ここから山に分け入ることになる。急斜面を登らなければならない。しかも枯葉が積もっており足をとられそうになる。
母は前日(4月16日)に来たが21号には連れてきていない。連れてきたとしても上まで登ることは出来ない。
だから敢て1号だけにしておいたのである。二日目に妻と「夏吉」限定で来たのである。
本庄の大楠
去年はこの花には気がつかなかった。写真を写していると「それは枝垂桜じゃありませんよ」と言われてしまった。
要らん世話だ。「大きな親切、小さなお世話」だったかな。母が「それくらいわかっとるよね」 むっとしたらしい。
茶毘志山古墳を国道側と正反対の方向から見ている。住宅街なので住民に失礼のないようにしないといかん。
「のぞき」と思われても困るからな。
こんな所に説明看板を建てて一体誰が見てくれるというのか。教えたくないのか、はたまた教えたいのか疑問に思う。
この古墳は弥生時代の遺跡の上に築造されているのだと書いてあるが。すぐ正面には国道10号が走るが、それによってその遺跡などは消滅させられているだろうに。古墳があるだけで保存されるのでいいかもしれん。
ユニークな建造物である。一体全体誰がこのような発想をしたのかな。「発想の転換」昔この様な題名の本を読んだことがあるが、どこかにヒントのようなものがあったのだろうか。
何故こうした斜面に墓を造らなければならなかったのか。首長や豪族はこれ見よがしに誰もが気が着く場所に古墳を造るのだがな。庶民階級(少し上等)はこの様な場所なのか。さんざん古墳を見てきたが殆ど山に分け入るというパターンだからな。
古墳を公開する夏吉21号なぞはとんでもないからな。石材はすぐ調達できるのだが、なにもこんなところでといいたくなるよな。今も昔も木々に覆われていたに違いないからな。
写真ではやはり判りにくいと思う。そこやここらがマウンドになっているのである。小さな円墳を造り、石室まで有しているのだから執念を見たような気になる。聖域で奥津城としたのであろう。付近には横穴墓が多数存在する。
また、行橋よりには竹並遺跡もあり、ヒメコ塚古墳(前方後円墳)もある。ここまでくると平地になり相当開けてくるのである。追伸 ヒメコ塚古墳は東九州自動車道のため消滅する。