物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

夢の種類も変わってきた

2016-05-31 13:18:04 | 日記
夢で見るのはいままで「どこかに旅行に出かけるのだが、その目的地に着けない」という種類が多かった。ところが今朝見た夢はちがっていたと思う。

どうも武谷三段階論に関係した夢だった。誰か覚えていないのだが、若い研究者との話をしていた。その若い研究者は自分の主張を的確には主張できていないのだが、その主張の論理を裏打ちできるなにか実験事実だか何かがあるとかないとかいうような夢ではなかったろうかと思う。

どうしてそんな夢見たのかはわからない。一昨日に「武谷著作目録5版」の草稿ができ上がったと書いたが、その原稿を見ているうちにやはりそれぞれの著作の中で少しづつ発展して行きながら、何回も増補改訂される本があるということに気づいた。

それの一番顕著なものはもちろん『弁証法の諸問題』であるが、それだけではなく、『科学入門』とか『物理学入門』もその種類の書である。

中国語に翻訳された『武谷三男物理学方法論論文集』は、実は理論社刊行の『弁証法の諸問題』『続弁証法の諸問題』の翻訳であった。これはこの翻訳のはしがきを見てようやく分かった。私は中国語を読めないが、中国語は漢字で書いてあるので、そのことが分かった。付録として『科学入門』に再録された「科学者の政治的役割」という論文がついてはいるが、主なところは『弁証法の諸問題』の訳である。

これを読んだせいか、それぞれの書がどういう風に発展してきたかを短く述べるべきかと思うようになった。もっとも武谷の主著である『弁証法の諸問題』にいたっては何度も出版社を変えて発行されており、いまでは勁草書房の代表的な出版書となっている。

ほとんどできあがっていたと自分で思った「武谷三男著作目録」5版の原稿に手を入れ始めたので、完成がいつになるのか見通せなくなった。

ようやく発行に

2016-05-30 11:08:52 | 日記
「ドイツ語圏とその文化」1-5がなった。

ライネルト氏が大分ドイツ語と日本語の方も読んで意見をくれたが、それでも最後に見直したらやはり直すところがあった。それも終わり今日さきほど発行した。こんどの発行はいつ以来のことだったのであろうか。

昨年の8月にかなりの部分を書いて用意していたが、それでも分量が多かったために大変だった。もういいかと思ってライネルト氏に送ってからも1か月ほどかかった。

体力がなくなっているから集中的に読めないのである。それで見ると後から後から不備な点が見つかる。ということでなかなか脱稿にはならなかった。

これは私のしていることは大抵そういうことが多い。もっとも5月中の発行となったので、まあ予定通りだろうか。

6月になれば、『数学・物理通信』の3つの号の発行が続く予定である。これらの号の編集はすんではいるが、それでも発行するにはそれ相応の苦労がある。

もっとも『数学・物理通信』のほうは自分で書いた原稿はそれほど多くはないから、それほど大変ではない。

最近は

2016-05-28 12:20:03 | 日記
金曜日のアクセスが多いという不思議な事態となっている。金曜日は皆さん、どこか街に出かけて人のブログを見たりする人が少ないのかと思ったが、そうでもないのだろうか。

もっともこのブログを見に来る人も私同様の老人の人が多いとすれば、うなずけない話ではない。私なども夜にどこかに出かけるなどということはほんどなくなった。

その代わりにテレビを見たり、インターネットのサーフィンをする人が増えているのかもしれない。それは特別な余分に費用がかさむわけではないから。

ちょっとした気の利いた日常生活の中での発見とかを記録しておきたいという気がするが、もう10年以上ブログを書いていると新しい小さな発見でもほとんどそういうものを見つけることはとても難しい。

これは哲学者の鶴見俊輔さんのような方でもその晩年の著書を少し続けて読んでいたら、どこかで述べられたことが少しいい方を変えて出てくるという風であった。

もちろん本になるくらいだとそういう重複は少なくなっているとは思うが、それにしても一人の人のもつ発想などやはり重複が多いであろう。

つい先日も「位相速度と群速度」というテーマでブログを書いたが、多分これは前にも同じテーマで書いているのではないかと思う。それもそのテーマの検索ができなくなっているので、番号をつけることもできない。

以前には検索が簡単にできたので、番号をつけることができたのだが。

私には火曜日の夜のテニスと木曜の夜のドイツ語のクラスというのがほとんど毎週の定例だったが、火曜のテニスは止めたと先日のブログで書いた。

武谷三男著作目録5版

2016-05-27 16:02:36 | 日記
が完成した。もう少し時間をとって見直すが、ほぼ完成したといってもいいだろう。2冊自分で手に取って見たことがなかった本を国会図書館から借りて見ることができた。

その情報に従って、新しいデータを入力したので、後はこれをプリントして原本と照合してまちがいがないかをチェックさえすればいい。

第4版から「素粒子論研究」電子版掲載となっている。「武谷三男業績リスト」も第3版から「素粒子論研究」電子版の掲載となっている。

「武谷三男に学ぶ会」の三本龍生さんがこの著作目録を「行き届いた労作」(『脱原爆・脱原発の源流から』(2014))と評価してくださっている。その評価を汚さないようにと思っている。

位相速度と群速度

2016-05-27 11:18:51 | 日記
を物理学の初歩を学んだ者は知っている。実は小川修三の「量子力学講義ノート」で電子の波動性のところに後から書き込まれたと思われる、「位相速度と群速度」と用語だけが書きこまれている。

そして最近このノートの一部だが、それを編集したものを「素粒子論研究」電子版に投稿するために、私の編集が一応すんだところを見直している。そしてそこに位相速度と群速度の説明があるのを見つけた。ところがこの説明が小川の講義ノートにあることを見つけられない。

ひょっとして、用語が書かれてあるのに説明がないのは具合が悪いとして私が勝手に追加しようとしたのかもしれない。ところがその説明があまりにきれいで自分が書き加えたにしてはエレガントすぎる。それで、ここの部分を小川がどこかに書いているのではないかと探したのだが、ちょっと探してみたが、見つからない。

よく見ると、私が計算した紙片が講義ノートに付随して残っていることに気がついたが、それがまた私がはじめから書いたにしてはあまり私らしくはない。私ならたぶんもっと泥臭くにしか書けないはずだ。どこかの文献を参考にして書いたのであろうか、それにしてもそれがどこから来たのかいまではわからない。しかたがないので、一応その個所は昨日はコメントアウトして講義ノートから削除したのだが、やはりこの事項を入れておいた方がよさそうである。

そのことの説明を入れする必要を感じたために小川は講義ノートに「位相速度と群速度」という用語だけ書いておいたのだろう。それで追加の記述をするか、それともその記述を削除すべきなのか悩んでいる。

編者注として追加することも考えられるが、もし後で小川の講義ノートにその記述を見つけたら、ちょっと私としてはバツがわるい。というようなことで悩んでいる。

太平洋戦争末期の原爆研究

2016-05-26 18:24:22 | 日記
というと特に日本ですごいことをしていたかと言うと、実は今からみると大したことをしてはいない。ウラニウムの連鎖反応の可能性がどうかを検討していたり、U235を濃縮する方法として遠心分離法を使ったらよいとかその程度のことであった。

とても爆弾になるようところまでいっていなかった。ところが加藤哲郎さんが書いた、『日本の社会主義』で武谷三男が日本の原爆研究に従事していたというので、どうも道義的に責任があるとでも言いたそうである。はっきりとはもちろんそう書いてはいない。

戦争中はいまとは違って行動の自由が大幅に狭められていた。そういう時代であったら、口実をつけて自分の身を守るということは許されてしかるべきであろう。

その辺が原爆研究と聞けば、道義的な問題がすでに惹き起こされているような段階まで進んでいるかのごとく思うのはどうかという気がする。

最近、岩波講座の『現代物理学』に書かれた武谷・豊田の「原子炉」をちらちらとみているのだが、1944年くらいの段階では上に述べたような段階である。それは原爆研究の初期の段階にはちがいはないのだけれども、これはまた原子炉にもつかえるるくらいの初歩である。

それらの研究することから日本でもドイツでも原爆や原子炉の研究をはじめたのである。それはアメリカでも最初は同様であったろう。ただ、アメリカでは優れた研究者を大勢動員できたし、経済力とか技術力もあった。そこがドイツや日本と違うところであった。










77回目の誕生日

2016-05-26 10:57:45 | 日記
が近づいて来た。明日にはアメリカのオバマ大統領が広島を訪問するという記念すべき日になる。この日が誕生日である。
戦中は、海軍記念日が誕生日だといわれたものだが、そんな記念日を知っていたのは私の上司の教授くらいであり、E大学に勤めるようになってすぐに上司となった A 教授からあなたは海軍記念日に生まれたのですねと言われた。A 教授は横須賀の海軍工廠に勤めておられた技術大尉であった。

広島に話を返すと原爆の製造に従事したことのある物理学者のFeynmanも1953年の理論物理学の国際会議の後だったかに広島に来たという話である。

もっとも彼の広島の感想がどうであったのかは聞いたことがない。Feynmanが二番目の奥さんと結婚していたときだったらしく宮島を訪問したおきに厳島神社の海にある回廊のそばにある灯篭か燈明おきについてなかなか詳しかったとは S 教授から聞いたところである。

エジプト学か東洋学だかを専攻したなかなかインテリの奥さんだったらしいが、Feynmanとはうまくいかず長く続かなかったらしいことはFeynmanの自伝からわかる。




テニスクラブをやめた

2016-05-25 11:24:28 | 日記
昨夜、何十年もやっていたテニスクラブをやめた。とはいうものの多くの方に引き留めの遺留されたのだが。どうしていいかわからないが、やはりやめるという意志は変わらない。

やめようと思ったのは、最近会員が増えてきてクラブが経済的にも潤って来て、そろそろやめてもいいかと思った。

というのは私は古い割には一番テニスが下手である。それでも会の経済的な維持のためになんとかいままでクラブに属してやってきたのだが、私には他のところでもテニスをして少しでも上手になるという意志がない。それをするほど私は暇にはしていない。

私にはこれが精いっぱいのことであって、テニス以外にもしたいことがある。だから、テニスは一応私の健康に大事なことではあるが、最重要なことではない。

健康上からは、できればスポーツを続ければいいのかもしれないが、それをしたところで寿命が来るときには来る。そのことよりもやはり私がやっておきたいことはまだいくつかある。そのすべてを生きている間にすることはできないが、そのうちのいくつかは仕上げておきたい。

私以外の人で私と同じ発想をもつ人が出てくるかもしれないが、やはり人は育つ境遇もちがうし、素質もちがい、その人のもつ問題意識も動機も違ってくるので、発想とか動機はやはり他の人とは異なるであろう。


伏見康治コレクション3

2016-05-24 12:55:47 | 日記
『物理学者の描く世界像』(日本評論社)に中性子の減速の話題が取り上げられている。

これは原子炉内での核分裂で発生した中性子を減速させる話である。伏見康治先生もやはり原爆研究か原子炉の理論の一環として中性子の減速の問題を考えられていたらしい。

あまりこれは現在では学問的な内容ではないのかもしれないが、それでも原子炉工学を学ぶときには基礎知識であろうか。数年の間 E 大学工学部で原子力の基礎知識を講義したことがあり、そのときに中性子の減速の数学というか物理を自学自習したことがあった。これは講義をするためには当然のことであった。

伏見先生は雑誌「数学セミナー」の編集部の要望に応えて「やはり微積分は役に立った」という記事を3か月にわたってかかれた。それが、この本に掲載されている中性子の減速である。私はこれらの章をまだ読んではいないが、それほど難しい数学も用いていないので、読んでみようかと思っている。私が昔テクストを読んでつくったノートも役に立つかもしれないなどと考えている。

などと多寡をくくったことを書いたが、さらにちらっとこの記事をながめたところではどうもノートが役に立つのは連載3回の1回目だけらしい。


『フランス語のしくみ』

2016-05-24 10:30:36 | 日記
を土曜日と日曜日にかけて読んだ。この本もそれほど難しくはなく、すいすいと二日で読めた。もっともこういうのは読んだだけでは何の役にも立たなくて、覚えて使えることが必要なのだが、それをしようとするとこういう本は読むことができない。

もっとも私にとってあまり新しい知識はなかった。などというとフランス語のことをよく知っているかのごとく聞こえるかもしれないが、私のフランス語の知識など多寡が知れている。

白水社の『~語のしくみ』という本は本格的にその言語を勉強する前に、そのおよそ外観を得るために書かれた本なので、こういう読み方があっているのだと思う。

『ロシア語のしくみ』だとか『イタリア語のしくみ』という本を後で読むのがいいかどうか。また、『スペイン語のしくみ』なんて書を読んでみたらいいかもしれない。

『ポルトガル語のしくみ』なんて本もあるのだろうか。あまりポルトガルには関心がないが、ブラジルはポルトガル語を話す国なので、ブラジルに関心があれば、ポルトガル語をある程度学ばなくてはならない。

しかし、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語の話者が3人いて、それぞれが自分の母語で話してお互いになんとか理解すると聞いたことがあるので、ポルトガル語をことさら学ぶ必要はないかもしれない。もし、スペイン語がすこしできるのならば。もっとも私はスペイン語などまったくできない。

作業があって

2016-05-24 10:16:03 | 日記
昨日はブログを書くのを忘れた。というか、パソコンのスイッチを切ってから、今日はブログを書かなかったなと気がついたが、またスイッチを入れてパソコンを立ち上げるのに時間がかかるので、もうそのままにして自宅に帰った。

先週に『数学・物理通信』の3つの号の編集作業が終わったので、昨日は『ドイツ語圏とその文化』1-5のR氏からの修正のコメントを入力していた。今日は予定の作業はないから、久しぶりに別の久しくおいてあったまた別の作業をしようかと思っている。

こちらの方も義理が悪いことといったらありはしないほどだ。この作業はあと図を一つ入力するだけになっているのだが、それができないというかなかなかその気になれないのである。

しかし、しばらく時間があるから、この作業をやってみようか。

「ドイツ語のしくみ」

2016-05-21 12:33:11 | 日記

(白水社)を県立図書館で借りて読んだので、それに味を占めて昨日やはり同じ出版社の『フランス語のしくみ』を借りて来て読み始めた。

まだ25ページほどしか読んでいない。外国語の教習本は読むことではなく、覚えることだとよく言われるので、こういう本を読み終えたことだなど一度もなかったが、『ドイツ語のしくみ』はほぼ2回読んだ。

2日もあれば1回の読み終えるのに十分であろう。しかし、2週間で2回しか読めなかった。それはその本を読むことだけをしているわけではないからしかたがない。

それにしても最近県立図書館を利用するようになって気がついたことがある。私がつぎに借りようかなと思って調べておいた本がつぎに借りようかと思うと誰かに借りられていることが多いという事実である。世の中には関心事が広く、ある分野で優れた人がおられるのだといまさらながら感心する。

遠山啓さんの数学の本にしてもしかり、ドイツ語の比較的新しい文法書にしてもしかり、先に誰かに借りられてしまった。それでしかたなく『ドイツ語のしくみ』のシリーズの1冊である、『フランス語のしくみ』を借りることにした。このシリーズでは『ロシア語のしくみ』だとか『イタリア語のしくみ』だのシリーズ本は事欠かないから。

さすがに『アラビア語のしくみ』という本がこのシリーズに入っていたかどうか。いま調べると、まだ入っていないようだ。もっとも私にはアラビア語はチンプンカンプンである。

『ドイツ語のしくみ』で形容詞の語尾変化が作業モードか省エネモードかという説明はアマゾンコムの書評でも秀逸だとあった。だが実際にちょっと困るのは定冠詞のついたときに形容詞の語尾が-eであるときに省エネモードであるときと、語尾が-enであるときが省エネモードのときがあり、これがごっちゃになりそうである。後ろの方の-enが省エネモードとなる場合は与格と属格になる場合であるけれども。

実際の会話では、これがちょっとくらい間違ってもちゃんと理解してはもらえる。しかし、ドイツ語の検定資格試験のようなテストのときにやはり混乱をするのではないか思ったりする。頭の痛いことである。


いちばん安全な飲み物は

2016-05-21 12:04:24 | 日記
日本の水道水だとテレビのワイドショウでやっていたと妻が言っていた。お隣の子どもさんが3人かわるがわるやって私の家にやって来るので妻が水道水を一度沸してそれを冷やしてボトルに入れて飲ませていた。

これはもちろん安全性を考えてしたことであったが、それはあまりよくないとのことで水道水は殺菌も十分にできているので安全な飲物だということである。

これは小学校3年生の女の子が水道の水を汲んで飲んでいるのを妻は心配していたのだが、案に相違してそれが一番安全なのものであるとテレビで教えられたらしい。

ほとんど家にいない妻がたまたま家にいてテレビのワイドショウを見て知ったことであった。

日本の水道供給システムは漏水も少なく優れているとの外国からの評価で、そのシステムが外国に提供されたりするようになっていると聞いている。

そして大都会の水道は濾過の目の細かさが格段に進歩して、変なにおいもなくなり、世界のどこかのミネラルウォーターよりも飲んでもおいしいと言われる。

もっともペットボトルをもって街をふらついているのは一種の流行とも思われ、なくならないかもしれない。

ようやくE大学の図書館に

2016-05-20 13:21:55 | 日記
行った。武谷三男の著作目録(第5版)の作成で二つだけ私の所有もしていないし、一度も見たこともない書籍があるので、それを国会図書館から借りだせないかという依頼に行った。調べてもらった結果では二つとも借りだせることが分かった。もっとも図書館の管内での閲覧しか許されない場合も起こり得るが、それは別にかまわない。

著作目録をつくるときにNDLの電子データだけではなく、実際に現物にあたって確認をして著作目録をつくるという、「つまらない」主義をもっているからである。

発行年月日など電子データでは発行の年月しか記載していないが、発行日まで書籍に印刷してあればそれにこだわるというつまらないところにこだわりをもっている。

それでもすべての著作を全部自分で確認したかと問われれば、ちょっと危ういところもある。子供用の学習百科事典を二つほど武谷は星野芳郎さんと書いているのだが、それを上野にある、国会図書館の子供館だったかに確認に行った覚えがある。

この図書館に所蔵してあったからである。他には石川県県立図書館だったかが所蔵していたと記憶するが、それのコピ―までは請求しなかった。

国会図書館の資料のデータは詳細である。もしこの著作目録ができれば、そのつぎには資料データの目録をつくることが仕事として残っている。そしてできれば、それらを全部コピーして武谷三男の全般にわたる全集を編む資料とできればいいのだがと思っている。

吉本隆明さんなどはその全集をどこの出版社だったか忘れたが、社運をかけて発行するという。その費用は約2億円と評価されていた。

これでは全集などおいそれとはどこの出版社でも発行できそうにはない。武谷はそういう気のいい編集者とか出版人に出会っていない。吉本隆明さんも優れた哲学者・詩人であろうが、武谷三男も優れた物理学者であり、科学者であったと思う。

吉本さんの場合には彼に強い関心を寄せる、一人の編集者がおられるということが、吉本さんの全集が発刊される理由になっているらしい。

資本主義の終末?

2016-05-19 13:14:54 | 日記
現在の世界の経済情勢や政治情勢を見るとどうも資本主義がもう行くところまで行ってどうにも抜け出られないのではないかと思われる。

国の予算の配分からそのままではもちろんないけれども、そこに唯一の利益を得る点を見出しているなどはもう行くつくところまで行きついている。

こんなに希望のない時代は私は経験したことがない。もちろん、私たちの歴史的な経験としては単純な社会主義は旧ソ連の試みで失敗をしたのであるから、それに復帰することはできないと思われる。

私などが小学生のころにあこがれた北欧の民主社会主義は破たんはしていないものの、そこも結構しんどいことになっているらしい。スウェ―デンもマイナス金利を金融政策として取り入れていると聞く。北欧のようなあまり人口の多くない福祉国家でさえも今後の行く末は疑問符がつく。

現在は企業が非正規社員を増やして昔のようには正規社員を増やさないことに大きな問題があるのだが、そうでもしないと企業が利益を上げられなくなっているとすれば、おおごとであろう。

私にはあまり名案もないが、生協のようなある種の社会主義的政策を政府が取り入れる必要があるのではないかと思っている。生協も経済的にはパート従業員で生き延びているのかもしれないけれど、それでも数人の雇用をほそぼそと生んでいる。

妻が関係している医療生協でもすくなくとも一つの病院で数十人の雇用を確保している。大規模な病院だと100人以上の雇用を生み出しているだろう。

生協職員とその非正規職員の待遇がどのようなのかは普通の企業とあまり変わらないではあろうが、それでもそういう社会運動が必要な時期に来ていると思うのは私だけだろうか。

金融政策としてのリフレは最近の日本では一時的・短期的には成功したと思うが、そのほかの財政政策はあまり成功しなかったと思っている。だとすると、新しい展開が経済政策によって期待できるであろうか。

私たちがここ数年やっている雑談会ではあまり経済の問題を話題にすることはすくないが、政治政策があっての経済だというのが経済学者 N さんの変わらぬ主張である。