物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

明日から休み

2011-12-29 12:02:58 | 日記・エッセイ・コラム

ブログは明日から1月3日までお休みします。1月4日からブログを再開します。もっとも1月6日は前進座の公演を京都南座に見に行くので1月6、7日も休みます。本格的な再開は1月9日からとなります。ご了承ください。

今年も数学・物理通信の発行、無料塾、ドイツ語のクラスやテニス、雑談会等で忙しかった。それらの活動で、老後の生活を楽しんでいる。

12月のことでは、宇和島を中心にした観光のビデオか何かの日本語をドイツ語に訳して数千円ではあるが、翻訳料をもらったのは、その額は多額ではないとしても私たちには画期的なことでした。

趣味でやっていることが金銭的に報われるなどとは考えたことはいままでなかった。これもドイツ語の先生で友人のR氏の配慮によるもので、彼が最終的にドイツ語を修正するという、監修の役をやってくれるので、安心して書くことができたからです。

これは私だけではなくて、ドイツ語のクラスのメンバーに共通に言えることです。短い文章ですが、なかなか結構ドイツ語に訳することは難しかった。

夜コタツにあたりながら、快調に訳ができて行ったときには気分よく自分のドイツ語もまんざら捨てたものではないなと自己満足して、寝てからもその自己満足が体に満ちているのを感じました。

ところが、翌日に数行の日本文をどうドイツ語で表したらいいかと思い悩んだときには自分のドイツ語なんて「まだまだだな」などと思い知らされ、とても落ち込んだりしました。

しかし、これはいい経験であり、勉強にもなったことは事実です。こういう経験を重ねて少しづつではあるが、言葉というものは修得していくのでしょう。70歳を越えた一老人の感想でした。

Guten Rutsch ins neue Jahr. いいお年をお迎え下さい


また無料塾

2011-12-28 13:39:38 | 受験・学校

10月からはじまった無料塾は常時来ている生徒は一人で、時々来る生徒がもう一人いる。常時来ている生徒はあまり心配がいらないのだが、時々来る生徒はもう見ておれないくらいの学力である。

だが、この生徒は英語が特に苦手らしく、ほとんど英単語を知っていなかったが、hug(抱きしめる)という語は知っていたから不思議だった。

一回だけ英語を教えたのだが、明日中学校の補習が終わって来るかどうか。年が明けたら、1月4日から再開するが、今年は明日が今年の最後の日である。これは30日と31日は例年のように風呂とトイレの清掃を私がするからである。

無料塾の運動は有志の心ある方々の気持ちに支えられているのだが、むしろこの塾が松山で知られていないことに普及がもう一つの理由がある。だが、気長に運動を進めるべきであろう。


不思議に思うこと

2011-12-27 13:25:42 | 日記・エッセイ・コラム

ほぼ毎日このブログを書いているともう書くことがないのではないかと思うのだが、いまのところなんとか書くことがある。

これはいつも思うのだが、まことに不思議なことである。水を汲み続けると井戸が枯れることがあるようにもう書くことがないという状態になっても不思議ではない。ところがいままでなんとか書き続けてこられている。

別に私は特に教養のある人物ではないし、学問もそれほど深くはない。だから書くことのタネが切れても誰も不思議だと思わないだろう。

日記を何十年も書き続けている方も私の知人にいるが、そういう人は日々その人に起こった事柄を書いていればすむ(すみません。こんなに簡単に言ってしまって)。しかし、このブログは日記の代わりもしているかも知れないが、基本的には日記ではない。

もちろん、その日その日の行事もたまには書くが、それはこのブログの主たる目的ではない。

一番に自分が感心したこととか、初めて知ったこととか、他人には別に新しいことではないにしても私にはある意味で発見であるようなことを主として書いている。

もちろん、そのようなことを書くために少しばかりは努力をしてはいるが、それとて大したことではない。

続けて書いているとこのブログの読者もできているかもしれないが、あまり読者のことを頭において書いてはいない。だから、このブログはそれこそcurmudgeonのひとりごとである。


paixとpet

2011-12-27 12:57:37 | 外国語

大江健三郎はこの愛媛県の出身の作家である。彼はいつも真面目であまり冗談をいうことなど想像ができない。ところが2012年1月号の岩波書店のPR誌「図書」で軽口をたたいている。

それが上の表題に書いたpaixとpetである。この二つの語はフランス語でそれぞれ平和と屁という意味である。両方ともpe(カタカナで書くとペェ)と発音する。

この話は彼の夫人がテレビで平和と屁は同じ発音だと誰かが言っていたと、アメリカから帰って来た大江に話すと、彼が

paixもpetも同じペェだと軽口たたけば冬雷がする

と言ったら、夫人に叱られたというオチである。そのときにたまたま雷が鳴ったらしい。

これらの語の文法上の性がどうなっているかが気になって辞書を引いてみたら、la paixで、paixは女性名詞であり、petはun petで、男性名詞であった。

50年ほど昔にH大学文学部の大学院の仏文専攻課程の新設のためにフランス人の講師がH市に土曜の午後やってきて、フランス語会話の講座を一年くらい開いていたことがあった。

そのころ初歩のフランス語を学んだばかりの私もその会話のコースに分からないながらも参加していたが、そのころ先輩連から口伝えで教えてもらった語にpaixがあった。ちなみにparc de paixはH市の有名な平和公園である。

だから、paixの方は昔から知っていた語だが、petの方はこの大江のエッセイを読むまで知らなかった。フランス語の辞書を見る限りではこのpetにはペットという意味は出ていない。

最近は英語もフランス語には入っているだろうから、それでペットという語を英語として理解できるフランス人も多いだろうが、おかしなものである。


嘘をつく人、つかない人

2011-12-26 13:26:09 | 日記・エッセイ・コラム

世の中の人は嘘をつく人と隠し事をするのが上手な人との二つに分かれるとは先日の朝日新聞での身の上相談で評論家の岡田としおさんが書いていた。なるほどそういう分類の仕方があるかと感心してしまった。

うそをつく人は隠し事が下手な人だという。隠し事の上手な人は嘘をつく必要がない。それはそうかもしれない。

いつだったかもこのブログで書いたと思うが、普通の人からうそをつく権利を奪ってはならないという主張をしたのは武谷三男である。

人々は権力の座にある人のうそを見抜かなくてはならないが、その権力者に追いつめられて困っている普通の人たちからうそをつく権利をうばってはならないというのはなかなかの見識である。

日本では古来から「うそは泥棒のはじまり」とかいうが、イタリア人などが詐欺を働くとか言われてあまり日本人には評判が芳しくはない。

が、これもイタリアやイタリア人をよく知っている人はあれは、ゲームみたいなものだから、その感覚を理解しなくてはならないという。

もっともイタリア人がみんなツーリストをだます訳ではないし、そんな不正を働かないイタリア人の方が多いのである。

しかし、その国民的センスを知るとそのゲーム的センスを楽しむことができるようになるのかもしれない。


雑談会懇親会

2011-12-24 20:14:02 | 日記・エッセイ・コラム

雑談会の懇親会を開いている。ドイツ人のR氏も来てくれて国際色豊かになった。

また、お手伝いを兼ねて来ていただいたWさんがニコニコしていてかつご自分の意見を臆せずいわれる、お陰でますます盛り上がっている。

いまはNさんが歌を歌っている。Eさんが携帯を使って妻に連絡をしたらというので、電話をしたが留守電になっていた。

今日は14時過ぎから始めているが、まだしばらくは続きそうである。


前進座80周年公演

2011-12-23 13:13:03 | 芸能ネタ

2012年の3月1日にひめぎんホール(県民文化会館)で前進座の80周年記念公演がある。それで先日の12月21日の夕方、松山市来住町の生協病院の会議室でその公演を成功させるための集会があった。

妻がこの公演の準備会の実行委員の一人になっているので、参加した。前進座は会社組織になっているそうだが、この会社の社長の嵐圭史さんが公演促進のために松山に来られて話をされたり、平家物語を朗読されたりした。

さすがにこの朗読は圧巻であったが、話もユーモアもあり、とても興味深いものであった。ただ、嵐さんが自分の持ち時間を20分ほど超過したのは頂けなかった。これは司会者が注意すべきところであろう。

3月1日の公演の題目は歌舞伎の「毛抜き」と現代劇の高野長英の逃走中の一こまを描いた、「水沢の一夜」である。高野長英は愛媛県の宇和町などにも関係があり、ある程度愛媛県の人も親しく感じる人である。

長英はシーボルト(ドイツ語では本当はジーボルトが正しい)の高弟であり、彼のやったことが当時の幕府の気に障ったために牢獄につながれ、死刑の宣告を受けたのだと言う。特に長英が倒幕運動を繰り広げたわけではない。

そういう意味では長英とか現代から見ると、不条理であるが、牢獄に火事を起こし、そのすきに牢獄を駐英は抜け出したのだと言う。医学に優れていただけではなく、軍事学にも詳しかったために各藩が競って密かに長英を一時的にかくまっただろうとは圭史さんの話であった。

ここで、軍事学とは具体的に何かと質問をしたかったが、それを聞く機会はないままで終わった。私の推測ではこの軍事学の主なものは砲術ではなかったろうか。砲術はどういう風に大砲を撃つかに係ってくる。それはある意味では放物体の運動を含んでいただろうから、軍事学とは物理学の初歩を含んでいたはずである。

軍事学が科学のどういう意味で日本での近代科学の導入になったかはわからないが、武田楠雄氏の「明治維新と科学」(岩波新書)だったかには日本における近代科学の導入は航海術であったとかいてあった。

航海術は大海で自分の船の位置を天体の観測から決めるとかいうことを含んでおり、これは三角法の知識が必須である。こういうことから近代科学が日本に次第に導入されたのであろう。

近代科学はこういう実学としてはじめて日本では導入されたのに違いない。


Lagrange恒等式の証明に誤り?

2011-12-22 13:35:19 | 数学

Cauchy-Lagrangeの恒等式の四元数による証明を四元数の導入として、数学・物理通信9号に書いたが、それが間違っていたのかと昨日青くなった。

私は頼りない人種であるのに、おかしいことに自信に満ちている。しかし、昨日ちらっとこのエッセイを見て、その証明が間違っていると思いはじめた。それで一番初めの手書きの草稿までファイルキャビネットから持ち出してチェックをした。

そのチェックを始めたときには、ひどい間違いをしていると思えた。しかし、よくチェックしてみるとどうも草稿に書いてある範囲ではどこも間違っていない。それでよく考えたら、間違っていた訳ではないことがわかった。そこでようやく「やれやれ」となったのだが、数時間息が止まりそうに思えた。

エッセイの内容は別に間違っていなかったが、どうも時間が経つと自分の書いた文章を誤解をした。これは私の文章がまだ十分でないことを示している。

ともかく、間違いではないことを了解するのに数時間を要した。時間が経つと自分が書いた文章でも誤解をするということを自分の体験として知った。

まさに時間が経ったあとの自分は他人なのである。


今日は忘年会

2011-12-22 13:02:41 | 日記・エッセイ・コラム

今日は忘年会である。とはいっても数人の参加のドイツ語の学習クラスの忘年会である。

忘年会をNHKの「英語でしゃべらないと」でパックンがyearend partyと訳していた。

そういう会がアメリカでもあるのだろうか。在米経験が数年の、医師の I 先生に今夕聞いてみよう。

ドイツ語の学習会のメンバーとも数年のつきあいである。私が前回のクラスの要約を作り出してからでも4年になる。これは現在の要約に8-xxという番号がついているからである。

大学の学期と同じで夏学期と冬学期の年2回のシリーズであるから、8-xxというのは4年目を意味している。

メンバーは増えたり減ったりしている。しかし、メンバーは今日や昨日にドイツ語を始めた方々ではないので中級以上の方々である。

頭のいいクラスのメンバーは医師の I さんと主婦の K さんであり、この二人に頭の良さでかなう人は私たちのクラスにはいない。

しかし、ドイツ語の表現力ならば、Yさんと講師のR氏の夫人であるSさんであろう。この二人はやさしい言葉でだが、うまく意味を表現することがお得意である。また、語彙の一番豊富で、かつ難しいことを表現できるのは塾生代表のOさんであろう。

私も少しは語彙を知っているが、このOさんにはまったくかなわない。彼の在独の年数は数年の長さに及び、この長さは他のメンバーの追従を許さないし、ドイツの大学にこれらの年数を通ったのだから、筋金入りである。

もう一人の T さんはとてもドイツ好きで2年に1回の割でドイツにご夫妻で出かけるというリッチさである。また、彼はクラスでドイツ語のテープをみんな一緒に聞くと大抵私たちの聞き取れないところをしっかり聞きとれているという実力の持ち主である。このこのことにはいつも舌を巻いてしまう。

ともかく、なかなかなのタレントぞろいなのである。だが、そのうちにメンバーの一人のYさんはご主人の転勤でいなくなると思うと、この現在のメンバーを大事にしたい。


a la folieとsur le cou

2011-12-21 12:36:58 | 外国語

a la folieとsur le cou とはフランス語である。

a la folieは「狂わしいほどに」という意味だった思う。またsur le couは「首ったけ」と訳されていたと思う。どちらもフランス映画の題目ではなかったかと思う。

sur le couはその前に何か数語あったと思う。これはBBの映画だったと思う。a la folieはBBの映画の題だったかどうかは覚えていない。

この語を思い出したのは別にフランス映画のことを思い出したからではない。妻が前進座の3月始めの公演の促進のための今夕の集会の準備のために朝から出かけたからである。まるでa la folieだという気がしたので、この語を思いついたのである。

誰からも頼まれた訳ではないのに、すぐにこういう催し物をするというと妻が「のりのりに」なってしまうところなど、まるでa la folieである。

aimer qn a la folieとは「誰か(qn)を狂おしいまでに愛する」と仏和辞典に出ている。

Maria et Mariaという映画を若い学生の頃にみたが、そこで盗賊の頭領だったかが、二人のMariaに会ったときにJe suis enchant'e de faire votre conaissance. (お知り合いになれて光栄です)と馬を下りていうところは今でもよく覚えている。

このごろは人と出会った初対面のときに、簡単にenchant'e(e)とかいうらしい。若者なら初対面のときに単にBonjour(今日は)とかでも済むらしい。

いつだったか何回目かのフランス語の講義を受けたときに書き取り試験を受けたが、このときにbon とjourと分けて書いて先生からBonjourと直されたのを覚えている。

これはドイツ語ではGuten TagとgutenとTagとは一語にはならないのをフランス語に持ち込んでしまったらしい。こういうことで試験の効用もあると知った。

(2012.9.27 付記) sur couと書いてきたが、どうも定冠詞のleが必要な気がしてきたのでsur le couと定冠詞を入れてみた。私のもっている辞書にはcouのところにはsur le couまたはsur couという用法は載っていない。

それでフランス語のよくわかる方にご教示をお願いしたい。定冠詞 le が入るのかこういう用法だと le は入らないのか。ドイツ語でよく聞くのは慣用表現だと冠詞が落ちるという風に聞いているが。


権力者の死

2011-12-20 14:20:50 | 国際・政治

今年はアラブの春とかでリビアのカダフィ大佐が権力の地位から去って亡くなった。ところが年末が迫っての金正日の突然の死が報じられた。昨日の14時のNHKの英語ニュースで知ったが、夕方帰宅すると妻が一番にそのことを教えてくれた。

狭いグループとかでは権力を振るいやすいというのはどこでもそうである。国交がないわけではないかもしれないが、国を閉じていれば、権力者が自分に都合の悪いことを排除することができる。そしてある種の権力を振るうことができたりする。

これはリビアもそうであろうし、北朝鮮もそうであったろう。中国などはそういう国を閉じるということは終わっているのだが、それでも完全に開かれたかというと曰く言い難いところがある。でも、少なくとも中国では権力のトップがスムースに交代するようになった。

それがおかしくなっているのはロシアであるが、大統領に返り咲きをするという、プーチンの人気は国内では昔ほど絶対的ではなくなったらしい。

この機会に北朝鮮も少しでも開かれた国になることを願っているが、しかしただ一人の指導者の交代ぐらいで国が変ったりはしないのであろう。一人の指導者の都合だけでその国の体制が維持されているとは思えないからである。

普通には国の変化は生産関係とそれを支えている層が変ることによるのだと思うが、そういう変化が起こることを国が無理やり留めているようだと変化が起こることができない。

独裁とは逆の端にあると思われる、グローバル化とは飽くなき資本の利潤追求の現れと思われるが、それは結局弱肉強食の世界なのであろうか。どちらも困ったものである。


数学・物理通信11号発行

2011-12-19 16:15:07 | 物理学

数学・物理通信11号を今日ようやく発行した。

これはPDFの文書ができれば、それを私のもっているメールアドレスに送れば、発行されたということになる。一部は自分の手元に印刷したものを残すが、あとは全部メールでファイルの形で送るだけである。

まめな人は受け取ったとメールをよこすが、大抵の人は梨のつぶてである。だからまったく反応がないのかと思っていたら、投稿してくれる人が少しづつ増えている。もう来年3月発行予定のつぎの12号の原稿が投稿されている。この調子では隔月刊にぐらいしなくてはいけなくなるかもしれない。

これは一号のページ数を30ページ以下にしたいという、気持ちから号数を9月、12月と2号づつ発行してきたという実績もある。不思議なもので、はじめはまったく問題にしていなかった方もそれなりの敬意を払ってくれるようになってきている。

もっともこれは自分の楽しみで発行しているものではあるが、絶対おかしいことがわかっているものなら、掲載をお断りするが、そうでなければ必ず掲載されるので、それが魅力ということかもしれない。

友人の数学者Nさんと共同で編集人を務めてはいるが、ほとんど個人的にやっているようなものであり、好き勝手にやっている。ただ、私の知り合いとか友人とかからはあまり投稿がない。もっぱら、物理学者のN. N. 先生の友人・知人の投稿が増えてきつつある。


三平方の定理を満たす整数

2011-12-19 12:02:27 | 数学

先週の土曜12月17日の午後に、いつものように無料塾に行って中学生を教えている、部屋に詰めていた。

そのとき数学を教えている松本先生から「ピタゴラスの定理を満たす、整数は(3, 4, 5)と(5, 12, 13)のつぎはどうでしたかね」と突然問われて、「いや覚えていません」と返事した。

ちょっと気になったので、昨日コタツに入って、「ピタゴラスの三角形」(東京図書)を見てみたら、(15, 8, 17)であることがわかった。

ピタゴラスの定理を満たす、整数についてちょっと他のことも昨日読んだが、詳しいことは今覚えていない。

しかし、斜辺以外の二つの辺は二つとも奇数とか、二つとも偶数であることはないとか、もし一つの辺を奇数にとるともう一つの辺は4の倍数であることとかを知った。

こういうことを知っていたからといって、どういうことはないのだが、それでも理系人間の教養が問われるであろうか。

それを知らなかったから私が理系人間失格だとは思わないが、さしづめFeynmanだとかなら、それについてもっとたくさんのことを知っていたであろう。

Cal Tech(カリフォルニア工科大学)のFeynmanの同僚だった物理学者が、このような定数とかを記憶する試験をしたら、学生には不評であったが、この先生は頑としてそれらの数値を覚えておくことを学生に主張したという。

曰く、Bob (Feynmanのこと)は定数等をきちんと覚えていて、定数表などは使わないではないかというのが、彼の主張であったらしい。そしてその事実をエッセイに書いた方もその主張に同調されている。

ところが私などはあまり定数などを覚えていない。これは教育の違いもあるかもしれない。

私が学生だったころ、アメリカから帰ったばかりの、先生に聞いた話では博士の学位をとる前にはそういう試験があるらしく、アメリカの大学院生は定数を必死で覚えているとか聞いた。

それでもそれを糧にして定数等を一所懸命に覚えることをしなかったので、いつまでも低レベルのままである。

話が違うが、高校レベルの数学でもなかなか私にはわからなくて、棒暗記ではないが、理解してそれを覚えるということを意識的にした。

これは秀才の方々にとっては、なんでもないことだろうが、当時の私にはとてもつらいことであった。

だが、それが今ごろになって役立つとは50年以上も昔になる、その頃は思いもしなかった。そして、それは今ではその当時努力をして覚えたことだということも分からないくらいになっている。

もっとも私の数学のレベルはその程度であり、高校数学の程度を超えていない。


昨日書きたかったこと

2011-12-17 12:49:46 | 学問

いつも何か頭の中で考えている。それは例えば、夜寝ているときにうつらうつらしているときもそうである。

ところがいざ、パソコンの前に座って何を書きたかったのだろうと思っても思いつかないことが多い。昨日だったか、一昨日だったかはわからないが、新聞で読んだのが、あるすぐれた学者の言っていたことだと思う。

どこで読んだかもはっきりしないし、誰が言ったことかも今ではわからない。つぎのようなことだったと思う。

それは「学問の真髄は学問の体系をつくることではなく、現在出会っているその分野の研究の困難を解きほぐしていける端緒を見つけることである」というのであった。

私にはどこかで読んだか聞いたような気がする言葉であるが、どなたの言葉であったろうか。現役で働いている科学者か技術者の言葉である。

これは私の知っている武谷三男が言うような言葉であり、どこかで実際に武谷三男はそういうことを言っていると思う。だが、私はそれを武谷の言葉として最近読んだのではない。だから、気になったのであろう。

学問とは上に述べたような考えでもちろん済むような局面だけではないが、学問のそういうきっかけをつかむことが一般にいかに難しいかという気持ちはよくわかる。

ただHeisebergが変な掛け算の規則を導入して量子力学への端緒を開いたことは有名であるが、それを発展させたBornやJordanの功績はどうもないがしろにされた。BornはHeisenbergはマトリックスについてはまったく知らなかったのにという独り言を言ったといわれる。

それほど大きな話ではないが、最終的に素粒子のU(3)対称性へと結実した、私の先生のOさんの業績だけが表彰されて、それが数学としてのU(3)だと言うことを認識されたOhさんや I さんは不平を何も語らなかったが、ちょっとこのBornの気持ちがあったにちがいない。

これは私の先生のOさんが悪かったということではなく、世間の評価のあり方が問題だったということである。もっとも数十年後ではあるが、Ohさんは物理学会から賞を受けたので、少しはその重い気持ちが晴れたであろう。ただ、時期がかなり遅かった。

これはまた別の話だが、de Broglieの物質波仮説はすばらしいアイディアである。そしてそれはもちろん、量子力学関係としては最初にノーベル賞を受けた。ところが、これが実際に影響を与えられたのはSchroedingerで彼は波動力学といわれる、いまでは量子力学の一部となっている学問分野を開いた。

この場合には端緒を与えた人もその展開をした人も同様に評価を受けた例である。こういう例はしかし少ないかもしれない。


マッチ

2011-12-16 13:39:06 | 外国語

マッチなどは日常生活でほとんど使うことがなくなった。それでということもないのだが、このマッチというドイツ語を昔はよく知っていたのだが、思い出せなくなった。

これは昨日ドイツ語のクラスのレジュメをつくっていて、streichen、「こする」という語が出てきたからである。このstreichenという語と関係があったと思うのだが、思い出せない。それでしかたなく、いま和独辞書を引いてみた。

das Streichholzとあって、確かにstreichenと関係があることが確かめられた。ちなみにいうとHolzは木のことである。もっともHolzは木材としての木のことであり、生えている樹のことではない。こちらの方はちゃんと覚えていて、der Baumである。

お菓子に樹の年輪の形をした、バウムクーヘンというお菓子があるが、あのバウムは樹のことである。もっともバウムと書いたが、その発音は純粋のウではなく、多分ウとオの中間くらいの発音のはずである。むしろバオムに近いかもしれない。

これは日本に住み着いたドイツ人が日本に伝えた菓子らしい。そのうちにその菓子を作った本人が亡くなり、その夫人はドイツに帰国したらしいが、彼の日本人のお弟子さんたちの努力によって一般化されて、今に至っていると聞いた。

また、その成功後その夫人を日本に呼び寄せたとかも聞いている。

フライブルクに市門が二つ残っており、その内の一つがHolztorと言ったと思う。その下を市電が走っているはずだ。Torはもちろん、門の意味である。サッカーでゴールのことをドイツ語ではTorという。