今日、Nさんからメールが入って点検した原稿のプリントを送れと言ってきた。それで近くの郵便局に行って、レターパックを買ってきて、夕刻速達で出した。
実はすでに2度目のメールであわてて朱を入れた原稿のプリントを送らなくてもいいですとのメールをもらってはいたのだが。
自宅に置いてあった原稿のプリントを妻に持って来てもらい、ちょっとだけ疑問の箇所を検討した後にである。ポストに投函できないかもしれないとか郵便局の人には言われたのだが、悠々と投函できたのでやれやれであった。
ほぼ一か月この原稿に取り組んできた。これは偏に現在の社会の人に武谷三男の社会への大きな寄与を分かってほしいと思ったからである。多分、2000部の初刷でもなかなか全部を売るきることが難しい時代となっている。
だが、たとえば、武谷がその意義を明らかにした、許容量の概念にしてもこれは大いに日本の社会のみならず世界の人々に有用な概念である(2024.10.17注)。それとかECでは予防防御の原則とかいわれている原則があるが、これだって武谷の言い出した概念である。
もっともECの科学者にも同じことを考えた人がいるであろうと思われる。
ICPCだったかの放射線防護の原則を決めるときにも岩波新書の『原水爆実験』放射線許容量の考えのところをアメリカの核物理学者J. Orearが在米中だった日本人の物理学者(大阪大学名誉教授になった森田さんだったか)に英訳させて、それを参考にしたと聞く。
だから、ICPCの放射線防護の原則は武谷の考え方に基本的によっているという。
(2024.10.17注)世に許容量という語が使われている。この言葉を、たとえば、人体に受けた放射線量で説明すれば、このときの許容量は人間が受けても無害な線量を意味するのではなく、そうではなくて放射線は人間にそもそも有害なので受けないですめばそれに越したことはない。
だが、放射線を受ることによって受ける利点があるのならば、その利点との兼ね合いで放射線量を我慢できるというような意味であるという。
利点とはたとえば、放射線技師なら、職業上の給料を得て自分の生活を成り立たせているというようなことをさす。もしそういう利点がないのならば、放射線を受けることは人間にとって有害であって少量であっても受けるべきではないという。
こういう概念はなかなか普通の人が理解するのが難しかもしれないが、わかっていただけだろうか。