藤本陽一さんが亡くなっていた。今年の7月に亡くなっていたらしい。
早稲田大学で物理の教授をされていた方である。私の20歳代の終わりごろだが、京都大学基礎物理学研究所の北白川宿舎でお目にかかったことがある。
なんだか恐ろしい先生という感じであったが、それは誤解によるものであり、あとで申し訳なかったとか謝ってもらったような気もする。
もともと彼は改築された、北白川宿舎が官僚的に運営されるのではないかと思って、若者を見つけたら、議論をしたかったらしい。そしてその議論に食堂に来いと若い研究者に言ったらしいのだが、それを聞いたのは私ではなかった。
ところが、若い研究者を見かけたので、私をその人だと勘違いしてなぜ素直に議論に来ないのだと詰問したのであった。誤解がとけて、後で謝ってはくれたが、一時はおっかない人に出会ったものだと思った。
藤本陽一さんはアイディアのいい人だと聞き及んでいる。中年以降は宇宙線の研究に従事されたので、宇宙線の国際会議でお見かけしたことがあった。
このとき藤本さんの講演を聞いたのだが、講演のはじめは英語の短文をandとbutでつなぐひょっとしたら、私にでもああいう英語なら、話せるのではないかと思われるものであったが、講演の途中から流ちょうな、いい英語になり終わりの方ではもう立派な英語であった。
藤本さんは何年かイギリスに留学していたので英語を話せるはずだが、日本にいてはあまり英語を話す機会がないから、はじめはああいう英語だったのだろうと思う。そのうちに昔の英語を話す調子が出てきたのだろうと想像する。
それと講演の後の質疑応答をきちんとされていたことから、ちゃんと英語が聞けているのだとわかった。
しかし、変なことしか覚えていない。