物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

数学の話題2つ

2006-05-28 19:41:18 | 数学

息子のKのブログに数学の話題が載っていた。それはf(f(x))=-xとなるf(x)はという問題であるが、これは実数に限るとの注釈がついている。こういうのは数学的にはおもしろいのかもしれないが、あまり意味がなさそうである。でも実数の範囲ならf(x)=ixとすれば、これは元の条件を満たしており、これは意味がある。

もう一つは小川洋子さんが数学会から数学を身近にしたということで表彰を受けたときに数学会の理事長さんから聞いた話ということで新聞に載っていた。これはなぜy=e^{x}は自然なのかという質問に対する答えであった。理事長さんの答えは指数関数y=e^{x}だけがその接線の傾きがx=0で1となり、他の指数関数では接線の傾きは1とならない。

確かにそうだが、これがeが自然対数の底といわれる理由だったろうか。まあ、ともかく数学の話題を備忘録として記した。


対数と指数は同じ?

2006-05-25 08:39:05 | 数学

「指数と対数とは同じ」という題のインターネットの記事を見たことがある。読んだのだが、その趣旨は覚えていない。

表れ方だけを見れば同じだと思う。しかし、多分ある数Nを別のある数aのべきで表そうとするという意識だと元の数aの単なるべき乗a^{x}とは意味が違ってくる。Nをa^{x}と表せば、xがいくらとなるかという対数という気持ちが伝わってくるではないか。

しかし、指数表示が普及した現在では対数の性質は指数の性質から容易に導けることは事実であろう。それは対数の発明者であったNapir等のもっていなかった現代の利点であろう。

昨日ちょっとだけ数学史の本を覗いて見たが、指数表示がまだ普及していなかったころにネピアは対数を考え出したとあった。これは指数表示が普及している今の時点から見ると大分違って見えることだろう。だからネピアの先見の明というか才が光って見える。

それも三角法との関係で正弦とか余弦とかの対数を計算することを目指したという。これはもちろん天文学の必要からである。対数の発見は天文学者の寿命を延ばしたと書いてあった。

私などはある数を10の何乗かにして計算を簡単化するのかと思っていたが、それがはじめの動機ではなかったらしい。

対数が何を意味するかは森毅さんの「対数はある数の桁数を示している」という見解が一番分かりやすい。この間の松山大学薬学部での講義「基礎物理学」での説明もそれに沿ったものであった。だからlog 2はやく10の桁でいえば、0.3010・・・とかいう話をしたのであった。

私は「指数表示」と「対数表示」という言葉を使うのがいろいろなごちゃごちゃを避ける一つの方法だと思っているが、そういう表現はどこでもまだ見たことがない。

(2013. 5.23付記) あるホームページの主宰者は私と同じような趣旨でだが、「指数表現」と「対数表現」という語を使われている。ただ、それがどこのホームページだったかはもう今ではわからない。ネットを丹念に探せば、わかるはずだが。

「対数とは何か」というエッセイを徳島科学史雑誌に発表したのももう数年前のことである。


対数とはなんだろうか?

2006-05-24 20:00:52 | 数学

対数ってなんだろう。この間基礎物理学でエントロピーを説明するのに対数が必要だったので仕方なく対数を導入したが、対数の定義はしなかった。

対数表示という言葉と指数表示ということばをつかって、a^{x}=yと表すのを指数表示といい、x=log _{a}yと表すのを対数表示といって、対数は底が10なら、その桁数を表すと述べた。同じことを違った風に表示すると説明した。特に質問はなかった。

指数のxをもっと表に出すためにx=log _{a}yと書くとぐらいは言ってもよかったが、そこまでは言わなかった。

対数関数は対数表示を用い、指数関数は指数表示をもちいていることを述べたが、指数関数と対数関数が互いに逆関数となっていることには触れなかった。

さすがに広辞苑にはちゃんと対数の定義が出ている。しかし、一般のべきとか指数とはどうちがうのだろう。正の数aとNが与えられたときにN=a^{b}となるbが対数であると定義されている。

べきとか指数のときにはある数の(実数もゆるすとして)累乗があってもそれはどんな数になるかは関心を持っていないのだろうか。あくまでもNとaが先にあってそれに対する数という意識なのだろうか。数学史ではどうとりあつかっているのだろうか。いつか調べてみたい。

歴史的なことはあまり知らないが、対数の発見によって天文学での多大な数値計算が簡略化されたことはよく知られている。


鶴見俊輔さん来松

2006-05-19 09:10:07 | 国際・政治

「憲法九条をまもる県民の会」では7月8日に鶴見俊輔さんを松山に招待して講演を行ってもらいます。タイトルは「わたしの根」です。憲法九条を守る会に入っている彼の心のルーツを話すのでしょう。

私はひょんなことから彼の面識を得て、今回講演をお願いしたのですが、快く引き受けてくださいました。本当に日本をいや世界を代表する哲学者の一人ですから、ぜひ関心のある方は7月8日に松山大学820番教室に彼の講演を聞きに来てください。午後1時30分からです。

思想の深さとか知識の広さ、見識の高さどれをとっても今生きておられる方々の中では抜群の方です。今まで彼をよく知らなかった方でも話を聞けば、その一端を窺い知ることができるでしょう。

湯川秀樹、朝永振一郎、坂田昌一とか、末川博、武谷三男とか羽仁五郎とか松田道雄とか優れた人はいましたが、これらの方も亡くなってしまい、いまは大江健三郎、小田実、加藤周一といった文系の人はおられますが、理系のスケールの大きな学者や知識人が少なくなったのは嘆かわしい。

上に挙げた人ほどスケールは大きくなかったけれど、牧二郎とか小川修三のような物理学者も相次いでなくなってしまい、寂しい限りです。


最近の日常

2006-05-18 15:08:28 | 日記・エッセイ・コラム

明日から一年ぶりの東京に行きます。子どもが二人とも東京とその近郊に住んでいるので妻はもういそいそと今朝でかけましたが、私は今朝は講義があったので明日の出発です。二男が病気で入院したので、その見舞いを兼ねています。

本当は先週の土曜日が彼の誕生日だったですが、都合が悪いということで1週間遅らせているうちに病気入院ということになった次第です。でも病状はそれほど重くはないみたいなので一安心です。

私もなかなか忙しくて3つ持っている授業がどれも準備をする必要があり、その準備に追われているので大変な上に翻訳の最後の校正が来ていたので、昨日は大変でした。

くたびれて心臓に負担がかかりそうですが、なんとか生き延びてはいます。それに7月8日の憲法九条をまもる県民の会の講演に鶴見俊輔先生を呼ぶのに係わっているので、そちらの方の仕事もあります。

7月8日の会は松山大学の820番講義室で総会と鶴見さんの講演があるので、関心のある方は聴きに来てください。


数式の計算

2006-05-09 12:31:13 | 数学

基礎物理学を教えているということは先日のブログで述べたが、数式の計算と物理との関係が問題である。

微分とか積分とかの計算が難しいというのなら話がわからないでもない。そうではなくて式を代入するとか式の中に含まれた一つの文字について解きなおすとかということが難しいというのはどうしてと思ってしまう。

どうも中学生程度の計算練習がうまくできていないのではないかと思ってしまう。大学生にもなったのに。それも薬学部だと文系とはいいかねる。

一つには文字を使うので、それがわからないという原因になっているから、数字に置き換えて説明をしてくれませんかという要請やはたまた練習問題をやりたいとか高校生並みの要望が出てくる。

本当に数字は分かりやすいのだろうか。そんなことはないはずだ。具体的な大きさの感覚等は数字を扱うことによって養うことが出来るが、それ以外ではかえってわかりにくくなるくらいが落ちだと思うがどうだろうか。

数式がわからないということの内容はいったい何なのだろうか。

数式がわからないということへの対策は数式を出さないことかそれとも数式の計算に熟達させるかのどちらかしかないのだろうか。

Feynmanは数式ではなくイメージで物理をした学者として知られている。でもそれはFeynmanには出来たことでも誰にでも出来ることではないと思うが、どうだろうか。また、Feynmanが数式をまったく操らなかった訳ではない。


憲法集会5.3

2006-05-03 18:37:11 | 国際・政治

憲法集会5.3が県民文化会館であった。予想していたよりも多くの参加者があった。実数はわからないが、1000人を越えていたと思う。

渡辺治さんの講演は思ったよりもいいものであった。はじめに憲法が改訂される動きについての歴史的な説明があり、それがなぜ自民党から提唱できなかったか。これは主に60年安保の改定のときのような市民の反対運動の広がりを恐れての遺産であるという。

つぎに中国と北朝鮮の脅威はあるかという点についての具体的な説明があり、中国の17年つづけての軍事費の成長にもかかわらず、インフレで軍備を増強するには費用は十分ではなかったこと等により中国からの攻撃はありえないとのことであった。一方日本はさほどのインフレなしに20年の長きにわたって防衛予算の増大が行われてきたという。軍事国家とは日本もまたそういう風に言うことが出来る。

また北朝鮮の40万の軍隊の大部分は韓国との国境沿いに配備されている。北朝鮮の総予算は沖縄県の予算よりも小さいことそれも北朝鮮が日本をもし攻めてきたら、すぐに撃破が出来るくらいの装備と要員を自衛隊はもっている。特に北朝鮮の艦艇というのは漁船に毛が生えたくらいのものでとても貧弱なものだという。

中国が日本をもし攻めるということであれば、攻め入るための船舶とか大型輸送機のような輸送手段が必要であるが、そういうものをもっていないために日本を軍事的に攻めることがその意図がもしあったとしてもできないこと、尖閣列島や竹島のような領土問題は軍事的な手段では歴史的に解決した例はないこと等が日本が9条を廃止する必要のないことを示しているし、過去の中ソ国境紛争も結局は外交的な手段で結着を見たとのことである。

つづいて現在の9条の廃止を自民党や政府が言い出した背景の説明と9条を守る闘いの展望と仕方を渡辺さんは語った。

ただ、現在の状況では世界の国が相互に依存しあっており、日本としてはそういった軍備でもってアメリカと世界の警察を気取るような状況にはないということを国民や経営者が知っているのかという点については特に説明はなかった。経済とか技術とか貿易とかによって世界は相互依存をいままでかつてなかったほどに深めていることが認識をされていない。

ならず者国家を制誅するということをアメリカ大統領ブッシュはいうかもしれないが、それはあくまでアメリカのいうことであって、資源のないまた食料の自給できない日本の取れる道ではない。そういう総合的な視点が必要ではないかと思った。