物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

おかしなことに

2016-09-30 16:11:46 | 日記

私が図書館で借りたいと思う本が誰かに借りられているということがある。逆に私が借りて読んでいた本が次に誰かの借りたいという予約が入っているということもある。

これは偶然一致ではあるが、同じような関心をもった人の存在を意味している。今日図書館に返しに行く本に『昭和史の天皇 4』(読売新聞社)がある。ところが一度延長をお願いしたときにそれを読みたいという人の予約が入っているということだった。実は私がこの本を借りる前には多分長いこと誰にも読まれれずに図書館の書庫に眠っていたと思う。

ところが私が借りてその後にどなたかこの本を読んでみたいという人が現れたことになる。いまインターネットで検索してみると私が読んでみたいと思っていた数学史の本が誰かに借りられている。

そういうことがあるのだと思う。


ようやく書評を

2016-09-30 11:26:18 | 日記

書いたが、どうも書評になっているのかどうかあやしい。それでも書き直すこともできず、明日が締め切りなのでどうもこのままとなりそうだ。

目録を紹介するにはあまりにたくさんの項目があるので、それの紹介もできない。自分で読むことのできなかった論文が4つ残った。これは合わせて約100ページである。


ノーベル賞の行方

2016-09-29 10:34:09 | 日記

今年もノーベル賞の発表の時期が近づいた。

インターネットでなぜ韓国はノーベル賞受賞者を出せないのかという解説記事を見た。韓国政府が少し焦って学会に圧力をかけているとか。

いずれは韓国からもノーベル賞の受賞者は出ることだろうが、ちょっとこのことを考えてみたい。それは直接的な話ではなくて、私の感じているバックグランドのことである。

日本でだけかどうかは知らないが、例えば大学レベルの数学の微積分学のテクストなら100冊くらいは発行されていると思う。

線形代数にしてもしかり。それからちょっと高等なリー群とかリー代数の本なども20冊は越えないかもしれないが、そこそこに発行されている。要するに多様性があるというか。これは出版文化として見たときに過剰なくらいである。そういう社会が日本以外に普通にあるのかどうかわからない。

一例を数学の分野の話をしたが、物理でも同様である。いや実は自然科学の分野だけではない。日本ではたいてい英語とかフランス語で出版された少し有名な本は翻訳されている。タイムラグが幾分あるにしても。そういう国が他にあるのであろうか。韓国はどうであろうか。

昔、ドイツの大学で同室になった、物理学者の K さんは韓国人であったが、彼はスミルノフの『高等数学教程』(共立出版?)をもっていた。彼は日本語は話せなかったが、日本語を学生のころに少し学んでこの数学書を読んでいたらしい。『高等数学教程』はロシア語が原著であるが、その日本語訳があったのである。漢字は共通であり、ハングルと日本語は語順は同じといわれているので、読むのはさほど難しくはなかったらしい。彼はアメリカで大学院教育を受けたから、もうアメリカの学者というべきだろうが、韓国にはその当時は帰る気がないとのことだった。

自分に関したことで申し訳ないが、マイナーの分野の四元数についての本にしても私の書いた『四元数の発見』(海鳴社)も含めて、現在も入手可能な四元数の関係の本は4冊に及ぶ。それはもう古本でしか手に入らないものを除いての話である。

ことほど左様に日本の学問とか文化の多様性は驚くほど広い。ただ、現在の心配は国立大学が法人化されて、各教官・研究者に配分されている研究費が私の勤めていたときの約1/3くらいに減っていることである。

そしてその代わりというのかどうかは知らないが、防衛省の委託研究とかの資金が大学や研究所に流れ込むという実情である。これが今後の日本の研究をゆがめるだろうことは想像するに難くはないが、多分後戻りはしないであろう。

これを憂慮する声は強いが、現在の状況ならその状況は今後ますます強まるであろう。ノーベル賞学者の益川敏英さんが若い学者に倫理を説いてみても説かないよりはましだが、それが現状を変える力にはならないだろうと私は悲観的である。

 


今日は湿度が高い

2016-09-28 12:28:49 | 日記

気温は27度くらいでそれほど高くはないのに湿度を見たら90%を越えていた。これではむしむしして不快なわけだ。しかたなく仕事場に来てエアコンをかけた。

昨日も湿度と気温が高かったようだ。午後はエアコンなしでは過ごせなかった。「暑さ寒さも彼岸まで」というが、秋分の日は数日前であった。

今年も台風が多いが、幸いなことに四国の瀬戸内海沿岸地方はいままでのところあまり被害がない。


武谷三男と原発推進派

2016-09-27 11:46:16 | 日記

とインターネットの検索で入力して私のブログに到達した K さんからコメントをいただいた。そういうインターネットの使い方をする人がおられるということを実例として知ったわけである。

これはインターネットで接触があったわけではないが、先日電話をいただいた方は武谷三男の幼年時代から小学校時代等に関心のある方であったが、インターネットで武谷三男の自伝がないか探しておられたようである。

『思想を織る』(朝日新聞社)と『聞かれるままに』(思想の科学社)を紹介したが、この方もインターネットでいろいろ探されたようであるが、自伝にはたどり着かなかったようである。武谷は『思想を織る』を自伝だとはいっていないが、これは実質的に自伝にあたるものだと言っていいだろう。

アマゾンコムで武谷三男と入力して検索したら、『思想を織る』は出てくるだろうが、それが実質的な自伝であるとはわからなかったのだろうか。もっともこの方はご自分の小さいときに住んでいたところが武谷の住んでいたキルーンであり、むしろ自分の住んでいたところについての情報がほしかったようである。

だが、電話で話を伺っただけでも興味ある話だったので、どこかにこの W さんが記録としてご自分の経験を込めて記事を書いてくださることを願っている。


未収録論文集

2016-09-26 15:58:34 | 日記

戸坂潤全集の未収録論文集という本の始めの論文を読んでまったくわからなかったというブログを先日書いたが、その後その論文以外はわからないというほどではなくて、かなりの数の収録論文を読んだ。

だが、ページ数ではようやく半分を過ぎたところである。論文の項目としては7割くらい読んでいるのだが、ページ数としては6割くらいだろうか。最後の論文が40ページ以上の長い論文である。言語学の評論であるのだが、さてこれを読み切ることができるか。

言語学は私には嫌いな分野ではないけれども、いずれにしても長い。もう締め切りまでに1週間を切ったが、さてはてどうなることやら。

昨日の日曜日も昼寝してないときは終日読みふけったが、まだ終わりには届いていない。


現代中国の話題

2016-09-26 13:30:52 | 日記

を土曜日に雑談会で聞いた。N さんの報告である。N さんは経済学者であるが、中国の経済については大学生の卒論のテーマであったという。

その後、イタリアの経済政策を専攻していた。すでに80歳を越えているが、なかなかの好奇心である。残念なことにあまり体調がすぐれないのと難聴で人の話が聴き取りずらくなっており、議論についていきにくくなっておられる。

これは最近のことだが、突発性難聴になられたせいだと聞いている。レポート後の議論も活発であったので、参加者はなんとなく満足感を抱いて帰られたのではないだろうか。


ライプニッツの微積分は

2016-09-23 13:02:11 | 日記

曲線の微積分だと高瀬正仁さんは書いている。そこがニュートンの微積分とはちがうところである。高瀬さんはヨーロッパ大陸の方の古典数学に強い人なので、まだニュートンの微分積分の方はあまり研究していないかと思われる。

いまでは高校生でも「関数」の微積分だと知っているが、ライプニッツのころはまだ「曲線」の微積分であった。

e-Learningの数学として、高校数学について書いた原稿をもっているのだが、その中に三角関数の部分が抜けおちている。この部分を書かないと高校数学の部分としても完成しない。微積分の部分も初等的な部分は書いてあるのだが、高等な、すこし難しい部分についてはまだ書いていない。

あまり類書がないと自負しているものだが、残念ながらなかなか、書いていない三角関数の部分のすき間を埋めることができていないのと、これはまだLatexで入力された原稿ではないのでLatex入力もしなくてはならない。

図もGrapesで描いているので、そこも変更する必要がある。


ブログが入力できない

2016-09-23 12:52:38 | 日記

というか漢字変換ができなくなっていた。それに入力してもなかなか反応が遅くてどうしようもない。これは使えるメモリが減ったせいかなと思って、たまった古いメールを削除したら、なんとかまた漢字変換できるようになった。

メモリが少なくなると動作が鈍くなって漢字変換すらしなくなってしまう。これが昨日の夕方の状態であった。メールのは返事を書くのにそのままメールをおいておくことが多いので、知らず知らずにメールがメモリを食うのであろう。

昨晩はどこが悪いかわからなかったので、帰宅するときには心が重かった。やれやれ。


文章を書くのが

2016-09-22 12:16:25 | 日記
ちょっとおっくうになってきた。私は文章を書くのが好きな方だと思う。それだのに文章を書くのが億劫になってきたと感じている。

これはいま徳島科学史研究雑誌への投稿論文を書いているのだが、ほとんどできあがりである。それで何回も読みなおしをしていて少し嫌気がさしてきた。昨夜も寝る前に一度と今朝も朝食前に一度づつ見直しをした。そうするとやはり手直ししたいところが見つかる。

それで嫌気がさしてきたのだ。若いときにはパソコンのワープロ機能などなかったから、「素粒子論研究」になど論文を投稿するときなど7,8回清書しなければならなかったと思う。でもその頃は大学院時代で指導の先生が私の書いた長文の原稿を短く削ってくれたりした。

そういう人がそばにいなくなって、むしろ私自身が自分の文章や他人の文章を添削することが多くなってもう何十年にもなる。ブログの文章などは書きっぱなしであるから、一年後に言葉のたらないところを書き足したりしている。

ただ、印刷されて公表される文章はある程度何回も見直している。私の文章には繰り返しが多かったりするので、そのような重複を削除したり、短かな言葉を付け加えたりする。なにしろ何回も見直すので読むのが嫌になることもある。それでも嫌がらずに直しておかないと後で後悔する。ブログなら気のついたときに黙って直しておくことが可能だが、論文とかエッセイになるとそうはいかない。それで若いときのように7.8回も清書するということはなくなったが、それでもプリントするのは5.6回にも及ぶ。

物理と数学がわからないと

2016-09-21 16:43:24 | 日記
世の中のことはなにもわからない、などと私がここで述べたら、お前はちょっと気が狂ったかと多分言われるであろう。

これは昨夜のNHkの「知恵泉」で取りあげられた大村益次郎の言った言葉だという。益次郎は長州藩のある小さな村の医師の家に生まれた。

そして、大阪の緒方洪庵が営んでいた適塾の塾頭となるが、ちょっと変わった変人と思われていたらしい。そして父に言われて自分の村に帰った医師になったという。腕は確かだったらしいが、風邪を引いた人がいても寝ていればなおるという風であまり親切な医者ではなかったらしい。

自分で宇和島藩に売り込んで藩医となるが、黒舟をつくってほしいと藩主に言われて、本などはたくさん提供されるが、それらはひもとかず、長崎に行って実際にオランダの軍艦に乗り込んで視察し、分からないことがあれば、納得がいくまで質問したという。その3か月で黒船を知り、それから宇和島に帰って書物を読んで設計図を引いたという。

藩主に従って江戸に出て、幕府の学校で教えていたが、あるとき長州の桂小五郎にリクルートされて長州藩に戻って藩の士官学校の先生になった。

そのころは藩の士官学校のテクストはオランダ語の本であったが、なかなかオランダ語を学生がマスター出来ず、学習意欲も上がらなかったので、日本語のテクストをつくったり、使ったりして効率を上げて士官の養成に励む。これが生きてきて、第2次長州征伐のときに10倍もの幕府軍を破って有名になったという。

その放送を見た後で、妻とスマホとかタブレットで山口県の大村益次郎の墓のある場所を探したりした。大村益次郎は明治2年に暗殺されて亡くなるのだが、日本陸軍の創始者だという。合理的思考の持ち主だったと言われている。来週の火曜日の夜に後編の放送がある。

偶然の一致

2016-09-21 11:47:19 | 日記
はよく起こる。今日の偶然の一致は昨日「他人から見た武谷三男2」の原稿の原子力の基礎知識の節で核放射性廃棄物の管理・保管上の問題点を数行書き加えたところが今朝の朝日新聞に「原発のゴミを10万年国が管理するんだって?」という記事が2面に出ていた。

論文「他人から見た武谷三男2」の「原子力の基礎知識」の節にはもっと基礎的な知識をちょっと書いたのだが、それも放射性核廃棄物のことは本当は書かなくてもよい知識かもしれなかった。だが、ちょっと書いておいた方がいいような気がしたのだ。

それで昨日書き加えただが、そのことをもっと突っ込んだ直接的な記事が今朝起きて新聞を開いてみたら、2面にかなりの紙面を割いての解説である。これを論文の参考文献としてつけ加えておこうか。

いつだったかも同じような経験をしている。私が一日早く書いた話題と同じ話題が新聞だから私よりも詳しく次の日の天声人語だったかに掲載されていた。

アクセス数が200を

2016-09-20 10:46:52 | 日記
久方ぶりに超えた。大抵アクセス数は150くらいであり、そんなに大きくはない。金曜日に多くなる傾向が以前はあったが、最近ではそうでもない。むしろ木曜日が多かったりする。

どういう人が見ているのかはブログを書いている私にはわからない。ときどき足跡を残してくださる愛知か岐阜の S さんくらいであろうか。

同業者の方も見てくれているのかもしれないが、同業者の人には私のブログはあまり面白くないであろう。

やはり違ったことに関心がある方が、読まれた方がインパクトがあるかもしれない。

今月中の締め切りということで、「他人から見た武谷三男2」の原稿を先月から書いている。ほぼできたのだが、もう少し詰めがいる。

そちらの方はめどがついて来たのだが、もう一つの『戸坂潤の全集未収録論文集』の書評の方はこれから読まなくてはならない。昨夜から少しづつ読み始めたのだが、なかなか理解できない。読みやすい論文もあるが、大体はなにがなんだかわからない。

こんな論文を集めて編集した人は偉いものだと感心をしている。編者は香川大学の K さんである。私は特に科学史が専門ではないので、やはり難しい。どうやって書評を書いたものだろうと頭をひねっている。

昨日はマネキネマの例会

2016-09-19 12:26:31 | 日記
があった。3番町のコムズであり、ドイツ映画を見た。タイトルは忘れたが、1956年のメルボルンオリンピック大会のマラソンで優勝したパウルが年を取って高齢者施設に入ったが、どうもお楽しみの時間が気にくわない。何かをつくらされたりするのだが、どうも健常な高齢者をバカにしているようだ。

それで施設のまわりの森を何周かするランニングを始める。彼はベルリンマラソンに出て優勝すると宣言するのだが、それは高齢者には無理だと冷笑される。

しかし、まわりに彼がメルボルンオリンピックでのマラソンのゴールドメダリストだということが知れて来て、支持や応援をしてくれる人も増えてくる。

妻がトレーナーとしてタイムを測ったり、ペースの維持とかを指示してくれて練習に励む。そのうちに乳がんを前に発症していてそれを克服していた妻は今度はガンの転移で脳腫瘍になり、とうとうなくなってしまう。死ぬ前にトレーニングをやめずにベルリンマラソンで走ってくれと妻から懇願される。

妻のマーゴが亡くなった後、しばらく呆然としていたパウルだが、大会が近づいてまた走り出し、とうとう大会に参加して全コースを走りきる。

一年後にパウルの娘に子どもができ、そのお祝いに孫と娘夫婦の家を訪ねる。そこで映画は終わっている。実際のベルリンマラソン大会で2012年にこの映画のマラソンの部分は撮影をされたとマネキネマ発行の解説にあった。

Nさんからの手紙

2016-09-17 12:12:49 | 日記
N さんは「数学・物理通信」の私の共同編集者である。その N さんの書いた以前の論文の続きを掲載してくれるようにという依頼のメールが「数学・物理通信」をインターネットに載せてくれている名古屋大学の T さんから転送されてきた。

それで大慌てで N さんのところへ飛んで行って、相談した。N さんは体があまり効かなくなっておられるが、それでも奥さんにそのことを書いた論文があるはずだということで、奥さんが探したところ論文の別刷を探し当てた。そのコピーを N さんは私に送ってきた。

このコピーを高橋さんという依頼のメールを下さった方のもとへ届けるという仕事ができたのだが、それだけではなくその論文を日本語に訳して「数学・物理通信」に載せることも必要かと思われる。

N さんが多分パソコンへの入力をすることは難しいので、私が代わりに入力をして前の論文の続編とすること、それを「数学・物理通信」に載せることが私の仕事となろう。12月にはいましばらく時間があるので、この数か月で入力をしたいと思っている。