丁寧に作りこまれた皐である。
身長1.8mの我輩の目の高さから写している。石室の規模がお判りいただけるだろうか。
奥壁、側壁、楣石、袖石のどれをとってみても巨石である。奥壁は所謂鏡石と言われるくらいの巨石であることがお判りいただけるだろう。
「どうしてこんなところに造るんやろね」
駐車スペースがある。担当者が資料を配布し、懐中電灯も貸してくれる。
Y字の真ん中に古墳がある。道を別けるようにした道祖神みたいな位置にあるわけだ。
開口部付近に土取りの痕跡が見受けられる。かつ、石材が埋もれてしまっていて石室内部が確認できない状況にある。
庇上部にある樹木も底が落っこちて足をすくわれたようになっている。手前に羨道の側壁に遣われたであろう石材が散乱している。
恐らくここにも円墳があったであろう。周囲に石材が散乱し、石室であった痕跡が見られる。と言うことは三重連ではなく四重連の古墳群だったということである。
何が書かれているのかさっぱり読めない。河川改修工事で発見されて復元、公園化されたようである。
たったこれだけのスペースだが当たり前のことを当たり前のようにやっているのは有難い事である。
墳丘墓のようで石蓋を持つ石棺を竪穴式で造ったのではないかと思われる。低墳丘の様子がお判りになるだろうか。
墳丘から周囲を眺めている。少しでも周りより高いのが好きだな。お山の大将我一人
茶毘志山古墳を望む。住宅街に囲まれてはいるが悪戯されることなく残されていることはいいことである。
開口はしているものの長年の風雨による土砂などで埋まってしまっているものもある。
それが放置されたままでは発掘し後世に残そうとした意義を失ってしまうのではないか。
草を刈るなどして手入れをしているのだからどの様な状況下を報告し対処するべきだろう。