物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

朝永の超多時間理論と相対論

2007-01-31 14:02:01 | 物理学

素粒子論の現象論を昔は専門にしていたのだが、朝永の超多時間理論をきちんと勉強しなかった。

Feynmanグラフの計算をするだけなら、超多時間理論をあまり意識しなくてもよかったように思う。

そのつけがこの頃回ってきてGoldsteinの”Classical Mechanics"の最終章の翻訳がまだ十分にできない。

一応最終章の訳をつけたので、それをいま読み直しているのだが、そこでいままで朝永の超多時間理論をきちんと勉強しなかったことを思い知らされている。

超多時間理論とくりこみ理論とは一応別の理論だが、密接に関係している。これは日本の誇る物理学者、朝永振一郎の業績である。それを十分に勉強しないでいたのだ。

まあ、自分で必要を感じるまでは勉強をしないというのは私のあまりほめられない一つの主義だから仕方がない。さてよくわかるようになるのだろうか。

それで関係する特殊相対論をメラーの相対論の訳本を引っ張り出してきて読み始めたという始末である。

このメラーの本を大学院で成相秀一先生の指導の下で読んだのは、しかしもう40数年前のことである。それ以来この本を開いたことがなかった。英語のメラーのこの書(H大学理論物理学研究所の蔵書)をセミナーの各メンバーに貸してくれてそれを読んだと思う。

いま日本語の訳本を開けてみるとところどころに赤線が引かれていてその箇所をよく理解できなかったことがわかる。いまでも当時と比べてそれほど理解が進んでいる訳とは思えない。しかし、以前よりは今の方が計算力がついていることは確かだ。

さて、こたつの暖かさを楽しみながら、また居眠りをしながらこの本や超多時間理論を勉強してみようか。


DysonのThe scientist as rebel

2007-01-30 10:17:20 | 物理学

The scientist as rebelという昨年末に出たDysonの著書を拾い読みした。Dysonは物理学者で数学者である。特に有名なのは量子電気力学のくり込みの理論でこれはその当時の量子電気力学の集大成とも言うべきものであった。

天才Feynmanの理論をFeynmanよりも早く紹介したので、これによってようやくFeynmanの独創的な理論が一般に理解されるようになったといわれる。

朝永、Schwinger、Feynmanの3人は1965年にノーベル賞を受賞したのが、Dysonを受賞者に入れなかったことによってノーベル賞の選考委員会はミスをしたのではないかとC.N.Yangはいっている。これはノーベル賞は3人以内という規定に従ったためと思われるが、それにこだわる必要はなかったのではないかというのがYangの言い分らしい。

Dysonは発散型の学者で宇宙の研究や物性論や原子炉の研究とかもやっている。もともとイギリス人であったが、その後アメリカの市民権を得た。

彼の新しい著書は主に書評であるが、OppenheimerとかWienerとかのことも書いてあって週刊誌的興味からはとても面白い。

Oppenheimerは優れた学者でもあったが、世間的には原爆製造を指導した人として知られている。彼の業績では今ではブラックホールの研究が際立っているのだが、彼は少しもブラックホールが存在するかどうかに関心がなかったように思えたという。

これはどうしてかとDysonは考えているが、このブラックホールの研究は有名なBohrとWheelerの核分裂の理論と同じphysical reviewの号に出ていたので、そちらの方が主に関心を引いたためではないかとDysonは推測している。

前出のYangによれば、Oppenheimerがもう少し長生きしていれば、ノーベル賞を受賞できたのではないかという。Openheimerが原爆製造に係わった点についてはいくつかの彼の評伝では優れた学者ではあったが、独創性が足らなかったということを自分で自覚したためではないかとの推測がなされており、それはわたしも十分ありうることだと以前に書いたこともあるが、その辺の評価は間違っていたのかもしれない。

Wienerの方は新しく3つ目の彼の伝記が出た機会に書いた書評のようだが、Wienerの妻のことが大きな焦点の一つになっている。これは二人の娘との関係でもあるし、Wienerが共同研究者との交際を絶つという影響もあった。その点に新しい焦点があたっており、天才も妻の精神的な異常性に振り回されたらしい。

私のように英文を読むのが下手なものでもDysonの文章は構文的には難しくないと思う。単語は知らないのが多く, 辞書を引き引きではあったが、久しぶりに睡眠不足になるこのごろであった。


肥満、ひざとワイン

2007-01-20 19:01:56 | 健康・病気

毎週1回ないし2回夜間にテニスをしているが、正直いって私は肥満である。この間わたしのグループの上手な人に相手になってもらってラリーをしたら、右のひざを痛めてしまった。

それで土曜日にはテニスをしばらく失礼をして痛みの引くのを待っている。実はそれほど痛くはないのだが、少し腫れているかどうか炎症を起こしているらしい。うまく走ることが出来ない。日常生活では少しづつ違和感がなくなってきたが、はじめのうちは朝起きて二階から降りてくるのに、主に左脚を使って右足には体重が余りかからないようにして降りていた。

ひざを痛めたのは今度が初めてではない。10年くらい前の夏にひざを痛めたことがあった。このときは歩くのにもとても支障があった。これは夏暑いのでジュースをがぶ飲みしたためにその糖分で体重が増えたのであった。だからこのごろは我が家の冷蔵庫にはジュースは入っていない。

今度はそのような理由ではないが、正月のご馳走を食べすぎたのであろう。だから最近は肉をできるだけ控えて、野菜を多くとるようにしている。野菜を食べているうちにある程度おなかが満腹感を覚えてくるという訳である。

わたしは基本的には晩酌をする方ではないが、ときどきはワインを飲む。これは約30年前のドイツ滞在のある種の後遺症である。住んでいたマインツはワインの集積する都市で方々の地方のワインが集まってくる。ラインガウとかラインヘッセンのワインが豊富であった。しかし、好きなのはみどり色のビンのモーゼルである。

それまでワインの何たるかも知らなかったが、一通りはドイツワインのついて知るようになった。これはすでに私より以前からマインツに住んでいた先輩の薫陶の賜物であろう。


愛媛大学での湯川朝永生誕百年展の中止?

2007-01-18 11:28:52 | 学問

つくば大学、京都大学、大阪大学ほかの全国7大学での全国巡回の湯川朝永百年展が計画されている。しかし、その7大学の一つに入っていた愛媛大学でのこの展示の開催が現在危うくなっている。これは私が主となって計画をしているものだが、学内のある関係者によると学内で少なくとも一人は全力投球してくれる人がいないと計画は成り立たないという。

今では大学の先生方は誰でも忙しいから私の知人、友人の手をわずらわせたくなかった。民間の人とはまだ比べものにはならないが、それでも昔と比べれば格段に忙しくなっており、なかなかその上に命を削るようなことをお願いできない。

それで私一人でなんとかやれないかと模索をしているのだが、どうがんばってももう学外の者となっている私一人では所詮出来ない相談なので、今日中にでも学内の人と会って相談をして中止の決定を下さなくてはならなくなるだろう。いくら遅くとも1月中には決定をしなければならない。真に残念であるが。

予算の問題もあるが、それよりもマンパワーの方が結局問題ということになった。


順列・組合せ

2007-01-15 12:19:47 | 数学

昔高校で習った順列・組合せにこのごろ関心が出てきた。この分野は不得意な分野なので出来る限りタッチしないようにしてきたが、いつかはきちんとやらなくてはと思っている。

確率・統計とあわせて不得意な分野の一つである。いま系統的なものではないが、順列と組合せについてのエッセイを書いている。これは順列と組合せについての区別がはっきりしないというのを「3びきのこぶた」ではこぶたの立場かおおかみの立場かによってはっきりさすことが出来たという黒田俊郎先生の文(「数学教室」1月号)を読んだからである。

しかし、ある場合には組合せとも順列とも考えられる場合があり、やはりその区別は難しいところがあるのではなかろうか。その点をはっきりさせてみたいと思っている。

それと以前に作成した「電気電子工学科ミニマム」の確率・統計分野を補充することも必要なのだから、いろいろな動機はあるのだ。


梅雀さん

2007-01-10 12:29:32 | 芸能ネタ

1月6,7日に松山市民劇場の観劇ツアーに乗って、京都南座に観劇に行った。出し物は五重塔と魚屋宗五郎であった。観劇の後、俳優さんたちとの交流会が某レストランであった。私たちのところへはいま人気中の梅雀さんが来られた。私の隣に座っていたUさん,梅雀さん, Mさんという並びでUさんとMさんの有頂天振りといったらなかった。

そのほかのグループの女性も梅雀さんと写真に写りたがって、携帯またはデジカメで写してもらっていた。かく申す私もどなたのデジカメに梅雀さんと写っているはずだが、まだ写真はもらっていない。また求めに応じて何枚も写真をとってあげた。

素顔の梅雀さんは気さくな方で親しみの持てる方であった。私が俳優さんってなんの役でもされるから偉いですねといったら、そういう意味ではいろいろな人生を経験させてもらっていますと言われていた。魚屋宗五郎は酒飲みだが酒乱になるので酒をたっているのだが、某旗本の妾さんになった妹が誤解からその旗本にお手打ちになるといった前置があって、兄の宗五郎が旗本のところへ怒鳴り込むというその前の話である。


佐高信の「面々授受」

2007-01-04 18:54:45 | 本と雑誌

佐高信さんの「面々授受」を年末に読んだ。久野収さんと佐高さんとの交流とか久野さんの言行録というか生涯をある程度述べたものであるが、久野さんの伝記を意図はしていないという。

ただ、いろいろな市民運動に久野さんが係わってきたので、それについてはかなり記述がある。久しぶりに興奮してこの本を読んだ。武谷三男との交流の一端も出てくる。鶴見俊輔さんから聞いていたので、真下さんとのことも出ているかと思ったが、その話はまったく出てこなかった。

世界文化の件で久野さんが捕まったときに久野さんは拷問に耐えかねて真下さんの名前を話してしまったらしい。それで久野さんは戦後真下さんの住んでいる名古屋へは行けなかったのだという風に聞いた。

そのくらいに気に病んでいたということは久野さんの真摯な人柄を推測できる。その他科学者京都会議にも久野さんは出席をしたと思うが、それについても何も触れられてはいなかった。伝記ではないという風に断っていることの理由が分かるような気がする。