物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

湯川・朝永生誕百年展の準備

2006-09-28 15:13:40 | 科学・技術

来年、愛媛大学での「湯川・朝永生誕百年展」が実際に開けるかどうかの決定がそろそろなされる時期が来ている。以前にこの展示の開催については愛媛大学の方で一応の同意をもらったのだが、実は開催のために費用が思いのほかにかかりそうである。そこに大きな問題点がある。

開催にあまり経費をかけない方法もありうるのだが、日本で最初と2番目にノーベル賞を受賞した物理学者である、湯川秀樹と朝永振一郎の名声はとても大きい。そのために中途半端な展示会では愛媛大学の恥をさらすようなものになっても困るという考え方が一方であり,それはまた無理からぬ考えである。

そうなるとある程度多額の出費は覚悟して展示をやるか、まったくやらない方に舵を取るかのどちらかしかない。愛媛大学で「湯川・朝永の生誕百年展」をしたら、すぐになにかのご利益があるという話ではない。もちろん、愛媛県内または四国内での愛媛大学に対する世間の評価は上がるだろうけれども。

若い人がこの展示を見て、感銘を受け、その成果が現れるというのはまさに百年のオーダーの話である。百年はいいすぎだが、少なくとも20-30年後の話だろう。だが、意欲をもってやらねばならない。特に忙しくなった近頃のご時勢であるから、百年後を見据えた計画をすることも必要である。私は個人的に湯川先生と面識があったということもあってぜひ愛媛大学での展示を実現したいと切望をしている。

直接的には「若者の理科離れ」の防止にもつながる試みである。しかし、そんな短期的な見通しではなく、若い子どもや生徒や学生になんらかのインパクトを与えられたらというのが、私の希望である。学問への憧れを持たせたいものだ。

いま全国の大学のうちで、北海道、金沢、新潟、広島、九州、愛媛、宮崎大学がこの展示を来年したいと希望を申し出ている。すでにつくば大学では展示が終わり、いま京都大学で展示が行われている。来年の1月から3月までは大阪大学で展示が行われる。


直交曲線座標系2

2006-09-18 14:45:36 | 数学

以前にも直交曲線座標系に関心を持っていると書いたが、またごく最近関心が復活してきている。それはJoh さんの微分演算子の変換の原稿を見たからである。

安達忠次著「ベクトル解析」を読み直した。以前にどうもすっきりしないと思っていたのだが、それが少しだけ解消されそうである。岩堀長慶著「ベクトル解析」の該当箇所も読んでみた。一応理解に筋が通ったようであるが、もう一つきちんと確認をしていない。

インターネットでcurvilinear coordinatesを調べてみたら、結構な数のサイトがあるが、私の疑問点について突っ込んだ説明があるものはまだ見あたらないようである。しかし、それぞれに工夫がされている。いまのところ岩堀長慶著「ベクトル解析」の説明が一番すっきりしていると感じている。でもなかなか考えがまとまらない。


丸山真男と武谷三男

2006-09-14 12:30:12 | 学問

朝日新聞で何回か丸山真男のことが取り上げられていたので、少し調べてみようと思っている。もちろん、私は政治思想史が専門ではないので、あくまで武谷三男との関連だが、あまり接点はなさそうである。

しかし、武谷も丸山も「思想の科学」の創始時の同人であるから、まったく関係がないともいえない。昨日一日は丸山真男の古在由重との対話を読んだ。戸坂潤を優れた人物として古在は評価している。これが新しい知見だった。

丸山真男の本は沢山出ているので、これを買うことは出来るだけ避けたい。というのは経済的に買うことができないということもあるが、置く場所がないからである。それに丸山の全集は大学図書館にもあるようなのでわざわざ購入することもあるまい。

丸山と比べて武谷はもう忘れ去られようとしているのだろうか。残念である。


de Broglieの物質波

2006-09-09 12:24:07 | 物理学

昔からde Broglieに憧れていた。彼はいわゆる質量がある粒子でも波動性をもつという物質波の概念を提唱して、波動力学への端緒を大きく開いたわけだが、その後の大きな波動力学と呼ばれるようになった量子力学の一分野をつくることは逃してしまい、波動力学の提唱はSchr"odingerによってなされた。

大きな仕事を一つして、その後はいくつかの独創的なアイディアは出したが、特に優れた仕事をしているわけではない。また、数学もあまり高等な数学は使わず研究したというが、結構な長生きをした。

ノーベル賞を量子力学関係としては最初にもらった人だが、その後には特にいい仕事をしているわけでもないし、世界の学会へもあまり出席しなかったともいう。

なにせフランスで貴族の出身というのだから、恐れ入る。でも、そういう人になれたら、いいなとはいつも感じてきた。貴族になれたらという意味ではもちろんなく、仕事のスタイルについてである。そういう人の仕事のスタイルに若い頃から憧れていた。 

Bohrの量子条件はde Broglieの考えが出て実際的な意味がわかったのだ。それまで、なんだか意味のわからない天下りだった量子条件は実体的な裏づけをもったというか、解釈ができるようになった。逆に、Bohrの量子条件の提唱はそれほど天才的なアイディアであったということかもしれない。

いつか彼の物質波の仮説の論文を読んで、その考えの秘密を知りたいと思っているが、そのことに対する思いが急に復活してきた。何十年ももっている思いが急に復活してくるとは不思議なものである。

このころのde Broglieの論文のコピーを集めて持っているが、全部集めているのかどうか。もっとも現在の目から見れば、おかしいところもある論文だという。

(2020.1.27 付記)  どこをどう書き換えたかはわからないが、書き加え修正をした。私の意図をはっきりするためである。de Broglieへのあこがれの気持は、「数学もあまり高等な数学は使わず研究したという」ようなところにもある。これは私自身があまり数学ができるとは言えないことも一因である。


Levi-Civitaの記号とホームページ

2006-09-06 13:56:25 | 数学

Levi-Civitaの記号についてgoogleで検索をしてみたら、世界中でたくさんあった。英語のもの、ドイツ語のもの、フランス語のもの、その他である。

私が日本語で書いたエッセイと同じようなテーマを扱ったものもいくつか見つかった。それはLevi-Civitaの記号をつかって、ベクトル解析の公式を導くというものである。

全世界を見れば、私がいっているようなことは普通のことである。もちろん、物理学を学んでいる学生を主として対象にしていると思われる。それから、この記号の縮約公式もいろいろな形で導かれている。私と同じように発見的方法で導いているものもある。

3次のLevi-Civitaの記号を行列式で表したものも1,2にとどまらない。だが、Levi-Civitaがどのようにしてこの記号を導入したかについての推測は今まで見た中では説明はないようである。

このことはすでに書いた私のエッセイでも推測を述べたが、これが今年の徳島科学史雑誌へ投稿予定のエッセイのテーマである。