昨夜私の所属するドイツ語グループの忘年会があった。社交ダンスをしたりする人がいるホールの一部での忘年会である。グループの長のOさんや忘年会の世話人であるTさんはカラオケを歌ったりしていたが、私はもっぱら飲み食いとおしゃべりをしていた。
10時にそこをみんなと出て私の仕事場で2次会をする。紅茶とおつまみとしてUさんから前に頂いたチーズを出す。みかんが少し残っていたので、デザートにみかんを食べた人もあった。
そのとき面白い話があった。なぜ、ローマ帝国はゲルマン人に破れて崩壊したのかという点についてRさんがいうには少数のグループがローマ帝国の軍隊を攻撃するということを繰り返して攻められればどこかへ逃走するという手法をくりかえしたからだという。そして道とか橋とかのインフラストラクチャもすべて破壊してしまった。それでさすがのローマ帝国も機能麻痺して崩壊をしてしまった。そして、その生産性(GDPにあたるもの)はある歴史家の試算によるとローマ帝国の崩壊から1750年くらいまでローマ帝国時代の生産性を回復できなかったという。
それと戦闘ではもし大規模な正規軍同士の戦闘をすれば、どの民族の兵隊もローマ帝国の軍隊にはかなわなかったのだが、ゲリラ戦みたいなものだったので、ローマ帝国はなす術がなかったという。Rさんはいまのイラクの状況がそれに似ているという。もちろん現在のイラクでは個人テロであってゲリラ戦ではないので、その違いは彼も承知している。
それで思ったのだが、中国の歴史における毛沢東の日本とか国民党政府に対する戦略がそれを実際に行ったようなものであった。Yさんは毛沢東は歴史をよく勉強して自分の戦略を考え出したのではないかと感想を述べていた。
そのとき私は言わなかったのだが、歴史家の羽仁五郎は現代戦の特徴として「ゲリラ」と「レジスタンス」を挙げている。現代戦の決定的な要素は核兵器とその運搬手段であるミサイルとか爆撃機ではない。これは一般の日本の軍事評論家たちが現代戦の特徴として挙げた現代兵器はその本質ではありえないということである。そういう本質を突いた議論はしかし、なかなか浸透しない。だから、いまでも憲法九条が時代遅れだというような議論が通論として通ってしまう。
Rさんは羽仁五郎の所説をまったく知らないと思うが、二つの要素のうちの一つを歴史から学んだというわけである。いまさらながら羽仁五郎の所説はやはり現代戦の本質をついているのだと思う。
「国を守る」というが本当に自分が愛してやまない国が他国から侵略されて危急存亡にあれば、人は自発的に闘うものだ。そのときの手段はしかし兵器受注で潤う一部の経営者や政治家が考える現代兵器、戦闘機、軍艦や戦車、はたまた核兵器では決してない。それらは現代の経営者の利潤追求の手段にしか過ぎない。
ところで一体全体、本当に守るに値するいい国日本を政治家や経営者や多くの国民は実現しようとしているのだろうか。それが問題だ。