物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

グラフの平行移動

2020-06-30 12:18:17 | 本と雑誌
グラフの平行移動は数学的には中学校の数学か高校の数学の初歩であろうか。

それについていつか詳しい数学エッセイを書いたことがある。そのときに愛媛県数学教育協議会で先輩だった故矢野寛(ゆたか)さんが書かれた論文があることを知っていた。

それをいつか読んでみたいと思っていたが、数か月前にそれを読む機会があった。その論文では2次関数のグラフの平行移動が論じられていた。

そしてその末尾のほうにグラフの平行移動は本質的なことではないとあった。そして、力学の落下運動のような定加速度運動が本質なのだからとあった。

確かに、2次関数の話に限るとそういうことになろう。しかし、私はそれを読んで思ったのは三角関数の平行移動であった。

たとえば、cos xはsin xをx軸の負の方向に90度、ラディアンでいうと\pi /2だけ平行移動させたものである。こういう風にグラフの平行移動を2次関数の限らないとすれば、話は変わってくるのではないか(注)。

この三角関数の平行移動をうまく説明できるといわゆる三関数の還元公式を普通の説明とはちがって説明できるのではなかろうか。

私がグラフの平行移動が大切と思った機会は実は波動現象の説明であった。周期的な現象があれば、これはある場合には振動現象であろう。さらに波動現象となれば、これはある空間的なある場所での振動現象が周りの空間とか媒質に伝わっていくことである。

グラフの平行移動がよくわかっていると振動から波動への移り変わりがよく理解できると思う。

高校でも物理の時間に振動から波動ができるプロセスを講義で物理の先生から教わったことを覚えているが、なんだかよくわからなかったことを覚えている。というかもう一つ納得できなかった覚えがある。

それがいつか、これはもう大学の教師になって10年以上経っていたと思うが、「フィジックス」という雑誌がその当時出版されていて、そのある号で「波動の数学的表現」という論文があった。

それを読んでそこにあった数式をフォロウすることでようやく波動についての基本が理解できたと感じたのであった。

波動とグラフの平行移動とは本当は別のことかもしれない。しかし、空間のある一点での振動が空間に伝わっていくのを理解するのに利用できると感じた。

波動は時間と空間に関係する。振動は振動しているその場所を変えないで、その場所での時間的な運動の変化である。また、グラフの平行移動は時刻など関係しない。

だから、ちがうと言えば、波動とグラフの平行移動とはちがうのであるが、そこに理解のアナロジーを感じている。

(注) 三角関数におけるグラフの平行移動の重要性を教えられたのは大学の元同僚であった、Kさんによる。特にKさんがこのことを強調していたとも思われないが、私は彼の思考からこのことを学んだと思う。

グラフの平行移動でcos xとsin xとの平行移動もわかるが、たくさん出てくる還元公式も理解できる。そのときにグラフの平行移動の基本を理解していないと、この還元公式をグラフ的に理解するときの障害になる。

このグラフの平行移動で三角関数の還元公式を説明するエッセイを書くことは以前から計画しているのだが、まだ書いていない。






もう一年以上にわたって

2020-06-30 11:50:11 | 本と雑誌
三角関数の興味深いエッセイを書きたいと思っているらしいことがわかった。

というのはちょうど一年前のブログの記事が私のところへ届いたからである。要する一年前の記事からまたそれについて新しく追加の事項を書くことを期待されているのだろう。

それでも、結局何の収穫もなく一年を空費しているようだ。いやちょっとは進んだのなのだろうが、もうカメよりもその進行がおそい。

最近、2000年代に書いたe-learningのコンテンツを見てももっといいことを書けなかったのかなと不満が大きい。

一部は興味深い「雑談」とかも書いてないわけではないが、欲求不満を起こしそうである。これは要するに自分の力不足である。

三角関数についての本も数冊買いこんでいるのだが、それらが優れた内容をもっていることは否定しない。しかし、私の望んでいることにはまだたらない。

自分でもどういうことを望んでいるのかよくわからないが、不満というか、まだ魅力に欠けるという点では考えが一致する。

そこが難しい。






近藤康太郎さん(3)

2020-06-29 16:52:35 | 本と雑誌
私のブログの近藤康太郎さん(2)のアクセスが先週の土曜だったか多くなっていたので、また近藤さんが朝日新聞に「多事奏論」を書いたのかなとと思って帰って夜に朝日新聞を見たら、3回目の記事を書かれていた。

インターネットのブログか何かで20数年前に近藤さんの書かれた著書の悪口が高校の同窓生によって書かれていることに気がついたとかあって、それをどなたが書かれたのかなとちょっと考えたがなんだかわびしくなって追及をやめたとかいう風なことが書かれていた。これはもちろん記事の導入部分であった。

ブログもいつもに書いているとなかなか難しいのだが、できるだけいいことは書くが、わるいことはとても偉い総理大臣くらいの人に対してでないと書かないことにしているつもりである。

もっとも、いつだったか最近その枠を踏み外しをしてしまって、自粛のために3週間くらいブログを自粛した。1か月の自粛を自分に課したのだが、それをきちんとは守れなかった。

前にも書いたが、近藤さんのすばらしいと思うところは自分の枠をいつものり越えようとしておられるところだと思う。これはなかなか見習うことができない。


『技術のための13章』

2020-06-29 12:13:17 | 本と雑誌
昨日、先日インターネットで購入した中岡哲郎さんの『技術のための13章』(日本評論社)を読んだ。とはいっても3章と4章とをちょっと注意して読んだが、他の箇所は流し読みである。

この書は武谷三男の技術論への言及があるからである。昔、この本を見たことはあるが、そのときにはまったく読んだことがなかった。けっこう興味深いことを書いていると思っている。

それと福島の友人から教わった嶋啓『技術論論争』(ミネルヴァ書房)をも拾い読みした。

中村静治『新版・技術論論争史』(創風社)を読みたいのだが、これがすごく厚い書なので他の著者で中村さんに対する考えがどういうものがあるのか、前もって知っていないとこの本を読めない。

そういう事情で嶋啓『技術論論争』を福島の友人から教わったので、そのためにこれを読もうとしている。

だいたい私はあまり本を精読したことがない。最近でいえば、『ピタゴラスからオイラーまで』(海鳴社)はかなり注意をして読んだが、それももう1か月以上前のことである。






カードのナンバーが知られた

2020-06-29 11:54:39 | 本と雑誌
私のもっているカードのナンバーが詐欺グループに知られてしまったらしい。

カード会社がそれを差し止めていたので、実質的な被害はなかったらしいが、どうもやられたらしい。


およそ、あやしげなメールはたくさん来るが、たいていは削除している。だが、それでもまちがえて登録してしまったらしい。

わからないが、いくつかの取引の支払いを請求されたらしい。それで、カード会社から確認の書面をもらった。

もっともこれも詐欺かもわからないので、ある銀行までそのフリーダイアルの番号の確認に行った。

それぞれ銀行は自分の会社ではないと言われたが、それでもちょっと食い下がって番号を調べてもらった。それで確認しての電話であった。疲れる。




昔からの知り合い

2020-06-29 11:45:40 | 本と雑誌
昔からの知り合いと電話で話した。

これは妻が自分のスマホで昔の知り合いに電話したおかげで話をすることができた。

新型コロナウイルスのために東京に行くともないし、昔からの知り合いに会うこともほとんどない。

そういうことで久しぶりにお互いの健在を伝えあうことができたことはよかった。このきっかけはもともと昔からの知り合いの写真をプリンターでプリントしたことがきっかけになっている。

妻は昨日カラーのプリンターをぎこぎこ、いわせてプリントしていた。
そして、それの中から昔からの知り合いの写真がいくつか出て来たのである。
   




専門家会議の議事録がなかったのは

2020-06-27 11:48:47 | 本と雑誌
専門家会議の議事録がなかったのはどうも政治家のご都合だったらしい。

これはテレビか何かでそういう話がでていたのだろうか。今朝、妻からそのことを聞いた。

そして都合が悪ければ、政治家は新型コロナウイルスの政策についても専門家の責任として、その政策の責任まで押し付けてしまうという。

西浦博さんがその責任を押し付けられる筆頭にいるらしい。専門家はなんでも諮問をしているだけで、その責任をとらされる筋合いのものではなかろう。

政策を決めているのはあくまで政治家である。その覚悟が政治家にはなくてはならない。

経済の方が最近は優先されて、新型コロナウイルスの感染防止の方は2の次となっている感がある。

いくら、専門家がワクチンが使えるようになるには2年近くかかると言っても安倍首相は日本の科学・技術だったら、1年でつくれるとか半年でつくれるとかいった楽観論を記者会見で話している。

手順を踏んでやらなければならないことを無視してはいけない。それは科学や技術に対する過信というか、「おおぼら」であろう。

現実を厳しく見つめて政策は一番最悪を予想して立てるべきである。そして、それが予想したほどはわるくなければ、そのときには素直に科学と技術に感謝すべきであろう。

そのときに、自分の政策がよかったという風な発言は厳に慎むべきであろう。

眼科に行った

2020-06-27 11:33:15 | 本と雑誌
ひと月に1回行けばだいたい用が足りていた、眼科だが最近は21日くらいで目薬が切れる。それで3週間に1回眼科に行かなくてはならなくなった。

はじめは点眼のしかたが悪いのかとおもっていたが、どうもそうではないらしい。小瓶に入っている目薬の量が少なくなっているのではなかろうかと思い始めている。

調味料のメーカーである、「味の素」のある女性社員が調味料「味の素」の出てくる口の口径をわずかだが広げるというアイディアで、味の素の営業利益を増やしたとかでその女性社員は特別ボーナスだか何かをもらったとかいう話がある。この話はいつも妻からくりかえして聞かされたことがあった。

うそか本当か知らないが、たぶん事実だと思う。そのような合法的な工夫がいたるところでされているのであろう。そしてそれが日本の企業の営業利益を上げている。

眼科に行った話が思わぬ方向にそれた。白内障の人は多いが、私は白内障ではないが、もっと質の悪いほうの眼病の恐れのあるほうである。だから、眼圧が高いといけないので、眼圧を下げる目薬を毎日さしている。

数年前にジェネリックの目薬ができて払う薬の代金がしばらく少し安くなったが、その後1本だったアレルギーの目薬が2本に増えてトータルでは私の払う目薬代は増えている。

いま、ここでそのことの是非を議論するつもりはないが、こういうことは日常茶飯事であろう。






続・加法定理と還元公式

2020-06-26 17:40:26 | 本と雑誌
還元公式を先に学ばないで加法定理を導けないかとあくせくしている。

そのために何かヒントになるものがないかと思って、ソーヤー(田中・宮本訳)『数学へのプレリュード』(みすず書房)を取り出して来て、「行列の代数」のところを読んだら、何のことはない。最後のところで還元公式を使っていることがわかった。

2行2列の回転行列で加法公式を証明できることは事実なのだが、その回転行列を導くところで還元公式を使っていた。

後はうまく還元公式なしに加法公式を証明できそうなのは複素数の積くらいだが、はたしてこれはうまくいくのだろうか。

加法定理から還元公式を導くことはできるが、その加法定理をまったく還元公式を使わないで導くことはまだ私にはできていない。


三角関数の還元公式・再考

2020-06-26 11:19:17 | 本と雑誌
「三角関数の還元公式」についてのエッセイを以前に2つほど書いたことがある。

そして、それらはすでに「数学・物理通信」に掲載したのだが、最近読み返してどうも論旨があまり明解ではない気がしている。

つきつめて考えたつもりだったが、まだ論理が透徹していないのではないかという感じをもった。これではだめだ。もっとしっかりした、あいまいさのない論理で書かないといけない。

そういう反省をいまもっているのだが、なかなかどういう風に書き替えたらいいのかというアイディアが浮かばない。

世の中の頭のいい人から見たら、なにをもたもたしているとお叱りを受けそうであるが、しかたがない。


zoomドイツ語クラス(第3回)

2020-06-26 10:51:33 | 本と雑誌
zoomを使って遠く離れた人と話すという体験をようやく3回した。

いや、東京にいる子どもと1回したことがあるので、4回といった方が正しいか。

それはともかく4人のクラスで先生を含めてなら5人のクラスである。昨夜はみんなはじめてということでいろいろ使い方の指導があった。だからドイツ語ははじめはそっちのけである。

私たちのクラスは中級以上であるので、フリーにみんな話せる達意のドイツ語とはなかなかいかないが、カタコトドイツ語だが、いろいろのことを話そうとする。

それがやはりかなり難しいのだ。テーマがあるというか、自分で何かを決めてここ数か月の自分のしたことを話すのである。

普通だったら、それに日本で最近起こった事件とかニュースとかドイツで起こった事件とかニュースとかそういう話をするのである。これはかなり難しい。

大抵はそういう用語をドイツ語の勉強で教わったことがないことを無理やり話そうとするのである。もちろん、ドイツ語で。



三角関数の原稿

2020-06-25 17:30:08 | 本と雑誌
このところ三角関数についての原稿を書いている。

ところが別のところにある原稿が今書いている原稿よりも先まで進んだことを書いていることに気がつかないでいたことに気がついた。

何のことはない、別の原稿からはじめて同じような経過をたどりつつあったことに気がついた。もちろん、はじめの下書にしていた原稿はまったく同じところから出発している。どうも 全く忘れていたらしい。

それでちがうことも書いているのだが、正方形を二つに分割して直角二等辺三角形を描いたところとか正三角形を二つに分割して内角が30度、60度、90度の直角三角形を描いたところなどまったく一致していた。

そのキャプションまでほとんど一致していたのには私の方が驚いた。まったく記憶がなかったからである。

それにしてもこの記憶のなさには自分のことながら、あきれ果てた。どうも認知症の気があるのかもしれない。


徳島県の出身者

2020-06-25 13:10:30 | 本と雑誌
徳島県の出身者というか徳島が生んだ人についての感想である。

これは徳島の人だからかどうかはわなからない。

私にとって一番有名な徳島出身の人と言えば、作家の瀬戸内寂聴さんだろう。95歳か96歳かの高齢ながらお元気で朝日新聞に定期的に記事を書いておられる。

急に身近な人になるが、徳島科学史会を主宰する西條敏美先生を挙げておかねばなるまい。来年はこの徳島科学史会の創立40周年になるという。

彼は科学史学の関係では有名人であるが、一般にはそれほど知られていないかもしれない。

最近では知名となったのは徳島県人といえば、シンガーソングライターの米津玄信(よねつけんし)さんであろう。パプリカの歌はNHK2020ソングで有名となった。

私は昨年の年末のNHKの紅白の番組を見なかったのだが、そこでよく知られるようになったらしい。

それにこれはあまり知名の人ではないが、主夫をしながらだかどうだかは、よくは知らないが、独自の研究をしている、理論物理学者の井口和基さんを挙げておこう。

これらの人はみんな徳島の関係者であるが、それぞれ独自な人たちである。

それに加えて、愛媛県の出身であるが、徳島県阿南市の日亜化学に勤めていたときに、そこでノーベル賞物理学賞となる業績を挙げた中村修二さんも挙げておこう。

徳島という土地がそういう独自性を生み出す雰囲気をもっているのだろうか。


NPO法人 翼学園

2020-06-25 12:49:49 | 本と雑誌
同じ松山に住んでいながら、今日まで「NPO法人 翼学園」を知らなかった。

なんでもこの法人の理事長、大野まつみさんはもうこの分野に携わって35年だとかという。「愛媛教育関係九条の会」に関係しているので、この学園の窮状を訴えるパンフが入っている封筒を受け取った。

それで、さっきまでその翼学園のホームページを見ていた。世の中には奇特な人がいるものでここも広い意味で言えば、フリースクールであろう。学習の助けもしているらしい。

職員は3~5人らしいが、なかなか運営は厳しいであろう。

いわゆるフリースクールは松山ぐらいの町ならば、一つや二つはあるかと思っていたが、それでも具体的には知らなかった。

それでそのパンフが入っていた理由だが、寄付金を募集しているのだった。

これは私事だが、お隣の中学生君が学校に行かない(私は彼が行けないのではなく行かないと解釈している)というので、数学のエッセイを書いて彼に見てもらうという活動を始めた。

もっとも彼は最近になって学校に行き出したという情報もある。詳しいことは知らない。



 

反数

2020-06-24 17:05:58 | 本と雑誌
反数(はんすう)という用語を知っている人はあまりいないのではないか。これについてはずっと前にもこのブログで書いたことがある。それがいつだったかは覚えていない。

私が反数という用語を知ったのは遠山啓『数学入門』(岩波新書)読んでだったと思う。遠山さんは私たちがあまり使わない、いろいろな用語を使う人だったので、これはてっきり遠山さんの作った用語だと思っていた。

ところが、Bellの『数学をつくった人々』(東京図書)を読んでいたら、反数という言葉を見かけた。それで一般的用語であることを知った(注1)。

もっともそれが英語でもともとどういうのかはそのときはわからなかった。しかし、Bellがつかっているのだから、それに対応した英語があるには違いないとは思った。

どういう機会だったかもう覚えていないが、「反数」の元の英語はoppositesというのだと知ったのはそれからどれくらいたっていたのだろう(注2)。

反数とは足し算や引き算で出てくる用語であり、もしある数  a があると、それの符号を変えた -a のことである。

掛け算や割り算であれば、a に対して b をかけて1になる数があり、この数を逆数とよぶ。ab=1となる b は b=1/a である。加減算での逆数ともいえるものが反数だった。

(注1) ちなみにBellの『数学をつくった人々』の原題は"Men of Mathematics"だったと思う。

(注2) 反数をopposite numbersと書いていたが、英和辞典を引いてみたら、これはもっと別な意味らしい。武藤、三浦『算数・数学用語辞典』(東京堂出版)で反数を引いたら、そこには対応した英語がなぜか書かれてなかったが、私がボールペンの赤字でoppositesと書き入れていた。

これは銀林浩・純 父子の著書『数・数式と図形の英語』(日興企画)で知った用語であった。ちなみにBellの『数学をつくった人々』(東京図書)の訳者の一人は銀林浩さんである。

また余計のことだが、銀林さんの名前は「ひろし」ではなく、「こう」というらしい。銀林さんは一度だけ高知での数教協全国大会でお見かけしたことがあるが、貴公子のようなとてもハンサムな方であった。

(2020.6.26付記) 反数をopposite numbersという訳語も正しいらしい。ただ、opposite numberで英和辞典を引くと「反数」という訳語はでて来ない。