物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

blogの7000件目

2024-06-29 16:05:36 | 本と雑誌
今、記事一覧を見たら、blogの6999件目であった。それで一挙にこのブログで7,000件目に到達した。

7,000件目だって、10万件目だって、長く書いていたら到達するはずだ。
だからそれほどビックリすることではないのだが、それにしても一年に300件ぐらい書くのが普通の人間のできることだ。

そうすると70/3=23.3くらいの年数がこのブログを書くのにかかることになる。大体それくらいの年数をこのブログに費やしてきている。はじめは2005年の4月の終わりだったと思うから、(2024-2005)+1=19+1=20だからブログを始めてから、いま20年目である。

写真も動画も音楽もない単純なブログである。文章がだらだらと書いてあるだけで、何の特色もない。だが、続けて読んで下さる読者が少数だがおられる。まことにありがたいことである。


理論物理学者と計算物理学者

2024-06-29 15:50:12 | 物理学
理論物理学者と計算物理学者とはどういう意味の違いがあるのか。

昔は実験をしない物理学者を理論物理学者と呼ぶことが多かった。ところが私が学生のころに大学を退職した理論物理学者の三村剛昂先生がおられた。

彼は理論物理学と数理物理学とを峻別された。数式を使って計算するが、哲学のないような物理学のことを彼は数理物理学と呼んだのであった。その後
コンピュータが進歩してきてもっぱら計算に頼って物理学の研究をする者を計算物理学者と呼ぶようになった。

最近では国際的な計算物理学会まで開催されるようになってきているので、あまり計算物理学者と称しても肩身が狭いことはない。

それにしてもトップのレベルには理論物理学者がおり、そのすぐ下に数理物理学者がおり、そのはるか下に計算物理学者がいるという構造になっている。

もっとも私などはその最下位の範疇の計算物理学者にも入れていたのかどうかは定かでない。



計算嫌いな計算物理学者

2024-06-29 15:31:11 | 物理学
計算嫌いな計算物理学者がいるものかどうか。

私は自称では元計算物理学者だが、計算嫌いである。それでも鋭い直観とかをもっていれば、生きていく方法はあろうが、そういう才もない。要するに何の取り得もない。

ただわからないところを納得したいという欲求だけはもっている。それも普通の人ならなんでもないことがわからないという具合だから困ってしまう。困ってしまうというか最近ではそこに居直って自分の特色だと思っている。

いや、こんなことを書いているのは理由がある。先ほどまでただ塾の中学校数学の先生を務めていたのだが、生徒さんがまったく計算問題をやってくれない。それでこまって難しそうな問題のどれを解いてみせたらいいかと、尋ねて数問の連立方程式を解いてみせた。

こういうことの繰り返しで少しづつ関心をもってくれたらいいのだがと思っている。

私も中学生時代に計算嫌いの中学生であったから、この中学生の気持ちはわからないでもない。一般に数学の好きな人は数式の計算や数の計算でも嫌わないようだ。

高校生のころだが、問題集の中にある私には全く面倒だとしか思えなかった計算問題もすべて同級生のO君が解いているのを見せてもらったことがある。

このO君は有名大学のK大学工学部電気工学科を卒業して日本電気だったかに勤めておられた。優秀な方はまったくちがうものだと思っている。


昨夜は明日のただ塾の準備をした

2024-06-28 12:44:44 | 本と雑誌
中学校の2年、3年の生徒さんの数学のただ塾の先生を土曜の午後の数時間している。教材を用意しなくてはいけないのだが、いまは連立方程式の問題を解いてもらうことにした。

文章題を3週間前に用意したのだが、それより前に連立方程式が与えられたときに、それが解けることが重要だと、もう一人の先生のEさんと相談して計算問題をつくった。

それをまだ生徒さんには渡していないが、計算ができるようになってから、文章題を解くということになろうか。これがまた難しい。いや私たちに難しいというのではないが。

食塩水の混合問題とか10進法で表された数の十位の数と一位の数とを入れ替えて差を取るとかいう問題が文章題としてあった。それを明日に備えて自分でも解いてみた。

こういう問題は現在使われている数の位取り法を心得ている私たちには難しくはないが、位取り法の原理をよくは理解していないだろう、中学生には難しいのではあるまいか。

さてはて、生徒さんたちがどう反応するのか楽しみである。その結果次第でまた別の試みをしなくてはならないから。人生いくつになっても挑戦である。

たかが、連立1次方程式の文章題だとはなかなか言えない。


続・KENZOUさんの「四元数談話」

2024-06-27 23:03:43 | 数学
四元数による空間回転が直交変換であることのチェックは昨夜12時前にできた。マトリックスで表したときの四元数による空間回転は確かに直交変換である。

これは当然でもあるのだが、変換マトリックスとその転置マトリックスの積が単位マトリックスになることを数式上でチェックできて安心した。

もちろん、そうでなければおかしいのだが、それでも全部がチェックできるまではドキドキした。

小著『四元数の発見』でも四元数による空間回転が直交変換であることについては述べていた。ただし、KENZOUさんほど徹底はしていなくて、3次元の行列が直交行列であることを指摘しているだけである。

自分ではチェックをして、そのことにはきちんと触れてはいるのだが、その途中の計算を示してはいない。それで書いたときはいいと思ったのだが、一部でも計算の仕方を示した方がよかったのだろうか。それだと記述がすこし冗長になる。

もし小著の改訂の機会があるならば、KENZOUさんの方法を少し詳しく説明をしたいと思っている。彼の記述はあまり詳しくないので、どう計算するのだろうとちょっと疑問を感じたのが逐一チェックした理由であった。

「四元数談話」では空間回転が直交変換であることについてもう少し計算の方法は詳しく示した方がよかったのではないか。それからこれはすぐにわかることだが、いくつかのミスプリントがある。いま問題にしているところも含めてだが。もっとも私は昔のインターネットのプリントを最近また読んだので、いまは修正されているのかもしれない。





『数の本』(丸善出版)

2024-06-27 12:50:09 | 数学
『数の本』(丸善出版)をE大学の付属図書館から借りて来た。これは四元数について、なにか書かれていることを結城浩さんの本から知ったからである。

四元数について書かれたことはあまり多くはないが、ちょっと気になったところがある。Hamiltonが四元数の規則を発見した後で「まず着手したことの1つは、2つの四元数の積のノルムがそれぞれのノルムの積となるという事実の確認でした」と書かれてあったことだ。

私は小著『四元数の発見』で四元数の積の規則を見つけるときの指導原理(guiding principle)が、この|pq|=|p||q|であったと書いた(注)。私は『数の本』の著者たちが優れた数学者であることを認めるが、事実関係は私の方が正しいと思っている。

何の指導原理もなしに新しいことが発見することができるたりするのだろうか。「2つの四元数の積のノルムがそれぞれのノルムの積となる」という文章はこれを数式で表せば、|pq|=|p||q|である。これは中学時代に学ぶ数学でもわかる事実である。

念のために|pq|=|p||q|を文章で表しておくと、「二つの数の積の絶対値はそれぞれの数の絶対値の積に等しい」である。絶対値を専門用語ノルムにおきかえればよい。 

ノルムの定義は人によれば、|p|^{2}を表すこともあるが、基本的な意味合いは変わらない。

(注)
|pq|=|p||q|のことを私は「絶対値の法則」と呼んだ。そして|pq|^{2}=|p|^{2}|q|^{2}のことを「絶対値の条件」と名付けている。latexの記法を知らない人のために一言付け加えれば、|pq|^{2}=|p|^{2}|q|^{2}は|pq|=|p||q|の両辺を2乗した式である。

KENZOUさんの『四元数談話』

2024-06-26 21:23:33 | 数学
インターネットのKENZOUさんの『四元数談話』を今読んでいる。前には読んだのではなくて見たことがあったのだが、その中の四元数による回転のところを行列で書きかえたところをチェックしている。

そのチェックはできたのだが、念のためにこの行列が直交行列であることをチェックしている。

この『四元数談話』は私の『四元数の発見』を読まれたり、その他のインターネットの情報にあたったりして、つくられている。

もうよくは覚えてはいないが、私もこの四元数による空間回転が直交変換だということはチェックしたと思う。

そのやり方が、『四元数談話』ではちょっと興味深かったので、私も再度チェックしている。まだ途中で半分くらいしかチェックができていないが、いまのところおかしいことはない。

最初に符号が合わなくて0になるべき行列の要素が0でなかったり、したので計算をチェックしたら符号を間違えていた。

もっともこの辺は『四元数談話』にはあまり詳しくは述べられていない。



膝まづく

2024-06-26 12:40:59 | 本と雑誌
妻が数人の仲間とある小学校を訪れて、校長先生に夏休み中の小学生に健康についてのチェックや努力目標を書いてもらい、夏休み後にその記入したカードを提出してもらうという恒例のお願いだった。

このときに接待のためのお茶を出してくださった男の先生が膝まづいてお茶を出して下さったそうだ。それで妻は「膝まづいてまでしなくても」と即座にいったとか。

「大柄の先生だったので膝まづかないとお茶を出せなかったのかもしれない」と妻は言っていたが、それにしてもビジネスライクの要望を伝えに行ったときにでもお茶を出したりするのは必要なのかというのが妻の疑問であった。

ある方が、これはある種の左翼の運動にかかわっている方だが、あるときに「書道のクラブに参加するかもしれない」と言われてそのクラブに見学にこられたことがあった。この方は「お茶も出さないのか」とか言われたとか。それで妻の気持ちとしてはその方の革新性にちょっと疑問をもったとか。

いや、いろいろあるので、何がよくて何が悪いとかいう話ではないが、その人の育ってきた環境に人間という者は強く影響を受けるのであろうか。

用心、用心である。

今日か明日かのつもりだったが、

2024-06-25 15:35:40 | 物理学
今日か明日かのつもりだったが、昨日数学・物理通信14巻4号を発行した。一日二日かが待てないくらい私はせっかちである。

送付先だが、78か所だと書いたが、あと9か所増えて87か所である。自分の出身の大学の研究室のOBの方に送付していたことを忘れていた。

待ちきれないというのは私のわるい癖だが、それだけではない。いつまでも懸案の事項が残るのは嫌だという気持ちがある。そういうことでご了解を得なくてはならない。

編集と発行にかける時間は結構かかるので、こういう作業をしたことのある人ならわかってもらえるのだろうか。時間がかかって嫌だという気持ちを。

もっともそれならそういう雑誌の発行を止めればいいではないかというご意見を持つ方もおられようか。

その志の高さを評価してほしいものだと思うのだが。もっとも、これは自分が好きでやっていることだから別に他人からほめてほしいわけではない。

いや、誰かから少しほめられたくらいで、続けてやれるような種類の仕事ではないと思っている。

編集人は私も含めて3人だが、筆頭の編集者の友人の数学者Nさんは現在施設に入っており、私の編集を手助けしてくれる状況にはない。でも彼が私の提案を快く受け入れて賛同してくれなかったら、このような雑誌は発行できなかったろうから、Nさんには感謝の念しかない。

ここ数年編集者として働いて下さっている、Sさんには難しい論文の査読で大いにお世話になっている。彼なしの数学・物理通信は考えられなくなっている。







三角関数

2024-06-24 10:19:01 | 本と雑誌
三角関数についての私なりのまとめというか学習ノートというか、高校生用の講義録というか学習ノートというかそういうものをつくりたいという、潜在した気持ちを持ち続けている。

というのは2005年ころにe-Learningのコンテンツをつくったときにかなり高校数学の内容をノートにまとめたのだが、三角関数についてはこのことを果たせなかった。

『百万人の数学』の三角関数について書かれた第6章「地球の大きさを測る」をその役に立たないかと今読んでいるが、ちょっとこれはそういう目的には使えないらしいことがわかった。この章はそれなりに興味深いのだが。

たとえば、三角関数表をどういう風につくるかとかについて書いてある。そういうことがどういう歴史的な意味があるのかが語られている。こういう本はあまりないのでその記述は貴重である。

世の数学の本は事実を事実として教授してくれる。また、そういう本はそれなりに役立つがどうして「そういうことを考えたのか」だとかそういうことに私は関心が強い。

指数関数 e^{x} の定義だってそういうことを知りたいではないですか。そういう観点から見ると多くの本の説明はいまいち満足ができない。

数日前まで、指数関数 e^{x} の定義にこだわっていくつかの本をメモしていたが、その点について目的意識をはっきり書いてある本は少ない。単に式を変形するだけであっても、なんらかの目的があって式変形していると思うのだが。

いや、そういう書き方をすると記述が長くなってしまうので、そのようには書かないのだろうが。

それでも、そういう意図を持った説明をした本を書きたいといつも思っている。

6月の子規の俳句

2024-06-23 15:53:52 | アート・文化
6月もそろそろ終わりそうになってきた。6月の子規の俳句を紹介しておこう。

 紫陽花(あじさい)や赤に化けたる雨上がり   子規
 the hydrangeas
 have turned red
   after the rain                                   Shiki  (1898)

あじさいは薄紫色の梅雨の時期の雨に打たれているのが美しいと思っているが、予想に反してかどうか赤紫の紫陽花となっているとでもいうのだろうか。

カレンダーの写真は四国中央市(新宮町)の赤紫の紫陽花の写真が載っている。この地、新宮町の名産に「霧が峯大福」というのがあり、私の住んでいる松山でもお土産に売っている。

昔はなかなか手に入らなかったのだが、最近はわりと簡単に手に入るようになった。それでも毎朝の発売時にはいつも行列して並んで待って買う。妻がよくどこかに行くときのお土産にすることが多い。彼女の大好物で、上品な大福である。 

『百万人の数学』

2024-06-22 13:25:15 | 数学
ホグベンの『百万人の数学』(筑摩書房)はかなり古い本である。戦前から訳本が出ている。その上巻だったかは亡くなった父の蔵書であった。

戦後というか1970年になってその新訳が出てそれを購入して持っている。最近、それのまた新訳が出ているが、そちらは購入していない。

アマゾンコムだったかの書評で本の中の図が前の書たち(「たち」は複数を示す)の方がはるかにいいと読んだこともある。訳は新しいものが多分いいのだろうとは思うが。

それはともかくとして、この中のどの章もきちんと通読したことはなかった。「数学・物理通信」への投稿があり、これが近々発行の14巻4号に掲載になると思うが、この原稿を読んだことが『百万人の数学』下の第10章「算術の社会化」を読むきっかけとなった。この章の主題は「対数の発見」である。

前にも読もうとしたらしく、いたるところにミスプリを修正した跡がシャープペンシルで入っている。それを昨夜はじめてほぼ読み通した。ページ数がかなりあったので「こりゃ私には読み通せないな」と弱気が出たが、私には珍しくほぼ読み通せた。

高校生のころ(1955年のこと)、この『百万人の数学』の戦前版を抱えて数学の先生にわからないところを聞きに行くという同期生を見掛けたことがあった。そのN君は高校2年から松山東高校に転校して実験物理学者になった。

N君は比較的若くして亡くなったらしいが、中学校時代から高校生時代にかけてクラスが一緒になったりしたことの多かった、K君と私の3人が同じ高校の同期生としては物理学の研究者になった。

K君はきわめて秀才の方であったが、先年病気でやはり亡くなった。だが、お互いに学問的な影響を与えあったりしたことはないと思うので、それぞれが独自の道を歩んでのことだったと思う。同期生だが、そういうこともある。

N君のお父さんはゴールドスタインの『古典力学』(吉岡書店)の初版の訳者の一人であり、物理学者であった。『古典力学』のもう一人の訳者は故瀬川富士(とみお)先生である。

e^{x}の定義

2024-06-21 09:51:46 | 数学
e^{x}の定義について一昨日くらいから本を調べている。もちろん数学の本だが高校数学プラス・イプシロン程度の本である。

そういう本でも(1+x/n)^{n}のnを無限に大きくした関数だと定義として書いてあるものもあるが、そこまでも書いてない本も多い。

わりと簡単なe^{x}の定義は

  e^{x}=1+x+x^{2}/2!+x^{3}/3!+・・・

であろうか。そういう定義のしかたもある。このとき自然対数の底eをどう定義するかであるが、上の指数関数e^{x}の定義でx=1とするのが多いような気がする。これだと割と簡単に自然対数の底eを計算することができる。要するに収束がはやい。

原理的には(1+x/n)^{n}のnを大きくした数値を求めてもいいのだが、これだとnをかなり大きくしても、それが真の値になかなか収束しない。ちなみに自然対数の底eの近似値は2.718281828459045である。「フナ一杯二杯一杯二杯しごくおしい」とかいう覚え方もある。




貧乏暇なし

2024-06-20 10:53:15 | 本と雑誌
「貧乏暇なし、死人に口なし」と言いながら、妻が先ほど重信川の河原にある農園に枝豆を植えに出かけた。

梅雨に入ったかどうかは今年はよくわからない。入梅宣言を地元の気象台はしたとか聞いたが、はっきりしない天気である。

冒頭のことわざだが、これが正しいのかどうかはわからないが、「暇なし、口なし」と韻を踏んでいるからたぶん正しいのであろうか。 

貧乏で暇がないことは事実である。収入の宛てが年金以外にない。なにかまとまったことを書きたいとは思うが、なかなかそういうことはできそうにない。

自分で忙しくしているだけでなんの生きている痕跡も残さないのだろう。人生はそういうものだとは思うが。

(2024.7.16付記)
その後、朝日新聞の土曜日版の「いわせてもらお」に出ていた。ある会社員が愚痴をこぼしていたのだが、主任に昇格したら.、愚痴をこぼさなくなったとか。

それで部下のある人が「あの人、昇格したら愚痴をこぼさなくなったね」と言ったら、それを聞いた人が「主任に口なし」と答えたとか。

解説しては興ざめだろうが、「主任に口なし」は「死人に口なし」のもじりであろう。いやはや、当意即妙な人がおられるものである。