても良さそうなほど幅が広い。その上の楣石の底が見えてるがやはり表面仕上げをしているようだ。巨石を用い丁寧に造り上げている。
荒神森古墳にいるが、古墳と言われなければ判らないような、言われても判らないようなそんな北九州市内でも最大級の前方後円墳である
変人がいるぞといったような顔つきで我輩を見ている。後円部脇で横になっている柴犬だ。手を振って挨拶をしたのにウンもワンもスンも言わないのだからな。
枝垂桜(護念寺)からここに来た。来たのは良いがはっきりと判らないのが情けない。小さい前方後円墳だが、魏鏡片が出土していて、大和との関係が窺えるかもしれないような貴重な古墳である。それが何故きちんと整備されてないのか。北九州はどうもこの様なことに無頓着であるとしかいいようがない。
本殿は国宝である。住吉神(荒魂)、応神天皇、神功皇后、武内宿祢、建御名方神(大国主の子 諏訪大社)
由来を読むが何故 建御名方神 武内宿祢なのかが判らない。建御名方神は国譲りのときに負けて諏訪に飛んでいった神だし、武内宿祢は神功皇后の右腕だったろうし、ここに祀られる理由がわからない。
長門一宮 日本三大住吉の一社である。すごいところには間違いない。