物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

続『学力喪失』

2024-12-23 10:04:35 | 数学
『学力喪失』(岩波新書)のp.19に中学生になっても数学の弱点というか克服されていない項目として4項目が書かれている。

詳しくは上記の書を購入して読んでいただくのがよいが、項目的に挙げておく。

1.数量を「数学の記号」として表現できない。数字や記号の意味も方程式の意味も分かっていない。
2.分数とか割合の意味が理解できていない。
3.たし算、ひき算、かけ算、わり算の意味がわからない。
4.数学を学ぶ意味がますますわからなくなっている

とでも要約しておく。

中学生に固有の悩みとしては1.であるが、その前に2.と3.とが問題であろう。

これらを積み残しているのなら、やはり4.の数学を学ぶ意味はわからないだろう。

もっとも分数を理解する「記号接地」として分数を含む数のカルタのゲームによっていわゆる「記号接地」ができそうだ。分数を数として量分数として学ぶという考え方なのはよかった。

まだ割合分数として教えるのが主流ならどうしようかと思った。もちろん1/2とか2/3とかの分数の意味としての説明で割合としての意味を教えるのはありだろう。

しかし、それは意味の導入としてはあろうが、あくまで連続量の大きさを表す数として位置付けるということであろう。

数のカルタのゲームはとてもいいと思う。

割合自身はいろいろ難しいところがある。割合の意味するところについての分析は数学者の遠山啓さんが詳しくされており、それを教える体系もできていると思うが、その細部にわたってはいろいろ各論の余地はあろうかと思う。

私もお教えを受けたことがある、故矢野寛(ゆたか)先生などもそれについて解説を幾度となく書いておられるので、ここでは紹介できないが、どこかで公表できたらいいと思う。

すでに矢野先生がまとめた書を愛数協のブックレットして発表なさっている。
ただ、それが一般の数学の先生に知られるところまではいっていないと思う。

『学力喪失』第8章

2024-12-22 18:48:27 | 数学
『学力喪失』(岩波新書)の1-3章と終章をまだ読んでいないのだが、他の章はすべて読んだ。一番面白かったのは8章である。これは意外だった。

だが、一番この章が好奇心を刺激して、興味深い学校教育を示唆している。アメリカではいわゆる先生をもうteacherとはいわずfacilitatorというと以前に聞いたことがあったが、日本でもまだごく一部かもしれないが、そういう教師が出現しているということだろうか。

ファシリテーターという語もこの8章で出てきている。そういう学校での授業ができる基盤が日本でもできつつあるということだろうか。

遊びなのか学びなのかわからないような楽しい授業ができれば、それはとてもいいですね。

そういう望ましい教育が模索されている、一方で教育現場は多時間労働や心労や多忙を極めると聞くとそういう職業を目指す若い人はいなくなるだろう。

内容は分数や小数をゲームで理解するとかであり、これは興味深い。代数の初歩で驚くべきまちがいを多くの中学生がしているとか。

こちらについてはこうしたまちがいを防ぐ対策は書かれていなかったが、やはり面積図の出番かなと思った。これは多項式の項を面積図で表す方法である。同類項をまとめるとかにも役立つ手法である。

面積図については私もどこかに書いたような気もするが、まだ書いていないかもしれない。もし、書いていないならば、至急に書き留めておく必要がある。

愛数協の機関誌「研究と実践」には過去に故矢野寛(ゆたか)先生が面積図を使った因数分解とかかなり書かれているのだが。

比例式の扱い方

2024-12-21 15:51:12 | 数学
以前に比例式のことについて数学・物理通信に記事を掲載したことがある。要するに比例式を比の値で全部取り扱うようにしたいとの考えからしたことであった。

その考えが細部までうまく機能しているのかが、いま問われていると感じる。実は三角形の相似比とか面積の比だとか体積の比だとかを書いた中3の教科書の章を読んで、それについて生徒さんに話している。

比の値を中心にして比例式をまとめられた本は私の知る限りでは松坂和夫さんの『数学読本』しかない。これは分数式で比例式を逆に導いている。

実は「比と比例式とを考える」というテーマですでに「数学・物理通信」にレポートを提出してそれが掲載されている。こういうことを考える人は数学教育の関係者でも少ないのではないかと考えている。

ただ、連比の場合にはどう取り扱ったらいいのか、そこらあたりをはっきりさせた議論をしなくてはならない。

なかなか一筋縄ではいかないかもしれない。だが、よく考えて一つの教える体系をつくっておく必要がある。





『学びとは何か』から『学力喪失』へ

2024-12-19 13:13:37 | 数学
『学びとは何か』の方は一つの章を除いてすべて読んだ。変則的な読み方ではあるのだが。

それで『学力喪失』を昨夜遅く読み始めた。数の概念が分っていない、分数が分っていないという小学生が1/3くらいはいるらしい。

まあ、人生において数の概念がなくても生活に支障なく暮らしては行けるのだろうが。

私の妻の友人とか知人の家族にいわゆる引きこもりの息子さんがおられる人が複数いる。その程度はわからないが、どこかに勤めるとかして働くことができないという点では同じである。お母さんの年金をあてにして生活をしている。

私の妻は普通の人で特に変わった友人、知人をもっているわけではない。それでもそういう引きこもりの子どもを持つ親御さんと友人、知人だとかがいるということは社会が老化しているということだろう。

いやこれらの方々が数の概念が分らないとか、分数すらもわからないというのはあまりにも判断が拙速ではあろう。

だが、そういう例があまり稀ではないという証拠かもしれない。

私のとっては『学力喪失』の方が身につまされる話ではある。

球面三角法とその導出法

2024-12-15 21:59:43 | 数学
『四元数の発見』(海鳴社)を書いたときに、その第11章「四元数の広がり」で四元数の話題についていくつかを述べた。

その中の一つに「四元数と球面三角法」という項目がある。堀源一郎先生の 『ハミルトンと四元数』には四元数と球面三角法の言及があるので、それに悪乗りして球面三角法の公式をいくつかの方法で導いてみたいと述べた。

それから10年以上が経つのだが、その課題をクリアできていない。しかし、ぽつぽつと文献を読んだりはしている。その中の一つが球面三角法の重要公式を現代的に導くという課題がある。

現代的に導く方法も一つではないのだが、その一つにベクトル代数を使うという方法がある。その方法はインターネットで調べるといくつかの記述があるのだが、私にはベクトル代数の公式を使うところが難しく思えていた。

ところが年月が経つうちにそのベクトル代数の導出の部分というか運用の部分がそれほど難しくはないと感じるようになっていたという話である。

私はベクトル解析の一番重要な定理である、ストークスの定理とガウスの定理についてはまだ納得したとは感じていない。いくつかのテクストでその証明を追いかけたことが数回あるにもかかわらず。

だが、ベクトル代数の方は今では難しいとは感じていない。それは一つにはLevi-Civita記号の理解をしたと考えているからだし、他の理由もある。

それにベクトル3重積の公式の使い方として中央項ルールというのを知ったからでもある。

そういうこともあってだんだん球面三角法の公式の導出になじみができていると感じている。

ただ問題は球面三角法の公式の方が平面三角法よりも前から知られていると数学史の本とかでいわれているので、その導出法を知りたいと思っている。だが、そのことについて書いた文献を見たことはない。

ベクトル代数と球面三角法

2024-12-14 16:33:04 | 数学
以前にベクトル代数を用いて球面三角法の定理を導くというインタ―ネットの記事をプリントしていてそれを読もうとしたことがあった。

ところがここに出てくるベクトル代数の公式が複雑で分かった気にならなかった。ところが最近をその記事を再度見てみると何のことはない。ベクトル代数の部分がそれほど複雑には感じなくなっていることに気がついた。

これは一つにはベクトル3重積の公式の覚え方で中央項ルールというのを知ったことが大きな理由である。それとLevi-Civitaの記号を用いたこれらの公式の導出法を知っていることも理由であろう。

ということで球面三角法における、ベクトル代数の重要性を再認識している。あまり顕著な認識の進歩をしてはいないが、少しづつではあるが、進歩がないわけではない気がする。

人がちがえば、意見がちがう

2024-12-05 13:41:12 | 数学
人がちがえば、意見がちがう。

こんなことはもちろん誰でも承知していることだろうが、それでもそれを実感する機会はいつでもある。

先月書いた数学セミナーに投稿した原稿「四元数入門」に意見がついて帰って来た。大筋では編集者に合意されていた原稿ではあるが、やはり文章は細かく吟味されている。なるほどと思うことが多いが、やはり意見の差とか考え方の差もあるだろう。

それを数日中に修正して返却しなければならないことになった。主に編集者の意見に従うつもりだが、一箇所だけちょっと書き方をこれから考えた方がいいかと考えているところがある。

修正意見は正しいのだが、そこを少しは自分らしさが出せないかと考えている。

かけ算の意味がわからない子ども

2024-12-01 15:23:07 | 数学
昨日は土曜日だったので、ただ塾の先生に出かけた。

今日は首ねっこをつかまえたような感じで生徒さんに対応したので、途中で原因はわからないが胃がしくしくと痛んだ。

家に帰ってからもしばらく痛んだが,照明を消して暗くして、FMのラジオで音楽を聞いていたら、いつの間にか痛みは止まっていた。

夕食の話題はただ塾の生徒さんが話を聞いてくれたかという話を妻が聞いてくれたので、むりやり教科書の問題を読ませて考えさせたと言ったら、塾に来た子どもで掛け算の意味がわからなかった子がいたという話をしてくれた。

本人に責任があるという風には考えなくて、教え方の問題であると考えていると妻は言う。もしそこらあたりから数学のわからなさが起因しいているとすれば、かなり重症である。

大抵の子どもは本当によくわかっているかどうかはわからないが、なんとかかけ算の意味を了解して使いこなせるようになるのだが、そういう子どもばかりはないということである。

世の中に少数だが、そういう子どもがいることは認識しておきたい。

妻によるとかけ算の意味がわからないのだから、割り算はもっと難しいのだと思うとのことであった。

かけ算の意味ががわからないと思っていた子どもさんも自分がわからないことで塾の先生に迷惑をかけたと思っていたようだという。

「本当はわからない子どもがわるいのではなく、そういう感覚を持つ子供はすぐれた感覚の持ち主なのかもしれないね」という結論に達した。

しかし、それに対する対策はなかなか思い当たらない。

普通には(一当たり量)の(いくつ分)ということでかけ算の意味を教えるのだが、そういう教え方が通用しない子どもがいるということを示しているのだろう。

(ある量)の(何倍)ということで教える先生もおられるだろう。

かけ算の意味はどうだったかを深く考えなくてはならないだろう。

私などは3+3+3=3*3などと教えられたが、そういう教え方ではない教え方が現在ではされていると思う。

しかし、わからない子どもにはいろいろな教え方で教えて見て一つでもなっとくできる方法があれば、いいのだが。

代数の基礎

2024-11-29 13:48:43 | 数学
代数の基礎とは、大層たいそれたタイトルのエッセイを書いている最中(「さいちゅう」と読んでください。まちがっても「モナカ」とは読まないように)だとは何回もこのブログで書いた。

本文はかなりできてきたので昨夜から図を少しづつ描き始めた。とはいっても図そのものは難しいものではない。ただ手間がかかるだけである。

そして、図の入力にはtikzを使っているので、いつもtikzの使い方を書いた文書を取り出してきて読むか、そうでなければ前のプログラムをそのままコピーしてきてそれを少しづつ変更して使っている。もっともそのためには変更して使えるのに、適当な図をどこに描いていたのかを探さなければならない。

昨夜もそういうファイルを見つけるという作業を何回行った。

この「代数の基礎」は12月23日発行予定の「数学・物理通信」14巻7号に掲載される。


高校時代の数学の教科書

2024-11-27 11:50:05 | 数学
高校1年のときの数学のテキストはあまりよくないもので、その上にあまり教え方のよくない数学の先生に数学を学んだために数学が嫌いになった(注)。

もちろん、だから数学がよくできるはずもない。先生は高校2年になってもかわらず教え方の下手なM先生だった。だが、2年の教科書は好学社の田島一郎先生の編集だった。これは1年のときの教科書と比べて格段によかった。

私は理系だと思っていたが、高校一年のときに数学がわからなくなって文系に進もうかと思っていた。しかし、2年の途中になって自分の性質として理系にもどった方がいいと判断した。

それで苦手な数学を何とかしたいと考え出した。そのときに父親が買ってくれたのが考え方で有名だった藤森良夫先生の学習参考書『解析の基礎』前、後、続編(考え方研究社)だった。この本と田島先生の2年の数学のテキストとは私の大切な本となった。

これらの本のおかげでようやく私は高校数学のわからなさから抜け出すことができた。しかし、相も変わらず計算が下手なこととかは私の本来もっている頭が鈍さからくることでなかなか計算上手にはなれない。

(注)これはこの先生が授業時間中に教科書に書いてあることしか板書せず、またハッとするようなある種のコツとかなるほどと思うようなことは一言も言わなかったからである。

その上に教科書はまた読むにも耐えないものであった。挙句の果ては三角関数の余角公式だとか補角公式だとかの還元公式と私が呼んでいる公式を記憶して使えるようになさいとまでこの先生は宣われた。

私にしてもはじめは先生の言う通り素直に丸暗記を試みたと思うが、覚えたときにはしばらくは記憶がもつが、ちょっとするとどの公式に負号がついており、どれにはついていないのかが混乱してきて覚えられないのである。

後で、藤森良夫先生の『解析の基礎』続編にはこれは角度がどの象限にあるかを図を描いて符号を決めるのであって、丸暗記するものではないと書かれてあった。

sinとかcosの中の偏角に+\pi /2がでで来ようと-\pi /2がでて来ようと、それらの奇数倍であれば、sinはcosにcosはsinに変化することだけ覚えて、前に付く符号は角がどの象限にあるかで決めるという。

またsinとかcosの中の偏角に\pi の整数倍があれば、sinはsinにcosはcosで関数は変化しないことだけ覚えて、前に付く符号は角がどの象限にあるかで決めればよいという。

もちろん、cosは第1,4象限が正であり、第2,3象限は負であるとか、sinは第1,2象限で正であり、第3,4象限で負であることは覚えておかなればならない。

しかし、このことはcosとかsinの定義 cos \theta=x/rとsin \theta=y/rを知っていれば、すぐにcosとかsinの各象限での符号はすぐわかることで棒暗記する必要はない。



2次関数の平方完成

2024-11-26 12:29:10 | 数学
2次関数の平方完成を恒等式変形の1種として紹介することにした。もっともこれは「代数の基礎」というタイトルのエッセイの付録に書こうとしている。

もう一つは題材は単振動の合成についてである。こちらも恒等式変形の1種として同じエッセイの付録に載せるつもりである。こちらにも1=a(1/a)という技巧が使われている。

これらは主な話の筋の本文に載せるのははばかられるので付録にしている。この付録には恒等式の変形ルールの図示も載せようと思っているが、なかなか図を描くのがおっくうである。難しい図ではないのだが。

すでに「2次式と平方完成」というエッセイでは以前に2次関数の平方完成を図示したこともある。

昨夜書き加えた恒等式の変形では同類項をまとめる(同類項を簡約する)もある。また移項という考えも方程式の変形に関して説明をここに書いておいた。

さて今日は何をする

2024-11-25 10:19:18 | 数学
さて今日は何をする。前に書きかけていた「代数の基礎」というエッセイを書き続けることにしようか。

眼の使い過ぎによってめまいを起こしたので、その執筆を中止していたのだ。あれから1週間と数日経ったのでようやく通常に復帰して感じがする。もっとも、これは数学ミニマムと題するファイルに手書きのメモが眠っているのを最近見つけた。

それとただ塾の生徒さんの学習資料として書いたものとを融合しようとしている。

「代数の基礎」とはたいそれたタイトルだが、まあ許してもらうしかない。



球面三角法の公式の導出

2024-11-24 22:01:31 | 数学
球面三角法の公式の導出が少しづつ頭に入り始めている。完全に頭に入ったというまでにはまだなっていないが。

昨晩、インターネットのサイトからプリントした文献を読んでいて少しづつ頭に入りそうになってきた。

いまのところは余弦法則と正弦法則である。頭に入りそうなのは。他の法則にはまったくまだ手が届かない。

一つは平面三角法を用いた導出であり、もう一つはベクトル代数を用いた導出である。

球面三角法の現代的な導出も一つではない。私の知る限り少なくとも2つはある。私としては発見法的な導出を知りたいと思っているが、それはどこにも書かれたものをまだ読んだことがない。

(2024.11.26付記)最近ネットで見た球面三角法の導出の説明での参考文献にアラビア語とラテン語の文献があるらしい。これはドイツの出版社が出版している書籍らしいが、もしアラビア語ならまったくちんぷんかんぷんだし、ラテン語も読めない。もっともラテン語ならこれからでも学んで読めるようになることも不可能ではないかもしれない。

昔の知己の山本義隆さんはラテン語を予備校勤めの傍ら学んだとかどこかに書かれているのを読んだが、さてはて、そういうことまでできるかどうかはわからない。

比とは比の値のこと

2024-11-23 16:41:33 | 数学
土曜日、恒例のただ塾を終えてほっと一息ついたところである。

毎土曜日に何を教えるかにいつも苦労している。今日は比ということについて「比とは比の値のことだ」との和達清夫さんの中学校時代の数学の先生の話を述べた。

例えば a:b=c:d は、すなわち、a/b=c/d である。いつまでも a:b=c:d を使い続ける理由がわからない。 a:b=c:d には等式の性質は使えないのである。昔から「内項の積は外項の積に等しい」、すなわち ad=bc という等式を使うが、この性質の由来ははっきりとは示されない。

日本では「比とはなんだ」ということについてあやふやである。数学教育の権威であった遠山啓先生でもなかなか割り切った論説を書かれていない。もちろんそれはそれなりの理由があろうが。

その点で「比とは比の値のことだ」と教えた、和達清夫さんの数学の先生の卓見を貴ぶ。今年(2024年)の7月に亡くなった武藤徹先生も『新しい数学の教科書』II  図形編(文一総合出版)p.154で
 a:b=c:dはa/b=b/dとまったく同じことです
と書かれているが、さてはて他の数学の書ではどう書かれているのだろうか。

私の体験によるとドイツではa:bは日本の割り算の意味に使われているということを知っている。もっともヨーロッパでも他の国で同じようであるのかどうかはわからない。


積分記号下での微分による積分

2024-11-22 16:09:06 | 数学
積分記号下での微分による積分についてはこのブログでも何回も書いた。

この積分法のことをFeynmanの積分法と題してこのブログに書いたところ、場の量子論の大家のN先生に積分記号下での微分による積分はFeynmanの考え出したものではないとのお叱りを受けた。

そのお叱りはまったく正当なのだが、ちょっと『ご冗談でしょう、ファインマン』を読んだ後だったので、それに悪乗りをしてしまったきらいはあった。

ストロガッツの本にもその方法に触れた例があるとここブログで書いたこともある。Woodsの本がFeynmanの学んだ元の本だった。そこで一度そのWoodsの本のその箇所をよく読んでみたいと考えている。

該当箇所は20数頁らしいのであまり根気の続かない私でも読めるのではないかと思っているのだが。果たしてどうだろうか。