物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

ひまわり2

2013-08-31 12:03:11 | 映画

昨日、日本映画の「ひまわり」を見た。

もともとの「ひまわり」という映画はイタリア映画だったが、やはり一種の反戦映画だった。それで日本版「ひまわり」もそういう種類の映画だろうと思ってみたら、その通りだった。

この「ひまわり」は沖縄の基地問題を扱った映画であり、小学校のころに友人たちがその小学校に落ちたジェット機の犠牲になって死んだ方の終生のこだわりがその通奏低音となっているが、その人の孫の世代の話を中心に話が展開する。

沖縄は昔も現在も未来も展望としては暗い。それはアメリカ軍の基地が多くの面積を占めており、その様相はこのところ変わる気配が感じられないからである。

民主党政権時代の鳩山元首相の言にいくばくかの希望を感じた県民であったが、現実ははかばかしくなかった。鳩山氏の現実離れした構想を咎めるかたもおられようが、それが実は問題ではなくて、外交で、実務を担っている外務省がまったく基地を沖縄から減らすことが眼中にはないとかさらにいえば、アメリカが沖縄の基地を減らす気がないことが原因である。

そしてその日本の政策を支持している、多くの日本人の問題でもある。

沖縄にはいい展望がないが、それでも希望を失ってはいけない。


地球学から地球「楽」へ

2013-08-30 10:48:52 | 科学・技術

Mさんの徳島科学史研究会での講演のテーマが表題にあげた『地球学から地球「楽」へ』であった。

その講演の中でクイズみたいな問題があった。

地球が凹凸のない完全な球体であるとする。いま、1メートルの高さから水平線を眺めたときどのくらい遠くまで見渡せることができるでしょうか。

答えの候補がその後に出ていたが、私は1500メートルくらいと山カンで答えたが、本当は3500メートルくらいだという。

Mさんは講演の中でこれはピタゴラスの定理を使えば、解けるのですと言われた。そのときはどうやってその答えを出せるのかわからなかったが、帰りの電車の中で時間があったので、考えてみた。

1メートルの高さから水平線まで見渡せる距離をxとし、地球の半径をrとすれば、視線の水平線のところで円との接線になっているから、この水平線とその接点へ向かう地球の半径といま1メートルのところから、見渡そうとしているところの3点はちょうど直角三角形となっている。

したがって、

  (r+1)^{2}=r^{2}+x^{2}

という式が成り立つ。いま地球の半径 r=6350km とすると、 x=3.57km が近似値として得られることがわかった。ここで、平方根の計算はあまり正確ではない。だが、まあ、近似値だから許してもらえるだろう。

上の式を x について解けば、

 x=\sqrt {2r+1}

であるが、r に比べて1mはとても小さいから、 \sqrt {2r}を計算した。

電車の中なので、電卓も何も持っていないので、筆算でした計算だからいい加減な計算である。だが、それほど間違ってはいないと思う。

こういう例題をピタゴラスの定理のところの演習問題として出すことができれば高校の数学の演習としてもいいのではないかと考えながらの電車の中の2時間半であった。

ちなみにこの問題は古在由秀『地球をはかる』(岩波書店、1973)に出ている問題だという。

(2013.8.31付記) いま西條敏美さんの『測り方の科学史 I  地球から宇宙へ』(恒星社厚生閣、2011)を調べたら、8ページに遠望距離として表になって出ている。なお、この遠望距離がわかれば逆に地球の半径 r を求めることができる。こうやって昔の人は地球の半径を求めようとしたのである。なんという人間の知性よ。感嘆させられる。


感覚の違い

2013-08-29 10:54:51 | インポート

徳島科学史研究会で感じたことの続きを述べよう。

西條敏美先生の「医師・三宅速のアインシュタインからの墓碑銘の真相」という講演である。講演の内容はおもしろいものであるが、それは三宅速の墓碑銘にアインシュタインの直筆の追悼文ができた経緯である。

実はアインシュタインは署名以外はタイプ打ちされた文書を墓碑銘として送って来たが、それを速氏の長男が私文書である、アインシュタインの直筆の手紙にあった筆記体の字で全部置き換えるように専門家に頼んで、現在は墓碑銘にはアインシュタイン直筆の筆記体の文書が墓碑銘に載っているという。

この話を聞いて、コメントをしたのだが、アインシュタインは墓碑銘をいわば公文書として捉えていたということである。公文書では明確であることが要求されるので、タイプ打ちの文書となる。その場合でも署名は直筆である。

一方、私文書の場合にはタイプ打ちの文書の場合は冷たい感じとなり、そういうことは避けるのが普通である。

私などはそういう常識も知らなかったので、私文書でもタイプ打ちをして送った苦い経験がある。そういうことをしないものだということはその後で知って恥ずかしい思いをしたものである。

ところが日本人にしてみれば、アインシュタインの直筆の墓碑銘をもらうとこれは価値があるように思ってしまう。その感じ方の食い違いが興味深い。

これはそれぞれの人の生きている文化観が違うので、どちらが良くてどちらが悪いという話ではもちろんないが、その感覚の違いをおもしろく思った。


演劇『コペンハーゲン』に関して

2013-08-28 11:32:49 | 国際・政治

ことはハイゼンベルクとボーアに関することである。とは言っても物理学のことを知らない人にはなんのことかわからないであろうか。

ボーアはデンマークの物理学者で原子論で知られた有名な学者だし、もう一人のハイゼンベルクもドイツのこれまた有名な物理学者である。

この二人はもちろんボーアがハイゼンベルクの先生にあたる。そしてこの二人深く互いを理解しあった中であったが、第2次世界大戦中の1941年にドイツ占領中のデンマークをハイゼンベルクが訪れる。

そして、ハイゼンベルクはボーアに連合国が原爆の開発に進まないようにとそれとなく伝えようとしてコペンハーゲンを訪れる。

そして実際に会うのだが、その話はハイゼンベルクがナチの情報部に漏れるのを恐れて遠まわしにしか言わない。そのためにボーアはナチのドイツが原爆を開発する意思があるのだと思ってしまう。

それで、歴史上ではアメリカの原爆開発だけが進行して、それは広島、長崎への原爆投下へと至る。

この辺のハイゼンベルクとボーアとの会話とボーア夫人の3人の会話が演劇『コペンハーゲン』のテーマである。ただ、私はまだこの演劇を見たことがない。

『数理科学』9月号はそのテーマがボーアであり、その記事の一つにこの演劇に関する対話のいきさつを山崎和夫さんが書かれている。

それによれば、ボーアとハイゼンベルクはそのときのことについて一度二人だけで話し合いを戦後何回かしようとしたらしい。しかし、それが行われないうちにロベルト・ユンクの「千の太陽よりも明るく」(平凡社)が出版され、そのデンマーク語訳を読んだボーアがアメリカの物理学者たちが悪玉として描かれているのに機嫌を悪くされてこの話し合いは結局されなかった。

これがハイゼンべルクに近いドイツの物理学者の思っている事情であるが、一方アメリカに亡命したかつてのヨーロッパの物理学者たち、特にユダヤ系の物理学者は身内が強制収容所で殺されてなくなったということもあり、ハイゼンベルクとそのまわりにいたドイツの物理学者の方がむしろ悪玉であると考えている。

そして山崎さんによれば、それが世界の大勢の考え方であるらしい。

私が興味深く思ったのは「千の太陽よりも明るく」の出版されるまではボーアはむしろハイゼンベルクとの和解を考えていたのだが、このノンフィクションのせいでその和解がなされなくなったらしいことであった。

私はこの書を学生の頃に読んだが、アメリカの物理学者の悪玉説であるとは思わなかったが、当事者になるとそうは思わなかったことに驚かされた。

(付記)そして広島への1945年8月6日の原爆投下によって、私の先生のSak先生とSaw先生とが原爆に被曝するという、結果となった。Sak先生はすでに故人だが、Saw先生はまだ存命である。


病院の起源

2013-08-27 12:17:58 | 健康・病気

病院が歴史的には宗教施設としてできたものではないかという話を先日聞いた。

これは香川県の高松市であった、徳島科学史研究会の講演で聞いたことである。イスラム圏やキリスト教圏ではそれぞれモスクや修道院に病院が併設されているという。

ヨーッロッパの修道院ではビールとかワインを醸造しているものだということは知っていたが、新たに意外な事実を知った。さらに、修道院が学芸や技術の蓄積した場所であることは映画「バラの名前」などからも窺い知ることができたけれども。

そのような昔の病院を訪ねてレポートをしている人が先日の土曜日に講演をされた。ただ、日本では仏教が宗教としては多数派を占めるが、仏教の寺院が病院になった例はあまりないとのことであった。

やはり、宗教は人の心とか魂を救うところだから、その延長としての人の体の病をケアするということだったのでしょうかと質問したら、多分そうだろうというような答えであった。

それとモスクや修道院が病院を兼ねていたのみならず、困窮していた人を助ける貧窮院を兼ねていたらしい。

この人、石田純郎さんは福山市の介護施設の医師をされている方であるが、現在病院施設の撮影の旅行に行かれているらしい。このレポートは月刊雑誌『病院』に「世界病院史探訪」として連載されている。写真がきれいなのが特徴である。

世の中には奇特な方が居られると感心をしている。


紙の用途

2013-08-26 13:31:15 | 科学・技術

8月24日に高松の香川大学教育学部で徳島科学史研究会と科学史学会の合同例会に出席した。

そのときに製紙等の紙に関する報告をする人の講演を聞いているうちに、紙って何に使われているのだろうと疑問になって講演後に質問をしたら、紙の用途として7種類くらいあることがわかった。

そのうちの全部ではないが、覚えているものをここに書く。7wといわれるらしいが、まず印刷をするものとして(write), つぎに包むものとして(wrap), それから拭くものとして(wipe), 続いて織るものとして(weave),  着るものとして(wear), そして加工するものとして(work)等である。

もう一つがよくわからないが、もう一つあるらしい。印刷や包装については言を要しないが、拭くものとしてはトイレットペーパーやティシユペーパーを思い出せば、十分だろう。

weaveはよくわからないが、折り紙とかはそうかもしれない。wearは昔なら、油を引いて合羽にしたものだが、現在では紙を素材にした衣服がファッションショーで出品されたりする。workはなににあたるかはよく聞かなったが、ちぎり絵でworkする人もおられる。

紙の用途について考えを巡らせる機会を先週の土曜日にもったのは思いがけないことであった。


液化炭酸ガスの利用

2013-08-23 10:29:21 | 科学・技術

2011.4.22に「液化炭酸ガスは?」というテーマで書いたが、そのとき書いた謎の一部がさきほど解けた。

これはある病院に私は先程行っていたのだが、そこへある会社から液体窒素を納入するためにやってきた。この液体窒素はこの病院では、小さい低温火傷をつくって皮膚の治療をするというためである。実際に私の頭のイボをこの方法でとってもらったことがある。

その会社、大和酸素の従業員の人に聞いた話では液化炭酸ガスはガスバーナーで鉄板を切断するときに使うという。

これはもちろんガスの燃焼度を上げるためには混入させる酸素の量と液化炭酸ガスの量を調節して鉄板を切断するのであろう。

だから、液体酸素の量だけを変化させるように調整したらいいようだが、炎の勢いを調節するために混入させる炭酸ガスの酸素の量の和を変えないで、炭酸ガスと酸素の比を変えたらよいのではないかと考える。

だから、液化炭酸ガスの利用法は特に固体のドライアイスにする以外にも利用法があるということがわかった。しかし、このようなことは話を聞くまで思いつかなかった。

聞けば、この大和酸素は酸素だけではなく、液体窒素と液体炭酸ガス等を扱っている。液体ヘリウムを扱っているのかどうかは聞き漏らした。


美輪明宏さん

2013-08-22 12:48:04 | テレビ番組

昨夜、NHKで美輪明宏さんの出演の放送があった。

美輪さんについて偏見がなかったといえば、うそになるが、この放送を通じてまっとうな生き方の人だとわかった。

生き方として「無償の愛」だとか、「使命感」とか聞くとその生き方に感心した。昨年のNHKの紅白で、「ヨイトマケ」の歌を歌われてとてもよかったが、昨夜もそれが一番よかった。

エディト・ピアフの「愛の賛歌」を最後に歌っていたが、美輪さんは歌手なのだということを初めて知った。「愛の賛歌」はフランス語の字幕が出ていたが、わからないところがいくつかあった。

それでもエディト・ピアフは激しい気性の人であるのだろうと想像された。もちろん彼女はシャンソン歌手として大スターであった。

もっとも美輪さんは地方都市等で演劇の公演をしても、近くの名所に見学に行くわけでもなく、ほとんどホテルと公演会場を行き来するだけで後は観客のためのサービスに努めるのだという、話を聞くと私などもその手の人間かと思うので、ちょっと私としてはある種の閉塞感を感じた。

これは美輪さんを批判するというよりも、その同類であるかもしれない、自分のことを考えてそういう気がしたのである。美輪さんを批判するという気持ちなどこれっぽちもない。

美輪さんは放送で、メケメケというのはmais, qu'ce-que c'est ?(メ、ケスクセ)からきたということを言われていた。その意味はあまりよくはわからないが、「でも、それがなあに?」くらいの感じなのだろうか。

ゲストの黒柳徹子さんがかすむほどであった。


もういい、ざんしょ

2013-08-21 12:27:13 | 日記・エッセイ・コラム

もういい、ざんしょ(残暑)などとふざけていてもやはり暑い。

だが、今朝は5時ごろに眼が覚めて、トイレに立った時に水道の水を口に含んでみたら、先日までと違って少し冷たく感じられた。

暑い暑いという言いながら、少しづつは秋に向かっている兆しがある。つい先日までは庭でセミがうるさく鳴いていたが、今朝は虫の音が聞こえるようになった。

昨夜も2週間ぶりにテニスに出かけたが、もちろん風が吹いて涼しく感じられるという風ではないが、それでもほんとうにかすかに風が吹き出している。体に感じられるか感じられないかのわずかだが。

もちろん、持って行った小瓶の麦茶は全部飲んでしまったし、汗を拭くタオルはじっとりと汗を含んで湿っぽい。だが、なんとなく秋は用意されつつあるという風に感じる。

とはいうものの夜はエアコンが欠かせないし、午前中はともかく午後はエアコンなしには午後を過ごせない。

日本国中カラカラである。雨が降らない。香川県の水がめといわれる早明浦ダム(高知県)がほとんど貯水がなくなっているらしい。幸いなことに石手川ダムは80%台半ばらしい。

もっともこのまま雨が降らないと早晩取水制限がかかるだろうが、9月がそこに見えているので、台風とか秋雨が降る時期が遠いわけではない。


図書館

2013-08-20 12:02:18 | インポート

日曜日の朝日新聞のGlobeという特別版には「図書館に行こう」という特集があった。

国会図書館ではいろいろな雑誌や古い書籍がすでにかなり電子化されているという。しかし、その閲覧は国会図書館に行かないとできないらしい。

昔の書籍で著作権の切れたものはいいが、著作権の切れていないものが利用を阻んでいる理由らしい。

私も2冊ほど本を書いたことがあるが、それらはあまり売れない。それで売れてほしいとは思っているが、それで著作者の立場としては図書館で読んですむなら、本は売れない。ということで著作権を強く主張したい気持ちはわかる。

一方、本の利用者の立場だと国会図書館に行かないとその閲覧ができないと地方にいる者としてはほとんど利用ができないということと同じように思えてしまう。

コピーのサービスを受けることができるが、それだって無料ではない。そういうことを言うのははばかられるけれども、NIIで無料でpdfの文書がコピーできるときにはほっとするが、そんなことができる雑誌はほんとに限られている。

ということでまだまだインターネットで何でも手に入れられる状況にはないのではないか。

前にもこのブログで書いたかもしれないが、武谷三男の著作目録の作成をしたし、また現在では遠山啓の著作目録を作成中である。

ところが遠山はその著作とか監修とか編集した書がとても多くて、そのあるものはすでに購入して持っているが、その全部を購入することなど論外である。ところが国会図書館でもその書の発行月日は発行月までで終わっており、なかなか発行月日までも知ることができない。

だから、その書をどこかの図書館から遠隔借出をして実物をみるか自費で購入するかしかない。ということで書籍を購入しては妻にもう本はいらないと小言を言われている。

遠山の関係した書は私の作成中の著作目録でも400冊を越えている。そのうちで私のもっているものは200冊前後であろうか。


肩痛

2013-08-19 13:12:37 | 健康・病気

一昨日の夜、右肩が痛くて眠れないので、湿布を出してきて妻に貼ってもらった。そうしたら、肩の痛みは和らいだが、今度は昨夜には胸が痛みだした。

それで、もしか心筋梗塞の初期段階かもわからないと思ってホームドクターを訪ねた。簡易な診断のあとで念のため心電図をというのでとってもらったが、心臓はいまのところ健全であるらしい。

それで肩とか胸の痛みは笹竹の除去を2週間ほどしたための後遺症であることがわかった。だが笹竹の除去はまだ終わっていない。

面積としては圧倒的に地下茎の除去をすませているのだが、まだ一番の大本の笹竹を除去していない。もうちょっとではあるが、完了していないことだけは確かである。

今日、昨日と肩痛のために作業を見合わせている。数日したら、この作業を再開して徹底的に笹竹の地下茎を除去したい。

もちろん、一度徹底して地下茎を除去しても数か月すれば、また笹が生えてくるであろう。これは地下茎を完全には除去できないからである。途中で地下茎がちぎれるということがある。

したがって、数か月後にまたもう一度同じような作業をする必要がある。そうやってようやく笹竹が完全に除去できるのであろう。


「はだしのゲン」の閲覧禁止

2013-08-19 12:02:18 | 日記・エッセイ・コラム

松江市の教育委員会がマンガ『はだしのゲン』の閲覧を禁止したというニュースを読んだ。表現が過激で残酷すぎるという理由で。

だが、現実はマンガなどよりも残酷である。いくら原作者の中沢啓治さんが被爆者でも現実よりも残酷にマンガで描くことなどできない。

ということは現実を見過ごしていいかということである。松江市の教育員会は臭いものに蓋をしようとしている。

現実がマンガで描かれたものよりも残酷であることをはっきり認識しないものがマンガとか絵画の残酷さを批判する資格はない。

さすがに松江市民で閲覧禁止に反対の署名が5、000人くらい集まったという。当然であろう。

私の子どもが小学校の上級生であったころ、この『はだしのゲン』を読んで、お父さんも読んだ方がいいと言われた。私は言下に断った。「恐ろしくて読めない」と。それでこのマンガ『はだしのゲン』は私の家の押入れの中で眠っている。それでも勇気を出してこのマンガを読む日が来るかもしれない。

この場合には私の判断で断ったのであるが、原理的には読みたい人には誰にでもこのマンガにアクセスできるべきであろう。

ちなみに、私は大学も大学院も広島で学んだ。もちろん私の大学入学のときは原爆投下からすでに13年を経過してはいたが、そこここにまだ原爆の傷跡を残していたころであり、下宿を経営していた方々のうちには現に被爆された方が存命であった。

また、私の先生にはやはり被爆された方が複数おられた。そういう環境で約10年の年月を過ごしてきた。

また、これは数年前のことだが、中沢啓治さんから原爆記念日の8月6日に原爆体験の講演を伺ったこともある。


笹竹除去まだ完了せず

2013-08-17 13:23:54 | 日記・エッセイ・コラム

8月1日付で笹竹との闘いとのブログを書いた。それで今日は8月17日であるので、2週間以上が過ぎた。

毎朝、一日を除いて笹竹の地下茎を掘り起こして除去するという作業を行ってきたが、大分少なくなってはきたが、まだ笹竹は残っている。

面積的には大部分の箇所の笹竹を除去したことになるが、いちばんはじめに笹竹が植えられた箇所とそのまわりの笹竹が残るだけとなった。

日程を読んで見るとまだ数日はかかるだろうと思っている。それにしても我ながら結構続いたものだと思う。


くるりん初搭乗

2013-08-17 12:45:33 | インポート

松山市の伊予鉄高島屋デパートの大観覧車くるりんに昨夜初めて乗った。

妻が長男夫婦が松山に帰って来ているので、そのアトラクションに乗りに行こうという。それで7時半頃出かけた。

まずどこからくるりんに乗ったらいいのかがわからないが、あちこち探して9階行のエレベーターをようやく見つけた。

それで9階に上がって行ったのだが、そこでチケットを何枚買ったらいいのかわからず人数分の4枚買ったが、買ってすぐに1枚でよかったことがわかった。

8月2日から21日までは1つのゴンドラは500円に値下げがされていた。それで搭乗前にいらない3枚のチケットについては1500円の払い戻しをしてくれた。いまが乗るのにはお得な時期である。

それと乗って見てエアコンが入っていて涼しく快適であった。それから約8分の観覧車の旅である。愛媛県県病院が大きな病棟を建てられたことは知っていたが、実際にそのシルエットからもとても大きな病院であることがわかった。

北側には松山城の天守閣がほんのりと照らし出されている。松山市だけではないが、松山市のある道後平野はかなり大きな平野であることがわかる。

下には伊予鉄高島屋の屋上のビアガーデンが見えてお客さんが結構いることが分かった。近くのマンションの13階かの部屋の明かりがまぶしい。

楽しんだ8分の遊覧小旅行であった。


数学・物理通信への投稿2

2013-08-14 09:58:13 | 物理学

有難いことに数学・物理通信への投稿が結構ある。次号は9月に発行予定であるが、すでに十分な量の投稿がある。

多分9月中には3巻5号に加えて3巻6号を発行できるのではないかと考えている(悪くても9月中に3巻5号を、10月には3巻6号を発行したい)。

昨年だったかは数学・物理通信の一号だけ9月に出して、次号を9月中には出せず10月に回すという結果になったように思う。

どうも季刊サキュラーの数学・物理通信は発行予定月に2号出さざるを得ない状況が続いているが、これは野球の試合の表の攻撃と裏の攻撃のようでもある。

それなら毎月出したらという考えもあろうかと思うが、やはり毎月だと編集・出版人としては負担が大きすぎる。それでやはり息抜きの月がどうしても必要だと考えている。

それとこういうことになるのは毎号のページ数を30ページ未満に限定しているからである。pdfのメール配布サキュラーであるから、ページ数は限定しなくてもいいとは思うのだが、やはり毎号30ページ見当というのは厳守したい。

投稿論文の傾向として数学の分野の方の投稿は減っており、物理の出身の方の投稿が多くなっている。

これは私自身がもともと物理の出身であるから、当然かもしれない。もっとも純粋に物理に属するものというよりは数理物理的なものが多いように思う。

毎年9月は徳島科学史雑誌への原稿を書かなくてはならないので、私にとっては忙しい月である。今年はまだその構想はできていない。その前に8月24日に今年は高松で徳島科学史研究会の総会がある。

そこでの発表を予定しており発表のつもりだが、まだパワーポイントの入力どころか原稿の草稿の断片がいくつか手元にあるにすぎない。

もっとも発表時間は質疑も含めて15分だから、発表時間は10分前後であり、今年は話す内容をぐんとしぼって話すつもりである。

いつもあれもこれもと話したいことを挙げておくものだから、話が終わらないうちに時間がきてしまい、何をいいたいのかわかってもらうことが難しい。

ともかく十分といっては言い過ぎかもしれないが、結構投稿原稿が集まるという幸いなサキュラーである。

これは気楽なサーキュラーであるということでもあろうが、その投稿された論文をもとにしたNakanishi先生と世戸さんの論文は改訂されてProgress of Theoretical and Experimental Physics(PTEP: PTPの後継の雑誌)に論文として掲載されたと聞いている。だから論文によっては学術雑誌の掲載基準を十分にクリアできるようなものもある。

大多数の論文はそれほど立派ではないにしても気楽で、自由であるという特色は堅持していきたい。