道を造ってくれている。おっ、上から二人降りてくる。見学者が多いじゃないか。いいことだな。
初日に比べると天気がすこぶる良いので人も出てきたのだろう。好きじゃあないとこんなところには絶対こない。
ここで人と擦違うなんて目を疑うぜ。
いきなり石室内部の写真だが、ご覧のように奥壁は鏡石だ。なにも判らずズンズン入ってゆけば必ず頭を打つことになるだろう。画面左が出っ張っているのである。石が大きいから横にしたのではない。棚を設けているのである。今で言えばロフトか。
福岡県下は8例で田川地方ではここが唯一である。だから八分の一をここで見ることが出来るわけだ。古墳はありきたりだが、石室はそんじょそこらではお目にかからないということだ。
勝山神社横の円墳の内部である。ここでは3基並んでいるのだが一番手前の石室の中である。
内部が狭いためかフラッシュを焚くと画面が白くなりすぎてしまった。こんな写真で悪いのだが、一番手前両端に真っ白な柱状の石が写っている。これは袖石である。さらに画面左だが、奥にいくに従って二本の袖石が見える。と言うことは、部屋が3室あるということだ。この付近ではこれは珍しいというものだ。
仏教の伝来を6世紀中頃(538年又は552年 但し公伝) 飛鳥寺は587年、四天王寺は593年、法隆寺は607年
遺跡となっている椿市廃寺は7世紀末~8世紀前半、しかも伽藍配置が四天王寺式というから当時のことを考えればあっと言う間に仏教が広まったと言うことになりはしないだろうか。余談ではあるが四天王寺の造営は金剛組だと言われているが、もしかして九州まで営業マンがきて椿市廃寺(当時は廃寺ではない)の造営を請け負ったりしてたら面白いよな。
波打っているのがお判りになるだろうか。墳丘があちこちにある。