物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

数学・物理通信14-5がほぼ出来上がった

2024-09-30 10:00:32 | 数学
数学・物理通信14-5がほぼ出来上がった。

まだ最終点検のOKはもらっていないが、そろそろOKが出るであろう。即日発行はしないが、数日おいてから発行するつもりである。

10月2日以降となろうか。3の倍数の月に数学・物理通信の発行月であるが、今回は私のいろいろな用務で10月にずれ込んでしまった。

3の倍数の月は他の仕事よりも数学・物理通信の発行を優先してきたのだが。もちろん例外だったときもないわけではない。

しかし、そういう生活をここ10年以上続けて来た。ごくまれな例外的な場合もあるが、ほとんど誰からも褒められることもないのにである。




長い間ブログを書いていると

2024-09-29 19:35:55 | 本と雑誌
私の大体書くことは大抵ネタ切れである。

始めて書いたと思ってもすでにどこかで書いたことがあるという具合だ。もっとも自分で書いたことを忘れていてもブログとして記録に残っているので、もうこのネタは使ってしまっていたのだなと思い知らせてくれる。

数日前に書いた「折々のことば」に書いたネタもすでに「湯川秀樹と土門拳」というタイトルで書いていた。もちろん今回は朝日新聞の「折々のことば」の紹介もあるので、まったく同一内容ではないのだが。

これは1週間くらい前の経験だが、昔書いた数学エッセイの内容を追加したあとで全体を読み直したら、追加した内容とほぼ同じことをすでに書いていることに気がついて、追加した部分を慌てて削除した。

人間なんてそんなもんである。だから何ら驚くことはないのだろう。

9月の子規の俳句

2024-09-28 12:20:38 | 本と雑誌
9月も終わりそうなのであわてて9月らしい子規の俳句を書く。

 巡礼に追いこされけり秋の旅    子規
 a pilgrim
    has overtaken me
    autumn journey                                    Shiki 1892

E大学校友会発行のこのカレンダーには宇和島市三間町のコスモス畑が載っている。ピンクや白のコスモスがたくさん咲いているが、このブログは画像のないブログなので皆様に示しすることができない。

もう20年以上昔のことになるが、巡礼はフランス語でp`elerinageとかいうことを愛媛新聞の四季欄で知った。これは医学部だったかにお勤めだったある女性の先生が書かれたコラムに述べられていた。

女性名詞だと思うので、une p`elerinageであろうか。と書いて辞書を引いたら男性名詞とあった。un p`elerinageである。

仏和辞典を引いて綴りを確かめようとしたら、なかなか見つからない。覚えた綴りがいい加減だったということだ。それで仕方なく和仏辞典に頼った。特に私も日本人だからrとlとやはりごっちゃになる。

ちなみにドイツ語では巡礼はder Pilgrimと言ったと思う。などとまたまた知ったかぶりをして書いたら、辞書ではこれは古語であり、現代語としてはder Pilger, die Pilgerin だとあった。これらは巡礼をする人のことをいい、巡礼の旅はdie Pilgerfahrtというらしい。





Nさんの原稿から手が切れた

2024-09-27 19:24:27 | 物理学
今日、Nさんからメールが入って点検した原稿のプリントを送れと言ってきた。それで近くの郵便局に行って、レターパックを買ってきて、夕刻速達で出した。

実はすでに2度目のメールであわてて朱を入れた原稿のプリントを送らなくてもいいですとのメールをもらってはいたのだが。

自宅に置いてあった原稿のプリントを妻に持って来てもらい、ちょっとだけ疑問の箇所を検討した後にである。ポストに投函できないかもしれないとか郵便局の人には言われたのだが、悠々と投函できたのでやれやれであった。

ほぼ一か月この原稿に取り組んできた。これは偏に現在の社会の人に武谷三男の社会への大きな寄与を分かってほしいと思ったからである。多分、2000部の初刷でもなかなか全部を売るきることが難しい時代となっている。

だが、たとえば、武谷がその意義を明らかにした、許容量の概念にしてもこれは大いに日本の社会のみならず世界の人々に有用な概念である(2024.10.17注)。それとかECでは予防防御の原則とかいわれている原則があるが、これだって武谷の言い出した概念である。

もっともECの科学者にも同じことを考えた人がいるであろうと思われる。

ICPCだったかの放射線防護の原則を決めるときにも岩波新書の『原水爆実験』放射線許容量の考えのところをアメリカの核物理学者J. Orearが在米中だった日本人の物理学者(大阪大学名誉教授になった森田さんだったか)に英訳させて、それを参考にしたと聞く。

だから、ICPCの放射線防護の原則は武谷の考え方に基本的によっているという。

(2024.10.17注)世に許容量という語が使われている。この言葉を、たとえば、人体に受けた放射線量で説明すれば、このときの許容量は人間が受けても無害な線量を意味するのではなく、そうではなくて放射線は人間にそもそも有害なので受けないですめばそれに越したことはない。

だが、放射線を受ることによって受ける利点があるのならば、その利点との兼ね合いで放射線量を我慢できるというような意味であるという。

利点とはたとえば、放射線技師なら、職業上の給料を得て自分の生活を成り立たせているというようなことをさす。もしそういう利点がないのならば、放射線を受けることは人間にとって有害であって少量であっても受けるべきではないという。

こういう概念はなかなか普通の人が理解するのが難しかもしれないが、わかっていただけだろうか。

折々のことば

2024-09-27 12:12:01 | 物理学
朝日新聞の第一面に哲学者の鷲田清一さんの「折々のことば」が載っている。

昨日今日は写真家の土門拳さんの写真集『風貌』からのことばが載っていた。

 気力は眼に出る。
 生活は顔色に出る。
 教養は声に出る。
             土門拳

土門拳はつぎのようにも書いていると鷲田さんは書く。
 「本人が欠点と思っているところが、実は案外、唯一の魅力だったりする」

昨日も何か鷲田さんは書かれていたのだが、これは昨日の新聞がもうどこへ行ったかわからないので書けない。だが、これを読んで思い出したことがある。

若いときに半年だけ京都大学の基礎物理学研究所の非常勤講師をしていたことがある。一般の人にわかりやすくいえば、ここは湯川秀樹先生が所長をなさっていた研究所で、彼の定年前の2年前の頃である。

所長室の隣の小さな会議室で昼食を一緒に所長も含めて所員が食べていた。この昼食後のあるとき、湯川さん本人から土門拳の写真をとるときの手法について聞いたことがある。

土門が湯川さんの写真をとるために来たときのことだが、彼は顔を見合わせるなり、腹の立つようなことを言うのだという。これが土門の写真を写すときの手法だったのだろうと湯川さんは述べていた。

怒ったときにその人の本性が現れると土門は考えていたのではないかと。

いずれにしても写真家にはすべてお見通しであったのだろうか。怖い怖い。

『武谷三男の生涯』2

2024-09-26 11:49:49 | 物理学
『武谷三男の生涯』のチェックがそろそろ終わりにできそうだ。まだ終わったわけではないが、終わりが見えてきた。

この間も妻が「鶴見さんとの約束を守れそうだね」と側でつぶやいていた。これは私が武谷三男の伝記を書きたいと言ったら、いまにも武谷さんのファンだった京都在住の女性を鶴見さんが紹介してくれそうだったのだが、「いや先生が生きている間には無理かも」と弱音を吐いたので話はそれ以上には進まなかった。

『武谷三男の生涯』の注がちゃんと引用部分と対応しているかどうかをチェックしているのであるが、それがほぼ終わろうとしているのだ。

それが終われば、もう一度全文をチェックするつもりである。それが終われば、私にできることはない。著者のNさんに原稿のプリントに赤字で訂正箇所を示唆した草稿のプリントを送って私の仕事は終わる。

ドイツ語の意味をドイツ人に聞かれたことがある

2024-09-25 12:10:38 | 本と雑誌
ドイツ語の意味をドイツ人に聞かれたことがある。

これは松山姉妹都市関係にあるドイツフライブルク市の市役所のいずれかの部長さんを務めておられる方とどこかの歓迎の席で同席したときである。

こちらも気取って
  Sie sprechen  authentisch Deutsch.
とか口走ったらしい。

authentisch(アウテンティシュ)とはどういう意味かと問い返された。ドイツ人だからauthentischの意味を知らなかったはずはない。だから「こいつドイツ語をきちんとわかっているのかしら」という質問であったのだろう。

お決まりのように sehr gut Deutschだとかあわてて説明した覚えがある。市役所の部長さんともなれば、きれいなわかりやすいドイツ語を話されたと思う。

その一年後だったかにフライブルクを訪れる機会があって市役所を訪れてこの部長さんに会って、何かのインフォ―メションを頂く機会があった。フライブルクは私がゲーテ・インスティ―トでドイツ語を2か月学ぶ機会のあった町である。

それももう半世紀近くも前のことである。

ようやく秋が来た

2024-09-23 09:17:52 | 本と雑誌
今朝、妻に昨晩から頼まれていたゴミを集収場に持って行った。そのとき外に出て涼しい風が吹いているのを知った。

本当に久しぶりである。ここ2か月以上エアコンなしの生活は考えられなかったからやれやれである。

一昨日、昨日に雨が降って涼しくなったのである。また暑さがぶり返すこともあるだろうが、それでももう以前のような暑さは続くまい。

私はいまはもう大学受験生ではないが、受験勉強本番の秋が来た。私の高校生時代は1950年代の後半であって1957年には高校3年生であった。

高校の先生からは夏にはあまり勉強するなとアドバイスがされていた。その代わり秋には死ぬほど勉強しろとかいわれていた。もっともその秋にあまり勉強したという実感はない。

冬になって年明けから自宅学習の時期が来て、問題をとくことを少し控えてその代わりに全体の理系の科目の読み返しをしたと思う。それで少し見通しがついてようやく高校数学とか物理とかの様子が見てきた気がする。

多くの人が受験を経験するのだが、人生でそれがどれくらい役に立っているのだろうか。地球物理学者だった竹内均先生は「どこの国の学生でも若いときに必死に勉強するのだが、日本ではそれが大学受験と重なっていると考えなさい」と言われていた。

欧米の学生は大学入試の苦労はあまりしないですむが、大学入学後に猛烈に勉強をさされるのだという。それで学生はある一定のレベルに達するのだという。

今日は一日

2024-09-22 18:54:37 | 本と雑誌
Nさんの『武谷三男の生涯』の原稿の注が正しく引用されているかのチェックに今日は一日を使った。

やっと一通り最後まで見ることができた。もっとも武谷とつきあいのあった人の文献は私が持っているものもあるが、この範疇からはずしている。これはそのチェックはつぎの仕事としたいという気持からでている。

さて、これまでのチェックしたものをすぐにNさんに送るのがいいのかどうしたらいいかちょっと迷っている。

さらに仕事をする必要があることはわかっているのだが。


自分の原稿

2024-09-21 16:05:45 | 数学
「数学・物理通信」14巻5号に投稿した自分の原稿の修正を昨日した。記号を変えたり、その他の補足をしたりした。一つの原稿は以前に発行したものの修正原稿である。

「計算の順序」というタイトルでかなり昔に発表したものであるが、記事が足らないので埋草に使うことにした。もっとも原稿の修正はことごとにしてはいたのだが。

もう一つはx^{2}=-1という2次方程式の根の数を議論するのものである。こちらは普通は二次方程式だから根は二つだろうと思われるだろうが、これはxとしてどういう数を取るのかに依存している。

もしxが実数の範囲であれば、x^{2}=-1の根はない。普通に複素数の範囲にとれば、根は2つである。ところがもし数の範囲を四元数にとれば、実はx^{2}=-1の根は連続無限である。これは番号をつけて数えることもできないくらい多いのである。

無限という数には可算無限と連続無限とがある。こういう話は知っている人は知っているが、知らない人は知らない。ちなみに実数のうちで無理数は連続無限である。





いたずらをされているのか

2024-09-20 11:56:27 | 本と雑誌
いたずらをされているのか。

私の先生からのメールの添付書類をディスプレイを経由して取り込むと元のタイトルとちがった変な漢字のわけのわからないタイトルに変化しており、変なことが起こった。

これはディスプレイを経由して取り込むときに変な操作がされるということではないのかと思っている。さらに文書でも入力中に入力しようとする部分がどこか数行上に飛んだり、前に入力した箇所の上に書かれて前の入力部分を消してしまったりする。

注意深く画面を見ながら、入力すればいいのではあるが、これでだいぶん時間をロスすることはなはだしい。これがメモリー不足によるのかもしれないと思ってきたが、メモリ―不足は少なくとも文書に関する限りはないとのことをこの前のEdion訪問で教えてもらった。



「数学・物理通信」14巻5号の編集を始めた

2024-09-19 20:07:37 | 数学
9月も半ばを過ぎたので、あわてて「数学・物理通信」14巻5号の編集を始めた。

この号に武藤徹先生の近藤康太郎記者の追悼文を載せるつもりであったが、いま武藤先生の著作リストをつくりはじめたので、14巻6号を武藤先生の追悼記念号とする予定である。

スペースに余裕があれば、過去に私に送って頂いた先生の遺稿を載せることができるかもしれない。だが、これはもちろんいろいろなことがうまくいけばの話である。

すくなくともpdfの原稿でうまくページを入れることができないと、これは成功しないかもしれない。

過去の自分から学ぶ

2024-09-19 11:23:21 | 本と雑誌
昔のブログを検索して読んで下さっている方がいる。

そのことをアクセス解析で知ることができるので、その検索履歴にしたがって昔の自分のブログを読みなおすのにかなりの時間をとっている。

自分で言うとちょっと自慢しているようで具合がわるいのだが、結構自分の昔の書いたことに感心してしまうというか、「ああこのときにはこういう風に思ったのだな」とか「こう感じたのだな」とか思い返して興味深い。

それはもうすでに忘れてしまった過去の自分に対面しているからでもあろうか。

7000回以上もこのブログを書いているので、自分でこんなことを書いたのだと自分の知らない自分を再発見するようでもある。

負の数を含む数の加減算

2024-09-18 10:45:04 | 数学
中学生になると代数を学び始めるのだが、その最初に負の数を含む、いわゆる実数の加減乗除の計算の仕方を学ぶ。

負の数を含む、乗除の計算ではー1をある数に掛けると、数直線上の点が原点O(この点は数0を表す)を中心にして180度回転するということですべて説明できる。

それで乗法はいいが、除法の方はどうだということになるが、除法はー1の逆数を掛けることである。ところがー1の逆数はー1であるので、上に述べた乗法のイメージを知っていれば、十分である。

あまり負の数を含む実数の加減法のことを考えたことがなかったのだが、このところそれについて考えるようになった。というのはあまり納得できるイメージが思いつかないのである。

いくつかの本を読んだのだが、どれもあまりイメージがわかない。

方法としてはトランプのツー・テン・ジャックを用いたものがある。この説明で大切なところはー(ーa)=a (a>0) となるところが要点だと思うのだが。

黒い札をプラスの数の札とし、赤い札をマイナスの札とする。赤い札を次の人にひいてもらうとそれはプラスに感じられるというところがー(ーa)=a (a>0) を表している。

もっともこの説明法でなくても、この要点はかわらないのだろう。

昨夜は深夜の2時まで起きていた

2024-09-18 10:13:45 | 本と雑誌
昨夜は深夜の2時まで起きていた。久しぶりにインターネット・サーフィンをしたのだ。それで今日は眠たい。

昨夜の今日なので、書くこともないだが、それでも何とかしたいのは20年近くブログを書いてきた習性であろうか。

私はちょっとナルシストの気があって、自分の書いた本のことをインターネットでどのように評価されているかに関心がある。ちょっと面白かったのはQiitaとかいう四元数を用いた空間回転を議論するサイトで貢献した技術書として、私の本が挙げられていたことである。

自分では私の書いた本を技術書とは全く思っていなかったので。四元数関係の本で私の本ほど安価な本はあまりないのではないかと思っている。税抜きだとたったの2,000円なので。

四元数の本であるが、高校生でもちょっと根気のある人なら読めるであろう。