World ScientificでFeynmanとDysonの本を購入した。といっても本当は新しいものではない。Feymanのは彼の学位論文が本になったのだ。また、Dysonのは彼の1951年のCornel大学での講義ノートが本になった。これは多分Feynman理論を講義した世界ではじめての試みだったのだろう。
Dysonの講義ノートもFeynmanの講義ノートも大学院時代に先生方か先輩の蔵書の中にあったような気がする。Feynmanの方はすでに本として出版されていると思う。ところが、Dysonの講義ノートは研究者の間に出回っていたが、本とはならなかった。それがおよそ60年のときを経て本になった。
Dysonはまだ存命であるが、朝永、Schwinger, Feynmanはすでに亡くなった。この3人が1965年に量子電気力学の業績によりノーベル賞を受賞したが、そのときにDysonは賞から漏れた。これはノーベル賞の受賞者は3人以内という不文律に触れたためという。YangはDysonにノーベル賞を与えなかったことでこのノーベル賞選考を彼の論文選集で批判している。
Oppenhiemerに対するYangの評も同様に暖かい。もう少しOppenheimerが長生きしていれば、ブラックホールの予言とかパルサーといわれる中性子星の研究で彼の業績は評価されたはずだという。
これはDysonやOppennheimerの二人とYangが親しいということもあるだろうが、それだけではなくYangの目が公平だと思われるところがいい。Yangはハードワーカーだとかで研究熱心である。LeeとYangとはノーベル賞を同時受賞しているが、二人を比べて日本ではYangの方が評価が高いと思う。
そういえば、ドイツのマインツ大学で研究室が私と同室だったKim さんはLeeがあるとき講演に来て、そのとき聴衆の中の一人が数学者でLeeの使った用語の定義を根掘り葉掘り聞いて、いちゃもんをつけたのでLeeが腹を立てたと話していた。
Yangは前の奥さんが亡くなったので若い中国人女性と再婚したとか。その女性を連れて日本の講演会にやってきたと物理学会誌で読んだ。Yangは亡くなった私の先生のOさんよりも年上だと思う。