物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

少しだけ復調の兆しが

2022-06-30 13:18:29 | 本と雑誌
少しだけ復調の兆しが見えてきた。

いや放心状態からの復調である。昨日は知人の書いた本というかレポートといった方がいいかを読んでいた。それを読みもなかなかままならない感じだったのだが、それを読んでいるうちに読む元気もなくなり、いつか椅子にもたれて寝てしまった。

夕方の6時過ぎに目を覚まして帰宅をした。そして夕食後テレビを見て、その昨夜は別に不眠にもならないで、よく寝た。

今日はまだ気力十分とはまだなっていないが、昨日よりは少し気力が出てきたが、まだまだであろう。

遅れてきた放心状態

2022-06-29 15:51:34 | 本と雑誌
遅れてきた放心状態とは普通には「数学・物理通信」を発行した後に起こる放心状態だが、すぐには起らなかった。

それが、12巻3, 4号を発行してから、一週間以上たって今起こっている。すぐには放心状態とはならなかったが、やはり緊張状態が続くと、どこかでそれを取り除く期間が必要なのである。

それが今回はすぐには来なかったので、まったくそういう期間がないこともあるのかなと思っていたが、やはり来た。人間うまくできているものである。

今日は6月29日であり、6月も明日一日を残すのみとなった。







中学生の数学

2022-06-29 11:48:05 | 数学
「中学生の数学」がどういうものかよく知っているわけではない。私にも中学生時代はあったのだが、あまり数学を懸命に学ぶという気持ちがなかった。むしろ英語の方に勉強の重点があったのである。

それでいうわけでもないが、私は中学校や高校で数学のできないとか、わからない人にいつでも同情的になる。実際私がそうだったから。

いま私自身が数学がわからない方かどうかはわからない。数学があまりよくできる方ではいまでもないだろう。これは生まれつきのものもある。

高校受験を来春受けるはずの中学3年生の勉強を8月から見る約束をしている。いまクラブ活動で忙しい最中であり、テニスクラブのキャプテンをその子はしている。このキャプテンの任務は6月末に終わるので、1か月の猶予期間の後、8月からその子の勉強を見ようとしている。

とりあえずは数学、英語、国語を見なければならないだろう。どれくらい勉強がおろそかになっているのか、またわかってはいないのか、私はまったく知らない。

高校受験の試験の問題を解けるような力をつけることもだが、それだけではなく、学校での不断の成績を上げておかなくてはならないだろう。

小さいときから知っている子である。









イメージでつかむ英語

2022-06-28 12:52:26 | 本と雑誌
「イメージでつかむ英語」を主張されておられるのはNHKの英語講座にも出演されている、大西ひろと先生である。

いつだったかこの先生の啓蒙書を全部買い込んだが、買い込んだだけで読むことはしなかった。最近本棚を眺めていたら、大西先生の当時買い込んだ本の1冊があることに気がついた。

それで、それを今読んでいる。200ページそこそこの本なのだが、まだ150ページくらいしか読んでいない。残す章は前置詞の章だけとなった。これはお隣の高校生君が英語が得意でないそうなので、夏休みに一緒に勉強しようかなということから読んでいる。

しかし、大西先生のご努力にもかかわらずそのネーティブの語感というかイメージはなかなか定着しそうにない。私は英語が不得意と思ったことはないが、不得意な感覚を持つ人がどういう感覚なのかは知りたいと思っている。





人も亡くなるが、ものも壊れる

2022-06-27 10:26:00 | 本と雑誌
人も亡くなるが、ものも壊れる。これは知人のパソコンが壊れてブログへの投稿ができなくなったとの知らせに接したから、思い至ったことである。

友人や知人が亡くなるという報にはもう何度となく接したのだが、それだけではなく、ものも壊れるということを改めて思いいたった。

そういえば、自宅のポットも壊れてピー、ピーと警告音を発している。まだお湯は沸くようだが、さていつまで機能がもつだろうか。

このパソコンも5年目に入ったので、いつ壊れても不思議ではない。


雑談会のレポーター

2022-06-25 13:42:56 | 数学
雑談会のレポーターにお願いした隣人が急な転勤でレポーターを務められなくなったので、急遽自分で話をすることにした。

三角関数の還元公式のグラフの移動による導出である。こういう方法で還元公式を導くとは本で読んだことはない。

かなり以前に大学で同僚だった、Kさんが学生に指導していたのを傍で見ていて知った方法だと思う。

そういう方法で余角の公式だとか補角の公式だとかを導いたことのある人がもしいれば、その人はかなりの独自の世界をもった人だと思う。

私にしてみてもこの年にならないとそういうことを考えたことはなかったのだから。

これは今日は話さないつりだが、三角関数の導入のしかたも独自に考えている。こちらはもっとも私の独創ではなかろう。しかし、こういう導入なら、三角関数は難しいなどとは誰も思わなくなるだろう。

しかし、この導入のしかたと三角関数の加法定理とのつながりをどうつけるのかはまだわからない。

というのは三角関数の加法定理はなかなか重要な定理というか公式であるからである。



昨日の松山は

2022-06-24 09:10:34 | 本と雑誌
昨日の松山は35度Cの真夏日だったとか。暑かったので一日エアコンをひさしぶりにつけていた。

今日も暑そうだ。カンカン照りである。これでは水不足が言われるのもうなずける。1994年以来の日照りで水不足が本当に憂慮されるというから心配である。

1994年はまだ大学に在職中であった。大学生協の理事を務めていた。大学生協の運営している食堂も夜の8時を過ぎると水道が止まるので、できるだけ使い捨ての食器を使ったりと、水を使わない方法を考えたと思う。

あれからほぼ28年が経った。今年も空梅雨だとすれば、水不足は深刻であろう。

町のスナック、に行ったら、風呂に入れなくなるというので、ほとんどの人が早くに家に帰るので、松山市の飲食業は大打撃を受けたという。





大分暑くなってきた

2022-06-23 10:50:27 | 本と雑誌
梅雨の時期ではあるが、空梅雨気味であり、水不足が言われている。

一昨日だったか午前中に大雨だったが午後は雨がやんでいた。今日などは真夏のような暑さである。

仕事場に来て、窓際で暑い暑いと独り言をいいながら、このブログを書いているという始末だ。

ここで、ラジオ体操をしたり、ドイツ語やフランス語の鵜座を聞いたりしているので、一日があっという間に過ぎていく。特に私はこのラジオの講座を何十年も初歩の講座を含めて聞いている。飽きないのかと言われれば、これが飽きないのだから不思議である。

初歩の講座は、すでに知っていることの繰り返しであるが、これらは母語ではないからいくら聞いても聞きすぎるということはない。

昔、高校生のころ友人のところへ行ったら、その家の応接室にドイツ語のラジオのテクストがあり、友人から親父が毎朝聞いているという風に聞いた(注)。

そのときには英語以外の外国語を学んでいる人がいることが驚きだったが、いまでは私自身が他人から見れば、驚きであろうか。

(注)この友人S君の父親は私の故郷の I 市では知らない人がいないくらいの名士の外科医であった。一高、東大を卒業した俊才の医師であり、ドイツ留学経験もある方であった。



「量子力学講義ノート」

2022-06-22 12:46:57 | 物理学
故小川修三さんの「量子力学講義ノート」1, 2はすでに電子版の「素粒子論研究」に投稿して、掲載されているが、「量子力学講義ノート」3はなかなか仕事が進まない。

「数学・物理通信」12巻4号を発行した昨日このノートを取り出してきて少しづつ入力し始めた。それでも昨日入力できたのは1ページにしかすぎない。

年を取ってきて、入力がすばやくできないからである。それに書かれてある事柄がなじみがないときに特に気にかかって入力が進まない。どこかにこういうことの理解のヒントがないかと思って、いろいろ本を探したりし始めるのでますます仕事が進まない。

それに講義ノートはルースリーフであり、ページのつながりが本当にいいのかわからない。すべて編集する私の判断が唯一の頼りである。だが、小川さんの奥様は心待ちにしておられるだろうと思うと早く仕事をしなくてはならないのだが。

今回は珍しく放心状態にはならなかったが、

2022-06-21 18:22:44 | 物理学
今回は珍しく放心状態にはならなかったが、それでも本調子ではない。

いや、3の倍数の月は「数学・物理通信」の発行月であるので、毎回2号を発行した後では放心状態となるのが普通である。

修正をする回数は大小合わせていつも20回くらいである。12巻4号は少し時間が3号の発行から空いたので、それほど放心状態はいつもほどではなかった。

心身が疲れ切るというほどではないのだが、少なくとも2,3日は何もしたくはない日が続く。今回はそれほどひどい落ち込みではない。しかし、明日以降に後遺症は出てくるのであろう。

先刻、「数学・物理通信」12巻4号を発行した

2022-06-21 14:53:12 | 数学
先刻、「数学・物理通信」12巻4号を発行した。

今回は6回ぐらいの修正で12巻4号を発行できるぞと思っていたが、やはりそういうことはなく、20回くらい修正を繰り返さざるを得なかった。

もう修正箇所はないから発行しようと思って最後の修正箇所を念のために見たら、句読点が普通に使っているものではなくて、最後の最後でも修正を入れたという次第である。

大体、20回くらい修正を重ねているという事実はこれは平均ではあるが、なかなか減ることはないようだ。

それが面倒だと感じるようではこんなサーキュラーは発行できないであろう。

そろそろ「数学・物理通信」12巻4号の発行だが、

2022-06-20 13:45:30 | 数学
そろそろ「数学・物理通信」12巻4号の発行だが、なかなか発行にならない。

少なくとも今日は発行をしない。明日以降の発行となる。

今月はすでに3号を発行しているのだが、普通には2号ないし3号の発行をしている。この1年くらいは2号の発行の回が多い。

これが私のいきがいであるとともに、大きな労力のかかることである。フットワークはいつも軽くと心がけてはいるが、なかなかそうもいかないこともある。








昔のエッセイの原稿を改訂するのは

2022-06-18 13:16:29 | 数学
昔のエッセイの原稿を改訂するのはやはり時間が経つと自分の書いた文章に満足できなくなるからである。

だいたい、使った表現はもちろんであるが、式の番号が通し番号であるのが気にくわない。現在は節と式の番号の形式の式番号(2.7)のような番号を使っており、通し番号の式番号は使わない。

それに引用文献の形式だって気にくわない。昔は本のタイトルは「四元数の発見」のような「と」で本のタイトルを囲んでいたが、いまでは『四元数の発見』のような『 や 』を使う。

それに、出版社と出版年は同じカッコ内に入れて書くのを標準にしている。こういう文献の引用のしかたも標準のやり方があるのかどうかは知らないが、こういうふうに決めている。

それと引用文献は当該の関係個所のページを入れるようにしている。できるだけ、どこが関係個所かわかるようにしたいためである。

もっともその本のある箇所だけではなくてその本自身を引用する場合もある。これはその本が一般に参考になるとしか言いようのないときには、しかたがないこともある。

私の場合は論文ではなくて、単にエッセイを書くことが多いが、それでもある文献のどこを参考にしたかを明示したいという気持からである。

私の、本の読み方はある本をはじめから終わりまで読むということは少なくて、ある事項の記述を探すということが圧倒的に多い。そのときに如何にいい本でも索引がないとその本の利用価値がぐっと下がってしまう。

索引をつくるのは面倒なのだが、本を書くときは絶対に索引をつくらなくてはいけない。これも私が最初に書いた本では自分で実行しなかったことの一つである。その後は索引をつくるようにしている。

latexを使って本の原稿を書くのならば、索引に載せる用語の指定はしなければならないが、索引自身はlatexが自分で作ってくれるので便利である。

その他節のタイトルの前の行には注釈を示す

%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%

を必ず入れる。これは自分が自分のエッセイを修正するときなどには該当箇所に到達しやすいからである。

また、数式番号は自動的に入るとしても、参考のために式の入力の箇所には必ずコメントで式の番号を赤字で入れておく。そうすると修正するときに早く当該箇所にたどり着くことができる。

だから、論文の著者の皆さんにもそういうことをしてほしい。編集者はそれでなくても多量の文書を読まなければならないのだ。

投稿者にはそういう配慮までできない方も多い。それも最後の段階にもなれば、自分で文書を修正することなく、編集者に任せることも多い。

編集者はだまってそういう労を著者の代わりにとっているという、想像力を働かしてほしい。

私自身が実行しているのは原稿を寝かせておくという方法である。3か月とか原稿を寝かせておくと、人の読んでもらう代わりができる。半年とか数年とかの場合もある。

これは単にエッセイの構想が完成しないためもあるが、それだけではなく時間がある程度経つと自分を客観的に見ることができるようになるからでもある。









「数学・物理通信」12巻4号がほぼ出来上がった

2022-06-17 11:18:17 | 本と雑誌
「数学・物理通信」12巻4号がほぼ出来上がった。

まだ最終点検中だが、ほぼ出来上がったと感じている。これだと来週の前半には発行できるであろう。

こういう雑誌の類は、細かな修正を繰り返してからできあがるのだ。12巻3号はもう何回修正をしたかわからなかった。初めから数えれば、たぶん20回くらいは修正を重ねていただろう。

今回はそれよりは修正回数が少ない感じがするが、それでも私自身の感じでは 5,6 回は修正をしているだろう。それでも修正回数は少ない方だと思う。

たった、30ページそこそこの雑誌であるが、やはり出す以上はあまりあそこもここもミスが多いとわかるようなものは出したくはない。それでも後から見るとミスがあるものだ。

いわば、編集者は編集中は「視野狭窄に陥っている」のではないかとまったく関係のない方なら思われるであろうが、現実はそういうものである。

Mieux vaut tard que jamais

2022-06-16 18:41:23 | 本と雑誌
    Mieux vaut tard que jamais(ミュー ヴォ― タール ク ジャメ)

とは「遅くても何もしないよりはよい」ということである。

こういう気持になることはままある。早くすればよいのはわかっているのだが、それでもするのが遅くなることはままある。

するべきだのになかなか仕事が進まないときにそう思ったりはするが、それが言い訳になって生きている間にできないこともあるかもしれない。