物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

校正

2005-08-29 20:16:47 | 学問

前にも言ったことがあるが、ゴールドスタイン「古典力学」の2章と3章の校正を続けてやった。

校正はくたびれる。もっとも歳だから何をしてもくたびれるのだが。

校正刷を宅急便で送ろうとして佐川急便の取扱所を探したが、近所を歩き回っても見つからず結局インターンネット
で場所を確かめて持っていった。

馬鹿だなあ、と思う。なんでインターネットで場所を確かめることをしなかったんだろう。
1時間以上を空費したのだから。


虚数ポテンシャル

2005-08-26 20:22:21 | 物理学

またまた昨年に引き続き虚数ポテンシャルの散乱を調べようとしている。

今年はBorn近似でphase shift とreflection parameterを調べるつもりである。式の計算はすでにしているが、数値計算が残っている。Yukawa型とGauss型のポテンシャルについて計算をするつもりである。

特に、phase shiftがエネルギー変化とともに符号の変化を起こすのかどうかが関心のある点である。

というのは昨年の計算は井戸型ポテンシャルであったので、ある意味でそのポテンシャルの境界で粒子の反射が起こっていたかもしれない。

それをBorn近似ではあるが、急激な変化のないポテンシャルで調べてみようと思っている。

さらに、厳密解がわかっている他のポテンシャルでもしらべてみること、またYukawa型やGauss型のポテンシャルでの数値解を求めてみることも計画の中に入っている。

しかし、これは来年度以降のテーマとなるであろう。


武谷言行録

2005-08-22 22:57:48 | 学問
武谷三男の面白い言行録を集めておこうと思っている。それを徳島科学史研究会の雑誌の投稿原稿に入れたいのです。

いろいろ面白い話があるのですが、どれくらい集められるか、まずは気のついただけ書いて、もしまた見つけられれば続編を書くというようにしたいと思っています。


徳島科学史研究会での講演

2005-08-20 20:28:21 | 学問
今日の午後に標題の学会での講演をした。話が50分、質疑が10分であった。二人ほど質問があった。難しい質問とそれほど難しくない質問とがあった。うまく答えられたか自信がない。

その後、懇親会に出せてもらい、いまさっき帰ってきたところである。なかなか分野の幅が広くバラエティに富んでいる。中にはその研究で学位をとった人がいた。その人は医学の関係の人で、ターフェル・アナトミアについての実際の史実を探している人である。紙のことを調べている人もいた。その人は農学博士と工学博士の二つの学位をもっているということだった。世の中には勉強家の人がいるものだ。

西條先生は気さくな方だったが、沢山の本を出版している人である。私も2冊ほど西條先生の本をもらった。これは一つは絶版になっている本である。有難いことである。


講演の準備

2005-08-18 18:32:51 | 学問
ようやく講演の準備が一応できた。科学史を専門にする人の会に呼ばれたので、50分くらいのお話の準備をしていた。素粒子のことをあまり最近勉強していないので、少し勉強して話をしようかと思ったが、いろいろな専門の人がいるとのことで立ち入った内容は断念した。パワーポイントで図を入れようとしたのだが、あまりうまく図を描けない。

でも、人間ってある種の強制があると勉強するものですね。私は特に怠け者だからある種の強制がないと勉強などしないのです。そういう意味では学校の先生というのはよかれ悪しかれ勉強せざるを得ないところがあるのですね。

もちろんある程度時間に余裕があることが絶対必要だとは思うのだけれど。そうでなければ、その日暮らしで教える内容を深めるところへは行きはしない。

武谷三男は教育は嫌いだと言うが、なぜ嫌いなんだろう。押し付ける教育ならそれは面白いはずがないが、教育は押し付けばかりではない。自分で心ゆくまで考えるということもいいはずだ。


お盆

2005-08-14 15:12:06 | 日記・エッセイ・コラム
今日はお盆の中日。本当は父母のお墓参りに帰らなくてはならないのだろうが、兄にまかせっきりとなっている。すみません、兄貴。さすがに暑い。高校野球も佳境に入りつつある。パソコンの前に座っても汗がにじみ出る。エアコンをかけて昼寝でもしたらいいのかも知らないが、因果なことに8月20日の話の準備をしている。


三段階論とQCD

2005-08-13 11:52:22 | 物理学

三段階論はもちろん武谷三男の三段階論である。QCDはQuantum Chromodynamics(量子色力学)である。この二つがどんな関係にあるといわれたら、全く関係がないよというのが専門家の考えであろう。

でもいつのころからか私はQCDが形成される段階は武谷の三段階論にしたがっているのではないかという考えをもってきた。少なくとも誰かの書いたものからそんなことを思いついたのではないから、もしかして誰かが私と同じことを考えているということもありうる。

話の筋はdeep inelastic散乱でBjorkenのスケーリング則が見出されたが(現象論的段階)、SLACのepのデータを見たFeynmanがそのデータからpartonモデルを考案した。それはスケーリングを説明しただけでなくハドロンは多くの点状粒子から成り立っているという新しいハドロンの猫像をつくった(実体論的段階)。そして、そのことからGross-WilczekやPolitzerのasymptotic freeな量子場の理論ができて、摂動論的QCDができあがった(本質論的段階)。

もっともasymptotic freeな量子場理論ができあがるにはこんな単純な推論ではなく、もっと面倒な事実があったのだが、できあがった経過を細かな議論を抜きにして考えると上のような三段階論にしたがった推論になる。

三段階論は科学史家の広重徹氏には不評であったと思う。広重氏の批判はあたっていたかもしれないが、広重氏が新たな彼自身の方法論を提示しなかったという点に不満が残っている。だから広重氏の武谷に対する批判はたとえ部分的にあたっていてもそれを乗り越える創造的な観点があるとは広重氏の本を読んでは感じられなかった。昔のことで本当にそうであったかはわからないが、一応私の見解をここに記録しておく。


老々介護

2005-08-09 16:49:49 | 健康・病気
妻の父がこの3日ほど滞在した。なにせ立って歩けないのでトイレに行くときは必ずお呼びがかかる。それもトイレに行っても必ずしも用が足せるわけではないから、なかなか面倒である。それを本人も承知しているから恐縮しているが、這ってでも自分でトイレに行くというほどの気概はない。また、たぶん足が腫れているから這ってトイレに行くこともできないのだろう。

これはもし自分ならどうするだろうと思うと少し憂鬱になることである。もし這ってでもいけるなら、自分で用を足そうとするとは思うが、しかし、なにせ25年後の自分のことは想像がつかない。その歳まで自分がもし生きていたら、どうするだろうと思う。

退職してから感じるところだが、どうも健康には自信がなくなった。自分自身は90歳を超えてまでは生きないだろうと思う。私の母が74歳で亡くなったから、私もその程度しか生きないだろうと思っている。もし、90歳くらいまで生きたとしたら、どのように生きるか。できるだけ人と交わり、体を動かすようにしてできるだけ足の筋肉が老化しないように心がけ、迷惑を子どもや他人にかけないようにしたい。

それと何歳になっても創造的に生きたい。創造的に生きられなくなったらどうするか。それでもできるかぎり創造的に生きる方策を求めるつもりである。もし、ひどい病気になったら無益に延命措置をすることはすまい。
そんなことを考えさせられたここ数日であった。


試験の採点

2005-08-02 11:19:32 | 受験・学校
試験をする方の側になってからもう何十年だろうか。試験を受けるのも嫌だったが、試験の採点も嫌なものである。一生懸命教えたつもりがなんと暗記物みたいになって理屈はともかくも試験前に覚えていたことをようやっと書いたという感じの答案を見るのはつらい。いつものことながら、私は何をやってきたのだろうと思ってしまう。むなしい。しかし、そんな感傷にひたるまもなく試験結果を出さなくてはならない。

まあ、そうはいっても今年の3月に定年になり、今年は非常勤講師だから来年はないので、まあ仕方がないだろうと思っている。できるだけ単位を出すように努めては見よう。そう思いながら、一昨日、昨日、今日と採点をしている。