物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

演奏のミス

2008-09-30 11:31:29 | 音楽

To err is human, to forgive is divine. とは高校の英語の時間に習ったproverbだ。これは人間には過ちはつきものだという意味だろう。

市民コンサート(昔の労音)を聴きに行くようになってから、数年が過ぎた。いつも思うことは演奏者が演奏ミスをしないのかなと思っていたが、岩波のPR誌「図書」(10月号)にピアニストの青柳いずみこさんが書いているのを見てなるほどと思った。

それによると演奏者は小さなミスをするらしい。もっともそれはとても小さなミスで大多数の聴衆はもちろんのことプロの音楽家でもその曲のことをよく知らない限り気のつかないようなミスなのだそうだ。

ミスをしないという神話はないようである。これは人間なのだから仕方がない。もっとも誰でも気のつくようなミスはプロの演奏者はしないのだろうが。

私は音楽には疎いものの一人ではあるが、青柳いずみこさんのエッセイは音楽をめぐる小説というか文学の話なので毎号楽しみにして読んでいる。


E先生の夢

2008-09-29 11:29:34 | 日記・エッセイ・コラム

E先生の夢を見た。E先生は物理では著名な方で、緻密な方である。著書も多いが、数理物理とか教育にも熱心な方である。

夢はE先生の秘蔵の研究ノートを見せてもらうという他愛のないものだが、どうしてこんな夢を見たのだろうか。ある仕事をE先生に頼まれたのだが、忙しくてできないでいるうちに他の方にその仕事を頼んだので、片付いたとの連絡を間接的にもらった。それで、少し負い目を感じていたのだろうか。

E先生とはそんなに親しくしているというほどではないが、2編ほど共著の論文を書いている。私の定年前のいくつかの研究はE先生の若いころにやられた論文と関係していたが、私の研究は地味なものであって、誰がそれに関心をもつだろうかというようなものである。

インドのある学者が海洋学者だったか地球物理学者だったかはよくは覚えていないが、自分の研究に役立ちそうだからという理由で別刷りの請求があったりした。


大資本の独走

2008-09-27 13:34:24 | 社会・経済

日本はもちろんだが、アメリカでは大資本が独走している。それを抑制するには市民の活動が必要になる。すぐ中流層から貧困層に転落するアメリカではそういう歯止めが利かないのだろうか。法律は議会でつくるし、アメリカは合州国といわれている。

ということは州の自治が進んでいるということである。昔何かのアメリカ映画で見たのだが、州境では隣の州に逃げ込めば、警察の追跡を振り切れるというシーンを見たことがある。そうだとすれば、合州国政府の問題もあるだろうが、州の問題が大きくはないのだろうか。

それにしても大統領選挙に資金を提供するのは共和党の場合には大企業だという。イラクに攻め込んだのはその資源の石油のためだといわれている。また、大統領のバックにはアメリカの石油産業があったとうのは公然たる秘密である。新自由主義と称する一派が大統領の側近としてまわりを取り囲んでいるといわれた。

現在ではそれらの人々の幾人かは失脚して入れ替わっているが、それでもまだその名残は残っている。ただ、私のわからないのは1期目の現在のブッシュ大統領が当選することはあったとしても2期目の再選ができたことが不思議である。

もっともそれも選挙の結果は僅差であったとはいうが、アメリカの政治における総取り性が現在の状況をつくっているらしい。それにしても歯止めが利かないのは理解ができない。それも貧困層が大いに増えているというのに。


貧困大国アメリカ

2008-09-26 11:36:17 | 社会・経済

堤未果さんの「貧困大国アメリカ」という岩波新書が出されている。

昨日E大学の生協書籍部に行ったら、たまたま知り合いのW先生が来られていて数分話したときに近くにあったこの本のことを言われたので、購入して帰った。

まだ、はじめと終わりのところだけを読んだに過ぎないが、大資本のやることは昔から変わっていないという印象だ。

人間を使い捨てにして、貧困層を食い物にしてサブプライム問題が生じたという。、ヒスパニック、黒人といった低所得者層をターゲットにした収奪が行われてきたということらしい。

本来お金を貸してもその返済ができない人たちにお金を貸して10%または15%の高利で金を貸す。そんなあこぎな勧誘がなされていたのだ。そのからくりは住宅は値が上がり続けるという神話であった。そしてそのローンを証券化して売り、お金を手に入れた人がいる。

プライムとは優良顧客のことだという。サブプライムとは優良顧客に劣る人たちということになる。

しかし、その一方でアメリカ金融界、いや世界の金融界を揺るがす経済危機を引き起こしている。そしてそのアメリカの国家予算を投入してのこれらの金融機関の救済はその負担を結局は国民に押し付けることとなる。

大資本というのはどっちに転んでも損はしないようにできている。その負担は最後には国民一人ひとりが払わされる。これはいまのロシアもそういう風だからどこにも救い道はない。一人ひとりの大資本に対する不買運動等も含めた小さな対抗手段しか残されていないという。

貧困大国アメリカの現状はW先生も言うように明日の日本のことなのだろう。いやもうすでに日本もすでに同じことが起こっているのだ。それが格差社会として現れている。将来を悲観することはなはだしい。


ブログのテーマ

2008-09-25 12:36:40 | 日記・エッセイ・コラム

ブログのテーマをどうするかについていつも気にかけている。そのせいかどうか昨夜はそれについての夢を見た。そしてその夢に出てきたことをブログに書こうと夢で思っていた。ところが、ところが、いまパソコンの前に座るとそれが何だったかまったく覚えていない。

なにか確たるテーマをもてたような気がしているのだが、どうもこれは老齢のせいなのか。それとも単に記憶がよくないせいなのか。はたまた単に夢というものはそういうものなのか。ぼんやりとしている。

そいういえば、大学で指導を受けたO先生の夢を数日前に見た。もっともそれがどういう夢だったのかもうわからない。潜在意識として頭にあることが夢として出てくるように思う。その前に夢に見たのは武谷三男氏の夢であった。これもどうもはっきりしない。武谷氏とは付き合いがあった訳ではないので、あまりリアリスティックな夢ではなかったが、O先生の夢はもっとリアリスティックであった。

O先生は数年前に80歳で亡くなられ、今年の4月にはO夫人をお呼びしての同窓会も松山で開いた。私はO先生よりはYさんに博士論文のテーマを出してもらったりしたのだが、不思議にYさんの夢を見ない。私の3人いるS先生の夢もあまり見ない。一番若いS先生はYさんに指導を受けるようになるまで指導を受けたが、このSさんには物理とは「ものごとを単純化して考えるのだ」というようなことを実地に教わったと思う。

いま、有名な物理学者になっているK博士などもものごとを単純化して考えるという才能に恵まれている人という風に捉えている。もちろん、K博士が有名な物理学者となられたのはそういう才能だけとは考えられないが、そういう側面があると思う。K博士のことを思い出したのはいま彼の書いた「非線形科学」という本を大学生協で買ってきたからである。


大森荘蔵さんの話

2008-09-24 11:11:45 | 学問

昔、私の若い頃1回だけ大森荘蔵氏にあったことがある。ある「科学と哲学の会」の席であった。

大森さんの話は『コップを私たちは全体を見ることができないので、もののを認識するのに知識が不十分というのかものそのものを正しく認識できないのだ』といういうような話だったと思う。

確かにある角度からコップを見れば、その裏まで見ることはできない。しかし、その裏のところに鏡をおいてその像を見ることにすれば、コップの裏側を見ることができるではないかと思った。

コップの底にしても同じである。その下の鏡をおけば、見ることができる。多分大森さんならこう反論されるであろう。確かに鏡の像によってコップの裏側も下も見ることができるだが、それはコップそれ自身ではない。

だが、先日述べたように物が見えるというのはその物体から反射された光を見ているのだ。物理の法則で光の反射と屈折は同じ光の性質として同等の立場で成り立っている。

鏡で見た像がコップそのものの認識にならないという主張は逆に物が見えるということに対する主張を危うくする。だから、私はそういう主張はまやかしだと思うのである。

これは人によくわかるようにたとえて言ったものだったのかも知れない。しかし、論があまりにも雑にできすぎている。

大森さんは東大の物理学科の卒業生だそうである。戦争中であまり勉強はしなかったかもしれないが、それでもそういうことは考えが及ばなかったとは思いがたい。

そういうことをご存知の上で上に言ったような主張をされたのだと思う。これはしかし頂きかねるというのが私の意見である。

実際に何を主張されたかったのは哲学に暗い私にはいまもわからない。ただ、そのときにそういう反論がすぐにできればよかったのだろうが、その場での大森さんの主張をおかしいと思って考えて後で思いついたことなので、後知恵である。

その後、大森さんは分析哲学の大家になられて、その後に亡くなられた。しかし、これが大森さんをめぐる私の思い出の一つである。


『詩人のための物理学』

2008-09-23 10:27:49 | 物理学

マーチ(木名瀬、大槻訳)『詩人のための物理学』(講談社)という物理の本があった。

『詩人のための物理学』とはどんな物理学なんだろうと思ってその本を買ったが、どうも普通の物理学のように思えた。

多分、視点は私の普通に接している物理学とは違うのだろうが、その違いは明瞭には感じ取れなかった。

それにしても、どういう内容を私はこの本に期待していたのだろうか。どうも期待の内容が自分でもわからないが、なんだか普通の物理学とは違うものを期待していたらしい。

だってそうではないか。詩人が物理学を学ぼうとするときにどんなことをどういう視点で学ぼうとするのか知りたい。そういう同じような気持をもったのだろうか、同じ本を子どもがやはり買っていた。

これは親子だからまあしかたがない。子どもは親とは違う独立の個人ではあるが、その好みとかは遺伝的または環境的にその好みを受け継ぐ。よきにつけ、あしきにつけ。

物理学は誰が学ぼうが、物理学には違いがないとしても、「詩人のための」と冠してあれば、なんらかの独自の視点があると思うのはないものねだりだろうか。

物理学ではないが、数学者の矢野健太郎がどこかのエッセイで書いていたが、日本の小説に出てくる数学の内容とかはあまりよくわからないと。

これは小説は数学がテーマであろうとそれはあくまでもテーマにしか過ぎず、人物に最終的には焦点があるからなのだろう。

それで思い出したのだが、小川洋子の『博士の愛した数式』(新潮社)は私にもその数学が理解できた。もっとも私はあまり数のいろいろな性質等についてあまり関心がない方だ。


負の屈折

2008-09-22 12:43:07 | 物理学

今日の朝日新聞(大阪版)に負の屈折率という話が出ていた。物が見えるにはその物体にあたった光の反射を見ているからものが見える。このことは物理学を学んだものならば知っている。

ところが、光が反射しないで、屈折をして通り抜けるようにすれば、物がそこにあってもそこにあるとは認められない。これはもちろん光ではという意味なので、手で触ってみればそこにあることが確認できる。そういう物質を人工的につくったということらしい。

負の屈折率が何を意味するのかは私にはいまのところわからないが、そういう物質はもちろん自然界には存在しない。だが、人工的にはつくってやることができるという。その技術の応用もいくつか考えられる。新聞には4つほど載っていたが、損失の少ない光ファイバーへの適用とかメガネのレンズへの応用とかその他あるらしい。

昔、光がそのまま入射方向に反射して帰ってくるという装置の話を聞いたことがあった。これは何のことはない全反射を何回か起こして入射光を入射方向に反射させるようにした装置であった。

少し詳しく説明すれば、虹の出るメカニズムで説明されるような球か円筒を考えてその中で何回か全反射を繰り返してちょうど入射方向に光を反射させるという装置であった。

これは高エネルギー物理実験が専門家のK先生から聞いた話であるが、今度の話はメタマテリアルという物質をつくるという話である。その後東京農工大学の学長を務められた、このK先生ご高齢ではあるが、まだご存命だと思う。

レーザー光のことを応用物理で教えたときレーザーの話を勉強したら、負温度分布という概念が出てきた。

もちろん負の温度をもった物質など世界に存在しないが、分子とか原子のレベルで、あるエネルギー準位のところの分子数をそのエネルギー準位より低い状態の分子数よりも大きくなるようにしてやれば、反転分布状態、すなわち、見かけの負温度状態が実現する。普通の熱平衡状態ではMaxwell-Boltzmann分布だが、それが反転した状態をつくりだすのである。

このときMaxwell-Boltzmann分布に出てくる温度を負にすれば、その反転分布状態を説明できる。言葉だけで説明を聞けば、面倒な話のように思えるが、式を書き、図を描いて説明をすれば、誰にでもすぐにわかる話である。

光に関係したことでは色中心(カラーセンター)といった話題もあるが、これについては耳学問の域を出ない。

そういう物の認識の問題については、昔ある会合で聞いた、哲学者の大森荘蔵さんの「物の認識について」のたとえ話としてのコップの話についても一つの意見をもっているが、これらについてはいつか別の機会に述べたい。


カテゴリの付け替え

2008-09-20 12:27:34 | デジタル・インターネット

このブログのカテゴリは始めお仕着せのものばかりであったが、どなたかのご注意でカテゴリの追加ができるということを知ったので、昨日数学と物理学とをカテゴリに追加して、従来付いていたカテゴリを付け替えた。手作業以外の方法があるのかもしれないが、手作業で一つ一つやったので数時間かかった。

これからも適当なカテゴリ名を思いついたら、変更していきたい。このごろは一語に反応して何か大きい分野にトレースアップされたりするが、そういう大きなテーマに関係することはほとんどないので、マイナーのままで行こうと思う。

純粋な形で数学や物理のテーマを扱うことはこのブログの性格上難しいが、それでもそれに関心をもつという姿勢だけは忘れないようにしたい。このブログの基本は私という個人の(individual)老人の独り言だということである。


同級生でノーベル賞

2008-09-19 11:17:44 | 物理学

同級生でノーベル賞をとった人は湯川、朝永だけに留まらない。最近ではWeinbergとGlashowがいるし、同級生というべきではないが、一年違いの同門にHeisenbergとPauliがいる。

彼らはお互いに刺激を受けてという面がまったくないとはいわないが、やはりそれぞれの人の個性というべきであろう。因みにWeinbergとGlashowは高校の同級生である。

1度ノーベル賞をとるのでも大変だが、2度もとった人もいる。これはCurie夫人をはじめとして、BardeenとかPaulingとかいる。Paulingは2度目は平和賞だが、ビタミンCを大量にとるとがんは抑制されるとかいう説を立てて、自分が多量にビタミンCを摂取することでその効果の実証を試みていたという。

最近手を尽くしたガン治療という講演会に出たときに講師がそのことにも触れていたのである程度信頼がおける話なのかもしれない。

WatsonとClickがDNAの2重らせん模型をつきとめてノーベル章を受賞したときに彼らが一番競争相手として気にしていたのは実はPaulingだったという。


一流の湯川、二流の朝永?

2008-09-18 10:40:13 | 物理学

このことは実際にあった話で先輩に聞いた。物理学会では若手の夏の学校というのをどの分野でも行っている。今はどうか知らないが、昔は長野県で行われていた。

その中の物理若手グループの一つ「素粒子・宇宙線・原子核」のグループの夏の学校で講師に湯川先生を呼ぶということが企画されたという。

そのとき当時夏の学校が行われていた木崎湖畔の村長が湯川さんが来てくれるというのでとても喜んだという。村の文化度が一気に上がるとでも思ったのだろうか。

ところが、何かの都合で湯川さんの都合がつかなくなったらしい。それで計画を立てている若手の事務局としては急遽、当時学会では世界的な業績をあげていた朝永さんに白羽の矢を立てて、そのことを村長に告げたら、村長いわく「一流の湯川でなく、二流の朝永を呼ぶのか」とお冠だったという。

その村長がいつまで生きられたかは存じないが、もし1965年まで生きていたら、二流(?)の朝永がノーベル賞を受賞するというニュースに驚いたに違いない。

この夏の学校が何年のことかは聞かなかったが、多分1955年(昭和30年)ころのことであろう。

50年以上も前の話である。こんな話がこのブログでされているのを見たら、元村長さん、泉下でいまごろくしゃみをしていることだろう。


腰痛

2008-09-17 12:26:29 | 健康・病気

腰痛である。まっすぐに立てない。3連休だったので、校正を読むのに過ごした。そのせいもあるのだろうが、座っていて、立とうとすると苦労する。こういうことで老化が進むんだなあと思う。

昨夜それでもボールを管理しているから、腰が痛くてもテニスに行ったら、みんなから他のところの筋肉を鍛えないといけないといわれた。多分腹筋が弱っているんだろうという。確かにお腹が出張っているのでそうだろう。だが、あまり腹筋を鍛える気がない。これでは処置なしだろう。

どうもお恥ずかしい次第だが、こいうことについてはあまり努力をする気がないのは不思議である。


メメント モリ

2008-09-16 14:19:40 | 国際・政治

午前中にたまたま「メメント モリ」というテレビ番組を見た。1954年に行われた水爆実験の被爆者である、マグロ漁の漁師たちがどうなったかを追跡した番組である。

その漁師たちは50歳から60歳半ばでほとんど亡くなっているという話である。それもガンで亡くなっている。そのことを調査している高知県の高校教師、山下正寿さんの話を交えながら、南海放送の独自取材もある。

その直後にアメリカ政府と日本政府の政策で実態調査はほとんど行われずまた記録が正式に残されていないという。漁師は補償金ももらっていない。マグロ漁の会社は補償金をわずかばかり受け取ったようだが。現代史の大きな空白の一つである。このマグロ漁の漁師の被災者の数は約1万人という。

福留丸の被曝の後で、水産庁の俊こつ丸が22名の科学者を乗せて海洋汚染の調査に出かけたが、その調査によれば太平洋はひどい汚染状態だったらしいが、一般に警告されることはなかった。

「メメント モリ」はラテン語でmemento moriと綴り、死の警告を意味すると英語の辞書に出ている。


配位空間か配置空間か

2008-09-15 11:19:55 | 物理学

力学や統計力学等で出てくるconfiguration spaceの訳語だが、大学では「配位空間」と教わった。ところが本によっては「配置空間」と訳している本もある。位置空間と訳したいところだが、そういう訳語にはなっていない。なぜか「配」という字がついて位置のうちの一語のうち「位」か「置」がついている。

この言葉の関係から位置に関係した空間だということがわかる。configuration を辞書で引いてみると意味として輪郭とか形状とかあって、分子の配置といった訳は後の方に出てくる。

configuration spaceはphase spaceと対照して出てくる語でphase spaceの方は「位相空間」という訳語があてられている。これは座標と運動量とをあわせた空間である。それに対してconfiguration spaceは座標だけの空間である。

とはいっても粒子がたくさんあれば、それぞれの粒子に3つずつ座標が付与されるから、n個の粒子に対しては3n個の座標があることになる。一方、phase spaceでは1個の粒子に対して位置座標が3個、運動量が3個の合わせて6個の変数がつき、そのような粒子がn個あれば、6n個の変数が現れる。

実は訳語としては「配位空間」でも「配置空間」でもどちらでもいいのだが、一つの本の中ではどちらかを一貫して使う方がいいだろう。いま校正刷を読んでそういうことを思っている。

ついでといってはおかしいが、「配向」という用語もあって、これは何かと思うが、要するに向きorientationの訳語である。なぜ配がついているのかわからないが、物質の電気的な分極の向き等を表す語として使われる。どうも日本語というのはやっとその対応する英語を知ってその意味がわかるという難解な言語である。因みにこれらの語は普通の辞書には載っていない。

と書いて、いま「配位」を広辞苑で引いてみると2版には何も出ていなかったが、5版では分子の配位といった意味で載っている。辞書も進化している。しかし、当然のことながら「配向」はまだ載っていない。


愛数協「研究と実践」100号

2008-09-13 15:39:59 | 数学

愛数協といっても一般の人にはわからないだろう。愛媛県数学教育協議会というのが正式の名称である。民間教育団体「数学教育協議会」の下部機関の一つである。その機関誌「研究と実践」が今年の12月で100号となるという。

委員長のS先生から記念号への寄稿をと頼まれた。それで忙しい暇を見つけていまやっと草稿をつくったところである。もう少し手を入れる必要があるが、おおまかには原稿をつくることができた。2,3のことを確かめて原稿を完成させたい。

この活動に活発に加わってきたとは言えないが、それでもその活動の一部を担ってきたと思う。