「沖縄の民の意思を汲(く)まずして寄り添うというは如何なる策か」という短歌が8月27日(日)の朝日新聞の天声人語の冒頭に載った(短歌自身は2018年の作という)。実名が新聞に載っているのだが、個人の名前なのでNさんとしておこう。実はこのNさんというか、N君は私の高校の同期生である。近しい友人の一人だったと言っていい。
彼が俳句や川柳をつくることは知っていたが、短歌を詠むことは知らなかった。数年前に同じ朝日新聞に俳句だったかが載ったので、はがきか何かで連絡をしたのだが、届いたのかどうかわからない。返事が来なかった。
今年の10月に6年ぶりに高校の同窓会が開かれるので、そこで会えるのかもしれないが、それ以前に彼の生息安否を知らない。
8月27日の天声人語に関して言えば、N君の短歌は導入部にすぎず、話の全体は福島第一原発の処理水の放出に触れた内容であった。
許容量以下の安全基準を処理水が満たしているからといって安全なのかどうかは保証の限りではないというのが本当のところであろう。
第一、許容量という概念は絶対安全というものでは本来ないということは物理学者の武谷三男が『原水爆実験』(岩波新書)の第2章に述べている通りである。許容量は人々のうける利益とその損害との兼ね合いできまる、社会的な概念であるとはじめて明言したのは武谷三男である。だから、人によってその許容量は変わっているはずだというのである。この許容量の考えはICRPではリスク・ベネフィット論として知られている(注)。
さらに、上の『原水爆実験』には今ではEU等で「先制的予防原則」といわれるようになった考えも出ていると思う。
わたしはそのような考えですら、一般に広まっていないと考えている。困ったことだ。
(注)物理学に熱力学第二法則というのがあって、これを信じる限りは放射能とかも次第に地球上の環境に広がって薄まっていくはずである(また当然であるが、放射能はその半減期を経ると放射性が1/2づつ弱まってくる。理科年表によれば、放射性トリチウムの半減期は12.3年だという)。ところが現実の世界はこの熱力学第2法則に従っているとはかならずしも言えない。
それは現実の世界には生物が生息しており、生物は物理法則の熱力学第2法則には局所的に従わないからである。すなわち生物濃縮という現象が起こる可能性がある。このよく知られた例は1954年だったかに太平洋でとれた、原水爆マグロであった。
昔、アメリカが太平洋のビキニ岩礁で水爆実験をしたことがあるが、そのときに汚染したマグロはものすごい放射能の量であり、その当時日本人のマグロ漁の漁師さんのせっかくとってきた原爆マグロを地下深く掘った穴に投棄しなければならなかった。これは放射性物質のいちばんいい生物濃縮の例である。
もちろん、宇宙全体とか地球全体で見たときに物理学の熱力学第2法則は成り立ってはいるのだが、局所的に見るとそれが成り立っていないとみなせることが起きるかもしれない。これもまた私たちの認めなければならない自然界の一側面である。