昔のエッセイの原稿を改訂するのはやはり時間が経つと自分の書いた文章に満足できなくなるからである。
だいたい、使った表現はもちろんであるが、式の番号が通し番号であるのが気にくわない。現在は節と式の番号の形式の式番号(2.7)のような番号を使っており、通し番号の式番号は使わない。
それに引用文献の形式だって気にくわない。昔は本のタイトルは「四元数の発見」のような「と」で本のタイトルを囲んでいたが、いまでは『四元数の発見』のような『 や 』を使う。
それに、出版社と出版年は同じカッコ内に入れて書くのを標準にしている。こういう文献の引用のしかたも標準のやり方があるのかどうかは知らないが、こういうふうに決めている。
それと引用文献は当該の関係個所のページを入れるようにしている。できるだけ、どこが関係個所かわかるようにしたいためである。
もっともその本のある箇所だけではなくてその本自身を引用する場合もある。これはその本が一般に参考になるとしか言いようのないときには、しかたがないこともある。
私の場合は論文ではなくて、単にエッセイを書くことが多いが、それでもある文献のどこを参考にしたかを明示したいという気持からである。
私の、本の読み方はある本をはじめから終わりまで読むということは少なくて、ある事項の記述を探すということが圧倒的に多い。そのときに如何にいい本でも索引がないとその本の利用価値がぐっと下がってしまう。
索引をつくるのは面倒なのだが、本を書くときは絶対に索引をつくらなくてはいけない。これも私が最初に書いた本では自分で実行しなかったことの一つである。その後は索引をつくるようにしている。
latexを使って本の原稿を書くのならば、索引に載せる用語の指定はしなければならないが、索引自身はlatexが自分で作ってくれるので便利である。
その他節のタイトルの前の行には注釈を示す
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を必ず入れる。これは自分が自分のエッセイを修正するときなどには該当箇所に到達しやすいからである。
また、数式番号は自動的に入るとしても、参考のために式の入力の箇所には必ずコメントで式の番号を赤字で入れておく。そうすると修正するときに早く当該箇所にたどり着くことができる。
だから、論文の著者の皆さんにもそういうことをしてほしい。編集者はそれでなくても多量の文書を読まなければならないのだ。
投稿者にはそういう配慮までできない方も多い。それも最後の段階にもなれば、自分で文書を修正することなく、編集者に任せることも多い。
編集者はだまってそういう労を著者の代わりにとっているという、想像力を働かしてほしい。
私自身が実行しているのは原稿を寝かせておくという方法である。3か月とか原稿を寝かせておくと、人の読んでもらう代わりができる。半年とか数年とかの場合もある。
これは単にエッセイの構想が完成しないためもあるが、それだけではなく時間がある程度経つと自分を客観的に見ることができるようになるからでもある。