物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

自分のブログを読む

2024-11-30 11:47:53 | 本と雑誌
自分のブログを読むことは日課にしているのだが、過去のブログを自分でどういうブログを書いていたのかなという好奇心で読むのである。

自画自賛だが、これが結構面白い。よくもこのような話題について書いたものだと過去の自分のことながら感心してしまう。

ブログを始めた最初のころだったか、私の子どもからのアドバイスがあった。

それは「あまり一つの段落の文章を長くするな」というアドバイスであった。先ほども昔のブログの少し長い段落を二つに分ける修正を施したところがいくつかあった。

作家の中には試みに句読点なしの長い段落の文章を試験的に書いたりする人もある。

私のブログは短文のエッセイであるし、もうここで何回も述べたように7、000回を越えて書いている。自分だってどんなことを書いたかなどわからないのである。

そのブログを検索して読んで下さる方がおられて、どういうブログにアクセスがあったかの記録を私が知ることができるシステムになっている。それで私は過去の自分書いた文章と対面することに毎日なる。

これが結構面白い。

代数の基礎

2024-11-29 13:48:43 | 数学
代数の基礎とは、大層たいそれたタイトルのエッセイを書いている最中(「さいちゅう」と読んでください。まちがっても「モナカ」とは読まないように)だとは何回もこのブログで書いた。

本文はかなりできてきたので昨夜から図を少しづつ描き始めた。とはいっても図そのものは難しいものではない。ただ手間がかかるだけである。

そして、図の入力にはtikzを使っているので、いつもtikzの使い方を書いた文書を取り出してきて読むか、そうでなければ前のプログラムをそのままコピーしてきてそれを少しづつ変更して使っている。もっともそのためには変更して使えるのに、適当な図をどこに描いていたのかを探さなければならない。

昨夜もそういうファイルを見つけるという作業を何回行った。

怠け者

2024-11-28 12:53:03 | 本と雑誌
怠け者とは私のことである。他の人を指していない。日曜以外のほぼ毎日ブログを書くのだから、勤勉な性質だと思われる人が多いのだろうが、さにあらず。

ブログを書くのは仕事をするのが嫌で書いているのだ。仕事はやはり精神の集中を要する。怠け者にはそういう緊張に耐えられないのだ。だから毎日このブログを気晴らしのために書いている。

もっともその気晴らしの行為もすでに20年近くになるとある種の緊張をさらに私に強いている。

だが、もっと大きな緊張には耐えられないので、より小さな緊張ですむこのブログを書いているという訳である。



高校時代の数学の教科書

2024-11-27 11:50:05 | 数学
高校1年のときの数学のテキストはあまりよくないもので、その上にあまり教え方のよくない数学の先生に数学を学んだために数学が嫌いになった(注)。

もちろん、だから数学がよくできるはずもない。先生は高校2年になってもかわらず教え方の下手なM先生だった。だが、2年の教科書は好学社の田島一郎先生の編集だった。これは1年のときの教科書と比べて格段によかった。

私は理系だと思っていたが、高校一年のときに数学がわからなくなって文系に進もうかと思っていた。しかし、2年の途中になって自分の性質として理系にもどった方がいいと判断した。

それで苦手な数学を何とかしたいと考え出した。そのときに父親が買ってくれたのが考え方で有名だった藤森良夫先生の学習参考書『解析の基礎』前、後、続編(考え方研究社)だった。この本と田島先生の2年の数学のテキストとは私の大切な本となった。

これらの本のおかげでようやく私は高校数学のわからなさから抜け出すことができた。しかし、相も変わらず計算が下手なこととかは私の本来もっている頭が鈍さからくることでなかなか計算上手にはなれない。

(注)これはこの先生が授業時間中に教科書に書いてあることしか板書せず、またハッとするようなある種のコツとかなるほどと思うようなことは一言も言わなかったからである。

その上に教科書はまた読むにも耐えないものであった。挙句の果ては三角関数の余角公式だとか補角公式だとかの還元公式と私が呼んでいる公式を記憶して使えるようになさいとまでこの先生は宣われた。

私にしてもはじめは先生の言う通り素直に丸暗記を試みたと思うが、覚えたときにはしばらくは記憶がもつが、ちょっとするとどの公式に負号がついており、どれにはついていないのかが混乱してきて覚えられないのである。

後で、藤森良夫先生の『解析の基礎』続編にはこれは角度がどの象限にあるかを図を描いて符号を決めるのであって、丸暗記するものではないと書かれてあった。

sinとかcosの中の偏角に+\pi /2がでで来ようと-\pi /2がでて来ようと、それらの奇数倍であれば、sinはcosにcosはsinに変化することだけ覚えて、前に付く符号は角がどの象限にあるかで決めるという。

またsinとかcosの中の偏角に\pi の整数倍があれば、sinはsinにcosはcosで関数は変化しないことだけ覚えて、前に付く符号は角がどの象限にあるかで決めればよいという。

もちろん、cosは第1,4象限が正であり、第2,3象限は負であるとか、sinは第1,2象限で正であり、第3,4象限で負であることは覚えておかなればならない。

しかし、このことはcosとかsinの定義 cos \theta=x/rとsin \theta=y/rを知っていれば、すぐにcosとかsinの各象限での符号はすぐわかることで棒暗記する必要はない。



2次関数の平方完成

2024-11-26 12:29:10 | 数学
2次関数の平方完成を恒等式変形の1種として紹介することにした。もっともこれは「代数の基礎」というタイトルのエッセイの付録に書こうとしている。

もう一つは題材は単振動の合成についてである。こちらも恒等式変形の1種として同じエッセイの付録に載せるつもりである。こちらにも1=a(1/a)という技巧が使われている。

これらは主な話の筋の本文に載せるのははばかられるので付録にしている。この付録には恒等式の変形ルールの図示も載せようと思っているが、なかなか図を描くのがおっくうである。難しい図ではないのだが。

すでに「2次式と平方完成」というエッセイでは以前に2次関数の平方完成を図示したこともある。

昨夜書き加えた恒等式の変形では同類項をまとめる(同類項を簡約する)もある。また移項という考えも方程式の変形に関して説明をここに書いておいた。

さて今日は何をする

2024-11-25 10:19:18 | 数学
さて今日は何をする。前に書きかけていた「代数の基礎」というエッセイを書き続けることにしようか。

眼の使い過ぎによってめまいを起こしたので、その執筆を中止していたのだ。あれから1週間と数日経ったのでようやく通常に復帰して感じがする。もっとも、これは数学ミニマムと題するファイルに手書きのメモが眠っているのを最近見つけた。

それとただ塾の生徒さんの学習資料として書いたものとを融合しようとしている。

「代数の基礎」とはたいそれたタイトルだが、まあ許してもらうしかない。



球面三角法の公式の導出

2024-11-24 22:01:31 | 数学
球面三角法の公式の導出が少しづつ頭に入り始めている。完全に頭に入ったというまでにはまだなっていないが。

昨晩、インターネットのサイトからプリントした文献を読んでいて少しづつ頭に入りそうになってきた。

いまのところは余弦法則と正弦法則である。頭に入りそうなのは。他の法則にはまったくまだ手が届かない。

一つは平面三角法を用いた導出であり、もう一つはベクトル代数を用いた導出である。

球面三角法の現代的な導出も一つではない。私の知る限り少なくとも2つはある。私としては発見法的な導出を知りたいと思っているが、それはどこにも書かれたものをまだ読んだことがない。

(2024.11.26付記)最近ネットで見た球面三角法の導出の説明での参考文献にアラビア語とラテン語の文献があるらしい。これはドイツの出版社が出版している書籍らしいが、もしアラビア語ならまったくちんぷんかんぷんだし、ラテン語も読めない。もっともラテン語ならこれからでも学んで読めるようになることも不可能ではないかもしれない。

昔の知己の山本義隆さんはラテン語を予備校勤めの傍ら学んだとかどこかに書かれているのを読んだが、さてはて、そういうことまでできるかどうかはわからない。

比とは比の値のこと

2024-11-23 16:41:33 | 数学
土曜日、恒例のただ塾を終えてほっと一息ついたところである。

毎土曜日に何を教えるかにいつも苦労している。今日は比ということについて「比とは比の値のことだ」との和達清夫さんの中学校時代の数学の先生の話を述べた。

例えば a:b=c:d は、すなわち、a/b=c/d である。いつまでも a:b=c:d を使い続ける理由がわからない。 a:b=c:d には等式の性質は使えないのである。昔から「内項の積は外項の積に等しい」、すなわち ad=bc という等式を使うが、この性質の由来ははっきりとは示されない。

日本では「比とはなんだ」ということについてあやふやである。数学教育の権威であった遠山啓先生でもなかなか割り切った論説を書かれていない。もちろんそれはそれなりの理由があろうが。

その点で「比とは比の値のことだ」と教えた、和達清夫さんの数学の先生の卓見を貴ぶ。今年(2024年)の7月に亡くなった武藤徹先生も『新しい数学の教科書』II  図形編(文一総合出版)p.154で
 a:b=c:dはa/b=b/dとまったく同じことです
と書かれているが、さてはて他の数学の書ではどう書かれているのだろうか。

私の体験によるとドイツではa:bは日本の割り算の意味に使われているということを知っている。もっともヨーロッパでも他の国で同じようであるのかどうかはわからない。


積分記号下での微分による積分

2024-11-22 16:09:06 | 数学
積分記号下での微分による積分についてはこのブログでも何回も書いた。

この積分法のことをFeynmanの積分法と題してこのブログに書いたところ、場の量子論の大家のN先生に積分記号下での微分による積分はFeynmanの考え出したものではないとのお叱りを受けた。

そのお叱りはまったく正当なのだが、ちょっと『ご冗談でしょう、ファインマン』を読んだ後だったので、それに悪乗りをしてしまったきらいはあった。

ストロガッツの本にもその方法に触れた例があるとここブログで書いたこともある。Woodsの本がFeynmanの学んだ元の本だった。そこで一度そのWoodsの本のその箇所をよく読んでみたいと考えている。

該当箇所は20数頁らしいのであまり根気の続かない私でも読めるのではないかと思っているのだが。果たしてどうだろうか。

球面三角での余弦定理の導出

2024-11-21 13:37:50 | 数学
一昨日あたりからまた球面三角法への関心が復活している。インターネットを検索して見ると以前にはなかったサイトができている。

そのうちのいいサイトと思われるサイトを見つけたので、プリントしようしたのだが、このサイトはプリントできなかった。残念である。

他のサイトだが、スカラー積とベクトル積を用いた球面三角での余弦定理の導出があった。これだと余弦定理を現代風に比較的簡単に導出できる。

もっともベクトル代数の初歩だけは知っている必要があるのだが。

現代風な導出といっても一つではなく、少なくとも2つはある。上に述べたスカラー積とベクトル積を用いた導出はそのうちでもっとも簡単な導出法だと思われる。

私の知っているところでは平面三角法よりも球面三角法の方が歴史が古いという。その導出がどういうものだったのか興味津々だが、それについて述べたものはまだ私は見たことがない。

平面三角法の知識もなく現代的なベクトルの知識もなくどういう風に直に球面三角法の余弦定理や正弦定理を導いたのだろうか。



谷川俊太郎さんの死

2024-11-20 13:35:48 | 本と雑誌
昨日のNHKのテレビとか今日の新聞で谷川さんの死が伝えられた。

この詩人の優れたところは私などが言うまでもあるまい。朝日新聞に11月17日に谷川さんの詩が載っていたのだが、それより数日前に死去していたらしい。

最後の詩のタイトルは「感謝」であった。死を恐れるというよりも好奇心をもっていたという。

ただそういう優れた詩人の生存にもかかわらず、世にはロシアのウクライナ侵攻があり、イスラエルのガザ攻撃がある。

どうも権力的な政治家の行為とか思考が背景にあり、谷川さんのような優れた詩人の存在にも拘らず、戦争は一向になくならない。

羽仁五郎ではないが、そういう悲惨を防げない時代の文学とはなにかと問いたくなる。いや、文学がわるいわけではなかろうが、そう悪態もつきたくなるではないか。

人を支配したいとかわがままをしたいという、権力欲にはまったく困ったものだが、人にはそれを支えてしまう傾向もないわけではない。自戒すべきかもしれない。



球面三角法

2024-11-20 13:15:54 | 数学
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昨日このブログで球面三角法が分らないと書いた。球面三角法についてはもう何年も前からそのレヴユーを書こうと資料というか文献を集めてきた。すでにこの分野のファイルを3冊もつくっている。

そして、そのうちの短いものは自分で読むことを試みてきた。そしてその一部を理解しても来たらしい。ただ、それが自分ですらすらと文献を見ないで再現できるほどになっているかと言うとそうはなっていない。

中学生を対象とした本に岩波書店から出版された『数と図形の話』(岩波科学の本)の中に「地球儀の幾何学」という章があり、私もこの章を2章か3章を読んでみたことがある。ところが最後まで読み切れていない。

今調べて見ると全体でわずか64ページであるのに読み通せていないのだ。この本を書いた著者がまえがきで書いておられるところでは実際に中学生の方に読んでもらって意見を聞かれているという。私はその中学生よりも知力が劣っているらしい。

もっとも私はまだあきらめたわけではない。いつか球面三角法の書を書いてみたいと思っている。

単に事実を事実であることを確認するといった普通の数学書が採用している、書き方には私は満足できないので、『四元数の発見』で採用したようなできるだけ発見的な見方で本を書けたらと思っている。ただそれは言うは易いが書くのはとても難しい。

気持ちは別として私の生きているうちにこのことを達成できない可能性も大いにある。


ヒッチコックの「めまい」

2024-11-19 15:57:53 | 本と雑誌
ヒッチコックの「めまい」という映画を学生のころに見たことがある。

ジェームス・スチュアート演じる刑事さんだったかが塔の上に犯人を追い詰めるのだが、そこで高所恐怖症か何かが出て追い詰めきれないのである。

そのうちに高所恐怖症を克服してだったか何かで事件を解決するという話だったと思う。

ヒッチコックの映画だから、英語だったと思うのだが、そのときの「めまい」をどういうのか気にしたことがなかった。dizzinesとかいうらしい。普通にはあまり名詞は使われずdizzyと形容詞のほうがよく知られているのかな。

映画の題名はどうだったのだろうか。

わからないことばかり

2024-11-19 11:57:05 | 数学
わからないことばかりと言っても世界の情勢が不可解だというような大所高所にたった話ではない。

私の数学のわからなさである。ベクトル解析がわからない、ベクトル代数はなんとかわかる気がするようになったが、ストークスの定理だとかガウスの定理だとかがまだわからない。

微分形式がわからない。球面三角法がわからない。線形代数がわからない。リー群がわからない。

一般の数学科で学ぶであろうような数学をわかることはもうとうの昔にあきらめているのだが、そういうことではなくて、自分に関係したことだけでもなんとかわかりたいという気が少しはしている。

書きたいテーマがあったはずだが、

2024-11-19 11:28:20 | 本と雑誌
書きたいテーマがあったはずだが、数日ブログを書くのを控えているうち忘れてしまった。というようなことを私はいつもしている。

別に何かを考えるということを自分に課しているわけではないのだが、自然に何かを考える習慣になっている。

そういうことがもう何十年も習癖となっているのだが、それにしてももう歳だから残念ながら記憶力が持たないのだ。残念なことである。もし記憶が十分続くならば、このブログに書くテーマなどに困ることはまったくないであろうが。

現実はそういうことはなくて、パソコンの前に坐って思案しなければならないのが通常である。

まあ、高校の同級生だった者でも1/3くらいは物故されている歳だからそういうことは歳に免じて許してもらわないといけない。