残念ながら犀川町が指定した古墳がない。それでも当然のように存在しているわけだが、この目で見たわけではない。
何種類かの資料で確認をしたのだがバラバラだった。ある資料ではそこにあるのに別の資料では何も無い。
それで手っ取り早いのは役場に行って聞くことだろう。行ってはみたものの資料館までもが統合してしまって犀川では確認できなかったのである。これは少々不便さを感じるところである。
周りの葉っぱの大きさで石棺の規模を想像していただこう。群とは言うものの二基しかない。
二基の位置の関係は写真の通りである。と言われてまず判る人はいないだろう。看板が立てられているが、その左の足元に四角い口が開いている。それと左下に違和感を感じてしまうブロック塀がある。その上に黒く見える場所がある。
この二箇所が石棺群である。
読者諸氏もご存知の長門一宮(住吉神社)に来た。昔昔のその昔。今は新下関駅になってるが本当は長門一宮駅だったのである。辺り一面は田圃と畑で、その中にぽつんと国鉄時代の駅があったのである。
山陽新幹線が走るようになって駅名が変る。駅周辺は近代化して激変したのである。所謂門前町だったが何処かに行ってしまった。僅かに街道が残っている。
甲塚古墳近くの円墳である。(私有地にあるためか名前がない)
新豊津駅から「みやこ町歴史民族博物館」からここまで、道半ばであるが、行橋駅まで寄り道をするところがないので少しきついかな。
八景山公園入口にいる。画面右に下ってゆくと国道に面して法面がある。そこには判っているだけで7基の小円墳が検出されている。今回は母が一緒なので我輩一人であちこちと歩き回るわけにはいかないので次回の機会を待つことにした。
車から甲塚古墳を見ている。三段構造であるということが視認出来る。