物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

日本はlow techland ?

2011-05-31 10:58:07 | 社会・経済

日本はhigh techlandだと思っていたが、その認識は改めねばならないかもしれない。

こういうことを思ったのは東日本大震災のときに漁業や農業がかなり壊滅的に破壊されて東北の漁業なり、農業が大打撃を受けたということをテレビでこれでもか、これでもかと見せつけられたからである。

もっとも物理学者の武谷三男は農業が一番太陽を利用したハイテクだとかつて言ったことがあるように、ある意味では農業はハイテクだと言ってもいいのではあるが、それでもテレビの報道を見ていると日本の一次産業は衰退どころか結構頑張っていることを認識させられた。

漁業も森が肥沃でなければ、漁業も豊富にはならないとは最近の知見である。

東日本震災でもう一つわかったことは、世界は一つにつながっているということであった。これはルネサステクノロジーの半導体製造が止まって、そのために世界の自動車の生産が完全に止まらなかったというものの、大打撃を受けたことであって、これによってほんとうに僅かの数社の半導体の製品に自動車工業が深く依存しているかということがわかったことであった。

それとこれはこの東日本震災の前に聞いた湯浅誠の話だが、彼が愛媛大学で講演したときに聴衆の中から質問があって、それはほとんどの日本の産業が法人税が高いと海外に出てしまうのではないかと心配をした質問だったが、湯浅は約1億人の人が日本に住んでいる現状から考えてすべての工業的な会社が海外に出てしまうという危惧は企業の言い草であって、そういうことはないと言い切ったのはやはり卓見だと思った。

もちろん、人件費が安いという理由で出て行く企業が多いとは思うが、こういう人件費の差でようやく成り立つ企業とはなんと頼りない企業だろと思うのは私だけなのであろうか。

しかし、日本では教育が普及してはいるが、それにしてももっと高等教育を多くの人が受けるようになり、そして人件費の差で勝負をするような企業を駆逐してしまわねばならないと考えていた、私の理想は全く絵に描いた餅なのであった。

だが、やはりそういう現状が望ましいはずがないと思う。知的財産を蓄積できて、技術的にも他の国の追従を許さないくらいにならなければ、日本の将来はないと思っている。それで、さしたる資源のない日本には科学や技術の振興が大切なはずである。そのための基礎的な学問が必要とされると思ってe-Learningの作成にいそしんでいるのに、現実との落差は大きい。


台風襲来

2011-05-30 11:30:43 | 日記・エッセイ・コラム

今年は早くも台風が来たが、温帯性低気圧に変ってあまり風はひどくなかった。もちろん雨はかなり降ったが。だから、容量の小さな石手川ダムは貯水率は100%となった。

5月のはじめまで渇水と言われたのと大きな様変わりである。3月、4月があまり雨が降らなかったのであるが、これも降水量の揺らぎであって、少し時間を長く取ってみると結構バランスをしていることがわかる。

それでも、100年に一回とか10年に一回の割で渇水にあったりする。それはともかく今回の台風は雨台風気味であった。よかったのか悪かったのか。それでも愛媛県西条市で車が水に水没して80歳くらいの方が一人亡くなっている。これは道路に水がたまって道路が1mくらい水没したのである。

全般的に見るとひどい台風ではなかったと思うが、それでも個人的には死亡なさった方がおられたということである。見る見る増水して車のドアが開かず逃げられなかったのらしい。

仕事場の鉢植が風で吹き飛ばされたらいけないと思ってバルコニーの鉢植えを下に下ろしにやって来て下ろしておいたが、別に被害はなかった。

これからはこういうことが度々あるであろう。今日はまた、涼しい風が吹いているが、夏の暑さは厳しいであろうか。


不思議なこと

2011-05-29 12:20:43 | 日記・エッセイ・コラム

最近私のメールアドレスにフランス語の題目の迷惑メールがたくさん来るようになった。もちろん、来たら全部つぎからブロックするように措置はしているのだが、どうしたものかそれが少なくならない。

でも一日に数通の範囲なので、大事には至っていない。友人は迷惑メールがたくさん来たので根をあげて自分のメールアドレスを変えた人もいる。

インターネットは自由なところがいいのだが、それに伴う代償もある。私のブログでは政治的な意見は言わないように控えているので、いまのところ迷惑メールとかサイト攻撃にあったことはないが、企業などだと脅迫して金をゆすりとろうとされる場合もあると聞く。

会社がサーバーをもっていたりなどする場合にはひたすらに、攻撃されている最中はサーバーの数をひたすらに増やして、そのサイバー攻撃に耐えるのだとテレビでいつか見た。

インターネットでサービスを提供している企業だとその攻撃のためにダウンしたとは口が裂けてもいえないような事情があったりするのだろう。それをねらってのサイバー攻撃だったりするという。

最近はソニーから、個人情報が流失したとか、ホンダも個人情報が流失したりとかマスコミで言われている。もちろん、個人情報はもらすべきではなく、それなりの対策はとっているのであろうが、それでもなかなか十分とはいえず、流失をしてしまうようである。

特にアメリカでは個人の権利意識がはっきりしているから、それで個人の権利が侵害されたということで訴訟に持ち込まれることが多いのだろう。

権利意識は大切だが、我々日本人にはそこそこにしてもらいたいと思ってしまうのは根から権利意識が身についていないせいであろうか。

昔、大学の法学の講義で聞いた英語のことわざは

         A good  lawyer is a bad neighbor.

であったが。


AKB48

2011-05-28 13:20:20 | 日記・エッセイ・コラム

AKB48などは「おじんの私には係りのないことでござんす」と思っていたが、昨夜の「ニュースで英会話」を見ていたら、AKB48は秋葉原でライブ公演をし、電気製品を買ってくれた人と気楽に握手をしたりして、スターダムに登りつめたという。

そしてそのニュースのテーマはそのAKB48がシンガポールでアジアのファン獲得のためにライブ公演をはじめて開いたし、今後月2回ライブ公演をシンガポールで開くということであった。また、You Tube等の動画サイトでのアクセス数が2千万回とか3千万回ともいう。その戦略は見習うべきだと思えた。

なに私にとってはそんなにすごいことができるはずがないが、自分のつくっているe-LearningのPR作戦に使えないかということである。別に物を売る訳ではないが、PRをする必要は感じている。

私はそれなりに自信をもってこのe-Learningのコンテンツをつくっているのだが、大学のアカデミズムの壁に遮れているのが現状である。いや別に遮っている人たちを恨んでいる訳ではない。その遮っている張本人は自分自身でもあるのだから。

しかし、そういうものから自由になって思う存分のPRをして、世間の人に利用してもらいたいと密かに思っているが、そのときは来るのだろうか。ともかく、AKB48の戦略には感心した。世には頭のいい人がいる。

世界的に受け入れられるためには私のe-Learningのコンテンツも英語で発表する必要があるだろう。


Heisenbergがノーベル賞を単独受賞した訳

2011-05-27 13:01:18 | 物理学

マトリックス力学とは今では量子力学といわれている、20世紀前半に展開された原子中の電子の力学である。もちろん量子力学は原子中の電子だけを対象にする力学ではないが、誤解を恐れずこう言っておく。

マトリックス力学はもちろんHeisenbergの卓抜なアイディアから始ったが、しかしその数学的な展開にはBornとJordanの貢献が大きかった。BornとJordanとのHeisenbergの論文の数学展開とその後のHeisenbergも含めた有名な三者論文で彼らはマトリックス力学を完成させた。

BornはHeisenbergの先生の一人である。

ところが、1932年にノーベル賞を受賞したのはHeisenberg一人で、BornとJordanははずれていた。そのことについてのBornの苦悩は大きかったことが彼の告白によってわかるのだが、BornはHeisenbergが優秀であることを自分で言い聞かせて自分を納得させたとどこかで読んだ。

その後、1956年にBornは単独で量子力学の確率解釈で、ノーベル賞を受賞するのだが、ここでも政治的な意図が働いていたと、ごく最近の研究でわかったらしい。

これら事情にはJordanがからんでいる。Jordanはナチドイツ下で、ナチの思想に共鳴していたのみならず、その重要な活動の一翼を担っていたらしい。

それで、Heisenbergのノーベル賞受賞のときにノーベル賞の委員会はBornとの同時受賞も考えたらしいのだが、Bornにノーベル賞を与えるとJordanにもノーベル賞を与えない訳には行かなくことになるとの理由で、それを阻止するためにHeisenberg一人の受賞と決定したらしい。

その後、第2次世界大戦後の1956年のBornの受賞のときにもJordanの関係しない業績に対してノーベル賞を授与することにしたらしいと、ごく最近にインターネットのサイトで読んだ。

1976年にアーヘンであったニュートリノ国際会議の際にはまだJordanは存命であったが、そのときに1976年2月1日に亡くなったHeisenbergの追悼講演をJordanがした。もっともこのときの講演はドイツ語でされたので、私にはほとんどわからなかった。

その後まもなくしてJordanは亡くなってしまって、もう歴史上の人物になってしまっている。

ノーベル賞とナチとは受賞者において関係がある。光電効果の実験で有名なLenardもそういう学者の一人であり、賞金を投資とかに使ってはいけないとかの賞金の規約があるらしいが、それに違反して物議を醸したことがあると昔読んだ記憶がある。

また、Stark効果で有名なStarkもノーベル賞の受賞者だが、彼もナチの思想の信奉者でドイツ主義運動とかに関与したとか言われる。そういうことがあったので、ノベール賞選考委員会としては慎重であったのかもしれない。


ブログが1400回を越す

2011-05-27 12:53:09 | 日記・エッセイ・コラム

このブログは一日1回を基本にしている。その辺はこのごろはやりのTwitterとは異なる。

だから、これが1400回を越したということは密かに誇っていいことかと思う。ブログを始めたのは2005年4月の終わりかと思うので、これまで続けられるとはまったく思わなかった。

一年は365日または366日であって、日曜日は仕事場に原則として来ないので、50回は日曜があるから、一年に書ける回数は基本的には300回をちょっと越えるくらいである。それで、1000回を越えたときには少し感慨があったが、もう感慨などはない。それくらい日常化・ルーチン化しているということである。

書く話題がなくなるのではないかと一番恐れていたが、そういうことはないらしいということがわかった。それが人間が生きているということなのであろう。

このブログは一年金生活者がとりとめなく書いているブログだし、もし読者がいるとしても面白くなければ読まなければいいだけの話である。それに世の中の多くの方は文系の方なので私のブログなど面白くないであろう。

それはそれでいいのである。何も押し付けているわけではないし、世間の人としては勝手に老人に独り言を言わせておけばいいであろう。

しかし、世の中には理系の方も居られるし、知的な好奇心に富んだ方も居られるであろう。そういう方に100回に一回くらい常識をこわすような話題を提供できればいいと思っている。

これは基本的に私が大学に勤めていた当時に講義で行っていた意図と同じである。だが、残念ながら、私の学生だった方々にそのことがどれくらい理解されていたかはわからない。なにか面倒なことだけをいう、「いけ好かない先生だ」と思われていた可能性が大きい。


津波の高さ

2011-05-27 11:04:19 | 科学・技術

これは日本の津波のことではないが、最近聞いた話である。

ドイツのチュービンゲンで、北海からの津波が来た痕跡があることがわかったと先週のドイツ語のクラスの後にR氏が言っていた。私の聞き違いかと思ったが、ドイツ語のよくできるOさんが日本語でそのことをやはり通訳してくれていたので間違いがないだろう。

R氏のニュースソースがどこからかわからないが、津波の高さが100m規模の津波ではないかと言っていた。チュービンゲンは現在では海から何百キロも離れている。昔のことであるので津波が来たときが海からの距離がどれくらいであったかとか、その当時の現在のチュビンゲンの海抜の高さも問題になるだろうと思う。

だから、100m規模の津波が歴史的に本当に生じたのかはわからないが、自然界の災害の規模は私たちの想像を越えていることはありうるので、これをむげに否定することもできないだろう。

チュービンゲンは大学町で、このチュービンゲン大学は歴史の古い大学の一つである。1997年にはじめてここを訪れたが、さすがに学生が多いという印象をもった。私はここにほんの数時間滞在しただけだが、このとき有名なヘルダーリンTurmを見に行った。

友人夫妻の案内でここを訪れたのだが、川の橋の上ですれ違った学生にヘルダーリンTurmはどこですかと聞いたら、橋を渡りきった左にあるデパートかスーパーかのところを左に曲がって数百メートル行った先にあるとのことだった。実はこの橋からもこの塔が見えたのだった。

ヘルダーリンTurmは円筒形の塔で、窓の数もそれほど多くなく、詩人のヘルダーリンが狂気を発してからは、知人か誰かに保護されてか、または監禁されてかは覚えていないが、ここに住んだといわれている塔である。

またこの川では学生たちが夏の季節だったかにいくつかのグループに分かれて、船やいかだの競争をするとは何年か前のドイツ語講座で紹介があった。

Khanという語は有名なHeineのLoreleiの詩の文句ぐらいしか出てこないが、船底の浅い、小船とかボートの意味であるとそのときに聞いた。もっとも市内を流れているところではゆるやかな流れでこれはライン (der Rhein) なんかとはまったく違っていた。


歩けない

2011-05-26 10:59:23 | 健康・病気

昨日歯の検診に一年ぶりに行った。歩いて15分ぐらいのところの歯科に行ったのだが、地下道をわたって通りの向こう側に抜けようとしたが、階段がなかなか下りられない。ああ、こういうことで老化は始まっているのだなと感じた。

自宅の2階から朝起きて階下に下りるのにも一歩一歩ゆっくりとしか下りられない。いつも車で移動して歩くことをしないので、こういうことになっている。雑談会の世話人の一人である、Nさんなんかも歩くことができなくなったというので、彼は午前中どこかのスポーツジムのプールで泳いだり、歩いたりしているという。

人生前向きに生きてきた人はそういう工夫をしているらしいが、どうも一日ほとんどパソコンの前に座っている私はどうもそういう努力が足らない。

そういえば、昨日行った歯科で待ち時間に週刊誌で原発問題の記事を読んだら、業界から買収されなかった反原発学者としての高木仁三郎氏のことが書いてあった。3億円のお金をもとにして研究会を組織してくれないかとの経済界の申し出を70年代だったかに断ったとあった。いまの額にすると百億円に相当すると書いてあった。

それはいいのだが、原子力情報調査室についてその発足時にそこを反原子力研究者のサロンとしたいという一派が調査情報室を去って、反原発一本にまとまったとその週刊誌に2,3行書かれていた。

このいきさつは高木氏の「市民科学者として生きる」(岩波新書)に「金槌と時計論争」として詳しいのだが、このサロン的な集まりの提唱者が武谷三男であるということになるとすると、どうもこの週刊誌の書いたことはあまり正しくないのではないか。

私は武谷の著作や論文リスト(素粒子論研究電子版参照)をつくっている者だが、原子力調査室のスタッフのNさんから、武谷さんが亡くなったときの、高木氏の追悼文のコピーをもらっている。

それによると、武谷氏は「私が代表でいると君が仕事がやり難いだろう」と言って代表を辞めたと高木氏は書いている。

先日、新聞を見たら、原発推進派の国会議員であった方の言として、反原発学者でも尊敬できる人は高木仁三郎氏だけだとあった。高木さんが偉大であり、その業績も優れたものであるのは間違いがないが、それ以外の人は尊敬に値しないというのは本当なのだろうか。

そこに原発推進派の方々の底の浅さを見るような気がする。


5月の緑

2011-05-25 10:24:19 | 日記・エッセイ・コラム

4月に雨が少なかったが、5月になって雨量が回復し、そのお陰で石手川ダムの取水制限は解除となった。

それだけではなく雨が降ったので、仕事場への途上の国道の街路樹がいつのまにか青々と緑の葉を繁らせている。街路樹にとっても私たちにとってもやれやれということであるが、これが冬の間は枯れ木のようになっている同じ樹だとは到底思えない。

そういえば、今年は松山城の城山の木々から発する、若いたけのこのような匂いがあまり長くはつづかなかったし、強くなかった。普通は数日は続くと思うが、今年は雨が少なかったせいか、1日か2日くらいだった。

バルコニーの鉢植えも青々としている。これはもちろん日差しが強くなってきたということもあるが、数ヶ月前に妻が鉢植えに養分のアンプルを買ってきて、注してやったせいでもある。

妻は一月のうちで数日しかこの仕事場に来ないが、それでも鉢植えとかゴミの処理とかには気を配ってくれる。また、床の掃除も1ヶ月に1回くらいはする。

人がいるということは埃がたまるということであり、それを適当な機会にある程度掃除をし、埃を少なくするのが、仕事の一つであるが、普段は忙しさにかまけてやらない。

世の多くの人にお前は何をしているのと聞かれてその返答にいつも窮するのだが、それでも私が忙しいことは間違いがない。

別にそれらが仕事であるのかどうかはわからないが、いわゆる義務としての、または職業としての仕事ではない。

ただ、自分自身の決めたこととしては日曜は除いて、ブログを書くとか、ラジオを聞くとか、数学エッセイを書くとか、その他雑誌を読んだりする。それに前週のドイツ語のクラスで出てきた単語と表現のまとめをつくるとかする。3ヶ月に1回は数学・物理通信の編集をしてPDF文書のサーキュラーを発行する。

そういえば、e-Learningのコンテンツをつくるのがご無沙汰になっている。


外国語を好きか

2011-05-24 12:01:47 | 外国語

「お前は外国語を好きか」と聞かれたら、ちょっと口ごもってしまうだろう。

普通の一般人と比べれば外国語に関心がある方だと思うが、ドイツ語のクラスのための前回のクラスで出てきたドイツ語の言葉の要約をつくったりしているときに、面倒だななどと思うからである。

この要約をつくることは、もちろん誰かから頼まれたことでもないし、自発的にやっていることだが、それでもほとんど毎週やっているとつらいと感じるときがある。だが、この要約で前回の復習と追補をR氏がつぎのドイツ語のクラスで取り上げてくれるので、その努力に応えたいという気もある。

だが、それだけではない。将来的にR氏が大学を定年になったときに何かドイツ語の単語集の編纂とかの仕事があった方がいいからという狙いを密かにもっている。

東大と学習院大学でドイツ語を長年にわたって教えられた、Robert Schinzingerさんはドイツから老後に年金を出すという申し出を彼が編纂した独和と和独の辞書の印税で生活できるからと言って、その申し出に感謝しながらも断ったという。

現在、通常の多くの時間に私のやっていることは科学の研究には入らないが、それでも科学的な事柄に熱中しているときなどに、それを中断してドイツ語のクラスの要約をつくる作業をなんだか疎ましく思うこともある。そんなことを先日Nさんに話したら、「科学的な仕事とか作業は確かに面白いですよ」と同意をされた。

このNさんもラジオかなにかでロシア語を勉強しているそうだが、私はもうロシア語を勉強する意欲はない。大学生のころ日ソ協会のロシア語講座に半年ほど出たことがあったが、長続きしなかった。

話はまったく別だが、言葉としての「外国語」という語は気になる。ドイツ語では外国語をfremd Sprache (langue 'etrang`ere フランス語) と言って、どこにも「国」という語は入らない。

言語学者の田中克彦氏の「ことばと国家」(岩波新書)によれば、言葉は必ずしも国とは関係がない。だから私も田中氏にしたがって母語 (Mutterspracheドイツ語, mother tongue英語, langue maternelle フランス語) といって、母「国」語とは言わないことにしている。

そういうことでいけば、「外国語」ではなくて「外語」と言う言葉が新しくできてもよさそうである。例えばだが、残念なことにまだ東京外国語大学といって、略称としては別だが、東京外語大学という大学名が正式名称にはなっていない。


春のシクラメン

2011-05-23 12:27:06 | 日記・エッセイ・コラム

シクラメンは冬の花と思うが、私の仕事場のシクラメンは少し季節がずれて咲く。3月終わりから咲き始め、4月に満開となる。現在も花がくたびれてきているが、まだ咲いている。

私の感覚ではポインセチアやシクラメンは冬の花という風に思っているがちがうのだろうか。冬にシクラメンが咲くといってもそのシクラメンは温室育ちなのかもしれない。それでも意外と冬の寒さにも強いと思う。

もっともそうはいっても松山の冬は北国の冬ほどは寒くはないので、一般にいうと暖かい冬だと思う。それでかどうかは知らないが、3月には花は咲かせないで葉が青々としているだけである。もちろんつぼみは次第に膨らんで来ているのだ。それでも花を咲かせるところまではいかない。

これは今年だけのことだけではなく、ここ数年の観察だとそうだ。5月になって25,6度の日もあったので、さすがにこのときはシクラメンもきつそうであった。ぐったりなっていたことも1、2回ではなかったが、水をやるとなんとか持ち直してくれた。

妻が花屋で買って来てくれた鉢にあわせて、友人の奥様がお土産に持ってきてくださった鉢とあわせて4鉢のシクラメンがバルコニーにある。もう大体シクラメンもそろそろ終わりではあるが、まだ1週間くらいは花を咲かせてくれるであろう。


週課

2011-05-23 11:32:47 | 日記・エッセイ・コラム

週課という言葉は皆さんお聞きになったことがないだろう。そう私の造語である。どういう意味かというと週に一度決まってする仕事という意味である。

普通、日課という語はあるが、それをまねしてつくった。週に一度妻と、丈が渕公園にある、湧水を汲みに行くのを週課としている。いつだったかこのブログでも言ったことだが、この丈が渕の湧水は日本の名水百選に入っている。そして飲み水にするとまろやかでとてもいい。

昨週には日曜の午後にいつもの通りに水汲みに出かけたのだが、普段はあいているはずの駐車場が空いていなかったので、公園の駐車場に入る、入り口のところでUターンして帰った。それで昨日は午前中に出かけた。それがあたって駐車スペースが空いていた。

それでということもないのだが、ペットボトルをたくさんもっていって水をつめて帰った。ペットボトルが10本くらいとそれに小さなポリタンク一つに水を入れて帰ってきた。駐車場から湧水口までは歩いて3分ぐらいの距離であるが、たくさんのペットボトルだと持ち帰るのがたいへんなので、湧水口近くに常備されている一輪車に乗せて車まで運んだ。

私たちが行ったときにも水を汲みに来ている家族がいたが、その人たちも直ぐ帰って私たちだけとなった。これはもし子どもからの要請があれば、いつでも水を送ってやれるようにとの親心からであるが、いまのところ送ってくれという要請はない。

水を汲み終わったので、近くにある農協のマーケットに回って野菜等の食料品を買って家に帰った。


四国遍路

2011-05-21 12:47:26 | 日記・エッセイ・コラム

四国遍路というのは弘法大師、空海が開いた真言宗の88箇所のお寺を歩いて回るのをいう。

もちろん昨今では自家用車で回ったり、ツアーを組んでマイクロバスで回ったりもする。ただ、歩いて回るのと文明の利器を利用するのとではご利益が格段にちがうだろうか。

その辺は定かでないが、テニスクラブの仲間である、Sさんがこの四国遍路の旅に出たと最近聞いた。そしてここ数ヶ月はテニスに出てこないという。

このSさんは高校時代には四国のインターハイの硬式テニスで優勝したことがあるというテニスの腕前で、もう一人、かつてのM大学の硬式テニス部員だったUさんと並んでほれぼれするようなテニスをする方である。

SさんとUさんとを除けば、私たちのテニスクラブはアマチュアの集まりであって、それほど技量が抜群に優れている訳ではない。それでもメンバーがそれなりに楽しんでおり、もう20年以上続いている。

Sさんは有能な税理士さんだったが、考えるところがあったらしくて今年還暦を迎えたのを機会にその税理事務所を閉めて勇退をした。それだけなら、どうってこともなかったのだが、このたび四国遍路の歩きに出たというわけである。

その生き方をまねすることはできないが、何か考えさせるものがある。それもこのSさんは車が趣味でいろいろな車をもっている方であるが、それらの車を使っての四国遍路ではなく、歩いての四国遍路である。

その話を聞いて、私などは種田山頭火を思い出す。漂白の俳人と言われた山頭火は家族を捨てて漂白の旅に出たと聞く。山頭火の終の棲家であった一草庵は愛媛大学の城北キャンパスから北に少し行ったところにある、護国神社に隣接している。

ときどき、その一草庵で句会が開かれたというのをNHKのローカルニュースで見たりするが、普段はこの一草庵を訪れる人はあまりいない。物理学者のWさんが定年退職のときにこの山頭火に因んだ版画を有志がWさんに贈ったと聞いた。このWさんは現職のころにしばしば松山に集中講義で来られたが、一度もこの一草庵にお連れしたことがなかった。


素人の津波考

2011-05-20 12:02:11 | 科学・技術

今朝の新聞に福島第一原発の津波の高さについての記事が出ていた。東京電力(東電と略す)の発表では14m-15mの高さの津波が来て、想定の津波の高さ5mの3倍であったから、法律で決められた予想外の被害で免責になるといわんばかりの主張であった。

ところが、どうも近辺の津波の高さと比べて東電の発表した津波の高さが異常に高すぎるのではないかということで津波の専門家からも疑問が出されていたという。

それでその新聞記事の下に書いてあることを読む前にちょっと一瞬だけ考えてみた。実は下に説明があるとは思わなかったから。

どうも東電の発表した津波が防波堤を越えたところの写真では10mの防波堤のちょっと上を津波が越しているように見える。

津波の高さは10mをちょっと越えただけでも、海水の届く高さは海抜10mよりもさらに高くなるということは初等的な物理学を学んでいる人なら、誰でもわかることである。

それは津波の速さから津波が起こした海水の運動エネルギーは特にそれよりも高い障壁があってその津波の海水を遮らなければ、その運動エネルギーが位置のエネルギーに全部すっかり変わってしまう、ところの高さまで海水は届くからである。

その物理的な説明はなかったが、津波の高さよりも高いところまで津波が届くという事実の説明が新聞記事のその下のところに述べられていた。

もし防波堤が津波の高さよりも少し高い程度だったらどうなったであろうか。その説明はされていなかったが、次のようになったはずである。

津波の高さよりも防波堤の高さが少し高かったとすると、津波はその防波堤によって跳ね返される。ただし、津波はその水の質量と速さの積の2倍の力を防波堤に与える。だからその力に持ちこたえる強さを防波堤がもっていなければ、津波の衝撃で防波堤は壊れてしまう。

1度目の津波で壊れなくても2度と3度の津波が時間をおいて繰り返すとすれば、はじめの津波で防波堤が壊されなくても損傷を受けて、2度目、3度目の津波で防波堤が壊れてしまうということもあり得るであろう。

いろいろな考察が時間が経つと出てくる。そして東電の発表した14mー15mという津波の高さも自分たちの責任回避のためではなかったかと思われても仕方がないだろう。上に述べた私の考察は多分物理学の初歩を学んだ人なら、誰でもうなづくことのできる推論である。

だから、初歩の物理学でもいいから、普通の市民が物理学を学んでいることは必要なことであると思う。


ある不等式の証明

2011-05-19 11:27:41 | 数学

Nさんの論文の中の「ある不等式の一番素朴な考えでの証明ができない」といつかのブログに書いたかと思うが、それが一昨日ようやく証明できた。わかってみると、なぜ証明できなかったのか不思議なくらいである。人間の認識というのはそういうものかもしれない。

Nさんに電話をかけて明日、証明の仕方を聞きに行くからという話をしたときにx<1のときには1-xは正だから言われてようやくわかった。ちょっとしたヒントではあるが、それに気がつくのが遅すぎた。

それで、そのもやもやの経験をエッセイにまとめようとしている。わかってしまった今ではその経験が大事なのではないかと思っている。これは頭の明敏な人なら、どうでもいいことではあろうが、明敏ではない私はその経験が重要なのではないかと思う。

実は昨日Nさんのところへ行ったら、何人かの人にこの不等式は間違っているのではないかと言われたことがあるという。またNさん自身がなかなかこの不等式を見つけられなかったのだという。そしてその不等式を見つけたことによって、彼の進展が見られるようになったとか。

だから「少し丁寧に説明をしなければいけませんかね」と一昨日の電話で言われていた。証明を書き下してみると簡単であるが、それに気がつくのに時間がかかり、かつ矛盾すると思える事実に出会うような気がして戸惑っていた。

もちろん、これはある事実に気がつかなかったということだけであり、わかってみればなぜこれがわからないのだろうとむしろその方が不思議なくらいである。

よく科学上の発見をした人が「その発見がなされた後では、それがごく当然のことであると多くの人に思われる」と書いているのを読んだことがあるが、そういうことが小規模な形で起こっているのであろう。