物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

セガの『線形代数講座』が本となる

2025-02-28 10:36:57 | 数学

雑誌「数学セミナー」の3月号を見たら、セガの『線形代数講座』が本となって出版されるらしい。2月末の出版とあったが、3月初めの出版だろうか。

さっそくE大学学生協書籍部に1冊注文をしておいた。これを私はインターネットで見てプリントをして読んだのだが、なかなか特徴のある書である。一般の方にも勧めておきたい。この書の特徴の一つは私も得意技とするLevi-Civitaの記号の説明である。ようやく私の強力な競争相手となる書が一般の方々の目に触れることとなる。

もっともひょっとしたら標準的な書ではないので、いわゆるテクストを別にもってそれらと合わせ読むようにした方がいいのかもしれない。このことはすでにセガの『線形代数講座』に書かれていることではあるのだが。


つい先日は書きたいことが

2025-02-27 16:08:44 | 本と雑誌

つい先日は書きたいことが山ほどあって困ったが、今日は書くことがない。先ほどまで腹部大動脈溜の手術の件で病院に行っていた。それで入院は3月27日で手術は28日午後で、退院は3月29日だとかである。

腹切りの手術をするのかと思っていたら、老齢ということもあり、人工の血管を挿入するという措置をすることになった。それですむのかどうかはわからないが、そういう措置になる。

また、その経過とかも研究用の医学データとして使いたいと言われたので、その場でOKを出した。いずれにしてもリスクがないというわけでもないらしいが、文句をいう筋合いでもない。

それにしても人生初めての大手術である。大体自分の体のどこかを切ったりなどしたことはほぼない。全くないとも言えないのだが。3月の終わりはそれだから、このブログもお休みにするということだ。


2月の俳句

2025-02-26 11:18:33 | 外国語

早くも2月が終わりそうになった。あわてて子規の2月の俳句を書いておこう。

 暖炉取りて六畳の間の広さかな   子規

 putting away the coal-burning stove

    my six-mat room

    is large                                                Shiki     1901

「暖炉取りて」とは「暖炉をかたづけて」のだということがわかった。日本語ではその辺の意味がとりかねたが、英訳の方で意味がしっかりした。英語で日本語の意味が分かるというのも変だが、こういうことはよくあるのだ。暖炉とは石炭を燃やすストーブであることもわかった。

何年、日本人をやっているのでしょうね、私は。    


松山では

2025-02-25 12:35:33 | 本と雑誌

松山では天気がよければ、日差しは暖かくなってきた。もちろん、空気はまだ冷たいのだが、風が吹かない天気だと日差しは次第に強くなっている。春の到来の兆しを示している。

そういえば、2月とか3月とかいえば、カーニヴァルであろうか。私自身はあまりカーニヴァルという語にはなじみがない。ファスナハトという言葉の方になじみがある。ライン河中流のドイツの都市マインツとかデュセルドルフとかがカーニヴァルの盛んなところと知られている。これらはカトリックの盛んなところである。

そのファスナハトの行列を見たのは1976年のフライブルクとかスイスのBaselである。また次の年の1977年には住んでいたマインツでファスナハトの行列を見た。長々と延々と続く行列で土地の人たちが春の到来を喜ぶのだろうか。

もちろんこの時の観光客の数は半端ではない。沿道で行列を見た観光客とかその他の方々の落としたごみをそのあとですぐに市の係りの清掃員がきれいに清掃しているのを見かけた。きれい好きのドイツ人らしい光景であった。掃除は大掛かりのものであり、その清掃のためにもうもうと埃が舞い上がるほどの徹底した掃除ぶりでもある。


手摺

2025-02-25 12:16:11 | 外国語

歯科に歯の掃除に行った。歯科医院に行くには地下の歩道を潜り抜けて行く。階段があるので、手すりをもってやっとのことで降りていく。階段を上るのは降りるのと比べてまだ楽である。

それで気がついた。もう50年に以上ドイツ語を学んでいるのに手すりというドイツ語を知らない。それで家に帰って和独辞典を引いてみた。Gelaenderと出てきた。英語ではどういうのだろう。インターネットではhandrailと出てきた。

なかなかこういう言葉も気にしないと英語を話す国に行っていたり、ドイツ語を話すところへ行ったりするわけではないので、なかなかなじまないのだ。

私などは老人なので、こういう言葉がやけに身に染みるということだ。ちなみに手すりのドイツ語Gelaenderは中性名詞である。geがつく名詞は特定の女性名詞を示す語尾がつかない限り中性名詞であることがとても多い。

こういうことは中級以上のドイツ語を知っている人でないと知らない事柄であろう。私も長年ドイツ語を独習しているが、NHKのドイツ語講座の放送でもあまり聞いたことがない。多分一度も。


四元数の行列表現

2025-02-24 15:10:48 | 数学

四元数の行列表現と言っても2行2列のマトリックスで表すのではなくて、4行4列で表すことである。昨夜たまたま見た龍孫江さんのインターネットの講義で見たのだが、それがどこから来たものか知りたいという気がした。

それで、堀源一郎『ハミルトンと四元数』(海鳴社)を引っ張り出してきてようやく先ほどその起源をつきとめたばかりである。それにしてもいろいろな行列表現があるものですね。

私自身もいくつかの四元数の行列表現を書いたかなと思います。『四元数の発見』はPauli行列くらいしか書いてないけれども、本にまだ収録していない「数学・物理通信」の記事ではいくつか調べて書いたかなと思います。もっとも4行4列のマトリックスでは書いたことがなかったのかな。あとで調べてみたいです。

龍孫江さんのインターネットの講義はたまたま見かけたのですが、彼がこの4行4列のマトリックスがどこから来たのか説明をその講義ではされていませんでした。もっともたくさんの講義をしているのだろうから、ほかの講義で種明かしをされているんだろうと思います。

私自身はその講義をすべてみているわけではないので、説明をどこかでされているのかどうかは存じません。


『物理のための数学』の衝撃

2025-02-23 10:45:25 | 数学

『物理のための数学』(ベレ出版)を最近購入した。これは主としてベクトル解析の主要な定理である「ストークスの定理」、「ガウスの定理」についてどのように書かれているかを知りたいと思ってであった。

もちろんそのことについて書かれた章は読んだのだが、他の章も読んでみた。複素関数について書かれた6章とか7章も読んでこの短いページの中に複素関数のことをうまく要約して書かれていることを知った。

それに続いて、昨夜11章、12章も読んでみた。これは私もよく知っているはずの量子力学に関した章である。うまくこの2章に複素数を行列要素とするベクトル空間とかヒルベルト空間へのいざないとかを書かれているのだが、ある種の衝撃を受けた。

これはそれらの事実を私が知らなかったということではない。そうではなくて、そういう解説があればいいのだなという実感である。それであまりいままで読んだことがなかった、今村勤『物理と行列』(岩波書店)を読む気が起きた。

こういう気が起きたのは私には『物理のための数学』のこの11章、12章を読んだためであり、ある種の衝撃を私に与えてくれた箇所である。まだ13章のフーリエ変換の章は読んでいないが、最近ではいい意味の衝撃を与えてくれた書である。

もっとも、こういう感じ方はその人その人によって違うので私がある種の衝撃を受けたからといって、他の人が読んで衝撃を受けたり、感動したりするとは限らない。これは当然のことであろう。

 


体系的なものを目指すか

2025-02-22 16:09:26 | 本と雑誌

私は数学エッセイと自分で言っているものに勢力を使ってあまり体系的なものを目指してこなかった。

しかし、どうも体系的なものでないと評価が低いようである。全く体系的なものを目指したことがないかと言われれば、少しは体系的なものを目指したことはある。

物理の分野ではあまり目指したことはないだのが、数学の分野でのいわゆる「数学ミニマム」とでもいうべき小冊子を定年近くになってまとめて学科の学生用につくったこともある。もちろん先生方にも無料で配布していた。

量子力学の講義のテクストは2,000円かで売っていたのだが、こちらは私の研究費で印刷して学生に無料配布していた。

量子力学の講義のテクストは購入してもらっていたので、私の講義を聞いたある学生は、この「電気電子工学科ミニマム」と称する冊子を高い金を払って購入さされたとまちがえて不平をもらしたサイトを見たことがある。

しかし、これは無料配布で金など取った覚えはない。私のつくった「電気電子工学科ミニマム」は高学年の4回生とか大学院生には好評だったと聞いている。卒業研究とか自分で研究を始めると役立つのだが、低学年ではあまりその有用性に気づかないようだった。

ある数学の先生はこういう簡便なものが出てくると自分の数学の講義を聞いてくれなくなるのではないかという恐れを持った方もおられたとも聞く。そういう心配をされるのもしかたがないかもしれない。

だが、もちろん数学の講義を聞かないために作った小冊子ではない。私などは学校教育を受けるのは一時で、学校に行かない時期が人生の大部分であり、必要があれば、自学自習するしかないと思っている。そして、そういうときはどの大学生の個人にも必ずやってくる。そういう視点がほしいのだ。

「電気電子工学科ミニマム」の目次だけでもあげておこう。

1.はじめに

2.三角関数

3.指数関数と対数関数

4.微分と積分

5.Taylor展開

6.ベクトル解析

7.フーリエ解析

8.微分方程式

9.複素数

10.線形代数の有用な定理と公式

11.偏微分

12.双曲線関数

13.デルタ関数

A1.定数表

A2. ギリシャ文字

A3. 逆双曲線関数

編集後記

である。国会図書館にも1冊だが、この書の第3版を献本してある。はじめの10章まではwordで書いてあるが、11章以降はlatexの原稿となっている。

 

 

 


ブログを書くことなど

2025-02-21 18:25:12 | 本と雑誌

ブログを書くことなど今日は思いつきもしなかった。以前に書いた文書を新しいlualatexに変換する仕事を一日中していた。新しいtexになれるのに時間がかかっている。

それに今日は魔の金曜日である。明日の土曜のただ塾の中学数学の準備を食後にしなければならないだろう。

まあ、日曜のあののんびりした気分を味わうことができると思えば、今日のつらさはなんてことはない。

(2025年2月22日付記)

とかいいながら、22時前後までのんびりしていた。そうだ、明日ただ塾があったのだとはその時に気が付いた。それで夜中の2時まで頑張って準備をした。


viennoiserie

2025-02-20 10:44:43 | 本と雑誌

viennoiserie(ヴィノワズリ)とはなんだ!。50年以上フランス語を学んでいるが、聞いたことがなかった。もっともこれもラジオのNHKフランス語講座の「まいにちフランス語」の初級編に出てきた言葉である。

これは今は前の放送の再放送なので、前にも聞いたはずなので今回ようやく目に留まったという私のお粗末である。「菓子パン類」と訳が付いていた。ちなみに私の持っている仏和辞典Le Dicoにはこのviennoiserieは採用されていない。

菓子パンと聞くと私などは日本人の発明だと思っていた。なぜなら、アンパンとかジャムパンだとかクリームパンだとかはパンも日本化してしまう、日本人ならではだと密かに自慢していたからだ。

少なくとも50年ほど前に住んでいたドイツでは「菓子パン類」は見かけなかったようなパン類だと思っていたからである。

viennoiserieの語源だが、これはviennois, -e(ヴィエノワ)すなわち、「ウィーンの」から来ている。オーストリアから来たパン職人がもたらしたものだということらしい。

具体的にはles brioches, les pains au chocolat, les croissants, les chaussons aux pommes, les pains aux raisins (ブリオッシュ、パン・オ・ショコラ、クロワサン、ショッソン・オ・ポム、パン・オ・レザン)等であるという。

結構菓子パンの類はありますね。そういえば、クロワッサンはドイツにもありました。クロワッサンは普通のパンよりも高価なので、日曜日とか特別な日に食べるとか聞いていました。


午前中に理髪店に

2025-02-19 13:51:19 | 数学

午前中に理髪店に行った。理髪後、ついでにデパート三越松山店の5階にあるジュンク堂へ立ち寄った。

数学その他の理系書を眺めて1冊だけ本を買ってきた。『物理学のための数学』(ベレ出版)である。ベクトル解析についてどう書いているのか関心があるためである。

テイラー展開の説明はこの書でも感心はしない。これは最近読み直しているヨビノリたくみさんの『予備校のノリで学ぶ大学数学』(東京出版)でも同じである。

どうして単刀直入に関数 f(x) が x または x-a のべき級数で表されるとして、このべき級数での各べきの項を両辺を未定の係数を何回も微分することによって決めていくという風になぜしないのか。

もっとも多くの微分積分のテクストを読んでも直接にそこからテイラー展開の説明が始まる本は少ないのが原因であろうが、嘆かわしい。

だから、そういうことを後の方になって書いている本はいくつかあるのだが。この『物理学のための数学』だってそうではないか。

もっともこの書にはLevi-Civitaの記号の縮約の証明が付録に出ていた。これは私のお得意の説明の一つだが、まあよかった。

 


ディドローはどういう失態をしたか

2025-02-18 14:47:11 | 本と雑誌

ディドローはどういう失態をしたか。いやこれはランスロット・ホグベンの『百万人の数学』上によればの話であって、実話かどうかはわからないが。

ディドローはあるときロシアに招かれて、宮廷に滞在していたときのことである。彼の優雅なおしゃべりに大いにロシアの貴人たちが楽しんだらしい。

ただ、廷臣たちに無神論の虫がついたら大変だと心配した女帝は、当時世界一といわれた数学者オイラーに命じてディドローと公開論争を行わせた。

ディドローはある日、ある数学者が神の存在を証明した、というだけで論争相手の名前も知らされずに論争に招待されたという。

オイラーは廷臣たちの居並ぶ前で、荘重な口調で「(a+b^{n})/m=x、ゆえに神在り、返答せよ」と言って論争を挑んできた。代数はディドローにとっては全く苦手であった。不幸にもそれが落し穴だとは気が付かなかったという。

それで御前を退出し部屋に閉じこもり、旅券を申請してフランスに帰ってしまった、という。

もっとも、この話はランスロット・ホグベンのどうも作話だというのが数学者の故遠山啓さんである。ディドローは数学の論文も書いているのだと彼は言っている。

もし、遠山さんの言うことが正しいとすれば、ホグベンのいたずらに私たちはまんまと乗せられたことになるが。お互いに数学に弱いことを白状することになるのである。いや、これは人間らしくていいですか。

 


小学校レベルからはじめて

2025-02-17 23:05:50 | 数学

小学校レベルからはじめて中学高校レベルの数学を題材にした小文がおよそ100あった。正確には99だが、100以上小文を書いてはいるが、どなたかの論文へのコメントとかはその中には入れていない。

武藤徹先生は晩年に平面幾何学のモーリーの定理にこだわっていくつかの論文を書かれていたから、それについてのコメントとかを私も書いたりしている。それらとは直接に関係ないが、大学を定年退職したときに、同僚が開いてくれた退職を祝う会でお話しした自分の大学の講義に関係した感想を述べたスピーチとかもある。

研究に関係したスピーチもこのときではないが、通称で環瀬戸シンポといわれている会でしたのだが、それはその会のレジュメには書いたが、どこにも発表はしていない。

ああそうだった。教育関係のスピーチと一緒に研究関係のスピーチも印刷して祝賀会に来てくださった方々には配ったのを思い出した。これは自己満足である。

他人でその研究に関したこの私の研究の回顧の文章を読んで理解できる人は私以外には私を物理の研究で指導してくださった数名の先生方を除いては理解できないだろう。それくらいマイナーなテーマである。初期の段階での共同研究者だった、H君ももう亡くなってから10年以上になるかもしれない。


できなかったことよりも

2025-02-17 10:09:24 | 本と雑誌

「できなかったことよりも、すこしでもできたことを認めた方がよいのではないか」

これは朝食後に長年にわたって、自分が主宰してきたパソコンクラブを閉じることにした妻に、私が言ったことである。ある出来事があって、それが主な原因かどうかはわからないが、医療生協活動の重要な班活動であった「パソコンクラブ」を閉じることになった妻の繰り言を聞いていて言った言葉であった。

妻もすぐに反応して彼女が最近熱心に聞いているNHKラジオの「ビジネス英語」の講師・柴田進先生がいつも放送の冒頭で『自己肯定感をもって「ビジネス英語」を学びましょうと言ってるね』と返してくれた。

私などはもう半世紀以上も長く学んでいるドイツ語だって片言ドイツ語しか話せないのだが、最近は「片言ドイツ語が話せる」と胸を張って言っている。これこそ自己肯定感ではなかろうか。


金曜日が魔の金曜日なら

2025-02-16 12:47:49 | 数学

金曜日が魔の金曜日なら、日曜日はのんびりの日曜日である。さきほどまで新聞を読んでいたのだが、それを読み終えて、ようやくブログのところへたどり着いたという次第である。

のんびりすることの幸せったらこんな幸せはない。しかし、これも魔の金曜日があっての幸せでもあるのだろう。

私は高校時代にあまり平面幾何を学ばなかった世代であるので、最近の中学数学での平面幾何の証明を学んで得るところが多い。

例えばの話だが、直角三角形の合同条件を示すのをどうするのかは知らなかった。大学に入って物理の初歩で平面幾何の知識が必要なので自分で本を読んで学んだ。そのとき直角三角形の合同条件を覚えたが、その証明は覚えていなかった。

それが今、中学数学の平面幾何でその証明にまで気が向くようになった。なんでも苦労するものである。ただ塾の数学の先生としていちばん役立っているのは私自身にであるのかもしれない