前にも言ったことがあるが、ゴールドスタイン「古典力学」の2章と3章の校正を続けてやった。
校正はくたびれる。もっとも歳だから何をしてもくたびれるのだが。
校正刷を宅急便で送ろうとして佐川急便の取扱所を探したが、近所を歩き回っても見つからず結局インターンネット
で場所を確かめて持っていった。
馬鹿だなあ、と思う。なんでインターネットで場所を確かめることをしなかったんだろう。
1時間以上を空費したのだから。
前にも言ったことがあるが、ゴールドスタイン「古典力学」の2章と3章の校正を続けてやった。
校正はくたびれる。もっとも歳だから何をしてもくたびれるのだが。
校正刷を宅急便で送ろうとして佐川急便の取扱所を探したが、近所を歩き回っても見つからず結局インターンネット
で場所を確かめて持っていった。
馬鹿だなあ、と思う。なんでインターネットで場所を確かめることをしなかったんだろう。
1時間以上を空費したのだから。
またまた昨年に引き続き虚数ポテンシャルの散乱を調べようとしている。
今年はBorn近似でphase shift とreflection parameterを調べるつもりである。式の計算はすでにしているが、数値計算が残っている。Yukawa型とGauss型のポテンシャルについて計算をするつもりである。
特に、phase shiftがエネルギー変化とともに符号の変化を起こすのかどうかが関心のある点である。
というのは昨年の計算は井戸型ポテンシャルであったので、ある意味でそのポテンシャルの境界で粒子の反射が起こっていたかもしれない。
それをBorn近似ではあるが、急激な変化のないポテンシャルで調べてみようと思っている。
さらに、厳密解がわかっている他のポテンシャルでもしらべてみること、またYukawa型やGauss型のポテンシャルでの数値解を求めてみることも計画の中に入っている。
しかし、これは来年度以降のテーマとなるであろう。
三段階論はもちろん武谷三男の三段階論である。QCDはQuantum Chromodynamics(量子色力学)である。この二つがどんな関係にあるといわれたら、全く関係がないよというのが専門家の考えであろう。
でもいつのころからか私はQCDが形成される段階は武谷の三段階論にしたがっているのではないかという考えをもってきた。少なくとも誰かの書いたものからそんなことを思いついたのではないから、もしかして誰かが私と同じことを考えているということもありうる。
話の筋はdeep inelastic散乱でBjorkenのスケーリング則が見出されたが(現象論的段階)、SLACのepのデータを見たFeynmanがそのデータからpartonモデルを考案した。それはスケーリングを説明しただけでなくハドロンは多くの点状粒子から成り立っているという新しいハドロンの猫像をつくった(実体論的段階)。そして、そのことからGross-WilczekやPolitzerのasymptotic freeな量子場の理論ができて、摂動論的QCDができあがった(本質論的段階)。
もっともasymptotic freeな量子場理論ができあがるにはこんな単純な推論ではなく、もっと面倒な事実があったのだが、できあがった経過を細かな議論を抜きにして考えると上のような三段階論にしたがった推論になる。
三段階論は科学史家の広重徹氏には不評であったと思う。広重氏の批判はあたっていたかもしれないが、広重氏が新たな彼自身の方法論を提示しなかったという点に不満が残っている。だから広重氏の武谷に対する批判はたとえ部分的にあたっていてもそれを乗り越える創造的な観点があるとは広重氏の本を読んでは感じられなかった。昔のことで本当にそうであったかはわからないが、一応私の見解をここに記録しておく。