物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

仕事とエネルギー

2007-05-31 10:56:36 | 物理学

私の基礎物理学の講義では「ベキ関数の微積分」しか必要でないとこの間,講義で大見得を切ったのだが,ところがこれからの講義ではそれだけでは済みそうにない。すでに学生には講義ノートを渡してあるのだが,その内容を私はほとんど忘れてしまっていた。

学生は私を嘘つきだという判断をするだろう。三角関数の微分は使わないにしても近いうちに対数関数とか指数関数とかの微分は使うことになる。それに仕事とエネルギーとの関係も学生にはまったくわかっていないらしい。これはそれについて話さなかった私が悪いのだろうが。

簡単なデモ実験を来週にはやった方がよさそうだ。考えているのは棒でテニスのボールをおすという実験とか高い所からボールを落とす実験とかである。動いていることがエネルギーをもっていることであり、また高い所に物体があるということもエネルギーがあることになるということを示さなければならない。またバネはポテンシャルエネルギーをもっていることも話す必要がありそうだ。 力を物体に及ぼせば,エネルギーが増えるという事実もこれは日常の経験からはわかりにくい。

というのは力は知らず知らずに摩擦力のように物体に働いているのにそういうもののない世界を物理学では考えていることをわかるのは難しいからだ。ああ、なんということだろう。

日常生活における実際経験と理想化された物理学の世界とはかけ離れている。もちろん、物理の本を読んで勉強を初歩からしてくれれば、理解できるはずだが,そういうことをして来た学生は少ないらしい。 


再度Kさんのこと

2007-05-27 15:14:26 | 数学

少し前にKさんのことを書いたが、会ったときに円周率パイの数を1万桁計算してプリントした昔の計算紙をKさんからもらった。私にもこれについては思い出がある。

私がH大学理学研究科の大学院生だった頃、計算室で夜間に計算することが多かった。陽子-陽子散乱の計算をいまならパソコンよりも性能のはるかに劣る電子計算機(この用語がぴったりだった)HIPAC103でさせていた。コンピュータという語はもちろんあったが、それほどまだ一般的ではなかった。

計算機室のオペレーターの女性が夕方に退庁した後を借りて計算をしていた。そのときに大部分はコンピュータを停止させないでその運転を引き継ぐことが多かったが、たまに停止したコンピュータを再スタートさせることもあった。このときコンピュータがいつも正常に作動していることをチェックするためにこのパイの数を1万桁計算して打ち出すのである。その後で自分の計算をさせるのである。

E大学に赴任してきた頃には同じコンピュータがE大学では動いていた。Kさんはそれを使ったことがあったのであろう。またそのころ電子計算室の室長をされていたT先生の名も出てきて懐かしかった。このT先生は流体力学の専門家で私の亡くなった兄の先生の一人であったが、Navir-Stokesの方程式を数値的に解いて学位を今井功先生のところでもらった人であった。初期値を少しづつ変えて計算をしてそれが論文になるという時代だった。もちろんその当時でもそんなに話は簡単ではなかったろう。

このときになぜ Kさんはこのパイの数値を私にくれたのだろう。ある種の親しみをこの数値のプリントされた紙片に込めていたのではなかろうか。いつかKさんや数学者のN先生を仕事場に招待して数学の話その他をゆっくりとしたいと考えている。

(2024.2.28付記)このブログに書いた数学者のNさんがだれか、はたまたKさんがどなたであったかを自分でも思い出せなくなっている。T先生はたぶん物故された高石先生であろう。私の兄ももう何十年も前に他界している。私の兄は60歳前後であったと思う。



ホームステイ

2007-05-26 14:22:19 | 国際・政治

5回目か6回目のホームステイの受け入れをしている。Freiburg市からの二人の女性をホームステイさせている。昨日はLillithさんをつれて久万高原町まで「いちご狩り」に出かけた。ビニールハウスで栽培されているいちごをたらふくとって食べた。

「いちご狩り」をドイツ語でどういうかわかならなかったが、昨日なんとか説明をしておいたら、当日の朝にLillithさんにErdbeeren pfluecken(イチゴ摘み)に出かけるのですよねといわれた。

なるほどそういうのかと感心した。日本語の狩をそのままドイツ語にすれば、Jagd(けものの狩り)とでもなるかと思うが、これはもちろん「動物の狩」を意味するのでまったく違うことになる。そういえば、日本語では「紅葉狩り」という語もある。これはRoteblaetter ansehen(紅葉探見)とでもなろうか。

流暢にドイツ語を話すと彼女からほめられたが、これはもちろんお世辞である。それにいつか書いたかもしれないが、Sie spreche sehr gut Deutch. (ジー シュプレッヘン ゼーア グート ドイチュ)といわれたときには「Danke schoen(ダンケ シェーン:ありがとう)」とは返事をするが、でもこれは「お前のドイツ語はなんとかわかる」と言う程度と前々から聞いている。

ほんとうにその外国語を上手に話したら、何も言われない。そしてそのつぎのレベルで外国語を上手に話すなら、たとえば「あなたのドイツ語はスイス訛り」があるという風にいわれるとか。

私の場合はそれよりは、はるかにランクは下である。それになんでも言えるわけではないので、ことばにつまるし、ドイツ語の文法は何十回と繰り返して学んでいるはずだが、いつまでも片言である。

しかし、片言がなんとかいえるというのは、主として日本でドイツ語を学んだ日本人としてはすごいことだと思う。それにうまくいえなかったとしてもそれほど気づまりではないし、気をやむこともないし、また気苦労でもない。


思い出せなかったエッセイの題名

2007-05-24 12:24:46 | 数学

先日思い出せないと書いた, 数学エッセイの題は「Feynmanの積分法とーーー」という題でした。ーーーのところにはある定積分が入ります。 

Feynmanの積分法というのはパラメータで微分して積分を求めるという例の方法です。ガウス関数の0から無限大までの積分の中のパラメータで微分して得られる定積分の列の一般的な場合をどうやって求めたかをまとめたものです。

もちろん数学公式集を見れば結果は出ているのですが,それを自分で導いてみたのです。覚えていなかったというのは大して私の関心事ではなかったといことでしょうか。しかし、どうして覚えていなかったのか不思議です。


長期記憶と短期記憶

2007-05-20 21:03:34 | 科学・技術

長期記憶と短期記憶という話がテレビで出てきた。実は最近ある数学的なエッセイをまとめたのだが、それが何だったか思い出せないのである。もちろん仕事場に行けばそのコピーも残っているだろうし、パソコンのファイルにも残っているだろう。

数日かけて文章も推敲したのに思い出せないというのはどういうことだろう。多分それほど長い間気にしていたテーマではなかったということだろうか。

考えたことのメモをいつも残すようにしている。それでそのメモを取り出してきてはそのときに書けそうなテーマについてエッセイを書いている。そのエッセイが出来上がる前は数日毎日それを書き直している。大きなことも小さなこともいろいろある。そのうちにその原稿をいくら見ても新たに気にかかる所がなくなれば、出来上がりとしている。

普通は一度書いてから数週間または場合によっては数ヶ月原稿を寝かせておくこともある。誰かに頼まれて書く訳ではないから、そういうことができる。「数学散歩」の原稿もそうやってつくった。また、これは本にするときにもかなり構成に手を入れた。それでもところどころ「ああこの書き方はまずいな」というところが見いだされる。悩みはつきない。


慣性の法則

2007-05-17 11:54:48 | 物理学

今週の基礎物理学の講義の中で短時間だけれど問題演習をした。そのときにわかっていると思って机間巡視をしていたら、ぜんぜん分かっていないことが判明した。それは慣性の法則のことである。これは物体に力が働かない限り、物体はその運動の状態を変えないという法則だが、これを皆さんほとんど理解していないらしい。

確かに講義でしっかりとは教えなかったのだが、こういことは常識として物理を高校で学んだかどうかには関係なく知っていると思っていたのだが、そうではないらしい。だからこれを一から教えないといけないようである。力が働かないときには物体は一直線に運動するということを来週は強調して教えよう。

等速度運動と等速運動とは同じではないといったくらいでは慣性の法則は定着しない。


べき関数の微積分の教え方

2007-05-16 11:51:12 | 数学

離散モデルが役立つというので、物体の自由落下の問題に差分法を使ってみようとしたら、ちょっと妙だ。

というのは差分近似では区間の間隔を小さくしたら、近似の精度が上がることが期待されるのだが,間隔の値が大きくてもある特定の数値をとると厳密な答えが出てしまう。それでどうもこういう例題は離散モデルのいい例とはならないように思える。

微分とか積分を知らなくても、差分近似で手間がかかってもこの物体の自由落下の問題を解いて、微分と積分を知らない人に「それを知らなくてもいいよ」というつもりで差分近似で置き換えようと思ったのだが,少なくとも物体の自由落下の問題ではうまくいかない。その試みについてはもう一度考え直す必要がありそうだ。

先日の基礎物理の講義で微分積分を習得することが必要といったので、一部の人から反発を受けたらしい。物理が分からない上に微分積分まで勉強しなくてはならないのかと思ったようだ。

でもそれは違う。むしろ微分積分を学ぶことによって物理の理解が容易になり、覚えることが少なくなる。そういったことを言いたかっただけである。その辺が理解はされていないのだろう。

いま私の要求しているのは微分積分の全体的な理解と習得を要求しているわけではない。理解と習得をしてほしいのはベキ関数の微分と積分だけなのだ。それが難しいはずがない。ではどうやって教えるか。一つのアイディアをもっている。

(2012.4.18付記) 「数学・物理通信」1巻8号に私のM大学の薬学部での物理講義に付随して配布した講義ノートを発表している。もちろん、「数学・物理通信」に載せるに当たって改訂をした。

この号にはさらに対数関数と指数関数の微積分についても載せている。数学・物理通信で検索すれば、名古屋大学の谷村さんのサイトにリンクされた「数学・物理通信」にたどり着く。

関心のある方は「数学・物理通信」を見てください。


kさん

2007-05-15 13:24:27 | 数学

Wさんの退職パーティで久しぶりにKさんにあった。同じテーブルに居られたのだが、他の人と話をされていたが、あるとき私のところへ来られて私の「数学散歩」をはじめから終わりまで読んだと言われた。多分この本を全部読んでくれた私の知人での始めての人だろうと思う。

Kさんは電気工学者で、まだ定年に数年あったのだが、早期に退職された方である。数学になみならぬ関心と能力を持たれた方である。嬉しくなかったと言えば、嘘になるだろう。すでに元同僚の方を含めて何人かの方が私の「数学散歩」を読んで激賞してくださったが、でもそれは私の本の半分か2/3を読んでのことであろう。はじめから終わりまで読んでくださった方は多分初めてだと思う。

私の本を2/3くらい読むことは難しくはないが、全部読むとなると多分かなり難しいだろう。というのは内容が多分に自分の好みに偏っているからである。Gauss積分の重みの計算とかスプライン関数の話とかLevi-Civita記号の縮約の公式だとかそれを用いたベクトル解析の公式の導出とかはかなり立ち入った話である。

もちろん中に出てくる表の式とかはその一つ二つを導出してみてその方法がわかれば、いいので全部を追体験をする必要はない。しかし、約20年の間に書いたものをまとめたものだからそれを了解するにもかなり時間がかかるだろう。それを読み通してくださったことに敬意を表したい。Kさん有難うございました。


Clifford代数

2007-05-14 18:50:08 | 数学

Clifford代数という語は知ってはいたが、どんなものか知らなかった。それで『数学入門辞典』(岩波)を引いてみたが、載っていない。

『数学辞典』を引いてみたら載ってはいたが、私には理解できなかったので、『理化学辞典』を引いてみたら、さすがに私にも分かる言葉で書いてあった。後は例としてガンマ行列以外にあればもっといいと思ったが。

日本評論社から出た『算数、数学百科』は中学や高校の先生には役立つかもしれないが、どうも私の役にはあまり立たない。これは『数学入門辞典』もそうだ。独自にそういう辞典を私家版で作る必要がありそうだ。

Grassman代数とかLie代数とかそういったものについても同様であろう。複素解析での概念の分岐点についても分かりやすい解説が欲しかった。

もっとも分岐点については小著『数学散歩』ですでに述べた。科学用語辞典は必要だし、沢山出ているのだが、ほんとうに役立つものにはあまり出会わないように思えるが、問題意識の違いなのであろうか。

瀬山士郎先生の書いた『読む数学事典』(東京図書)とかいうのがあるそうだが、内容はどうなんだろう(注)。どこかで内容をちょっと見ることができないものだろうか。

(2023.11.11注) その後いつごろだったかわからないが、『読む数学事典』は購入してもっている。

(2012.4.19 付記) Clifford代数の例として上にガンマ行列をのべたが、Pauli行列として知られている行列 \sigma _{1} , \sigma _{2}, \sigma _{3}もClifford代数の表現になっている。このことは京産大のS名誉教授の講演で最近知ったことである(注)。(注: この京産大のS名誉教授は松山出身の方であったが、1~2年前になくなった)

また、日本語の本でClifford代数のことを書いた本はないだろうと志村五郎著『数学をいかに使うか』(ちくま学芸文庫)に書いてあるのを最近読んだ。この書の第5章は「Clifford代数とスピン群」となっている。


群と代数

2007-05-14 07:02:20 | 数学

以前から購入していた「群と代数」に関係する本を何冊か引っ張り出してきている。少し勉強をしてみようというわけだが、なにせ分からなくなったらすぐに投げ出してしまう癖があるので、今回も不十分な学習に終わることは目に見えている。

しかし、いつかはちゃんとわかるようになっておきたいという願望は強い。10年くらい前だったか、少し有限群について勉強したことがあった。これは量子化学の本の中でhow  to的に書いたものを勉強したのだ。本当にhow toに徹していて気持ちよく読めた。そのときに指標(chracter)が大切なことを知った。

しかし、今度の眼目はもちろん連続群であるし、これには以前にも挫折の経験がある。まあ、期待しないで少しがんばってみよう。まだ人生には少し時間が残っている。


憲法記念日

2007-05-04 09:35:41 | 国際・政治

昨日は60回目の憲法記念日だった。小学校の2年生のときに憲法記念日ができてから、これで60回目を迎えたわけである。憲法集会では高橋哲哉さんの講演があった。その後市中をパレードして18時から市内某所で講師を囲んだ懇親会があった。

出席者が数分づつ感想を述べたが、大体あたりさわりのないものであった。私は高橋さんには失礼だったかもしれないが、国を守るということをどうするかをしっかり考えないと九条は廃止されるのではないかとの見解を述べた。一瞬騒然となった。高橋さんはそういう要望があったのなら、事前に言ってもらえればそれにあった話をしたのにと言われたが、そういう要望は少なくとも主催者からは出されていなかった。

国を守るとは何か。守るべきものがあるのか。北朝鮮の脅威はとか中国の脅威はとか産業界が軍事産業の需要を引き起こそうと躍起になっているのにどう対抗するか。そういうことに対してしっかりした対論がなくては九条は廃止されてしまう。またそういった産業界の体質をしっかりと批判しないといけないのではないか。

高橋さんの話のテーマは「日本はどこへいくのかー自衛軍、靖国、愛国心教育ー」というもので、憲法九条の廃止だけでは国民を戦争へと駆り立てることはできないということで、その舞台装置としての靖国神社、愛国心教育が行われるだろうということであった。それはそれでありそうな話ではあるが、しかし、やはり戦後61年の重みをしっかりと見つめなければならないのだろう。その評価というかそれへの信頼が根本になくてはならない。

ともかくもいろいろと考えさせられる懇親会であった。


熱力学の第1法則

2007-05-02 13:49:26 | 物理学

熱力学の第1法則で不思議なことの一つは内部エネルギーの微分は状態量で完全微分であるが,仕事と熱の微少量は状態量ではなく道筋に依存しているということで、これらは不完全微分と言われる。

しかし、その二つの不完全微分の和d'W+d'Qが完全微分dUに等しいというのは不思議の一つであろう。ここで、d'Wとd'Qのdの上にプライムがついているのは不完全微分であることを表している。

この不思議を理解するには このごろ有名になっている、田崎晴明さんの「熱力学」(培風館)を読めばいいのだろう。私もこの本を数ヶ月前に読んでいたが、熱がちょっと冷めて4章か5章で今読むのを止めてしまっている。

しかし、この不思議の説明はムーアの「物理化学」の訳本の上巻に熱の力学的定義というところに書いてあり,それを読めば,たちどころにわかる。それによればちっとも不思議はない。田崎さんの本もそういう趣旨であるようだ。

大学で昔に熱力学をならったときにdU=d'W+d'Q  の形で熱力学第一法則を教わった記憶がない。

同じ等式ではあるが,熱力学第一法則はd'Q=dU-d'Wとして習って,dUが完全微分だという認識はなかった。そういうことを知ったのは大学に勤めるようになって、M先生という物理の先生に入試の出題委員でご一緒したときにそれとなく教わったことであった。

レオントビッチの『熱力学』(みすず書房)がテクストだったのだが、そのことをきちんと書いてあったのかどうか確かめたことがない。


理解のヒントはどこにあるか

2007-05-02 13:46:49 | 科学・技術

「数理科学」の最新の5月号に薩摩順吉さんが偏微分方程式の理解にはその離散モデルが役立つと書いている。

これは「パリティ」に「数学と物理のはざま(?)」というシリーズのエッセイを彼が連載しているときにそういう趣旨のことを書いていたが,再度そういうことが大切だと再確認した。

ソリトンの独特の解法で有名な、広田良吾先生もそういう趣旨のことを持論にされていて、ベクトル解析のrotの演算を差分法で考えるとよくわかるというご意見であった。

確かに、このごろではrotの物理的意味を説明した本もいくつかあるのでそう新しいことでもないかもしれないが、そういった理解のヒントは注意して集めておかねばならない。

そういえば、ベクトル代数の式もいくつかの基本の式を押さえておけば,複雑になった式はこれらの2,3の式からベクトル積等を別の文字でいったん置き換え、それらの基本式を使えば,大抵は導けるのである。

それで、テンソル解析のLevi-Civitaの記号を使う必要が必ずしもないことをマージナウとマーフィの物理数学の本から知ったのは、Levi-Civitaの記号の有用性についてのいくつかのエッセイをすでに書いた後であった(注)。

そういうknow-howはやはりテキストに書いてあるべきだと思う。何が基本であるか。後はそれらの適用で導けることを示すことが大事であろう。

(注) もっともいくつかの方法を知っておくことはいつでも重要である。だから、Levi-Civitaの記号の有用性を学んでおくことは望ましいと思っている。