先日、伊藤康彦著「武谷三男の生物学思想」を読んだ直後にブログを書いた。
この書を十分に読んだとはまだ言えないが、それに関して考えたことを放談として、ここに記録しておきたい。
これは自分の備忘録のメモであるから、いま伊藤さんの主張に反論するとかそういうつもりではない(将来の議論のタネとはなるかもしれないが)。
以下箇条書きに書いておこう。
1.武谷三男に生物学思想があったか。私はこれに関しては否定的だが、それはともかくとして遺伝学と進化論との間にギャップがあるとの問題意識はあっただろう。
2.ルイセンコの獲得形質の遺伝学とメンデルの遺伝学とが2者択一ではなくて、メンデルの遺伝学に加えて、ルイセンコの獲得形質の遺伝もあると考えていたのなら、議論はまったく違って来るのではないか。(これは1940年代後半を除いて)
3.ルイセンコの遺伝学かメンデルの遺伝学かとの論争であったとの理解が普通だが、武谷においてはこの辺はどうであったか。どちらか一辺倒であったのか。遺伝を決める要素の主因はメンデルの遺伝学だが、それに加えて獲得形質の遺伝の可能性もあると考えていたのではないか。
4.ルイセンコの遺伝学は、「メンデルの遺伝に加えての追加の遺伝子機構としてもない」というのが、現在わかっているところであろう。
5.伊藤さんが扱った文献が古いものが多いような気がする。もちろん、『現代生物学と弁証法』(勁草書房、1975)とか『思想を織る』(朝日選書、1985)も引用されているが、全体に文献が古い。それと『原水爆実験』(岩波新書、1957)のVIIの中の遺伝とその被害についての見解のようなことが吟味されていない(ような気がする)。
6.5.で挙げた最後の文献のVIIでは普通のメンデル遺伝学の見解にしたがっていると思われる。そこを調べて哲学的な論文における主張だけではなく、武谷の認識に迫る必要があるのではないか。同様な武谷の他の文献は存在しないのか。
7.科学上の見解で自分が間違っていたときに、論文上で間違っていたと言明することは普通のことであろうか。ある主張が間違っていてもそれは科学的な事実がそのことを示すので、間違いを改めて言明をする必要がない(のが普通である)。間違っていましたという言明だけではどの科学雑誌も論文を受理しない。
8.哲学的な論文ではそうではなくて、自分の間違いを言明することがあるのだろうか。そこらあたりが知りたい。(哲学的な論文ではまちがっていたことを自分で言明すれば、それを読んだ人はすっきりするではあろうが、一方でその人の権威がガタ落ちするような気もする)
9.誰でも自分の過ちを認めたがらないものである。また、間違いかどうかはわからないが、世界的に通説になってもなかなか心理的に時間が経たないと認められないものである。これは私の個人的な経験でもそうである。
10.遺伝子が変化するのは
(1)交配
(2)人工的な遺伝子操作(遺伝子工学)
(3)放射線による影響
(4)薬による変化
(5)抗体での、外からの異物に対しての遺伝子の体内変化(利根川進の発見)
(6)突然変異
(7) その他 (原因がわかっていないもの)
等が考えられる。それらのうちのどれが次世代に遺伝するのか。それらを確かめる必要がある。
『武谷三男の生物学思想』を読んで取り留めもなく考えたことは以上のようなことである。それに加えて、すでに考えたのだが、ここに記録されていないものもあると考えられるので、思い出せば、また追加をするつもりである。
(2014.7.16付記) 今日思いついたことだが、伊藤さんの武谷批判について述べておく。批判をすることが有効なのは批判しないと学問の進歩が阻害されることが明らかな場合である。
武谷は生物の研究者ではないから、あまり研究の阻害が出たとは考えられない。そうだとすると批判のための批判となりあまり積極的な意義がない。
それと人のいい面を見て、その悪い面を見ないようするという積極性の観点をとりいれて考えたいと思う。
(2017.11.22付記) その後知ったことはすでにこのブログでも書いたかと思うが、エピジェネティックスである。これは遺伝はメンデルの遺伝で遺伝するのだが、その遺伝子が作用しないように、ある意味でのスイッチを切っていたり、または機能するようにスイッチが入っていたりすることから、遺伝の機能が機能したり、しなかったりするということがある。
それからもう一つは遺伝と関係するのかどうかはわからないが、山中4因子の入った細胞では細胞の機能がいくつか初期化されるということである。こういう不思議な作用があるということがわかってきている。これは上に述べたエピジェネティックスと関係がありそうに思われる。